中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

桜生(さくらばさま)史跡公園と外和木の標(旧中山道を歩く 313)

2012年04月05日 10時10分27秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(桜生史跡公園、「さくらばさま」振り仮名がしてある。)


(史跡公園内の地図)

(武佐宿 5)
2012年3月27日気温13℃の予定。
中山道を歩き始めて47日目、2012年では最初の探訪である。

野洲駅をAM9:30に出発。
前回 夜になり見損なった「桜生(さくらばさま)史跡公園」に向う。
この史跡公園、「桜生」と書いて(さくらばさま)と読む。

史跡公園の看板によって、{さくらばさま}であることが分かった。
難読の文字である。
地名や人の名はとかく読みにくいものだ。
本人に聞くか、その土地の方に聞くのが正しい。

その公園であるが、どんな史跡公園であるか、
パンフレットに書いてある内容を要約すると、
(公園は二つの円墳と一つの前方後円墳からなっており、
天王山古墳、丸山古墳、甲山古墳、
これらの三つの古墳からなる史跡公園。

6世紀頃の造られた王家の墓で、
いずれも西に入り口を持つ横穴式石室を持ち、
この玄室(古墳に埋葬された人を安置する部屋)が造られている。
この玄室の中央には、朱色に塗られた家型石棺が安置され、
多くの副葬品が発見された。――中略。
日本書紀や古事記から古代のヤス(現在の守山市と野洲市の周辺)には、
安直(やすのあたい)氏という
古代近江を代表する豪族がいたことが分かっています。)
(桜生史跡公園資料)とある。

だから町の名が野洲(ヤス)市なのかと独りガッテンして、
桜生史跡公園を後に中山道を歩く。


(道路から見た甲山古墳)


(西向きの甲山古墳の玄室入り口)


(玄室内の家型石棺)

中山道は田舎らしい家並みが続く。
日当たりの良い所ではソメイヨシノが、
数厘花開いていた。
少し行くと三叉路に出るが、ここは三つ坂といい、
元立場があった跡と看板があり、
道路の向こう側には地蔵堂が鎮座している。


(3/27数輪咲いたソメイヨシノ)


(三叉路)


(「三つ坂」という立場(休憩所を意味する)


(旅の安全を願った地蔵堂)

道なりに進むと、少し広い道路と交差する。
前回の夜、この場所で右方向を眺めたら、
明かりが見えて街中に入ったと思い、
右折した場所である。
中山道はここを直進、
なお進むと左手に稲荷神社の鳥居と大きな常夜灯がある。
さらに進むと右手に小篠原村庄屋 苗村邸跡の石碑がある。
昔は庄屋としての役目を担う村の有力者の住まい跡なのであろう。
その先、右手に養専寺の山門と大銀杏の木が見える。
次いで右手に酒と大きく書いた自動販売機があるが、
その横に茅葺の大きな家がある。
これは酒造会社の建物であるが、
会社という名には似合わない。


(少し広い交差点)


(稲荷神社と灯籠)


(小篠原村庄屋 苗村邸跡の石碑)


(専養寺山門)


(酒造会社の茅葺屋根)

道路はその先に新幹線の高架に近づく。
ガードをくぐると、道路は十字路になり、これを新幹線に沿って左折すると、
すぐ十字路があり、ここを右折するとJR野洲駅へ、
中山道はこれを直進する。

(ここは間違いやすいので、要注意である。)
安心できるのは、十字路手前右と、
道路を渡った先の左に(中山道)の案内があることだ。
見落としやすいので気をつけたい。


(新幹線ガードを左折)


(すぐ十字路があり、「中山道」の看板が右手にある)


(十字路先の左手に「中山道」の看板と一方通行出口の標識が見える。)

旧中山道らしい道路を進む。回りは何の変哲もない田舎町。
目印として、左手に天理教の分教会がある程度。
次の信号の右先に小学校の校庭が見える。
信号の手前右角に(中山道)の看板を目印に、
信号を渡ると野洲市立野州小学校の門があり、
運動場では子供たちが元気に遊んでいた。


(天理教の文教会)


(信号手前右側の「中山道」の案内)


(野洲小学校の運動場)

門前左角に常夜灯をまねた案内があり
(中山道野洲 左守山宿、右武佐宿)と書いてある。
ここには(中山道・外和木の標)としての野洲町の案内板がある。
要約すると、
(この地点より西に180mの所に、
朝鮮の外交使節を向かえた朝鮮人街道との分起点があるのを、
将来に渡って忘れないために、この標を作り{外和木の標}とする。
外和木とは、この場所が小篠原字外和木であるところから取った。)
右手に立派な標石が置いてある。


(常夜灯タイプの道案内)


(立派な外和木の標)

説明板通り、180メートルほど行くと、
(朝鮮人街道分岐点右)の案内表示があり、右のほうへ道路が通じている。
この道路の東口は、鳥居本宿にあった。
朝鮮人外交使節を中山道でなく、特にこの道を通したのは、
一説に彦根城を通過させるためでなかっただろうかと考えられている。


(左手の朝鮮人街道の案内)


(中山道の案内)


(分岐点から見た朝鮮人街道)







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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いよいよ三条大橋へ向けてラストランが始まりまし... (鉄ちゃん爺や  黒田)
2012-04-06 08:10:46
いよいよ三条大橋へ向けてラストランが始まりましたね。

歩くだけなら2回ぐらいでゴールインできますが
いろんな名所処を巡れば3回ぐらいになるんですかな。

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鉄ちゃん爺やさん (hide-san)
2012-04-06 10:16:18
鉄ちゃん爺やさん

コメント有難うございます。
三条大橋までは三日は必要と思います。
ゆっくりのんびり行くことにします。
歩くだけなら、およそ30kmですから・・・
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ソメイヨシノが (g00g)
2012-04-06 19:40:32
ソメイヨシノが
少女のように可愛らしく咲いていますね
4月に入った今頃は
満開になってるでしょうか?
ここのところ
ちょっと寒いですけど
風邪ひかないように
気をつけて下さいね
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g00g さん (hide-san)
2012-04-06 22:01:36
g00g さん
コメント有難うございます。
関西の方は少し暖かいかと思いましたが、
東京と余り変りありませんね。
きっと今頃満開かと思いますが。
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おはようございます。 (TAKAOSAN)
2012-04-07 07:19:33
おはようございます。
朝鮮人街道なんてあるんですね。
初めて知りました。
石棺、写すと何か、写りませんか???
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TAKAOSAN さん (hide-san)
2012-04-07 10:18:25
TAKAOSAN さん
コメント有難うございます。
朝鮮人外交使節は江戸へ行くのに、野洲から鳥居本宿まで朝鮮人街道を通りました。
途中彦根城があり、商人が輩出した場所を通り抜けたようです。

石棺の写真はもっとクリアなものもあるのですが、
幽玄の世界へ読者を引き込むには、
この薄暗い写真の方がベターと思ってのせました。

入り口から少し入ってカメラを構えたら、
大きな低い声で(こちらは・・・)って、
聞こえてきましたので、ドキッとしました。
良く聴くとこちらのお墓の説明がテープで流れてきました。
石棺は少し蓋が開いているのですが、
その後ろに何か見えませんか?
顔のようなものが・・・
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「桜生」(さくらばさま)は、とても、とても 読... (salasala)
2012-04-08 18:38:42
「桜生」(さくらばさま)は、とても、とても 読めませんね。
古墳の中、入ってみたいような、怖いような・・・。
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salasala さん (hide-san)
2012-04-08 19:41:11
salasala さん
コメント有難うございます。
「桜生(さくらばさま)」は難問珍問の中に入りそうな振り仮名です。
どうも地名のようです。
どんな謂れがあるのか聞きたい所ですが、
次のガードをくぐるまで人に会うことはありませんでした。
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