
昨年の本屋大賞を受賞した三浦しをんの原作は面白かったのだが,「博士と狂人」(サイモン・ウィンチェスター著1999年)で明らかになった世界最高の辞書と呼ばれるオックスフォード大英語辞典(OED)が編纂されるまでの信じられないようなエピソードに比べると,物語の核となるべき辞書編纂の作業部分の迫力に欠ける,というのが正直な印象だった。そのせいもあり,映画化作品については,これまでフォローしてきた石井裕也の作品ということも考慮しつつ,やっぱり観に行くべきかどうかとグズグズ悩んでいたのだが,観終わった今,そんな半端な気持ちで観に行ったということに関して,制作に関わった全ての方々に頭を下げたい気持ちだ。
「舟を編む」は,スタッフと役者さん達の気力と「良い作品にしたい」という気持ちが,画面の隅々から伝わってくる素晴らしい作品だった。
とにかくカメラが主人公の馬締(松田龍平)が住むアパートの中に入り,玄関に続く階段周りの空間を正面から捉えたショットひとつで,俳優と美術と演出,すべてのスタッフの気合の入り具合が伝わってくる。辞書編集室のいかにもアナログで雑然とした雰囲気,アパートの年季の入った手すりや張り紙,もはや部屋の調度品と化している馬締の所有本等々。物語がスタートする1995年という,世の中にIT関連の様々なディヴァイスがなだれ込んでくる直前の時代の空気を丹念に再現した空間は,まさに「アナログ(≒アナクロ)・ワンダーランド」という様相を呈している。
そんな素晴らしい空間に背中を押された俳優陣は皆,登場人物の掘り下げに関してそれぞれのアプローチで冴えを見せる。
主人公の馬締(まじめ≒真面目)役を演じた松田龍平は,キャラクターとの親和性が高いだけでなく,小林薫と加藤剛という二人の父親とも言える存在との関係において,実生活において幼くして亡くした実父への追慕をだぶらせて泣かせる。そんな主人公が書いた達筆のラブレターを「読めないでしょ!」と一喝する宮崎あおいもまた,爽やかで侠気溢れる女性板前をくっきりとした輪郭で描き出して,映画への出演が続きながらも決め手に欠く昨今のモヤモヤを晴らしている。
そして何より,宮崎以上に不振の続いていたオダギリ・ジョーが主人公の同僚となる西岡役を,原作の役柄にも多少は感じられた馬締の兄的要素を大幅に膨らませて軽やかに演じ,辞書編纂室に生まれた「疑似家族」を支えて見事だ。
そう,これは後半に西岡に替わって編纂室に加わる黒木華(≒妹)も加えて,伝統の家内制手工業を営む,こだわりと愛情に満ちた家族の再生の物語だったのだ。
★★★★☆
(★★★★★が最高)
「舟を編む」は,スタッフと役者さん達の気力と「良い作品にしたい」という気持ちが,画面の隅々から伝わってくる素晴らしい作品だった。
とにかくカメラが主人公の馬締(松田龍平)が住むアパートの中に入り,玄関に続く階段周りの空間を正面から捉えたショットひとつで,俳優と美術と演出,すべてのスタッフの気合の入り具合が伝わってくる。辞書編集室のいかにもアナログで雑然とした雰囲気,アパートの年季の入った手すりや張り紙,もはや部屋の調度品と化している馬締の所有本等々。物語がスタートする1995年という,世の中にIT関連の様々なディヴァイスがなだれ込んでくる直前の時代の空気を丹念に再現した空間は,まさに「アナログ(≒アナクロ)・ワンダーランド」という様相を呈している。
そんな素晴らしい空間に背中を押された俳優陣は皆,登場人物の掘り下げに関してそれぞれのアプローチで冴えを見せる。
主人公の馬締(まじめ≒真面目)役を演じた松田龍平は,キャラクターとの親和性が高いだけでなく,小林薫と加藤剛という二人の父親とも言える存在との関係において,実生活において幼くして亡くした実父への追慕をだぶらせて泣かせる。そんな主人公が書いた達筆のラブレターを「読めないでしょ!」と一喝する宮崎あおいもまた,爽やかで侠気溢れる女性板前をくっきりとした輪郭で描き出して,映画への出演が続きながらも決め手に欠く昨今のモヤモヤを晴らしている。
そして何より,宮崎以上に不振の続いていたオダギリ・ジョーが主人公の同僚となる西岡役を,原作の役柄にも多少は感じられた馬締の兄的要素を大幅に膨らませて軽やかに演じ,辞書編纂室に生まれた「疑似家族」を支えて見事だ。
そう,これは後半に西岡に替わって編纂室に加わる黒木華(≒妹)も加えて,伝統の家内制手工業を営む,こだわりと愛情に満ちた家族の再生の物語だったのだ。
★★★★☆
(★★★★★が最高)