子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ハッピーエンドの選び方」:天国に空きはあるか?

2016年01月02日 10時31分49秒 | 映画(新作レヴュー)
動きの速さというのは相対的なものだということが,この映画を観ているとよく分かる。出てくる俳優が殆ど老人なので,みんな動作が緩慢と言うか「ゆっくり」しているのだが,看護師や主人公の娘など,ごく少数の老人以外の登場人物が画面に現れるまで,彼らが皆「ゆっくり」と動いているということが意識されない。
同様にここで扱われる「どうやって死を迎えるか」というテーマも,登場人物(ほぼ)全員に差し迫った,というよりも,日常的に考えることが当たり前の問題として描かれているだけに,観客はどんな形式の「お別れパーティー(原題)」が自分の人生に相応しいのだろうかという,全人類にもれなく課されたテーマを,「死」という言葉がまとう特別な重さに殊更圧迫されることなく,時にくすっと笑わされながら考えさせられることになる。

ヨヘスケル(ゼーブ・リバシュ)は電話にエコーを効かせて神さまになりすますことで仲間を勇気付けたり,ハンダごてを駆使して発明をしたりと,陽気な老人ホーム生活を送っていたのだが,ある発明がもとで,やがて自分の家族に対しても大きな決断を迫られることになる。

しかつめらしく言えば「安楽死」の是非を巡って行われてきた数多の議論に,当事者が自らの判断でスイッチを押す,というプロセスを挟むことによって,最終的な行為者の負担は軽減されるのかという新たな側面を付け加えると同時に,認知能力が衰えた人の判断をどう扱うかという問題を突きつけた問題作ということになるのだろう。しかし脚本も書いた監督のシャロン・マイモン&タル・グラニットのコンビは,随所に死にまつわるシニカルな笑いをまぶすことで,作品のフットワークを老人の歩調とは反対に,軽やかでリズミカルなものに整えている。安楽死装置の発明を聞きつけて,苦しむ自分の妻にも使わせてやって欲しいと頼む男の粘りに根負けして,「安楽死チーム」が男に「奥さんの病名は?」と訊き,男が煙草の煙をふかしながら「肺ガンだ」と答え,「安楽死チーム」が「そうか」と頷きながら一斉に煙草の煙を吐き出す場面などは,ダークかつ鋭い突っ込みで吹き出さずにはいられない。

終盤,ヨヘスケルの妻の認知症が進み,死期が迫っている訳ではない人が,自らの尊厳を守るために死を選ぶことは許されるのかという重いテーマが浮上してくるのだが,それに対して決して一枚岩ではない「安楽死チーム」が,まるで血を分けた家族のようにまとまっていく姿は,終の棲家でのひとつの理想型のように見えてくる。
自分ならどうする?という問いに対する答を出すために残された猶予はそう長くないと理解しつつも,死をも笑い飛ばす余裕だけは失わずにいたいと,柄にもなく決意するお正月。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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