
湊かなえの原作を,阪本順治が大々的な北海道ロケを敢行して映画化した,吉永小百合主演の文芸大作。書き割りと見紛うばかりの壮大な利尻富士が画面に奥行きを与え,離島の厳寒が伝わってくるような礼文島の冬の風景は,生きることの厳しさを雄弁に物語る。
だが,同じ湊かなえの原作を映画化した佳作「告白」のようなドラマティックな展開を期待した私の前で繰り広げられるのは,どこを探してもミステリーと呼べるような「謎」が見当たらない,平坦で凡庸な物語だった。
寒い思いをして頑張った役者さん達には気の毒だが,67歳になった吉永小百合と20歳年下の仲村トオルとのキスシーン以外に,観客を驚かせる要素はなかった,というのが正直な感想だ。
離島で6人の子供たちに合唱を教えていたが,ある事故をきっかけに島を離れ,教壇を降りて図書館の司書となってひっそりと暮らしている女性教師の元に刑事が訪れる。刑事の話では,彼女の教え子だった男が,殺人容疑で追われているという。男を捜し出すべく元教師は,20年前に去ったきりだった離島へと戻っていく。
筋立ては充分にドラマティックで,教師と子供たちを繋ぐツールとして合唱を据えた構成も期待を抱かせる。「剱岳 点の記」をものした木村大作が,本業のカメラマンとして切り取る雄大な自然は,役者を凌駕する迫力で,映画ならではの醍醐味を味わわせてくれる。
しかし肝心の物語の方が,至る所で破綻をきたしてしまい,吉永小百合の渾身の演技は空回りするばかりだ,
たとえば,妻(吉永)への愛情と病気の狭間で苦悩する柴田恭兵演じる夫役のキャラクターの浅さ。本来なら,自分たちの元を去って行くヒロインに対する子供たちの気持ちに割かれるべき時間が,子供たち同士の感情の動きに費やされてしまっている点。物語のツイストを担うべき,吉永と若い警官役の仲村との恋に関する描写が,決定的に不足していること。などなど欠点をあげつらえばきりがないが,決定的なのは,原作の「往復書簡」を「北のカナリアたち」というタイトルに変えてまで拘ったはずの「合唱」が,そんなドラマの疵を繕う材料として全く活かされていないことだ。
しばらくぶりに揃った6人が,吉永の指揮によって,当時は完成せずに終わってしまったコーラスを歌うシークエンスがクライマックスに据えられている。しかし,その際に劇中で重要なモチーフとなっている「女声のソロパート」を歌うべき宮崎あおいは,一番盛り上がるべき場面でソロを歌わない。その理由は,先に挙げた「剱岳 点の記」でも披露していた宮崎の歌唱力は,その重責に耐えうるレヴェルにないからだと思料される。
カロリー・メイトのコマーシャルで,シュアな音程を聞かせている満島ひかりがいるにもかかわらず,あえて宮崎と満島の役を替えなかった阪本順治の誤った判断により,★ひとつ減点。残念。
★★
(★★★★★が最高)
だが,同じ湊かなえの原作を映画化した佳作「告白」のようなドラマティックな展開を期待した私の前で繰り広げられるのは,どこを探してもミステリーと呼べるような「謎」が見当たらない,平坦で凡庸な物語だった。
寒い思いをして頑張った役者さん達には気の毒だが,67歳になった吉永小百合と20歳年下の仲村トオルとのキスシーン以外に,観客を驚かせる要素はなかった,というのが正直な感想だ。
離島で6人の子供たちに合唱を教えていたが,ある事故をきっかけに島を離れ,教壇を降りて図書館の司書となってひっそりと暮らしている女性教師の元に刑事が訪れる。刑事の話では,彼女の教え子だった男が,殺人容疑で追われているという。男を捜し出すべく元教師は,20年前に去ったきりだった離島へと戻っていく。
筋立ては充分にドラマティックで,教師と子供たちを繋ぐツールとして合唱を据えた構成も期待を抱かせる。「剱岳 点の記」をものした木村大作が,本業のカメラマンとして切り取る雄大な自然は,役者を凌駕する迫力で,映画ならではの醍醐味を味わわせてくれる。
しかし肝心の物語の方が,至る所で破綻をきたしてしまい,吉永小百合の渾身の演技は空回りするばかりだ,
たとえば,妻(吉永)への愛情と病気の狭間で苦悩する柴田恭兵演じる夫役のキャラクターの浅さ。本来なら,自分たちの元を去って行くヒロインに対する子供たちの気持ちに割かれるべき時間が,子供たち同士の感情の動きに費やされてしまっている点。物語のツイストを担うべき,吉永と若い警官役の仲村との恋に関する描写が,決定的に不足していること。などなど欠点をあげつらえばきりがないが,決定的なのは,原作の「往復書簡」を「北のカナリアたち」というタイトルに変えてまで拘ったはずの「合唱」が,そんなドラマの疵を繕う材料として全く活かされていないことだ。
しばらくぶりに揃った6人が,吉永の指揮によって,当時は完成せずに終わってしまったコーラスを歌うシークエンスがクライマックスに据えられている。しかし,その際に劇中で重要なモチーフとなっている「女声のソロパート」を歌うべき宮崎あおいは,一番盛り上がるべき場面でソロを歌わない。その理由は,先に挙げた「剱岳 点の記」でも披露していた宮崎の歌唱力は,その重責に耐えうるレヴェルにないからだと思料される。
カロリー・メイトのコマーシャルで,シュアな音程を聞かせている満島ひかりがいるにもかかわらず,あえて宮崎と満島の役を替えなかった阪本順治の誤った判断により,★ひとつ減点。残念。
★★
(★★★★★が最高)