映画「バブルへGO」はホイチョイプロダクション制作のコメディ映画
「私をスキーに連れて行って」からの3部作だけでなく、「東京いい店やれる店」のグルメ本など彼らが現代軟派文化に貢献したのは間違いない。
90年代前半くらいまでスキーによく行った当時は、映画を見る前に必ず「私をスキーに連れて行って」をビデオでみてからゲレンデに行ったものだった。
もちろんスキーにすすむ車の中のBGMは「ユーミン」でね。
「東京いい店やれる店」のグルメ文化に与えた影響も「ミシュラン」以上のものであった。
何よりもただ高級店という選び方でないのがいい。イタリアン、中華、B級グルメなどバイブルのように使わせてもらった。BOOKOFFで105円で売られている今も色あせていないと思うのは、古くからある東京の老舗に対する見方の鋭さであろう。
成蹊ボーイの育ちのよさがいたるところに感じられる。
そういう彼らのつくる映画であるから面白くないわけがない。
当然タイムマシーンなんて設定はフィクションだし、時代考証的にも多少オーバーかな?と感じる部分もあるけど、楽しめた。
財務省の窓際役人阿部寛が、日本の景気の悪化の根源は90年の「不動産総量規制」とみなして、主人公フリーター広末涼子の母親の電器会社のエンジニアである薬師丸ひろ子の発明のタイムマシーンをつかって、薬師丸と広末を90年の3月に送る設定である。
広末は当時の大蔵省に駆けつけ、17年前の阿部に会う。阿部は毎晩遊びまくる大蔵省のエリート、自分が17年後に依頼したことなど忘れて、広末に接する。
次第に何かおかしいということを感じて、「不動産総量規制」の指令の中止に動き出すという話
私自身が89年4月に東京から大阪に異動になったこともあり、90年それ自体の真実の姿はわからないが、描かれている風俗はボディコン服の使い方、眉毛の太さといい多少オーバーだったのではないか?スクウェアビルも全盛は80年前半がピークで88年後半はもう少しおとなしくなっていた気がする。ディスコだけでなく麻布クラブなんてカラオケ屋もあったんじゃなかったかな?
でもオーバーな方がいいだろう。ある意味お金を使わないといわれる今の若者たちにいい?影響を与えるだろうしね。
ただ不動産総量規制はきっちり90年3月でなく、もう少し前から大蔵省の厳しい業務指導が始まっていたと思う。90年の初めに銀行にいくとそういう話でもちきりであった。
実際東京の地価が下落し始めたのは、87年の末からと思う。87年の10月に300㎡以上の取引に国土法の届けが義務付けされてから極度ではないが下がっていた。そして88年に100㎡にラインが下げられた。むしろ東京の取引で儲かったお金で周辺地区が買われたり、関西の土地が買われたと思う。
89年4月に大阪に行って驚いた。まだ土地の値段が上がっていたのである。しかも89年の終わり位になると、東京の相場と変わらない取引が多く、絶対下がるなあと思ったものだった。そうしていくうちに大阪でも100㎡規制となり、むしろ東京を越える下げ幅となった。
経済の話をしだすと止まらないないのでこんなところで。。。
でもどっかでつまずいていたんだろうなあ。
参考作品
「私をスキーに連れて行って」からの3部作だけでなく、「東京いい店やれる店」のグルメ本など彼らが現代軟派文化に貢献したのは間違いない。
90年代前半くらいまでスキーによく行った当時は、映画を見る前に必ず「私をスキーに連れて行って」をビデオでみてからゲレンデに行ったものだった。
もちろんスキーにすすむ車の中のBGMは「ユーミン」でね。
「東京いい店やれる店」のグルメ文化に与えた影響も「ミシュラン」以上のものであった。
何よりもただ高級店という選び方でないのがいい。イタリアン、中華、B級グルメなどバイブルのように使わせてもらった。BOOKOFFで105円で売られている今も色あせていないと思うのは、古くからある東京の老舗に対する見方の鋭さであろう。
成蹊ボーイの育ちのよさがいたるところに感じられる。
そういう彼らのつくる映画であるから面白くないわけがない。
当然タイムマシーンなんて設定はフィクションだし、時代考証的にも多少オーバーかな?と感じる部分もあるけど、楽しめた。
財務省の窓際役人阿部寛が、日本の景気の悪化の根源は90年の「不動産総量規制」とみなして、主人公フリーター広末涼子の母親の電器会社のエンジニアである薬師丸ひろ子の発明のタイムマシーンをつかって、薬師丸と広末を90年の3月に送る設定である。
広末は当時の大蔵省に駆けつけ、17年前の阿部に会う。阿部は毎晩遊びまくる大蔵省のエリート、自分が17年後に依頼したことなど忘れて、広末に接する。
次第に何かおかしいということを感じて、「不動産総量規制」の指令の中止に動き出すという話
私自身が89年4月に東京から大阪に異動になったこともあり、90年それ自体の真実の姿はわからないが、描かれている風俗はボディコン服の使い方、眉毛の太さといい多少オーバーだったのではないか?スクウェアビルも全盛は80年前半がピークで88年後半はもう少しおとなしくなっていた気がする。ディスコだけでなく麻布クラブなんてカラオケ屋もあったんじゃなかったかな?
でもオーバーな方がいいだろう。ある意味お金を使わないといわれる今の若者たちにいい?影響を与えるだろうしね。
ただ不動産総量規制はきっちり90年3月でなく、もう少し前から大蔵省の厳しい業務指導が始まっていたと思う。90年の初めに銀行にいくとそういう話でもちきりであった。
実際東京の地価が下落し始めたのは、87年の末からと思う。87年の10月に300㎡以上の取引に国土法の届けが義務付けされてから極度ではないが下がっていた。そして88年に100㎡にラインが下げられた。むしろ東京の取引で儲かったお金で周辺地区が買われたり、関西の土地が買われたと思う。
89年4月に大阪に行って驚いた。まだ土地の値段が上がっていたのである。しかも89年の終わり位になると、東京の相場と変わらない取引が多く、絶対下がるなあと思ったものだった。そうしていくうちに大阪でも100㎡規制となり、むしろ東京を越える下げ幅となった。
経済の話をしだすと止まらないないのでこんなところで。。。
でもどっかでつまずいていたんだろうなあ。
参考作品
波の数だけ抱きしめて | |
中山美穂&織田裕二 | |
彼女が水着にきがえたら | |
原田知世&織田裕二で昭和の終わりを楽しむ | |
私をスキーに連れてって | |
これを見たらスキーに行きたくなる | |