京都・環境ウォッチ

いま京都で起こっている環境問題、自然環境の変化などにかかわって、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

「古事記の起源」との対話ーⅡ

2012年07月04日 | 古事記の起源
第一章 古事記はどのように研究されてきたか
古事記への6つの迫り方を紹介している(略)

そのうち著者は、第6の
「縄文・弥生期から紀元後500年代くらいまでの<古代の古代>の『古事記』登場以前の無文字時代のヤマト族の古層のことば表現を、中国少数民族・オキナワ民族などの口誦のことば表現を素材として作ったモデルから推測する方法」を採る
「『古事記』を、<古代の古代>の古層と、600~700年代<古代の近代>の新層・表層とに腑分けしながら読む」
(古事記は、日本語言葉をそのまま文字であらわすものではなかった。半分、外国語で表現するようなもの。その文字であらわすことに慣れていない時代の産物。だから、当てる漢字も意味が不明、あるいは”遠い”ものも当然ある。この発見は助かった。あの神々の文字で表された名前、意味不明で苦痛だった。漢字で表現された名前が頭に入って来なかった。しかしこれは、カタカナで「読んだ」ら頭に入ってくる)
(沢山の空想が湧く。それは誰のために必要だったのか。以前からずっと「口誦」は大切なものだった。それを受け継ぎながら、それがある意味で別のものに変えられていく)

600年代の編纂事業
「『古事記』の・・・かなりの部分は、すでに文字で記録されて大和朝廷の資料集積所のようなところに集められていた神話・物語資料だったのであろう」
「これらは以下の記事によれば、いわゆる『大化の改新』の戦闘の際に焼失したようだ。・・・その内の『国記』だけは焼失を免れたとある」

稗田阿礼の役割
「文字で記録されていたものの中で特殊なヤマト語の訓みを聞き書きして記録し、また口誦のメロディー・リズムなどが伝わっているものの場合はそれを聞いて現在の録音に近い状態で記憶する」

古事記は完成まで、わずか4カ月
「文字記録資料群などを・・・目の前に揃えて、それらを・・・よく吟味して取捨選択し<たった一つの神話>にまとめあげた」
「『古事記』は「高天の原」やタカミムスヒという、天皇氏族の根源にかかわる他界や神々については、なんとしてでも世界の始まりをかたる冒頭に置くべきだという意志を示した。特に「高天の原」は、『古事記』に登場する根の国、黄泉の国、妣の国、常世、海神の国という他界群と比較すると、天皇権力の神聖化・絶対化と直結する他界であるから、それを世界の始まりの位置に据えたのは、極めて政治的な色彩の濃い構成意識」
(当時、何らかの理由で、”突貫作業”だったのだ)
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「古事記の起源」との対話-Ⅰ

2012年06月27日 | 古事記の起源
先日の新聞で、中公新書「古事記誕生」(工藤隆さん)の書評があり、面白そうだったので本屋に行った。横に「古事記の起源」があった。<はじめに>を読むと、こっちも面白そう。二冊とも買って、「起源」から読み始めた。最近、まわりも少し落ち着いてきて、こうした本を読む余裕が出始めたからか、読み始めると、やぁ、これは面白い。当時の世界がいやにリアルに目に浮かぶ。
この春、たまたま週刊ポストで「出雲大社と古事記」の記事を読んで、頭に沢山のことが思い浮かんだ。書きたいなと思いそのままにしていたが、「古事記の起源」、これもイメージがクロスして面白そう。ちょって整理しながら、思い浮かんだことを書いてみたい。

<はじめに>はわかり易い。
「旧来の研究が飽和状態」に達しつつある
古事記は、「無文字民族」だった日本列島民族が文字で残した書物の中で、「明確な執筆方針」のもとに編纂された大部の著作
「無文字文化から文字文化へ移行」するときに生じる問題
自前の文字でなく「外国の文字」で、しかも「外国語(中国語)の文体を借りて記述」
『古事記』は氷山、海中には、海上に出ている部分の何倍もの分量の「無文字時代のことば表現のあり方が隠れている」
(ポストを読んだ時のひらめきーあの古事記の不思議な子どもと世界の作り方には、いろんな尊敬や配慮が象徴的な暗喩で表現されているのではないか、ということ。)
(無文字民族が、外国語で”歴史”を書く。「古事記」は、日本人より中国人(政府)によりわかり易かったのかぁ。日本政府の官僚たちは、当然これを学び、語れるようにしなければならなかった)

「海中の部分への接近」
中国大陸はもちろん、アジアの北・東・西・みなみの広範な地域からの文化の流入
無文字文化のことば表現の世界を、古事記の形成過程と結び付けて具体的に把握
神話が無文字時代のムラ段階の社会で実用的に存在してきた「古層」と古代国家成立期の「新層」、その「中間層」
(この「中間層」が歴史となる)
古事記は”死んだ神話”の集積体
(しかし、そこにも矛盾のエキスがそのまま残されている)
無文字時代の生きた神話と歌垣
古事記の古層からの距離、その測定

<序論>
客のために歌った「生きている神話」
(そうして、交流を深めていった、自己紹介の歌ー神話)
「語られるもの」でなく、「韻律をもって歌われるもの」
(そうだろうな。上から目線の”教育”でも”説明”でもなく、交歓し共鳴を得るものだから)
コメント (2)
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