今回はベルリンにも立ち寄りました。
私が「民主化支援」という分野に関わるきっかけ、それは、1989年11月9日、共産党独裁政権の打倒と民主化を求める人々が起こしたうねりによって、ベルリンの壁が崩壊するプロセスでした。人生の大きな転機を生み出したベルリンという街を知っておきたいと思い、コソボでの制憲議会選挙監視(2001年11月)や、ドイツでの妹の結婚式(2002年11月9日)の後に、友人を訪ねて滞在しました。
3度目の今回も11月。春江一也氏が書いた「ベルリンの秋」の舞台を巡って歩きました。私は、前作『プラハの春』以降、春江氏の作品に心酔し、どちらも3回ずつ繰り返し読みました。「プラハの春」は、筆者が在チェコスロバキア大使館に勤務した経験をもとに、「プラハの春」と言われた1967年の民主化運動に伴って展開する人間ドラマを描いた作品です。人々の希望がソ連軍の軍事介入によって無残につぶされる過程が、日本人外交官と旧東ドイツの反体制活動家の女性との禁断の恋を交えて綴られています。
一方、「ベルリンの秋」は、1969年からベルリンの壁崩壊までの約20年間を、東西ベルリンを中心に、モスクワ、日本、さらにアフリカのアンゴラやモザンビークまでも舞台として壮大に描いた本です。社会主義が崩壊するまでのプロセスを、人々の熱い思いや権力の恐ろしさともに克明に描きながらも、資本主義社会の哀しい現実にも触れ、広い意味で考えさせられる作品です。
マルクス・レーニン主義によって生まれた共産党一党独裁が、いかに独善的で人間性を奪うシステムであったか。しかし、そんな中でも、前作「プラハの春」のカテリーナをはじめ、自由と尊厳を守るための闘いに身を捧げた人たちが大勢いたことに、何よりも勇気づけられました。「マルクス・レーニン主義はペテンなのだ!」と看破し、ソ連の近い将来の崩壊を歴史的必然! と断定する秘密警察「シタージ」のベーナー次官の言葉は、日本における政権交代の必然とオーバーラップして私の心に響きました。
このシリーズは、私にとっては、プラハとベルリンを歩く特別なガイドブックでもあります。幼いシルビアと亮介が待ち合わせをしたカレル橋のフランシスコ・ザビエル像、そしてカテリーナが悲劇の死を遂げた旧市街広場に、時代に翻弄された彼女たちの面影を感じました。また、ベルリンでは、シルビアと亮介が再会したアレクサンダー広場や、ベーナー次官が非情な体制に挑む孤独な闘いの拠点にもなったペルガモン博物館、さらにベルリンの象徴であるブランデンブルグ門周辺を歩きながら、現実の町並みと交錯する登場人物の鼓動に思いを馳せました。おかげで町を歩く楽しみは何倍にもなったように思います。
私も、このような作品をいつか書いてみたいものです。
写真:ベルリン・ブランデンブルグ門を背景に(ちょっと暗くてごめんなさい)
さかぐち直人政治活動ホームページ
阪口直人国際協力活動ホームページ
私が「民主化支援」という分野に関わるきっかけ、それは、1989年11月9日、共産党独裁政権の打倒と民主化を求める人々が起こしたうねりによって、ベルリンの壁が崩壊するプロセスでした。人生の大きな転機を生み出したベルリンという街を知っておきたいと思い、コソボでの制憲議会選挙監視(2001年11月)や、ドイツでの妹の結婚式(2002年11月9日)の後に、友人を訪ねて滞在しました。
3度目の今回も11月。春江一也氏が書いた「ベルリンの秋」の舞台を巡って歩きました。私は、前作『プラハの春』以降、春江氏の作品に心酔し、どちらも3回ずつ繰り返し読みました。「プラハの春」は、筆者が在チェコスロバキア大使館に勤務した経験をもとに、「プラハの春」と言われた1967年の民主化運動に伴って展開する人間ドラマを描いた作品です。人々の希望がソ連軍の軍事介入によって無残につぶされる過程が、日本人外交官と旧東ドイツの反体制活動家の女性との禁断の恋を交えて綴られています。
一方、「ベルリンの秋」は、1969年からベルリンの壁崩壊までの約20年間を、東西ベルリンを中心に、モスクワ、日本、さらにアフリカのアンゴラやモザンビークまでも舞台として壮大に描いた本です。社会主義が崩壊するまでのプロセスを、人々の熱い思いや権力の恐ろしさともに克明に描きながらも、資本主義社会の哀しい現実にも触れ、広い意味で考えさせられる作品です。
マルクス・レーニン主義によって生まれた共産党一党独裁が、いかに独善的で人間性を奪うシステムであったか。しかし、そんな中でも、前作「プラハの春」のカテリーナをはじめ、自由と尊厳を守るための闘いに身を捧げた人たちが大勢いたことに、何よりも勇気づけられました。「マルクス・レーニン主義はペテンなのだ!」と看破し、ソ連の近い将来の崩壊を歴史的必然! と断定する秘密警察「シタージ」のベーナー次官の言葉は、日本における政権交代の必然とオーバーラップして私の心に響きました。
このシリーズは、私にとっては、プラハとベルリンを歩く特別なガイドブックでもあります。幼いシルビアと亮介が待ち合わせをしたカレル橋のフランシスコ・ザビエル像、そしてカテリーナが悲劇の死を遂げた旧市街広場に、時代に翻弄された彼女たちの面影を感じました。また、ベルリンでは、シルビアと亮介が再会したアレクサンダー広場や、ベーナー次官が非情な体制に挑む孤独な闘いの拠点にもなったペルガモン博物館、さらにベルリンの象徴であるブランデンブルグ門周辺を歩きながら、現実の町並みと交錯する登場人物の鼓動に思いを馳せました。おかげで町を歩く楽しみは何倍にもなったように思います。
私も、このような作品をいつか書いてみたいものです。
写真:ベルリン・ブランデンブルグ門を背景に(ちょっと暗くてごめんなさい)
さかぐち直人政治活動ホームページ
阪口直人国際協力活動ホームページ
写真を拝見すると、ベルリンでは既にかなり寒そうですね。プラハやベルリンの冬はどれだけ寒いのかなあ・・・心配。冬のヨーロッパは初めてなのです。
阪口さんの小説、読んでみたいです!
東欧諸国はどちらに行く予定なのでしょうか? 私が2度目のプラハに行った時も1月の初めでしたが、身を刺すような寒さだったのを覚えています。でも、町を歩いているとすぐ温かくなるし、冬は、町中にあるカフェで飲むホットワインが一番美味しい季節です。
この小説は、2001年インターバンドの活動で東ティモールの制憲議会選挙の監視活動に一緒に行った早川君という大学院生に紹介されて知りました。ちょうど、チェコからの留学生も交えて話す機会があったのですが、チェコの政治情勢について質問をしていた時、隣にいた早川君が、「とにかく阪口さんに読んで欲しいです。燃えます。エロいシーンもありますし!」と勧めてくれ、ならば・・・! と早速買って読んだのでした。期待通りでした! 早川君、どうしているんでしょう。
阪口さんが書く小説、ぜひ読んでみたいです。でも、阪口さんが以前書かれた「心にかける橋」(本)も多くの読者の心を掴んで、人生に影響を与えた名作だと思いますよ。こちらの続編にも期待しています。
ありがとうございます。カンボジアに関連するその後の展開は、新たな本を書く上で十分な材料になると思います。でも、次の本は、もう少しアカデミックな視点で書くつもりです。その後に、人間の魂に訴える内容の本を、政治や、様々な紛争地域で出逢った人々の声もあわせて綴っていきたいと思っています。「生きることの素晴らしさ」を共有できるような作品を!
「チェ・ゲバラ伝(三好徹)」「コンチキ号漂流記(ヘイエルダール)」「青春を山に賭けて(植村直己)」「アンネの日記(アンネ・フランク)」
そして阪口さんの著書「心にかける橋」です。
カフェラテさん、三高さん、コメントありがとうございます。
それにしても、三高さんの読書傾向は、私とは本当に似ていますね。その5冊、私も全部読んだことがありますよ。(5冊目は当たり前ですが・・・!)
アンネ・フランク以外の3人に感じた、その行動におけるstupidity、しかし、綿密な準備と信念に基づく卓越した行動力に大きな影響を受けました。
チェ・ゲバラに関しては、私がその生き方に興味を持ち出した頃はあまり日本語で書かれた本もありませんでした。キューバに行きハバナの街角で売られていた英語版の本を買って、夢中になって読んだのも懐かしい思い出です。しかし、最近は、再びゲバラブームのようですね。ヨーロッパやロシア、さらにアフリカ、アジアなど、あらゆる町でチェ・ゲバラのTシャツが売られているのを目撃しました。ほとんどその度に買っているので、私も10枚近くTシャツを持っていますが・・・。ロンドンに行った時、ヴィクトリア&アルバート博物館の特別展で「各国のチェ・ゲバラを題材とした関連商品」の展示会にまで遭遇したことさえあります。
資本主義社会の中で、自分の肖像が商品化されていること、チェは何と思うでしょうか・・・。
チェ・ゲバラ、石川文洋(報道写真家)、石井琢朗(横浜ベイスターズ)、首藤信彦前衆議院議員、そして阪口直人さんです。
いえいえ、とんでもありません(赤面)。最初の4人のように、何かをすでに成し遂げた人と比べられても困ります。
石川文洋氏とは、群馬県の講演に話を聞きに行き、一緒に飲んだことがあります。大変に謙虚で、本当に人の話をよく聞いて下さる方だったことが印象的でした。村で活動していたボランティアの方々に比べれば、私たちなんて、米軍に従軍して写真撮ってただけですから・・・と言いつつ見せてくださったベトナム戦争の写真には魂が震えました。
それにしても、北の侍・小笠原まで金に転んで讀賣とは、ガッカリですね。
それにしても・・・?
松坂投手が米帝国主義の象徴であるようなヤンキースではなくレッドソックスへの入団となることは、私もまた阪口さん同様溜飲を下げる思いです。
しかし一方、そこで60億のお金が動くとは・・・。
例えば、世界中の子供達の命を救うポリオワクチン。
この摂取は1本20円と聞いています。単純計算では、60億のお金があれば、命を落とそうとする5歳以下の子供たち3億人を救えることになります。
プロ野球選手ひとりの値段と3億人の子供たちの命が同じだなんて・・・。どこかおかしい!
最近は専ら高校野球オヤジになってしまったためか、プロ野球には戸惑いを感じています。
かつての阪神タイガース村山実のような、拝金主義とは対極の真の侍が現れることはもうないのでしょうか?
かつて、讀賣と同じ後楽園球場、および東京ドームを本拠地としていた日本ハム。常にスポットライトを浴びる讀賣に対して閑古鳥が鳴くスタンドを訪れるたびに、その中でプレーする選手の気持ちを思ったものでした。そんな中、サムライのようなストイックな風貌と渾身のフルスイングでハイレベルな活躍を続ける小笠原道大選手は、私の好きな選手のひとりでした。
北海道移転後は熱狂的なファンにも支えられての日本シリーズ制覇。かつての姿を知るだけに、私も本当に感動しました。
しかし、その小笠原選手が結局讀賣入りとは本当に残念です。FAというのは選手の権利であり、その行使を批判するつもりはありません。しかし、日本ハムには払えないような金額を提示し、低迷する讀賣を「救ってくれ」とは、何と虫のいいことかと、いつもながらのやり方には開いた口が塞がりません。新庄、小笠原の2枚看板を失う日本ハムはどうなるのか? 讀賣にプロ野球を牽引する気概があれば、こんな身勝手な発想になるはずもありません。
自由競争であるからこそ、健全性、モラルが問われるのです。「自分たちの利益を守るためなら他はどうなってもいい」こんな発想がこれ以上正当化されないためにも、この補強が失敗に終わることを念じたいと思います。
それはスポーツと旅です。
“すべての武器を楽器に”と歌う参議院議員がいますが、私としては“すべての武器をバットとボール”にと叫びたいところです。
超のつく独断と偏見を覚悟で言えば、すべての子供たちがスポーツに汗を流せば、いじめのない世界がつくれるのでは…
それが私の理想なのですが…
阪口さんは、こと野球のこととなると「衆議院議員候補」という立場をすっかり忘れて、野球帽をかぶった少年の目線になってしまわれるのですね。選手に対する愛情と憧れ、そして、その目線からに基づくお怒りの様子もとても素敵だと思います。でも、阪口さんの支援者の中には「讀賣」ファンもいらっしゃると思うので、ダイレクトな物言いにちょっと心配してしまったりもするのですが・・・。
unknownさん、素敵なコメント、そしてご心配、ありがとうございます。
話が野球のことになると、つい熱くなってしまうのは昔からのことですので、衆議院議員候補であろうとなかろうと、こればっかりは直りそうもありません。
讀賣というチームは大嫌いですが、このチームの体質が、私自身の政治信条というよりも人間としての基本的な価値観と徹底的に対極にあるので仕方ないことです。今、このチームは低迷しているようですが、大変結構なことだと思います。もっともっと奈落の底まで沈んで欲しいと心から願っています。
民主党17区事務所でも、タイガースが勝って朝から元気いっぱいの私と、冷ややかに突っ込みを入れるスタッフの方々との会話も大切なコミュニケーションでした。心ある讀賣ファンの方々も、今のチーム状態にはお嘆きのことと思います。でもタイガースファンも1985年の優勝まで21年、2003年の優勝まで18年我慢したんです。ぜひ、同じ思いを味わって頂きたい。話はそれからです!
その意味では、堂々と読売批判を語る阪口さんの姿は、終始ブレるところがありません。それはもちろん野球以外のところでも変わらぬ姿勢かと思いますが。
議員バッチをつけられた後も、そのスタイルでいてもらいたいなと、個人的には思っていたりしています・・・
unknownさんのご指摘はまさに正論であることを私自身も感じる上で、あえての希望です。