9年振り6回目となる日本公演で初めてその姿を観ることが出来たボブ・ディランは,ライヴ・ハウス(Zepp 東京)の宿命で,前に陣取ったお客さんの揺れる頭越しに時折帽子が見える程度の邂逅ではあったが,その「大きさ」は客席との距離に反比例するかのようにずしりと伝わってきた。
60年代の「フォークの神様」は,50年近い活動歴の中であらゆるアメリカ大衆音楽を丸ごと飲み込むことによって,いつの間にかジャンルを超越した「音楽の爺さん」へと変貌を遂げていたという印象だ。
初めて入ったZepp東京だが,開演30分前に既に1階フロアは立錐の余地もない状態。客層は私のような中年も目立つが,多いのは2~3人で来ている20代~30代の男性グループ。女性の数は少ないが,男女カップルの姿はちらほら目にした。
開演前の周りの声を聴く限り,この日以前のライヴにも来ているお客さん,つまりリピーターも多いようで,これはコアなファンを持つアーティストというだけでなく,日替わりで演奏曲を変えるというディランのライブの特性に起因した現象なのかもしれない。勿論,私だって,首都圏に住んでお金と時間さえ許せばその仲間入りをしたかったくらいだから,その気持ちは良く分かる。
予想に反して多くの曲でディランは,ギターではなくハモンド・オルガンを弾きながら歌った。ディランは共演者たちに指示を出さないと言われるが,若手5人のメンバーと奏でる演奏の持つグルーブ感は太くしなやかで,リーダーの動きに皆が敏感であることが,かえってバンドとしての一体感を担保しているかのような心地良い緊張感がステージを支配していた。
その一方で,アメリカ大衆音楽の古き良き伝統を担う最後のパフォーマーが纏う悲壮感のようなものを感じさせることはなく,「さぁロックンロール・ショウの開幕です!」という「ハレ」感覚が横溢したステージは,ちょっとしたヘッド・バンギングをも受け付けるような広い間口で楽しませてくれた。ノーベル文学賞候補者は,実に大人のエンターテイナーでもあったのだ。
曲名が分かったのは,やるとは思わなかったのに見事アンコールの最初に選んでくれた「Like A Rolling Stone」(!!!)以外では,「Just Like A Woman」「Love Sick」「Ballad Of A Thin Man」等の他,新作「Together Through Life」からの曲を合わせて,全部で全体の半分程度の8~9曲。
でも曲を知っているかどうか,馴染んでいるかどうかを問わず,良い加減に嗄れた声の持つ深い懐に触れた観客は,アンコールも含めて1時間50分の「ディラン・ショウ」という長尺曲に痺れたまま,家路についたに違いない。「No Direction Home」と囁きながら。
60年代の「フォークの神様」は,50年近い活動歴の中であらゆるアメリカ大衆音楽を丸ごと飲み込むことによって,いつの間にかジャンルを超越した「音楽の爺さん」へと変貌を遂げていたという印象だ。
初めて入ったZepp東京だが,開演30分前に既に1階フロアは立錐の余地もない状態。客層は私のような中年も目立つが,多いのは2~3人で来ている20代~30代の男性グループ。女性の数は少ないが,男女カップルの姿はちらほら目にした。
開演前の周りの声を聴く限り,この日以前のライヴにも来ているお客さん,つまりリピーターも多いようで,これはコアなファンを持つアーティストというだけでなく,日替わりで演奏曲を変えるというディランのライブの特性に起因した現象なのかもしれない。勿論,私だって,首都圏に住んでお金と時間さえ許せばその仲間入りをしたかったくらいだから,その気持ちは良く分かる。
予想に反して多くの曲でディランは,ギターではなくハモンド・オルガンを弾きながら歌った。ディランは共演者たちに指示を出さないと言われるが,若手5人のメンバーと奏でる演奏の持つグルーブ感は太くしなやかで,リーダーの動きに皆が敏感であることが,かえってバンドとしての一体感を担保しているかのような心地良い緊張感がステージを支配していた。
その一方で,アメリカ大衆音楽の古き良き伝統を担う最後のパフォーマーが纏う悲壮感のようなものを感じさせることはなく,「さぁロックンロール・ショウの開幕です!」という「ハレ」感覚が横溢したステージは,ちょっとしたヘッド・バンギングをも受け付けるような広い間口で楽しませてくれた。ノーベル文学賞候補者は,実に大人のエンターテイナーでもあったのだ。
曲名が分かったのは,やるとは思わなかったのに見事アンコールの最初に選んでくれた「Like A Rolling Stone」(!!!)以外では,「Just Like A Woman」「Love Sick」「Ballad Of A Thin Man」等の他,新作「Together Through Life」からの曲を合わせて,全部で全体の半分程度の8~9曲。
でも曲を知っているかどうか,馴染んでいるかどうかを問わず,良い加減に嗄れた声の持つ深い懐に触れた観客は,アンコールも含めて1時間50分の「ディラン・ショウ」という長尺曲に痺れたまま,家路についたに違いない。「No Direction Home」と囁きながら。