子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ヒアアフター」:これまでのイーストウッド作品中一番の入りに,うーむと唸る。

2011年03月10日 23時58分59秒 | 映画(新作レヴュー)
スピルバーグと組んだ成果なのか,冒頭で描かれる津波のシーンが凄い。津波の恐ろしさは,文字通り「波」のエネルギーが様々なものを破壊するところにある,と思い込んでいたのだが,水に飲み込まれることの恐怖をじわりと立ち上らせた精密な描写が,特筆すべきリアルさをまとって迫りくる。
「チェンジリング」を覆っていた,スーパー・ナチュラルな事象に対する一種の慄きを,いきなり引き延ばして叩きつけるようなオープニングだが,これこそ今のイーストウッドが立っている場所を正確に表しているように見える。

しかし,この快調な出だしにも拘わらず,死後の世界を巡る3つのエピソードが一回りを終えた辺りで,物語は一気にペースを見失ってしまう。脚本のピーター・モーガンは,これまでエネルギーに満ちた会話の隙間に生まれる余白を楽しませてくれたのだが,本作の主な登場人物3人は最終盤に至るまで余白の中で佇むばかりで,会話から物語を紡ぎ出すような推進力は生まれてこない。

霊能者のジョージ(マット・デイモン)が料理教室で出会ったメラニー(ブライス・ダラス・ハワード)にスプーンで食材を食べさせるシーンは,イーストウッド作品には珍しく,伊丹十三の「タンポポ」における生卵口移しシーンを想起させるような官能性の高い描写で驚かしてくれるのだが,そのメラニーが唐突に退場してしまう展開も,作品全体の流れを阻害しているように思えた。

数少ない失敗作のひとつである「真夜中のサバナ」もそうだったが,基本的にB級アクション作品が湛えている映画的興趣を土台にして作品を作り上げてきたイーストウッドは,構造的に過度に技巧に走った脚本で躓く傾向があるようだ。「ミスティック・リバー」は決して単純な構造の作品ではなかったが,物語のエンジンとなる部分に「謎解き」を据えたことで,巧みに失速を回避していた。本作における「死者のメッセージ」はそれに代わる役割を担うには,あまりにも足腰が弱過ぎたと言えるのかもしれない。と言うか,死者に足はないのだから仕方ないのだが。

だが,撮影のトム・スターン,編集のジョエル・コックス(&ゲイリー・D・ローチ),そして美術のジェイムズ・J・ムラカミという,イーストウッドを支えるチームの仕事は相変わらず磐石だ。銀残しの画面の質感,奥行きのある空間設計,どれも眺めているだけで陶然としてくるような素晴らしさだ。
劇場を埋めた満員の観客も,あの世の丹波哲郎も,その点には満点を付けるに違いない。
★★★★
(★★★★★が最高)



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