阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

「花はどこへいった」-カタリナ・ビットの平和への祈り

2008年08月14日 23時57分35秒 | スポーツ
 今日も街宣活動と街頭演説、そしてノボリを立てた自転車に乗っての挨拶回りを一日中繰り返しました。日暮れ前、農作業を終えた方々と畑の畔道や庭先で話す時間は政治活動の中でももっとも心に迫るひとときです。和歌山の夕暮れの風景は本当に美しく、私もまた、長い一日の疲れが吹っ飛ぶような思いを連日味わっています。

 (写真は産出額全国一位を誇る紀の川市のいちじく畑です)


 三高さんが書いて下さった、カタリナ・ビットが反戦歌「花はどこへ行った」とともに舞ったリレハンメルでのシーンは、私にとってもオリンピック史上、もっとも特別なシーンです。

 1996年、私は日本政府の派遣でボスニア・ヘルツェゴビナ統一選挙の選挙指導員としてサラエボで活動していました。デイトン和平合意に基づいて自由・公正な選挙が実施され、過酷な内戦に終止符が打たれるのか、世界中の目が注がれる選挙でした。

 カタリナ・ビットが金メダルの舞いで、そしてトーベル・ディーン組が「ボレロ」で世界を魅了したオリンピック会場は、私の担当地域の中でした。しかし、セルビア人勢力の砲撃によって完全に破壊されたアリーナの姿にショックで声も出ませんでした。同時に、その2年前、サラエボの平和を祈ってリレハンメルで舞ったカタリナ・ビットの平和への思いが、今、実現しようとしている。まさにその場に当事者として立つよろこびと使命感に心を震わせました。

 サラエボ(1984)、そしてカルガリー(1988)でオリンピック2連覇を達成したカタリナ・ビットは、美しさといい、表現力といい、まさにフィギュアスケートの女王に相応しい選手でしたね。旧東ドイツにとっては国家の威信を象徴するオリンピック選手でもあったと思います。イリーナ・スルツカヤ、ミシェル・クワンなど、世界選手権を何度も征している選手がオリンピックの舞台では金メダルに縁がなかったことからも、フィギュアスケートのような競技の連覇がいかに難しいか、改めて感じます。

 (一方で、金メダリストになったタラ・リピンスキー(長野)やオクサナ・バイウル(リレハンメル)、サラ・ヒューズ(ソルトレークシティー)、荒川静香(トリノ)などは、世界最高の選手としオリンピックに臨んだわけではなかったと思います。今回、オリンピックを連覇した北島康介、内柴正人、上野雅恵、谷本歩実選手も、この間、長期の低迷を経験しました。そんな中、オリンピックに照準を合わせて結果を出す精神力はさすがですが、ずっと世界最高レベルの選手として君臨しながらオリンピックで最高の結果を出すことはさらに難しいのではとも思います。そういう意味では浅田真央選手がバンクーバーで金メダルを取れたら、それは本当に偉業だと思います!)

 連覇の翌年、ベルリンの壁が崩壊し、東ドイツは消滅。ビットの立場も微妙になったと想像します。そんな中、引退していたビットが復帰し、1994年のリレハンメルで見せた演技。ジャンプの精度などは全盛期とは比較にもなりませんでしたが、平和への思いを込めた演技には、メダル争いとは別次元の感動がありました。

 実はこのシーン、今は民主党参議院議員の牧山ひろえさん、ラグビー豪州代表の快速ウイングとして1988年の世界MVPにもなったイアン・ウィリアムス選手(神戸製鋼でも大活躍した選手です)などと一緒に観ていました。私自身、国連カンボジア暫定統治機構での活動を終え、モザンビークでの国連PKO活動に向かう直前。再び紛争地に身を置く緊張感もあって、このシーンは鮮烈に焼きついています。

 「花はどこへ行った」のカタリナ・ビットの演技、こちらのURLでご覧になれます。何度見ても感動が蘇ってくるシーンです。

 http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_080202059261_1.htm


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1 コメント

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五輪の思い出 (三高 章)
2008-08-15 19:10:38
人の記憶とはまたいいかげんなもので、ビットが「花はどこへ行った」の舞いを見せたのは、アルベールビルではなくリレハンメルでしたか。
大変失礼いたしました。

オリンピックではもちろん、100分の1秒にかけるアスリートたちの戦いや人間の極限なまでの技の競い合いにも感動を覚えるものですが、ビットのこの時の舞いは、そうした次元とは別のものとして多くの人々の心の中に残っているものと思います。
阪口さんが示されたURLで今あらためてこの舞いを見ても、おそらく当時としても「技術点」は決して高いものではなかったことでしょう。
しかしそれでもなおこの舞いが人々の心に残るのは、そのメッセージ性でしょう。
サラエボ五輪の金メダリストは、この反戦歌にのせ銀盤を舞いました。


※花はどこへ行った

どこへ行った 野に咲く花は
どこへ行った あの花は
どこへ行った 娘たちが摘んだ
いつになったら わかるのだろう

どこへ行った あの娘たち
どこへ行った 娘たち
どこへ行った 若者たちのもとへ
いつになったら わかるのだろう

どこへ行った 若者たちは
どこへ行った あの若者
どこへ行った 戦争に行った
いつになったら わかるのだろう

どこへ行った あの兵士たち
どこへ行った 兵士たち
どこへ行った あの墓の下に
いつになったら わかるのだろう

どこへ行った 兵士たちの墓は
どこへ行った あの墓は
どこへ行った 野辺の花になった
いつになったら わかるのだろう

どこへ行った 野に咲く花は
どこへ行った あの花は
どこへ行った 娘たちが摘んだ
いつになったら わかるのだろう


さあ、今晩もまた野球です。
対戦相手はオランダ。
オランダと言えば、私が思い出す五輪選手は柔道2階級制覇(重量級、無差別級)をミュンヘン(これまた記憶は曖昧ですが…)で果たしたウイレム・ルスカです。
「オランダの赤鬼」と恐れられたルスカは、当時柔道部に入っていた私にとっては、まさにヒーローでした。
そのルスカがアントニオ猪木と対戦した「格闘技世界一決定戦」は、私の青春時代の血沸き肉踊る思い出です。

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