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子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ヒューゴの不思議な発明」:映画に対するストレートな愛の告白に戸惑いつつ,感動する

2012年04月14日 11時47分05秒 | 映画(新作レヴュー)
マーティン・スコセッシが,子供が主人公のファンタジーを撮ったと知った時,作品のイメージがどうにもうまく像を結ばなかった。3D作品(鑑賞したのは2D)へのチャレンジというのは納得出来たのだが,過去の諸作で人間の本性のひとつと位置付けてきた感の強い「暴力」への強いこだわりを放棄してまで描こうとした題材はいったい何なのか。そんな漠然とした疑問を抱えたまま劇場に行った私は,あまりにも率直でベタな「映画愛」の告白に,正直たじろいた。しかしその一瞬後には,新しい技術を携えつつ,純粋な気持ちで原点回帰を目指したスコセッシの仕事に,敬服の念を禁じ得なかった。「タクシー・ドライバー」でもなく,「グッド・フェローズ」とも違う柔らかく奥深い映像が,小さな子供たちに与えるであろう影響は,「列車の到着」の映像に逃げ惑った観客の衝撃と肩を並べるものに違いない。

ジョルジュ・メリエスという,映画の歴史を語る上で欠かすことの出来ない人物に対する敬意を,キートンやグリフィスやチャップリンらが残した偉業を挿みつつ,子供の視点から描く。こうやって作品のプロットだけを書き出してみると,過去にスコセッシがアメリカ映画やイタリア映画の歴史を概観して自らの映画観を総括したドキュメンタリーの劇映画版という印象を受ける。
実際,主要な登場人物以外の脇役は,メインプロットを膨らませる役割をこなすことなく,遠景の一部に留まったままだし,クライマックスとなるメリエスの業績を披露する場面は「ニュー・シネマ・パラダイス」の焼き直しみたいで,「そうだったのか!」と驚かせるようなスペクタクル感には乏しい。

しかし,それでもなお観客を感動させるのは,スコセッシが長年培って来た技術と,今年70歳という年齢にして瑞々しさを失わない,溢れるような映画への愛情が形作る圧倒的な画面づくりに他ならない。
特に,主人公の少年が住むパリ駅構内の時計の調整のために作られたと覚しき隠し部屋の数々を,上昇するカメラが捉える場面が,「ギャング・オブ・ニューヨーク」における地下に作られたギャングの巣窟を捉えた冒頭のシーンを彷彿とさせるのを筆頭に,あらゆる映画的な記憶を呼び覚ますようなダンテ・フェレッティの美術は,スコセッシのイメージの具体化に最高の貢献をしている。
中でも素晴らしいのは,クリストファー・リー(髭に覆われた顔だけで凄い存在感だ)が経営する書店の造形だ。スペインの作家カルロス・ルイス=サフォンの傑作ミステリー「風の影」に出てくる,主人公が人生の書を選ぶ謎めいた書店を思い出させるような迷宮は,すべての本好きにとっての桃源郷とも言える空間を現出させている。

主人公のうち,もはや名子役と言うよりも,ハリウッドを代表する若手演技派と呼んでも良いモレッツは置いておき,少年ヒューゴを演じるエイサ・バターフィールドの「強靭な草食系」的佇まいは特筆もの。その緑の瞳の直進性は,「ガンジー」で身に付けたベン・キングズレーの頑固さと十分に拮抗している。

技術とヴィジョンと歴史への敬意。作品の立ち位置だけをみれば,これはスコセッシにとっては黒澤明の「夢」みたいな作品だったのかもしれない。
ただこれで,R指定とは無縁の良心的巨匠として老成していくだろうと思わせないところが,スコセッシたる所以。ヒューゴを追い回す公安官役のサシャ・バロン=コーエンに,「タクシー・ドライバー」のトラヴィスの影を落としてみせたことが,ハート型ならぬ,今後の方向性を占う鍵になりそうな気がするのだが,果たして?
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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