原作のテイストを尊重しながら,生身の俳優の特質を最大限生かしてTVドラマ化する,という偉業を成し遂げたフジテレビのドラマ「のだめカンタービレ」。
一昨年のドラマ放送から約1年という期間を経て,若き出演者たちは,TVや映画に引っ張りだことなるものあり,プロ野球選手の伴侶となるものあり,と様々な形でブレイクしたため,同じキャストによる続編の制作は無理かと思っていたのだが,パリに渡ったのだめと千秋のエピソードに絞ることによって,お正月のスペシャル番組枠でめでたく復活と相成った。
第1夜はプラハで行われた千秋の指揮者コンクール,第2夜は音楽学校コンセルバトワールで苦闘するのだめの様子が,各々メインテーマとして描かれた。当初シリーズの登場人物のうち,渡欧したのは主人公二人以外ではヴァイオリンの清良だけで,しかも二人とは留学先が異なった(ウィーン)ため,Sオケメンバーとの直接の絡みは千秋が訪日した時の歓迎会のみとなってしまったのは致し方のないところ。そのため,サブプロットを受け持つために,新たな人物としてウエンツ士とベッキーが登場しているが,特にロシア人に扮したベッキーが,エネルギーバブルに後押しされた新興成金のお嬢さんという感じで,ピタリとはまっていた。
ただ,Sオケのメンバー達が脇にいないことによって,ドラマ部分の膨らみという点でやや物足りない部分があったことは確かだ。たとえ才能に恵まれなくとも,音楽を愛し,心を一つにして音楽を作り上げる仲間の尊さを謳い上げて,笑わせながら泣かせてくれたあの感動は,今回はお預けとなった格好だ。
一方で,主人公二人の「音楽捜し」の方は,より純粋な形でドラマの真ん中に据えられることとなった。その結果,「のだめ」を語る時に必ずついて回る「クラシック音楽がお茶の間にやって来た」という,(肯定的な意味での)教養主義的な側面は,一層明瞭になったように見えた。
おかげで私は,その筋の方(って,そっちの筋ではない)には常識なのかもしれないが,第1話では管弦楽の演奏中に数多い楽器の音を聴き分けて,個別にアドヴァイスを行い得る指揮者の能力の高さに呆然とし,第2話では石造りの教会で受け継がれてきたピアノの響きを最大限に活かしたクライマックスの演奏に感動することができたのだ。
当初シリーズで唯一の難点だった竹中直人のミルヒも,ヨーロッパ・ロケが良い方に出たのか,意図的な野暮ったさ,やりすぎ感がそれほど気にならなくなったのも収穫。
コンクールの演目をくじ引きで決めたり,(条件を同じにするためか)同一のオーケストラが,連日延々と演奏し続けるという指揮者コンクールの過酷な実態も知ることが出来て,充実の5時間弱となった。
今後もこれに続くシリーズが作られると思うが,予想外の急接近を見せた主役の二人が,音楽は勿論,これ以上お笑いの神からも遠ざからずに,思いを深めていくことを期待したい。
一昨年のドラマ放送から約1年という期間を経て,若き出演者たちは,TVや映画に引っ張りだことなるものあり,プロ野球選手の伴侶となるものあり,と様々な形でブレイクしたため,同じキャストによる続編の制作は無理かと思っていたのだが,パリに渡ったのだめと千秋のエピソードに絞ることによって,お正月のスペシャル番組枠でめでたく復活と相成った。
第1夜はプラハで行われた千秋の指揮者コンクール,第2夜は音楽学校コンセルバトワールで苦闘するのだめの様子が,各々メインテーマとして描かれた。当初シリーズの登場人物のうち,渡欧したのは主人公二人以外ではヴァイオリンの清良だけで,しかも二人とは留学先が異なった(ウィーン)ため,Sオケメンバーとの直接の絡みは千秋が訪日した時の歓迎会のみとなってしまったのは致し方のないところ。そのため,サブプロットを受け持つために,新たな人物としてウエンツ士とベッキーが登場しているが,特にロシア人に扮したベッキーが,エネルギーバブルに後押しされた新興成金のお嬢さんという感じで,ピタリとはまっていた。
ただ,Sオケのメンバー達が脇にいないことによって,ドラマ部分の膨らみという点でやや物足りない部分があったことは確かだ。たとえ才能に恵まれなくとも,音楽を愛し,心を一つにして音楽を作り上げる仲間の尊さを謳い上げて,笑わせながら泣かせてくれたあの感動は,今回はお預けとなった格好だ。
一方で,主人公二人の「音楽捜し」の方は,より純粋な形でドラマの真ん中に据えられることとなった。その結果,「のだめ」を語る時に必ずついて回る「クラシック音楽がお茶の間にやって来た」という,(肯定的な意味での)教養主義的な側面は,一層明瞭になったように見えた。
おかげで私は,その筋の方(って,そっちの筋ではない)には常識なのかもしれないが,第1話では管弦楽の演奏中に数多い楽器の音を聴き分けて,個別にアドヴァイスを行い得る指揮者の能力の高さに呆然とし,第2話では石造りの教会で受け継がれてきたピアノの響きを最大限に活かしたクライマックスの演奏に感動することができたのだ。
当初シリーズで唯一の難点だった竹中直人のミルヒも,ヨーロッパ・ロケが良い方に出たのか,意図的な野暮ったさ,やりすぎ感がそれほど気にならなくなったのも収穫。
コンクールの演目をくじ引きで決めたり,(条件を同じにするためか)同一のオーケストラが,連日延々と演奏し続けるという指揮者コンクールの過酷な実態も知ることが出来て,充実の5時間弱となった。
今後もこれに続くシリーズが作られると思うが,予想外の急接近を見せた主役の二人が,音楽は勿論,これ以上お笑いの神からも遠ざからずに,思いを深めていくことを期待したい。