(岩屋観音堂入り口)
(岩屋観音堂へ行く道)
(太田宿5)
勝山の信号を過ぎて西に向う。
勝山とは、秀吉か家康が戦勝を記念して勝山と名づけたという。
どこまで本当の事か解らない。
国道21号線の右側の歩道を歩いていくと、
その右側に小さな空き地があり、(岩屋観音駐車場)とある。
その左手に細い土の路があり、
横から眺めると岩肌を自分の背丈より高く登っている。
いづれ先で国道と合流することは解っていたので、
土の道路を眺めて、
行こうか行くまいか思案して国道を少し進むと、
右手の土の路に道標らしきものが建っている。
見ると「西 鵜沼宿」とある。
(坂祝町 西鵜沼宿とある標識)
案内があるからには進むことが出来ると判断」して、
国道を戻り、土の岩屋観音参道に踏み込む。
5mほどで(坂祝町)の道標がある。
思い切って進むと、切り立った崖の脇道を進む。
足元の道路は、やっと人がすれ違えるほどのせまさで、
左に金網がなければ下の国道に落ちそうな路である。
右に岩肌、左に金網と道幅約100cmを少し登ると、
路は直角に右に曲がって、右角にお地蔵様が安置されている。
(崖の上のせまい道)
(曲がり角の地蔵様)
その曲がり角から、下の国道と平行して流れている木曽川の流れが見え、
見るからに美しい。
路は直角に折れ曲がり、まだ登っている。
登ってまた直角に今度は左に曲がっている。
急坂で足元が悪く、他を見る余裕がなかったが、
今度は下り坂である。
危ない石階段を足を滑らさないように降りて、見上げるとお堂がある。
「岩屋観音」と書かれている。
(右曲がり角で、ベンチにのぼり背伸びをして、手を挙げて撮った木曽川)
(足元が悪いくだりの階段)
(見上げたら見えた岩屋観音堂)
(岩屋観音堂)
(岩屋観音堂2)
案内書には高さ260mと随分高く書かれているが、
国道から20mほどの高さである。
260mとはどこを基準にした高さなのだろう。
木曽川の川底を基準にしても260mはない。
標高260mが正しいのかもしれない。
(岩屋観音)をお参りしてから今度はくだりの階段を降りる。
降り立った所が国道の歩道上である。
国道に沿って先に進むと、小さな公園になっており、
自転車の男女が随分接近して立っている。
大きな咳払いをしたら、
人がいるのに気が付いてそそくさと自転車で消えていった。
余計なことをしたようだ。
(下り階段)
(階段を降り切ると修復記念碑があった。修復後だから登れたに違いない)
(国道に出たところ)
(小公園)
国道右側の歩道を少し歩くと、
国道左手に街道沿いレストランが並んでる。
どれも営業をしている様子はない。
やがて左手にレストラン「ゆらぎ」がある。
(レストラン「ゆらぎ」)
(駐車場の穴へ)
案内書ではここの駐車場の穴を降りて、
国道と高山本線を潜り抜けて山道になるとある。
半信半疑で進むも、車の量が多くて道路を横断できない。
やっとの思いで道路を横断し、
レストラン「ゆらぎ」の駐車場の穴を探す。
レストランの建物を通り過ぎたところにある駐車場の端に、
降りる所はあった。
レストラン「ゆらぎ」は営業しているのか、
廃業しているのか解らないが、
いずれレストランが無くなった時のことを考えると、
レストランが目印では困る。
そこで何か目印がないか探すと、
(気をつけて
お帰りください
これより岐阜方面)
の看板の下に「中山道 左へ」と案内がある。
駐車場へ入ると前方に階段があり穴のように見える。
その位置が 「各務原市」の境界看板の真横であることが解った。
(中山道左の看板)
(各務原市の境界看板の下に降りる穴がある)
(降りる場所にある看板)
急な階段を降りると国道下にトンネルがあり、右手より水が流れている。
国道の右は山で、山から清水が流れ、
国道下のトンネルで木曽川に注ぎ込んでいるのだ。
トンネルを流れる清水の脇に人が通れる路が造ってある。
トンネルを覘くと向こう側に階段が見える。
後で解ったことだが、このトンネルの中の清水の流れる小川が、
各務原市と坂祝町との境界になっている。
トンネルを潜り抜け階段を登ると、
突き当たりに「うとう峠」左への看板がある。
本来の中山道は、
岩屋観音からまっすぐ「うとう峠」へ繋がっていたであろうと思われる。
あとから出来た線路と国道が旧街道を飲み込んでしまったようだ。
中山道最後の土の山道である、と案内書にある。
(下り階段)
(階段下のトンネル)
(トンネルを出た後の階段)