子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

2010年TVドラマ秋シーズン・レビューNO.4:「Q10」

2010年11月09日 20時10分06秒 | TVドラマ(新作レヴュー)
最初はアンチ・エイジング化粧品のセールス・レディのお話か何かかと思った。やがてタイトルには「コエンザイム」という接頭辞がついておらず,佐藤健と前田敦子という当代きっての売れっ子二人が組んだ青春ドラマだと判明したのだが,どちらにしてもおじさんが入り込む余地はないものと怖じ気づいていた。しかし初回を観て先入観の弊害というものについて改めて思いを致し,猛省した。

脚本が「セクシーボイス・アンド・ロボ」等々のくせ者脚本家チーム「木皿泉」。目の付け所,そして人気者二人の使い方が違った。
一見,主人公平太(佐藤健)の前に突如現れた謎のロボットQ10(キュート=前田敦子)を巡るお話のように見えるのだが,実際にはQ10は殆ど狂言廻し,若しくはサスペンス映画における「マクガフィン」(物語を動かす鍵でありながら,実体は明かされないもの)的な扱いになっている。主人公たる平太も,心臓の持病やQ10への恋心,将来に対する希望と不安等々を掘り下げることよりも,同級生に振り回されて右往左往しながら,もっぱらコメディ・リリーフを全うすることに汲々としている。

では,どんなドラマなのか?というと,人間とロボットの恋物語を軸とした「学園もの」という体裁を取りながらも,二人(正確には一人と一台)を取り巻く個性的な同級生,その家族,先生,そして同級生でありながら教室にはいない二人の生徒たち(入院患者とひきこもり)が送る「三歩進んで,一旦立ち止まってから,二歩下がる」ような日々を,熱情と諦念とがないまぜになった筆致で淡々と描く「人生群像劇」だったのだ。「絶望は拒絶し,明るくシニカルに歩いていこうじゃないか」という第4回のテーマこそが,このドラマの空気を最も良く表していたように思う。

登場人物がみな不完全で,コンプレックスを抱え,つまずきながら生きている,という設定を,血の通ったものにするためには,何よりキャスティングがリアリティーを持つ必要があるが,その点で本作は見事な成果を挙げている。
特に主人公二人の,切なさとおかしさを同時に湛えた熱演は,想像以上。蓮佛美沙子のこれまでのイメージを覆すような赤髪のロック少女もはまっているし,お母さんのような大らかさでみんなを包みこむ薬師丸ひろ子の存在も効いている。
唯一,Q10に恋する同級生を演じる細田よしひこが,「エジソンの母」での教師役から2年半の時を経て,高校生に逆戻りしていることに違和感はあるが,デフォルメしたオタク高校生はそれなりにありかもしれないと思わせてくれる。

しかしこの配役にこの内容で,初回で15%を超えながらも,2回目以降10%付近を行ったり来たりというのは,ちょっと残念だ。
偶然かもしれないが「流れ星」と同様に第4回では落語もモチーフとしていたが,不況下で子供を育てることの大変さに触れつつ,登場人物に鉄塔や電柱に対する愛を語らせたり,入院中の高校生に「夜の看護婦」をあてがって,あれこれ想像させてみたりと,扱うフィールドの広さも魅力的。テリトリーの幅と深さのバランスという点では,今期のドラマ中の白眉かもしれない。おぢさんは応援しています!


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