子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「グッバイ,リチャード!」:グッバイ,ジョニデ!

2020年08月30日 12時14分09秒 | 映画(新作レヴュー)
主人公が映画の最後に自らの思いの丈を切々と,または堂々と喋る映画がある。様々な制約の下で本音を隠していた主人公が物語の「最後」に及んで,言いたいことをすべてぶちまける。その本音が観客を感動させられるかどうかは,勿論その演説自体のパフォーマンスの出来も大事な要素だが,そこに向かって作品のあちこちにどれだけ周到な仕掛けが施されるか,それがヤマ場と如何に呼応し合うかにかかっている。そんな高度なチャレンジは,チャールズ・チャップリンの「独裁者」など極々少数の作品を例外にして,ことごとく失敗に終わる,というのが私の印象なのだが,そんな演説シーンが終盤にふたつも設けられた,ジョニー・デップ久々のシリアス路線「グッバイ,リチャード!」も,果たしてそんな先入観を吹き飛ばすことはできなかった。

大学で文学を教える終身身分保証をもったリチャード(ジョニー・デップ)は,ステージ4の肺ガンを宣告され,残り半年の人生をサバティカル(研究休暇)で過ごすべく申請を提出しようとするが,それを受け取った上司は,リチャードの妻と愛人関係にある学部長だった。そんなトラブル続きの家族や,最後の講義を受講する学生たちに対して,リチャードは別れに際して自らの思いを告げる。

ジョニー・デップと言えばティム・バートンと組んだ「シザーハンズ」や「エド・ウッド」,ジム・ジャームッシュの西部劇「デッドマン」など,デビュー直後から1990年代前半までの活躍が印象深いが,「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズによってハリウッド屈指のマネーメーキング・スターとなってからは,却ってその当たり役の「ジャック・スパロウ」のイメージが足枷となってしまったように見える。何を演じても,ジャックがこんな役をやったら,という風に見えてしまうのは,勿論デップの本意ではなかっただろうが,そんな観客側の勝手な思い込みを覆すような作品に恵まれなかったのは,彼にとっても不運だった。

「グッバイ,リチャード!」もそんなデップの不運に引き摺られてしまったのか,コメディにも,シリアスな人間ドラマにもなりきれず,まるで俳優人生の余命を宣告されたかのような寂しい出来になってしまっている。肝心の演説場面の空疎ないたたまれなさは,役者人生への惜別の辞を聞かされているかのようだった。あまりのことに,リー・トンプソンの面影を残すゾーイ・ドイッチの愛らしさとジョン・ヒューストンの息子ダニーの泣きの演技に★をひとつ追加しておく。そんな配慮こそ「まっぴらごめん」と撥ねつけてくれるような作品を,デップはまた生み出すことが出来るだろうか。
★★
(★★★★★が最高)


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