子供はかまってくれない

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映画「ウエスト・サイド・ストーリー」:ミュージカル映画再興の狼煙になったのか

2022年02月26日 20時06分17秒 | 映画(新作レヴュー)
スティーヴン・スピルバーグ作品の音楽と言えばジョン・ウィリアムズ。今も世界中で恐怖を煽る場面のBGMに使われている「ジョーズ」のアタック場面に流れる旋律に始まって,「未知との遭遇」でETとの交流に使われた5つの音符によるメロディ,「インディ・ジョーンズ」シリーズの勇壮なテーマ曲に,まるでブラキオサウルスの姿をそのまま音にしたような「ジュラシック・パーク」のメイン・テーマ。彼が創り出した燦めく作品群は,どれも「スピルバーグ印」の鮮やかな刻印が刻まれた不朽の名作として,親しまれているものばかりだ。そんな映画音楽の面でも歴史にその名を轟かせてきたスピルバーグが,ロバート・ワイズとジェローム・ロビンズによる「ウエスト・サイド物語」を再び映画化すると聞いた時は,ウィリアムズが齢90歳を迎えて最早新作でコンビを組めなくなったからなのかと邪推したのだが,どうやら違ったらしい。なんとウィリアムズは「インディ・ジョーンズ5(仮題)」で復活する,というニュースが聞こえてきたのだ。
となると,理由は何か。そんな思いを抱えながら観た「物語」改め「ストーリー」は,画面構成も歌もダンスシーンも完璧と言って良い素晴らしさで,紛れもない2022年のスピルバーグの作品になっていた。

主役の二人が出会うシーンのダンスの躍動感もさることながら,マリア役のレイチェル・ゼルガーを移動で捉えたショットの鮮やかさは,練達の技と言うしかないだろう。マリアがまとった白いドレスは,まるで名手コンラッド・ホールが「明日に向かって撃て」の二人組の追っ手に使った「白」のように,スクリーン上で鮮烈に輝いていた。アリアナ・デボースの伸びやかな肢体がストリートで弾むシーンもまた,完璧さで言えば「イン・ザ・ハイツ」の猥雑な熱量をも凌ぐものだった。
1961年作に出ていたリタ・モレノが新たな配役で物語に深みを与えていたことも特筆すべきだろう。1961年作品でプエルトリコ系の役を,顔を塗った白人の俳優たちが演じていた中で,ただ一人生粋のプエルトリコ人として出演していた彼女が,ウィリアムズと同年齢の90歳にして堂々と75歳の後輩監督のリメイクに力を貸したことは,ハリウッドの懐の深さを見せつける慶事だった。

そんな素晴らしい仕事が詰まった作品なのに,観終わった時の釈然としない,と言うよりも,酷評相次ぐ黒木華のドラマ「ゴシップ」流に言うと「ざわざわしない」感触は,簡単には拭えないほどしつこいものだった。端的に言うと,これほどまでに「完璧な構成力」と「卓越した演出力」を,なぜ「新しい作品」に注ぎ込まなかったのか,という思いだ。
確かに人種やジェントリフィケーション(再開発による恩恵)の問題は,旧作よりもヴィヴィッドに扱われているし,セクシュアリティについても多様な捉え方がされている。間違いなくダンスのクオリティも上がっているし,監督の旧作への思い入れも強かったのだろう。それは充分に理解できるし,為された成果の水準も高い。
それでもなお思うことはやはり,期待していたのは「驚きに満ちたスピルバーグ」だったのだ。強い思い入れを形にしたいというチャレンジ精神を持った希有な75歳の冒険は,誰も観たこともない物語でこそ実現されるべきだったと感じる。「ブリッジ・オブ・スパイ」は明らかにスピルバーグにしか撮れない「寒い国から来たスパイ」だったのだから。
「1941」をもう一度,とはさすがに言わないが,私が観たいのは,後期高齢者にして壮大なギャンブルを打つ冒険者の姿なのだ。
★★★
(★★★★★が最高)

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