「ハチはなぜ大量死したのか」を読んでいる。
この書は、ミツバチの大量失踪事件を追いながら
失踪の土台的な原因に、
「現在の資本主義的経済システム」があるのではないか?
議論は、後半、その疑問を提示し、深められていく。
228p「現在の経済システムを疑う」
ウェブスターの説明
「私は、健康のあらゆる要素、すなわち持続性、復元力、多様性、生産性が機能して発展できるようなシステムを設計しようとした。そのメカニズムが解明されているかいないかは問題ではなかった。自然は私たちを大きく超えた存在だ。自然のやり方を妨げないことが、私たちとミツバチの双方にとって、将来の鍵を握っている」
「私たちが自然の全てを理解することは、決してないだろう。けれども、自然の慈悲深い心配りと庇護の下で暮らし働くすべを学ぶことは出来る。かっては多くの人々がこうしてきた。今も将来も私たちに同じことが出来ないという理由はない。このように暮らすことは、私たちが今暮らしている略奪的で破壊的な経済システムから離れられるだけでなく、真の代替手段をも創造することになる。このような暮らし方をすれば、私たちはひきも切らずに自然を劣化させることをやめ、かえって自然の回復に貢献できるようになるのだ。」
「もちろん、こうするには長年にわたる貧困が伴う。だが、貧困とはいったいなんだろう?」…「通常、あるいは社会的に容認されうべき財産や所有物を欠いている状態」。「つまりこれは、経済システムという文脈の中だけに存在する概念だ。もし周りの人が持っているのと同じスニーカーやミニバンやステーキが買えなかったために、恥ずかしい思いをしたり、劣等感を感じたり、ただ単に悲しい思いをしたりするとすれば、貧困はほんとうに精神的・物理的苦痛になるかもしれない。けれども、人生の目標が『田舎にいて、農作、庭いじり、そしてとりわけミツバチを飼うことを中心にした快適な人生を送ること』にあるとしたら、貧困は、従来の健康的な暮らしにものすごく近いものに見えてくる」
「貧困」とは、こんな牧歌的なものと、チャゥでぇー
と、すぐ声を上げたくなるが
温暖化対策や世界的規模での社会変革には
ここで著者がいう
”貧困”や、一種の”我慢”が、間違いなく伴うのだろう。
資本主義的な農業が破綻する中で、
さらに資本主義的なやり方で農業の”再生”がはかれるか?
そうしたやり方でなく、ほんとうに「農業」を取り戻すには、
自然の声をしっかり聞く以外にないのだろう。
利潤の獲得、資本の増殖を最大目的とした資本主義的な生産が推し進められ
さらに「市場原理主義」の野放図が世界を吹き荒らした。
若者や労働者が仕事から排除され、
生きるための糧を得る機会さえ奪われている。
この資本主義的”発展”は、
資本の蓄積には大いに役立っただろうが
社会的生物としての人間は、社会的・自然的生物としての悲鳴を上げている。
これを、さらなる資本主義的”進化”で、再生できるか?
できないだろう。
自然の声にしっかり耳を傾けた社会は、発展のない”定常宇宙”ではなく、
自然も人も、そのものの力を引き出す新しい挑戦の社会だろう。
そして、それなしに、
人類の多くが持続的に生き続けて行けないのが、
21世紀の地球と人間の関係なのだと思う。
この書は、ミツバチの大量失踪事件を追いながら
失踪の土台的な原因に、
「現在の資本主義的経済システム」があるのではないか?
議論は、後半、その疑問を提示し、深められていく。
228p「現在の経済システムを疑う」
ウェブスターの説明
「私は、健康のあらゆる要素、すなわち持続性、復元力、多様性、生産性が機能して発展できるようなシステムを設計しようとした。そのメカニズムが解明されているかいないかは問題ではなかった。自然は私たちを大きく超えた存在だ。自然のやり方を妨げないことが、私たちとミツバチの双方にとって、将来の鍵を握っている」
「私たちが自然の全てを理解することは、決してないだろう。けれども、自然の慈悲深い心配りと庇護の下で暮らし働くすべを学ぶことは出来る。かっては多くの人々がこうしてきた。今も将来も私たちに同じことが出来ないという理由はない。このように暮らすことは、私たちが今暮らしている略奪的で破壊的な経済システムから離れられるだけでなく、真の代替手段をも創造することになる。このような暮らし方をすれば、私たちはひきも切らずに自然を劣化させることをやめ、かえって自然の回復に貢献できるようになるのだ。」
「もちろん、こうするには長年にわたる貧困が伴う。だが、貧困とはいったいなんだろう?」…「通常、あるいは社会的に容認されうべき財産や所有物を欠いている状態」。「つまりこれは、経済システムという文脈の中だけに存在する概念だ。もし周りの人が持っているのと同じスニーカーやミニバンやステーキが買えなかったために、恥ずかしい思いをしたり、劣等感を感じたり、ただ単に悲しい思いをしたりするとすれば、貧困はほんとうに精神的・物理的苦痛になるかもしれない。けれども、人生の目標が『田舎にいて、農作、庭いじり、そしてとりわけミツバチを飼うことを中心にした快適な人生を送ること』にあるとしたら、貧困は、従来の健康的な暮らしにものすごく近いものに見えてくる」
「貧困」とは、こんな牧歌的なものと、チャゥでぇー
と、すぐ声を上げたくなるが
温暖化対策や世界的規模での社会変革には
ここで著者がいう
”貧困”や、一種の”我慢”が、間違いなく伴うのだろう。
資本主義的な農業が破綻する中で、
さらに資本主義的なやり方で農業の”再生”がはかれるか?
そうしたやり方でなく、ほんとうに「農業」を取り戻すには、
自然の声をしっかり聞く以外にないのだろう。
利潤の獲得、資本の増殖を最大目的とした資本主義的な生産が推し進められ
さらに「市場原理主義」の野放図が世界を吹き荒らした。
若者や労働者が仕事から排除され、
生きるための糧を得る機会さえ奪われている。
この資本主義的”発展”は、
資本の蓄積には大いに役立っただろうが
社会的生物としての人間は、社会的・自然的生物としての悲鳴を上げている。
これを、さらなる資本主義的”進化”で、再生できるか?
できないだろう。
自然の声にしっかり耳を傾けた社会は、発展のない”定常宇宙”ではなく、
自然も人も、そのものの力を引き出す新しい挑戦の社会だろう。
そして、それなしに、
人類の多くが持続的に生き続けて行けないのが、
21世紀の地球と人間の関係なのだと思う。