内容のことは知らず見た。なんだ殿山泰司の物語だったんだ。
40年代から50年代のテレビドラマの脇役として欠かせない人だった。彼がいなければ、ドラマが存在しないくらいの存在感であった。
殿山泰司がおでんの「お多幸」の息子だったとは、まったく知らなかった。
入社当初東京駅の近くに事務所があったときは、銀座にも八重洲のにもよく行ったものだった。でもそこのお坊ちゃんとして育っている感じはまったくない。
どちらかというと下町のエロおやじをやらせるとうまかった。
愛のコリーダの実写版は昔パリに行ったとき上映していて、凱旋門の近くで見た。
そのとき藤竜也とともに出演していて、殿山さんも「あそこ」を見せてくれた気がする。にっかつポルノにもでていたなあ、エロおやじ役でね
映画は竹中扮する「たいちゃん」こと殿山泰司が、鎌倉の本妻吉田日出子と赤坂の愛人荻野目慶子の間でうろうろしながらの役者人生を描いている。時折新藤兼人監督の作品の殿山が写っている場面を織り交ぜると同時に、乙羽信子が「たいちゃん」に呼びかけるように語っていく。これがいい。
竹中は好きだが、殿山泰司の声の特徴を無理やり真似しようとしているのが、ちょっと違うのかな?という気がする。しかし、飾り気ない殿山をうまく演じている。
でも彼ってもう少し教養系のところもなかったかしら?
ミステリーとジャズが好きなのは私も知っているくらい有名だった。映画の中でもそのことが触れられているが、もうちょっとインテリぽさもあった気がする。
未だに頭の中でわからないことがある。
この映画2000年の作品だが、乙羽信子の語りがある。あれ?彼女もっと前に死んだんじゃなかったかな?そう思って調べたら94年になくなっていた。
たしか彼女最後は病魔に冒されながらふらふらになって演技をしていた印象がある。映画の画面の彼女の顔はふっくらとして往年の美貌を髣髴させるものである。
とすると彼女の語りは90年から92年くらいに撮られていたのではないか?
そうすると新藤監督はこの映画の構想を殿山さんが亡くなった89年から持っていて、長期間かけてつくったのではないか?殿山の役者魂が、この映画が成り立たせた感じだ。
40年代から50年代のテレビドラマの脇役として欠かせない人だった。彼がいなければ、ドラマが存在しないくらいの存在感であった。
殿山泰司がおでんの「お多幸」の息子だったとは、まったく知らなかった。
入社当初東京駅の近くに事務所があったときは、銀座にも八重洲のにもよく行ったものだった。でもそこのお坊ちゃんとして育っている感じはまったくない。
どちらかというと下町のエロおやじをやらせるとうまかった。
愛のコリーダの実写版は昔パリに行ったとき上映していて、凱旋門の近くで見た。
そのとき藤竜也とともに出演していて、殿山さんも「あそこ」を見せてくれた気がする。にっかつポルノにもでていたなあ、エロおやじ役でね
映画は竹中扮する「たいちゃん」こと殿山泰司が、鎌倉の本妻吉田日出子と赤坂の愛人荻野目慶子の間でうろうろしながらの役者人生を描いている。時折新藤兼人監督の作品の殿山が写っている場面を織り交ぜると同時に、乙羽信子が「たいちゃん」に呼びかけるように語っていく。これがいい。
竹中は好きだが、殿山泰司の声の特徴を無理やり真似しようとしているのが、ちょっと違うのかな?という気がする。しかし、飾り気ない殿山をうまく演じている。
でも彼ってもう少し教養系のところもなかったかしら?
ミステリーとジャズが好きなのは私も知っているくらい有名だった。映画の中でもそのことが触れられているが、もうちょっとインテリぽさもあった気がする。
未だに頭の中でわからないことがある。
この映画2000年の作品だが、乙羽信子の語りがある。あれ?彼女もっと前に死んだんじゃなかったかな?そう思って調べたら94年になくなっていた。
たしか彼女最後は病魔に冒されながらふらふらになって演技をしていた印象がある。映画の画面の彼女の顔はふっくらとして往年の美貌を髣髴させるものである。
とすると彼女の語りは90年から92年くらいに撮られていたのではないか?
そうすると新藤監督はこの映画の構想を殿山さんが亡くなった89年から持っていて、長期間かけてつくったのではないか?殿山の役者魂が、この映画が成り立たせた感じだ。