昨日書いた、第三軍道の75センチの歩道です。
この「歩道」は通り抜けたことはありませんでした。
通ってみると、本当に狭く
この地域での、行政の”人の扱い”の低さを実感させる道です。
この歩道だけではありませんが、「公共空間」を豊かにすることの大切さ
皆の人生の中での、その重要な位置付けということを、
最近よく考えます。
いま、伏見北部で「課題」として浮上している「消防署跡地」の活用問題ですが、
このすぐ南に公園があります。
なんということもない公園で、一度トイレを使ったことがありますが
詰まっていて、汚れたトイレでした。
結構、どこにでもあるようなものですが
そう言われたら、
多くの皆さんが「ああ、そうか・・」と
何となくイメージできるような公園です。
ずっと以前に、左京区下鴨の公園を調べたことがあります。
どんな公園に子どもたちが集まるか、そのつくりは?
家々との関係は?
これはなかなか面白いテーマで
どこかで調べてみたいなと、いまだに思っていますが・・・
それでも「京都市の公園」は何となくパッとしないイメージで
まあ、こんなものかなーーと思い続けてきました。
しかし、今回、藤森学区での共産党の地域アンケートがきっかけになり
”消防署跡地の活用をどうするか、市民が考えよう!”の運動に出会ってみて
その南側に隣接する公園に目が行くと
”えっ?この公園、もっと豊かにならないの?”と
固定的にとらえていた”パッとしない公園”のイメージが
発展・変容を始めたのです。
これは、単独の”イメージの変容”ではなく、
自らの、主体形成との相互浸透の中での変化です。
この「歩道」は通り抜けたことはありませんでした。
通ってみると、本当に狭く
この地域での、行政の”人の扱い”の低さを実感させる道です。
この歩道だけではありませんが、「公共空間」を豊かにすることの大切さ
皆の人生の中での、その重要な位置付けということを、
最近よく考えます。
いま、伏見北部で「課題」として浮上している「消防署跡地」の活用問題ですが、
このすぐ南に公園があります。
なんということもない公園で、一度トイレを使ったことがありますが
詰まっていて、汚れたトイレでした。
結構、どこにでもあるようなものですが
そう言われたら、
多くの皆さんが「ああ、そうか・・」と
何となくイメージできるような公園です。
ずっと以前に、左京区下鴨の公園を調べたことがあります。
どんな公園に子どもたちが集まるか、そのつくりは?
家々との関係は?
これはなかなか面白いテーマで
どこかで調べてみたいなと、いまだに思っていますが・・・
それでも「京都市の公園」は何となくパッとしないイメージで
まあ、こんなものかなーーと思い続けてきました。
しかし、今回、藤森学区での共産党の地域アンケートがきっかけになり
”消防署跡地の活用をどうするか、市民が考えよう!”の運動に出会ってみて
その南側に隣接する公園に目が行くと
”えっ?この公園、もっと豊かにならないの?”と
固定的にとらえていた”パッとしない公園”のイメージが
発展・変容を始めたのです。
これは、単独の”イメージの変容”ではなく、
自らの、主体形成との相互浸透の中での変化です。