![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f9/cc30ee1f088fd19d5b37cfd3747e38b9.jpg)
(「一石栃の白木改番所跡」の標柱)
(妻籠宿 6)
馬籠峠に向って進むと、
「一石栃白木改番所跡」の門柱に出会う。
その手前右手が牧場の柵のようなものが見えて、
柵の内側が広場になっている。
脇に屋根と柱だけが残る残骸の家が一軒あった。
これが番所跡なのであろう。
歴史的には、木曽の材木が重要視されていた頃、
木曾から持ち出されるヒノキなどの材木や
細工物を厳しく監視した場所である。
「一石栃」とはこの辺りの地名である。
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(一石栃の白木改番所跡)
「一石栃白木改番所跡」の標柱の先に、立場茶屋があり、
現在は無料休憩所になっている。
休憩所ではボランティアのオジサンが、
何人か交代でこの休憩所を管理しているという。
温かいお茶を無料で入れてくださった。(感謝!感謝!)
新しいお手洗いが出来ているので、利用したい。
なお、立場茶屋についての案内が次のようにある。
(立てば茶屋は宿場と宿場の中間にあって、
旅人に休息と利便を与えた。
一石栃は妻籠宿と馬籠宿の中間に位置し、
往時は七軒ほどの家があって栄えていたが、
今ではこの牧野家一軒だけになっている。
牧野家住宅は江戸時代後期の建物で、
当初は間口十間半もある大きなものであったが、
現在は南側が切り取られて八間に縮小されている。)(南木曽町)
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(立場茶屋)
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(立場茶屋の休憩所)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/7a/3c7962db3e2f6873d871df4a5eb26efa.jpg)
(石畳の道を進む)
休憩が終わったら馬籠峠に向って、さらに石畳の道を進む。
長い急坂を登り終えると馬籠峠の広い道路に出る。
峠には休業中の峠の茶屋があり、その横に正岡子規の句が
馬籠峠と大書された石碑の下部に刻まれている。
・白雲や 青葉若葉の 三十里 (子規)
句碑に沿って道路脇に国道7号線の標識があり、
そこには南木曽町馬籠峠とあり、道路反対側には、
馬籠峠の案内看板とバス停が見える。
道路の西側を見上げると、
岐阜県中津川市の県境の案内看板がある。
2005年の町村合併により長野県の馬籠峠から西は岐阜県中津川市に編入された。
あと三十歩も歩けば岐阜県には入る。
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(馬籠峠頂上)
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(峠の茶屋)
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(馬籠峠の子規の歌碑)
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(子規の歌碑、・白雲や 青葉若葉の 三十里が読めますでしょうか)
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(馬籠峠のバス停)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/b5/1ba01975a4c853233b3e503fd7084cb5.jpg)
(岐阜県中津川市の県境の看板)
子規の歌は、「青葉若葉の」のところは、説明がなければ読めないでしょうね。