子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「パッドマン 5億人の女性を救った男」:21世紀の話です

2019年01月06日 11時18分54秒 | 映画(新作レヴュー)
インドにおいて,女性の生理用ナプキンが高価すぎて普通の女性が買えない,という現状を変えようと奮闘する男の話。だが,これはもう誰が何と言おうと,輝けるマゾヒストの話だ。
フライヤーには「不屈の男=パッドマンが起こした"奇跡"にただただ涙」という識者のコメントが大きく掲載されているが,それは嘘だ。私も泣きそうになったが,それは"奇跡"故ではなく,ただただ家族から社会から虐げられてもめげずに,どこがそんなに愛しいのか分からない妻への愛に殉じる主人公の姿に「馬鹿だなぁ」と嘆いたが故の涙なのだった。

学校に通っている子供はみんな暗算で二桁のかけ算が出来るとか,今を時めく「GAFA」の幹部の大半はインド系であるとか,ホントか嘘か分からない情報が飛び交う謎の国インド。だがこの映画を観る限り,今世紀に入ってもまだ,生理中の女性は不浄であり,家には入れない,という風習が残っていたのは事実なのだろう。その上,ナプキンはその高い値段のために庶民には普及しておらず,一枚の布を洗濯しながら使い続けていた,ということにも驚かされる。
本作の主人公ラクシュミも結婚してからそんな女性を巡る環境を知り,何とかしたいと,今季の朝ドラの萬平さん(カップヌードルの生みの親,安藤百福がモデル)よろしく,創意と工夫と努力によって安価なナプキンの製造に成功するまでの艱難辛苦を描いた物語だ。

確かにクライマックスに至る過程は感動的なのだが,先述したとおり,そもそも主人公の妻が主人公が流す血と汗に見合った人間ではないのが致命的だ。魅力のあるなしは別として,自分のために懸命になってくれる夫への感謝も愛情も示さないどころか,終いには彼女の実家はおろか,自分の実家からも疎まれることになっても,彼女は夫の側に立つことはない。しかも彼には途中から彼を支え,遂には彼の手に自分の手を重ねようとするインテリ美女まで現れるのに,彼は成功した彼の姿をテレビで観てようやく夫に連絡してくる,そんな妻を選ぶのだ。理不尽だと怒るよりも,これはもう典型的なマゾヒスト礼賛の映画なのだ,と着眼点を変えるしかないと思うようになる。

そんな本作だが,映画としてのクオリティは,ラストの演説で一気に高まる。演説が映画的なクライマックスとして機能した例は,チャップリンの「独裁者」とジュリアン・ムーアの「アリスのままで」くらいしか思いつかないのだが,ここで主人公が簡単な単語を羅列することしか出来なくとも,直接英語で語りかけようとする姿には,掛け値なしに感動させられる。インド人も,びっくり,これ,観るあるね。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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