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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「暖簾」 森繁久弥

2014-01-26 20:33:38 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「暖簾」は森繁久弥主演で大阪商人の生き様を描いた1958年の東宝映画だ
監督は「洲崎パラダイス」「幕末太陽傳」の川島雄三である。

「暖簾」は先日亡くなった山崎豊子の処女作である。生家である大阪老舗の昆布問屋の父や兄の姿をモデルにして明治から戦後まもなくまで時代とともに追っていく。スケールの大きい社会派作家として後年名をあげた彼女であるが、故郷大阪を舞台にした初期の作品に味がある。

森繁久弥の傑作として「夫婦善哉」が挙げられることが多い。淡島千景との共演で船場のぼんぼんでダメ男を演じた。ここではその正反対のまじめ男である。淡路島から一人故郷を離れ、大阪で丁稚奉公をする。まじめなところを店主に認められて、暖簾分けをしてもらうのだ。森繁はダメ男を演じると天下一品だが、これもなかなかいける。
川島雄三監督の作品はユーモアたっぷりでどれもこれも味がある。東京と関西両刀使いで天才と言われるだけある。迫力あったのは十日戎のシーンだ。エキストラもたくさんいたとは思うが、妙にリアルだった。この映画はもっと評価されてもいい気がする。

十五歳の八田吾平丁稚奉公として働くため淡路島から大阪へ飛び出して来た。町で見つけたこれはと思ったご主人の後を追いかけ、働かせてくれと頼む。それは昆布屋の主人、浪花屋利兵衛(中村鴈治郎)だった。話してみると、同郷ということがわかり利兵衛は店に連れてきた。そこにはおかみさん(浪花千栄子)と大勢の奉公人がいた。
そこで拾われてから十年、吾平はまじめに働いた。

そして吾平(森繁久弥)が25歳の時、先輩たちをさしおいて主人利兵衛が暖簾を分けてくれた。吾平は、丁稚のころから仲の良いお松(乙羽信子)と一緒になろうと思っていた。ところが、利兵衛は、吾平を見込んで姪の千代(山田五十鈴)を押しつけて来た。これには吾平は困ったが、お松が身を引き結局千代と結ばれた。しっかり者の千代は商売繁盛のためにともに働いてくれ、夫婦の絆は徐々に深まっていき、子宝にも恵まれた。

昭和九年、3人の子供も大きくなったころには、吾平は昆布屋の事業を広げており、加工工場を作っていた。ある時、強烈な台風が来て、工場が面する川が決壊、水害が工場を襲った。最悪の被害となり、損害から原状回復をしようとしたが、事業を拡大するために資金は借りきっていて、担保もない状況であった。本家に事業資金を借りに行ったが断られ、旧知のお松の嫁入り先に世話にならねばならない状況になった。しかし千代の助言で「暖簾が最高の担保」と吾平がもう一度銀行へ交渉に行き、融資がついて切り抜けた。
それから十年、戦争となって、息子たちは出征した。しかも、昆布が国家による統制の対象となり商売ができなくなった。建物も空襲で燃えてしまいすべてを失う。戦後、吾平は昆布の荷受組合で働いていた。長男の辰平は戻ってこない。しかし、学生時代ラグビーに明け暮れていたのんびり屋の次男孝平(森繁久弥2役)が商売を継ぐと決意し、仕入れの昆布を調達してくる。そして株式会社浪花屋を設立して商売を広げていったのであるが。。。。

森繁はもともと大阪出身で、名門北野中学の出身でもある。もちろん不自然な大阪弁は話さない。大阪弁だけはよそ者が話すとどうしてもうまくいかない。自分も平成の初め大阪にいたが、不自然な大阪弁ならむしろ東京弁を話すべきだということにすぐ気付いた。大女優山田五十鈴も同じく大阪出身だ。山田五十鈴との掛け合いコンビは絶妙で、まさしくプロの仕事だ。
我々は末期の森繁をテレビなどで見ているので、どうしても大御所的な存在と思ってしまうが、ベースは喜劇役者である。小林信彦「日本の喜劇人」でもそのあたりが語られている。映画「夫婦善哉」あたりで演技派に転換したと映画の本などで書いてあるのを見る。映画「夫婦善哉」では緩急自在な演技で顧客の笑いを呼ぶぐうたら男の役だ。それが喜劇役者としての頂点だと私は思う。この作品はその三年後、対照的にまじめ一辺倒な役だが、流れているムードは同じである。

山田五十鈴はこの映画の2年前「流れる」で主演を張った。高峰秀子、田中絹代、杉村春子という人気俳優に加えて大御所栗島すみ子も出演していた。東京柳橋の芸者置き屋の主人を演じた。「暖簾」の役とは真逆で東京の色町を舞台にして時代の流れに取り残される役だ。この当時彼女は映画に随分と出ている。特に黒澤明作品の「蜘蛛巣城」での演技が三船敏郎ともどもすばらしい。

中村鴈治郎、浪花千栄子は関西が舞台になる映画では欠かせない。あくの強い旦那役をやらせたら鴈治郎は天下一品だ。浪花千栄子溝口健二の「祇園囃子」におけるお茶屋の女将役がすばらしかった。ここでも同様だ。昔はオロナイン軟膏の宣伝にずっと出ていたので親しみがある。

大塚製薬と言えば、松山容子大村崑と彼女だった。でも何で浪花千栄子だったんだろう。あとは若き日の扇千景が美しい。大臣やっていたときは怖かったなあ。


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映画「ある殺し屋」 市川雷蔵

2014-01-26 07:51:19 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「ある殺し屋」は市川雷蔵が現代の殺し屋を演じる1967年の大映映画だ。

市川雷蔵は若くしてがんに倒れこの2年後早すぎる死を遂げる。大映映画の看板スターだった雷蔵と言えば「眠狂四郎」「大菩薩峠」といった時代劇である。ドーラン化粧をして出てくる彼の姿はまさに妖気にあふれ、冷酷そのもののニヒルな剣豪である。その彼が化粧を落とし素の顔で演じる。この映画は彼にとっては珍しい現代劇である。名キャメラマン宮川一夫の撮影で、森一夫がメガホンをとる。脚本は珍しく増村保造監督によるものだ。
殺し屋としてはちょっと無理があるなあ?というディテイルはあるが、無口に演じる雷蔵はここでもいい。

小料理屋を女中と2人静かに営む塩沢(市川雷蔵)はプロの殺し屋だった。暴力団木村組組長(小池朝雄)から敵対する暴力団組長の大和田(松下達夫)の殺人を2千万円で請け負い、日本舞踊の師匠のふりをして、パーティに忍びこみ難なく針一本で大和田を始末する。塩沢の腕に惚れた木村組幹部の前田(成田三樹夫)が弟分にしてくれないかと現れるが断られる。ひょんなことから塩沢の男っぷりに惚れて、押しかけ女房のように小料理屋に潜り込んできた圭子(野川由美子)という女が加わる。3人で麻薬取引に絡んだ2億円の大仕事を計画する。その一方で前田と恵子の二人は塩沢を裏切ろうとするが。。。

殺し屋と言えば、ゴルゴ31や必殺仕事人を想像してしまう。雷蔵が演じる塩沢は独身、女中と2人小さな小料理屋を営んでいる。殺し屋としての影はない。部屋の中には戦争中の航空隊にいた写真が置いている。暴力団組長の殺しでは「必殺仕事人」のように静かに針で急所を刺す。鮮やかな捌きだ。


ただ本当の殺し屋って「ゴルゴ31」のように単独行動かつ秘密主義で誰かと組むことはありえない気もする。
ここでは、映画として地味になりすぎるのを恐れたのであろうか?野川由美子、成田三樹夫の2人が仲間に加わる。野川は若く美しい。一番いい頃だ。

こういう華もいないと成り立たないということなんだろうが、普通殺し屋だったら、こんな女と組むだろうか?と思ってしまうけど。。。成田三樹夫はいつもながらのいい味を出す。
最初出てきた女中を見て、化粧はしていないが声は同じ。もしかして歌手の小林幸子の若い時?と思ったらまさにそうだった。これは貴重な映像だ。自分が小学生のころは青春もののドラマに出ていた記憶が強い。それよりもウブな映像だ。あばずれ女の野川由美子に追いだされる役だ。

映画は簡潔にまとめられ、おそらくは2ないしは3本だての1本としてつくられた作品だろう。
自分が小学校高学年のころ、五反田に大映の映画館があった。子供のころから親に連れられて、かなり見に行った。勝新太郎は不気味な感じがして、二枚目の市川雷蔵が演じる映画の方が好きだった。特に「忍びの者」が大好きで、彼が死んだ時は死亡を知らせる記事を一日中見ていた。そして間もなく大映は倒産する。その流れもあり、今でも市川雷蔵の映画は好んで見ている。今生きていれば82歳で老人になってもいい役者だったんだろうなあと思うが、寿命だったのであろう。
当時の日本映画としては、かなりスタイリッシュな色合いが強い。

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