京都・環境ウォッチ

いま京都で起こっている環境問題、自然環境の変化などにかかわって、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

クマが町に出る

2010年10月29日 | 地球温暖化
昨日、京都府などへの「鳥獣被害に対する緊急対策の申入れ」が
日本共産党の京都府北部の各自治体議員団、同府会議員団などで行われた。
夜久野
「丹波クリが大ダメージを受けている。黒豆もやられると打撃だが、1年限り。しかし、クリは枝も折られたりして枯れることもある。」
「地元ではクマへの憎しみが強い。福知山では連日出没し、『保護獣』というなら、府は被害の補償をしてほしいという声が出ている」
京丹後
「クマによる果樹への被害がひどい。海岸沿いで育てている梨が80ケース食べられた。枝も折られる」
府の方からは、
「その通りと思う。人が里山近くに住んでいないことが大きな原因と思うが、今年は餌がない。基本は学習放獣。人家近くに出た場合は緊急対応で処分もやむをえない」
各地域からは共通して「命の危険ということをわかってほしい」ということが言われた。
「クマがサッシの戸を開けて入ってきて、家の中の冷蔵庫に置いてあったボールの中のおかずをきれいに食べていった」
お年寄りからは「一人暮らしは”恐怖”」との声も出ている。
「人の命がかかっている。里の柿の実を(クマの餌にならないように)採れとか言うレベルではない」
「丹後では24頭捕獲し、3頭は処分。1頭はすでに死んでいたが、実態をつかんでいるか?」
クマが増えているのでは?という声もあちこちから出ている。
クマが町に出る根元には、大きな現代社会の問題があるが、
現地では、命の危険にさらされ始めている。
もちろん”害獣絶滅”などではないが、
命と里を守る対処は絶対に必要だ。
いずれにしても行政は、緊急対策とともに
「問題」の正確な把握に全力をあげるべきだ。

「なぜクマは町に出る?PartⅡ」のお知らせ

2010年10月28日 | 地球温暖化
なぜクマは町に出る?PartⅡを企画しました。
以下、お知らせ文です。
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市道でクマと乗用車が衝突(舞鶴市)、民家に侵入し二人がケガ(福知山市)など、
人とクマとの遭遇や事故が頻発しています。新聞なども「飢えるクマ、里へ」と報道、
森でのクマの餌不足が指摘されています。
地球温暖化は、森林においても大きな生態系の変化を引き起こしています。いま大
きな問題になっている「ナラ枯れ」や結実しないブナ、芦生をはじめとした北山の林床
植生の変化にも、温暖化は大きく影響しています。
私たちは、2004年、京都社会フォーラムで「クマはなぜ町に出る?」を企画しましたが、今回、そのPartⅡを行います。
いま、“クマ出没”が言われるあちこちの森で、ブナは凶作、ナラもカシ類もともに
不作という事態が広がり「これらが連動する凶作は過去にない」(主原憲司)と言われています。
今回の企画では、主原氏が、クマが出てこざるをえなくなっている「森の木々や環境が、今どうなっているのか」を報告、これらの最も大きな要因を作り出している、人間の社会
のあり方について参加者で討論します。

日時:11月18日(木)午後7時開会(6時半開場)
会場:京都教育文化センター302A 号室
(℡075-771-4221 京都市左京区聖護院川原町4−13・京大病院南側
京阪鴨東線:神宮丸太町駅下車。川端丸太町上る一筋目を東へ5分) 
報告:主原憲司(北山の自然と文化をまもる会幹事)(資料代300円)

主催:北山の自然と文化をまもる会(問い合わせは、榊原まで)

京都市議会は「空き缶回収禁止条例」を決めないで下さい!

2010年10月21日 | 貧困・格差問題
昨晩、空き缶回収禁止条例反対デモ実行委員会が呼びかけた、京都市役所を囲む「人間の鎖」に参加してきました。
350名の皆さんが参加されたとのことで
しっかり「京都市役所」を囲むことが出来ました。
下記のものは、そこで確認した
門川大作京都市長、京都市議会に向けた要請書です。
市議会では「条例」を決めないでいただきたいと思います。
実行委員会では、多くの皆さんへ
この取り組みへの応援を呼びかけています。
具体的には、
京都市議会各議員団への「条例は作らないで!」の要請です。

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空き缶回収禁止条例案を可決させないことを求め、
野宿者への十分な生活支援を行うことを求める要請書

京都市長 様
自由民主党京都市会議員団 様
日本共産党京都市会議員団 様
民主・都みらい京都市会議員団 様
公明党京都市会議員団 様 

京都市の空き缶回収禁止条例反対「人間の鎖」参加者一同

私たちは、京都市会9月定例会に提出された空き缶の回収を禁
止する条例改正案に反対します。
京都市は改正案提出の理由に、「持ち去り」に関して市民から
苦情がきており、リサイクル意識の低下を招いているというこ
とを挙げています。しかしそれは、野宿の仲間が生存のための
貴重な収入源としている空き缶回収まで禁止するほどの理由に
はなりません。「苦情」の具体的な内容や件数も、市は明らか
にしていません。
そもそも、生活保護の適正な運用など十分な生活支援を行って
こなかったことに、現在の貧困問題の原因があるはずです。野
宿の仲間への支援策に関して言えば、「京都市自立支援センタ
ー」の予約はいっぱいであるなど、とても十分な施策が行われ
ているとは言えません。また、働くことが生きがいになってい
る野宿の仲間もたくさんいます。
支援が不十分ななか、残された数少ない働き口である空き缶回
収さえも奪い、京都市は一体どうしろと言うのでしょうか?
環境のために人を殺すな。観光のために人を殺すな。京都が、
命を大切にした上での「美しいまち」であってほしいと私たち
は強く訴えます。

私たち「人間の鎖」参加者一同は、以下のことを要請します。
・空き缶の回収を禁止する当該条例改正案を可決しないこと
・まず第一に、野宿問題をはじめとする貧困問題の実態を理解
し、生活や就労に関して個々の実情に合ったサポート施策を実
施すること
・生活保護の適正な運用を行うこと

以上

飢えるクマ 里へ 

2010年10月17日 | ナラ枯れ
昨日の「毎日新聞(夕刊)」-「飢えるクマ 里へ」
目撃回数などは、北陸~中国地方で4倍増
京都は昨年の191件から890件と、激増している。
市街地への出没が特徴で、
これまでクマとの接触がなかった人たちの中でも不安が広がっている。
私の友人は、「今年はクマが出る。里の近くにいる」と言っていたが
その通りとなった。
先日、美山に聞き取り調査にうかがった時
「クマが、鹿を食べている」と聞いた。
網にかかったものが、クマに食べられているそうだ。
山には餌がない。
8割も枯れたと言われているミズナラの枯死も大きく影響していると思う。
餌が獲れなくなったクマが市街地で目指すものは
人間の餌だ。
今年の様相は、
人間居住地に突入してきているクマとの”市街戦”になっているような
そんな印象を持つ。

あらためて「温暖化が進行」

2010年10月17日 | 地球温暖化
最近、江守正多氏をはじめとした10氏が、
「IPCC報告の科学的知見について」という意見書を発表しました。

IPCCに関しては、「クライメート・ゲート」などと一時、大さわぎになりました。
これは、「独立調査委員会」が
「結論としては、データねつ造などの科学的な不正は見つからない」
「IPCCの結論になんら影響を及ぼさない」として決着が着きましたが
”温暖化なんかウソだ!”という人たちに
おおいに使われました。
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IPCC報告の科学的知見について

1. 本文の目的

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、1988年11月発足以来4度にわ
たって気候変動に関する厖大な報告を発表してきた。気候変動問題に関連した科
学者達によって執筆されたこれらの報告は、その時点でもっとも信頼できるこの
分野の科学的知見の集大成であり、さまざまな機会に引用され、特に気候変動に
関する枠組条約会議やサミットなど気候変動への対応政策を論議する場でしばし
ば取り上げられてきた。

だが、IPCC報告の内容や性格がそうした外部の人々に十分正しく理解されている
とはいいきれない状況が見られる。IPCC報告が特に以下に述べる2つの点で不当
に信頼性を疑われたり(下記2.)、逆に政治的決定に濫用されている(下記3
.)
ように思われる。

今春以来、この問題に関心の強い関係科学者有志が集まり議論した結果、この2
点についての有志の見方を世間に公開することとした。これによって、社会の人
々が、従来の、そして今後のIPCC報告の意図する内容を正しく理解されることを
強く期待する。

   注:関係科学者有志の氏名(五十音順)
     石谷 久、江守正多、沖 大幹、茅 陽一、鬼頭昭雄、杉山大志、住
 明正、
     関 成孝、松野太郎、山口光恒
     
2. 報告書内容の信頼性について

本文で取り上げる第一のポイントは報告書に盛られた科学的知見の信頼性である

報告書に盛り込まれた内容がどこまで信頼できるかは、報告書を読む人にとって
当然第一の関心事である。しかし、2009年末頃から、IPCCの報告書の内容を
めぐっていくつかの出来事があった。これを大きくわけると次の2つになる。

1) データの操作に関するもの
2001年の第3次報告書で、温暖化の事実を如実に示すとされる図の作成過程
で、恣意的操作が行われたことを示唆するとされるe-mailが明るみに出された。
(いわゆる「クライメート・ゲート」疑惑)

2) 記述の信憑性に関するもの
2007年発表の第4次報告書第2作業部会報告「気候変化の影響評価・適応策
・脆弱性」の中で、「ヒマラヤの氷河が2035年までに消失する可能性が高い

という重大な記述がなされているが、これがIPCCの引用基準を満たさない科学的
根拠に欠ける記述であることが指摘され、それに対してIPCCもこの記述を誤りと
認めた。また、これ以外にも、報告書の中の小さなミスや引用の不適切、バラン
スの不適切などの指摘がなされている。

これらに対してどのような対応が行われたであろうか。

1)に関しては、問題の生じた英国において、下院の科学技術委が設けた特別委
や関係大学の委託した2つの委員会が真相究明を行い、オリジナルデータの公開
等については問題があるものの、科学的内容については問題がないとの結論を得
た。2)に関しては、一般的にIPCC報告の信頼性や透明性を更に高める目的で、
IPCCが第三者(IAC:インター・アカデミー・カウンシル)に報告書作成過程や
組織の運営体制に関するレビューを依頼し、その報告が8月末に発表されたとこ
ろである。

ただ、いずれにせよこれまで指摘された誤りは殆どが軽微なものであり、これに
よってIPCCがこれまでまとめた科学的知見の主要なものが揺るぐわけではない。

第4次報告で指摘された主要な2つのポイント、すなわち

*地球温暖化が起きていることは疑う余地がない

*20世紀後半以降に生じた温度上昇の大部分が、人為起源温室効果ガスの増加
によるものである可能性が非常に高い

の妥当性については、世界の多くの科学団体・国際研究プログラム(ICSU:国際
科学会議、WCRP:世界気候研究計画、IGBP:地球圏―生物圏国際協同研究計画)
などが声明を出して強調している。

また、2010年4月30日に開かれた日本学術会議主催シンポジウムでもこれ
らの結論を疑わせる議論は全く出なかった。

もとより、報告書内容の信頼性に関する問題が生じたことは遺憾であり、IPCC関
係者はそのようなことが起こらないよう今後とも努力する必要があるが、これを
もってIPCCの科学的知見全体の信頼性に疑いがあるとするのは不適切と言えよう

人為起源温室効果ガスの増加による気候変動は間違いなく進行しており、迅速に
対応を進める必要がある。

3. 報告書の知見の政策決定への利用

本文で取り上げる第2のポイントは、IPCC報告が行っているのはあくまでも科学
的知見の報告であり、何等かの政治的な主張を行うものではない点である。

最近、各種メディアや政府(政治家)を含め各方面で、IPCCが科学の要請として
「地球の平均気温上昇を産業革命以前の自然のレベルにくらべ2℃以内に抑制す
ること」や、それに基づく特定のCO2削減目標を推奨しており、政策はそれに従
うべきであるとするような説明が行われているが、これは全くの誤解である。

IPCCの第4次報告書では温度上昇影響に関わる記述がいくつかある。例をあげる
なら、第二作業部会報告書の技術要約には次のような記述がある。

1)「工業化以前の水準を2~3℃超える地球温暖化とこれに伴う大気中CO2濃
度の増加によって、生態系の構造と機能に相当な変化が起きる可能性が非常に高
い」(英文原典「Climate Change 2007 Impacts, Adaptation and
Vulnerability」p. 38、日本語版「IPCC地球温暖化第四次レポート 気候変動
2007」p. 150)、

2)「世界平均気温が1990年~2000年水準より2~4℃上回る変化は、
主要な影響の数をあらゆる規模で増加させることになるだろう。例えば、生物多
様性の広範な喪失、地球規模での農業生産性の低下、グリーンランドと西南極の
氷床の広範な後退の確実性などが挙げられる。」(英文原典p. 73、日本語版p.
185)

ただ、記述はこのような温度上昇の影響の可能性を記すにとどまっており、気温
上昇を工業化以前に比して2℃以下に抑制するべき、という要請や推奨は一切行
われていない。

そもそも、IPCCの報告書は、「政策決定に役立つもの(policy relevant)」で
はあっても「特定の政策を推奨するもの(policy prescriptive)」ではない、
との原則のもとに編纂されているものである。

IPCCは、発足以来一貫して自己の作業を科学的知見の要約とする考え方をとって
おり、特定の対応策に関する意見を推奨したことはない。この点は本年8月に開
催されたIPCCの統合報告書の構成に関する会議でも改めて確認されたところであ
る。

本来、温室効果ガス削減戦略や目標は科学のみから自動的に導き出されるもので
はない。科学に基づく気候変動のリスク評価、対策のオプションやその費用の評
価、種々の社会経済的変化の可能性、社会的価値の判断などを含めた幅広い見地
から総合的に判断を行うべきであり、温度上昇の影響のみが判断の基準ではない

温暖化の政策は上記の諸因子についての総合的判断から導き出すべきものである


その意味で、現在G8の宣言などで述べられている2℃抑制とそのための削減案
(たとえば2050年世界の温室効果ガス排出50%減)は、あくまでもIPCCの
科学的知見を参考とした先進国主唱の政治的判断の一つである、とみるべきであ
る。決して科学的要請というべきものではない。

各国の対策に関する主張は、IPCCの知見は参考にしつつも上記のような諸要素を
考慮にいれて定めるべきであり、世界はこの各国の主張に基づいて国際的な合意
を形成し共通の目標を設定するのが適切ではないか。

以 上



NGOが見た「生物多様性」問題

2010年10月07日 | 環境
ねっとわーく京都の10月号の載せてもらったものです。
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NGOが見た「生物多様性」問題
北山の自然と文化をまもる会代表幹事 榊原義道

10月18日から名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が始まる。私たちはこれまで、「丹波広域基幹林道」や八瀬のキマダラルリツバメ生息地の消失問題(老人福祉施設建設による)などで、「生物多様性」の現場での扱いを見てきた。いま取り組んでいる「ナラ枯れ」も、同様の問題だ。こうした活動の中で、見て感じてきた「生物多様性」問題について考えてみたい。

「丹波広域基幹林道」-当初、生物多様性には目もくれなかった京都府
 
「丹波広域基幹林道」の問題とは、京都市左京区から京丹波町下山まで、延長64キロにわたって北山の尾根を貫く大型林道の建設問題だ。私たち、北山の自然と文化をまもる会などが建設に異議を唱え大きな問題になった。運動は、97年、京都府の「二度目のルート変更」と「府下で初めての『自然環境保全地域(特別地区・普通地区)』の設置、京都市左京区広河原側のホンシャクナゲ巨木群への林道直撃ルートの回避」などで一応の収まりを見せた。
この建設に対し、府は「林業振興と環境保全を両立させる」を建前に掲げたが、出発点での環境団体への「環境影響評価書」公表を拒否し、「環境保全」の声を敵視した。私たちは、運動の出発点から現地調査を積み重ね、「北山の峠が危ない」「北山の峠と自然が危ない」などの冊子を発行、その後見つかった「ホンシャクナゲや芦生杉などの巨木群」を守れ!と訴えたが、この過程で、「生物多様性の保全」に密接に係わる、丹波広域基幹林道「事前環境調査報告書」改ざん事件が起こった。

林道路線上に、ヒサマツミドリシジミの生息地がある

府が行った事前調査報告書の正式名称は、「丹波広域基幹林道深見大布施線全体計画調査報告書」。「反対する団体には見せられない」という対応に、私たちは「情報公開請求」を積み重ね、やっと公開(一部は非公開)が決まったが、そこで上記の事件が起こった。報告書では、府が「貴重昆虫」とする「ヒサマツミドリシジミ(蝶)」の生息地が図面から消されていた。
ヒサマツミドリシジミは、なかなか有名な蝶で、1970年、その生態が解明されるまでは「謎の蝶」「日本産最稀種」などと呼ばれていた。食樹(幼虫が食べる)がウラジロガシと判明し、産地も見つかるようになったが、当時の「京都府の貴重昆虫」に選ばれている。
この生息地が、実は、私たちが問題にする「丹波広域基幹林道」の計画路線上にあった。これは、運動をきっかけに知り合った私たちの仲間、主原憲司氏の情報がもとになっている。主原氏は、この蝶の研究家で、地元京北町などでの長年の調査を通じて、この蝶の生息地を正確に把握しており、初めて電話した時、路線上のヒサマツミドリシジミの生息地を指摘し、「林道がこのまま建設されれば、ヒサマツの生息地は破壊される」と訴えた。

「調査報告書改ざん事件」-貴重昆虫ヒサマツミドリシジミが図面から消えた!

しぶしぶ出されてきた「調査報告書」には、「ヒサマツミドリシジミの生息域」が無かった。同じ場所に、かわりに記されていたのは、「ヒラサナエ」というトンボだった。私たちは、「これは同じ『ヒ』で始まるヒサマツミドリシジミの書き違いではないか」とただしたが、「いや、書き間違いではない」と言う。
京都府衛生部公害対策室は、昭和62年3月、京都の貴重な植物群落や昆虫類、鳥類の群生・生息地を示した「京都府動植物分布図(その1)」を発行している。そこには、ヒサマツミドリシジミを含めた6種の「貴重種」と3種の「重要種」(いずれも昆虫)の生息地が明示されている。この分布図で、実は、林道路線上のエリアで、ヒサマツミドリシジミの生息地がはっきりと図示されていたのだ。
私たちは、府が“元にした資料”は、これでないかと尋ねたが、府は「違う」と言う。ちなみに付近の他の生息地では、林道計画に直接影響がない「佐々里峠付近」だけ事前報告書にも生息域が書きこまれていた。
 私たちは「書き違え」でなければ、「『調査報告書』は明らかに改ざん」と指摘したが、府から反論はなく、「府の資料に基づいて作成された。しかし、今、それは見つからない」と言い続けた。
いまから考えれば、裁判に訴えれば白黒ついた事件だったろうが、そうはならず、結果、京都府は、「貴重昆虫」を図面上から消去しただけでなく、実際の生息地も消滅させた。

希少種には“希少となる理由”がある

 私たちが、この蝶から学んだことは、ある生物が“希少になるには、その訳がある”ということだ。主原氏は、ウラジロガシの花芽を食べるヒサマツミドリシジミが、その孵化のタイミングを失した時、彼らは生きていけなくなると指摘していた。
北山の春の訪れは、年によって異なり、花芽が開く時期も変わる。ヒサマツミドリシジミの幼虫たちが生きていくためには、花芽が開く時期と幼虫の孵化のタイミングが一致することが必要だ。花芽より早く孵化すれば食べる餌はなく、遅すぎても食べられない。
時期が多少ずれても、山の斜面のあちこちにある一定の年齢を重ねたウラジロガシがあれば、春の訪れが変動しても、麓か、中腹か、尾根付近か、どこかでヒサマツミドリシジミの幼虫たちは生き残ることが出来る。ウラジロガシは毎年、花芽をつけないので、条件はさらに厳しくなる。北山に、このウラジロガシの大樹が少なくなってしまったこと、麓にも中腹にも尾根近くにもあったのが失われ、彼らの命の糸をより細くしてしまったことが、“希少”のゆえんとなっている。ヒサマツミドリシジミの現状は、それ自身が北山の自然環境の多様さとその消失の度合いを物語っている。
当時の担当者は、林道工事が終わった後、「申し訳ない」「ヒサマツミドリシジミの食樹になるウラジロガシを林道沿いに植樹します」と言ってきたが、これで簡単に復活する程、自然は安直ではない。

「知事選メール事件」を考える

 今年6月、知事選挙に際し、当時の知事室長が山田啓二候補(前・現知事)の街頭演説への参加を府管理職にメールなどで促していたという事件が発覚した。当時、大きく報道もされたが、驚いたのは、この事件の当事者が、私たちが「丹波広域基幹林道建設」問題で長くやり取りした、府の実質的責任者A氏だったことだ。小論は、この詳細を論じるものではないが、「事件」を見ながら「生物多様性の保全」と行政のあり方について考えた。
 「丹波広域基幹林道」について、A氏は、問題が大きくなる中、私たちから見れば、その「対策」を中心的仕事に派遣されてきたように見えた。「もう、なんでもあり(の対応を任されている)ですから」と私たちに話しかけ、とにかく積極的に動いてきた。
この問題は、最終的には、一度目のルート変更で破壊の危機に陥ったホンシャクナゲの巨木群、その保全を私たちが強く求め、府は異例の林務課あげての再調査(全木調査)を実施、やっと現地の植生の貴重さについて、府も「会」と認識が一致、収まりがつくことになったが、A氏は京都府側でこの陣頭指揮を執った。ルート変更の度合いなどには不満が残ったが、それでも府の対応は「事実を把握」しての措置だった。
ただそれは、府の環境行政の転換を意味するものなどでななく、5年にわたる運動と世論の高まりの中で、府側がそうせざるを得なくなったものだった。異論に耳を傾け、情報も公開し、異なる立場も尊重しつつ同じテーブルで議論するという対応に、追い詰められた中でしか目がいかないようでは困るのだ。これでは、ご都合主義となる。
 「生物多様性の保全」という点で見た場合、丹波広域基幹林道建設をめぐる府の失敗は、明らかに“開発最優先”が生み出したものだった。これに、生物の多様性をまもる立場からの「異論」が、行政内部ではあっただろうか?環境部局はどうだったか?今、同様な問題が起こったら、京都府政は、いくつかの部局は、公然と「異論」を表明できるように、変化したのだろうか?

生物多様性の保全のため、“人物多様性”が必要
 
「知事選メール事件」は、発覚後、調査委員会が作られ、関係職員へのヒアリングなどが行われた。委員会は3回開かれ、7月26日には「最終報告」が承認されている。そこでは、事実関係の調査、それへの見解と今後の課題、再発防止策などが述べられており、事件発覚後、約1ヶ月半での“迅速な対応“だった。しかし、これでよかったか?肝心な議論が抜け落ちていないか?
報告書には、A氏がメールを送信した動機が書かれている。
「現職候補者の再選を確信していたので、候補者が訴える施策を迅速かつスムーズに具体化するために・・・せび、多くの府職員が選挙期間中の街頭演説において候補者の目指す施策の考え方や詳細を直接聞いておいてもらうことが重要だった」
これって、何だろう?
府民の意見は多様で、選挙の過程は、ある意味、様々な政策や考えが浮かびあがり、それがある面ではカオスのまま、またある点では昇華もしながら、投票日に当選者としては決着する。個人としての政治活動は認められて当然だが、行政としてその過程は、むしろ「多様性」を認識する過程ではないか。府の行政トップが、“どうせ勝つ”と、ある候補の施策を、有権者の審判も降りていないのに、迅速かつスムーズな具体化を目指し、多くの職員に聞くように指示する、これが、時代の“行政の文化”なのだろうか?その姿は、「運営目標」を定め、その「進捗状況」と「達成状況」を数値で求める府政のあり様と重なって見えてくる。
これが、「多様性」や「異論」を包含する行政と両立するだろうか。京都新聞は、「府庁の体質にメス必要」の記事で、「山田知事は・・・周囲が『イエスマン』化するような人事を行ってこなかったか」「府庁のなれ合い体質にメスを」と書いたが、「多様性」とは、そもそも“面倒”なことである。しかし、“人物多様性”が豊かに保障される中で突き出される「異論」は、発展・成長にとって無くてはならない重要な構成部分となのだ。これが生かされてこそ、自然や社会のスムーズな成長や保全が促進される。これは「生物多様性」の問題だけでなく、私たちの社会にとっても重要課題だ。