子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「アルプススタンドのはしの方」:凡フライに見えていたけれども,本当は…

2020年08月23日 11時24分15秒 | 映画(新作レヴュー)
ブライアン・シンガーの鮮やかなデビュー作「ユージュアル・サスペクツ」は,画面に出て来ない主犯の「カイザー・ソゼ」を巡る捜査劇だった。おそらく今後はもう新たな出演作を観ることはないであろうケヴィン・スペイシーの証言を元に,犯人の人物像を組み立てていくのがドラマの主軸だったが,城定秀夫の鑑賞年齢制限の付かない新作「アルプススタンドのはしの方」も,最後まで画面には登場しない3人の野球選手を巡るやり取りが推進力となって物語が進んでいく。

高校演劇部の部員二人,元野球部員,秀才の帰宅組,吹奏楽部部長,新任の茶道部熱血顧問。主にこの6人が夏の甲子園地区予選1回戦を闘う東入間高校野球部を,それぞれの思いを胸に観客席のはしっこで応援する姿を描いた作品だ。アダルト・ムービーの世界で100本以上の作品を撮ってきたという城定監督は,見つめる対象を180度変えながらも,冷静かつ優しい視点で彼らを見つめ続ける。
原作は高校演劇のオリジナル脚本ということだが,「フィールド側にカメラを向けない=一切プレーを見せない」という制限を課すことによって「高校野球とそれに巻き込まれる人間の隠れた本音をがっつり描く」という着想のユニークさは,まぎれもなくプロフェッショナルのものだ。

映画の冒頭で,おそらくは犠牲フライによって失点された場面を観て,野球に詳しくない演劇部員二人が「もしかしたらフライを捕ったように見えたんだけど,本当は落としていたのかもしれないね」と,ルール無知同士で納得し合う場面が作品の本質を象徴している。「駄目な野球部員」と元野球部員に馬鹿にされ続けていた矢野が,ラストでプロ野球選手になっていたことが明かされるのだが,本当はその後の努力によって飛躍したのではなく,本当は高校の時から大成する才能を見せていたのかもしれない。馬鹿にしていた元野球部員も,実はその時から才能に気付いていたのかもしれない。応援の声が選手のプレーを鼓舞するのは,実は熱血顧問が強調するように単なる精神論だけではないのかもしれない。そう見えているものが,実は違うかもしれない,という視点を持つことの大切さが,全てのエピソードに通底していることが,「しょうがない」と諦めてしまうな,という言葉を超えて迫ってくる。

応援席の4人がそれぞれの想いを胸に声を合わせて応援する姿に落涙しつつ,人間が持つ可能性を全面的に肯定する姿勢に,私も「頑張れぇ!」と大声を上げそうになったが,すんででニュー・ノーマルを思い出した甲子園のない夏。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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