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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「私がやりました」 フランソワオゾン

2023-11-04 20:46:42 | 映画(フランス映画 )
映画「私がやりました」を映画館で観てきました。


映画「私がやりました」はフランスの奇才フランソワ・オゾン監督のコメディタッチのサスペンス映画である。新作となると観に行く監督だ。本年公開でも「苦い涙」という作品があった。男色系で室内劇ということで、自分には合わないだろうと思ったけど、予想通りだった。でも、今回はフランソワオゾン監督が元来得意とするミステリータッチのようだ。期待して映画館に向かう。

1935年のパリ、大物映画プロデューサーが自宅で殺された。その日に家にいき出演交渉を受けていた若手女優マドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)に警察は疑いを持つが本人は否定する。ところが、一転マドレーヌは自分がやったと自白する。裁判ではルームメイトの弁護士(ポーリーヌレベッカ・マルデール)に言われた通りに、プロデューサーに強引に迫られての正当防衛だと主張する。結局、陪審員の受けも良く無罪となり、悲劇のヒロインとして仕事が殺到する。

ところが、豪華な新居に移った2人のもとを一世を風靡したかつての大女優オデット(イザベル・ユペール)がプロデューサー殺しの真犯人は自分だと名乗りでる。


あきずに100分を駆け抜けるテンポのいいフレンチコメディである。
歴代のフランソワオゾン監督の作品と比較してもおもしろい。前作の「苦い涙」ではサスペンスの味わいがなく、しかも室内劇で強い閉塞感があった。男色系の異常人物を登場させ気持ちが悪かった。

元来フランソワオゾンはコメディーの匂いがするサスペンスタッチのストーリーが得意である。最近干されて新作が出ていないウディ・アレン監督の作風を連想する。若手2人の主演女優の会話のテンポが良く,ベテランのイザベルユベールは貫禄でグロリアスワンソンのような無声映画時代の大女優を演じる。早口言葉でうさん臭い姿が映画の雰囲気を盛り上げる。脇役のベテランコメディ男優もコミカルに演じる。


主人公のマドレーヌは4ヶ月も賃料滞納して,大家から強く支払いを求められている。せっかくの有名映画プロデューサーからのお金になる出演依頼も,愛人になるおまけ付きのオーダーなので断っていた。当然ぶ然としてプロデューサーの家を出たわけであった。それなのに,突然刑事がマドレーヌの部屋を訪問して,殺害されたその日にプロデューサの家にいただろうと問い詰めてくる。

当然やってないわけだから否定する。しかし、ここで同居人の新米弁護士と悪だくみを考えるのだ。それがまんまと成功する。やっていないのにやったと言ってしかも無実を勝ち取るのだ。


フランソワ・オゾン監督の作品では,ある一定のところまで話が主人公の思い通りになって,その後逆転降下するストーリーが多い。今回もその類である。突然現れた真犯人に一瞬おどおどする。でもしぶとい女性2人の悪だくみはそれでは終わらない。粘り強く往年の名女優と対峙していく。

この2人がいかに悪知恵を発揮させるのかという展開を楽しむわけである。元来,モリエールの時代からジャン・アヌイに至るまでフランスの戯曲にはこういう喜劇基調でストーリーの逆転を楽しむものが多い。元ネタもあるようだが,フランソワオゾン監督は良い素材を選んだ。

それに加えて今までの作品よりもお金がかかっている1935年のパリを再現させてビリーワイルダー監督の「ろくでなし」を公開している映画館を映し出す。また,大勢の傍聴人がいる法廷の場面, スイミングプールがある豪邸など様々な場面を用意して、視覚的にも我々の目を楽しまさせてくれる。終わり方も悪くない。簡潔に映画の素材をまとめた自分の好きなタイプの作品である。
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映画「仕立て屋の恋」パトリス・ルコント

2023-09-27 17:09:35 | 映画(フランス映画 )
映画「仕立て屋の恋」は1989年のフランス映画、92年キネマ旬報ベストテン第4位


映画「仕立て屋の恋」は今年映画「メグレと若い女の死」を簡潔な傑作につくりあげたパトリス・ルコント監督の作品だ。お見事な腕前だった。アルフレッドヒッチコック「裏窓」のように、真向かいのアパルトマンの部屋を覗き見する仕立て屋の男が主人公で、ミステリータッチのシリアスドラマに仕上げている。ふと、パトリスルコント監督の昔の作品をつい観てみたくなる。原作は一連のメグレ警部の物語を書いたフランスの作家ジョルジュ・シムノンによる味わいのある作品「Les fiançailles de M. Hire」だ。

仕立て屋のイール(ミシェルブラン)は自分の部屋から向かいのアパルトマンに住むエリーゼ(サンドリーヌボネール)の部屋を覗き見するのを日課としていた。イールは美しいエリーゼに密かに想いを寄せていたが、エリーゼの部屋に彼氏のエミールが出入りしていた。イールは近隣で起きた殺人事件の犯人ではないかと刑事(アンドレウィルム)に疑われていた。以前性犯罪で捕まった前歴があったからだ。

ある日突然、エリーゼは向かいのマンションから自分へ視線が浴びせられていることに気づく。驚いたが、しばらくしてエリーゼから会いたいという連絡をイールがもらう。イールはエリーゼにある意図があるのを感じる。殺人事件当日のエリーゼの自宅内でのエミールの動きを気付いていると思ったからだ。


せつない物語だけど傑作である。
イールがまさに裏窓から眺めている光景は異様だ。ネクラな感じがする。頭は若ハゲで見栄えは悪い。逆にエリーゼの部屋からイールを見上げる映像は気味がわるい。アルフレッドヒッチコックの「裏窓」のように眺めている時間が延々と続くと思ったけど、そうではなかった。見られているエリーゼがイールの動きに気づくのである。普通であれば、変態と思われるのがオチだけど、エリーゼには秘密があった。逆に、エリーゼからアプローチが来る。

イールが犯人として疑われている殺人事件エリーゼの恋人エミールがからんでいるようなのだ。何かを知っているのか感触を確かめようとしている。エリーゼがイールに近づいてから続く2人のやりとりが見どころの一つである。

これからの動きについては言わない。あまりにせつなくて悲しい。
自分だったらイールと違う行動をとるなと思っても、物語だから仕方ない。思い通りにならないどころか、濡れ衣を着せられるのだ。原作者ジョルジュ・シムノン「それはないよ」と言ってあげたくなる。


それにしてもサンドリーヌボネールは美しい。この後も長い間フランス映画界で活躍してきた。特に2004年の「灯台守の恋」海風の荒々しさが伝わる傑作だ。昨年自分一押しの「あのこと」で母親役を演じた。

最近異様に上映時間が長くなっている。あえて時間を長くするがごとくのムダなエピソードを交えすぎだ。映画90分論の蓮實重彦の気持ちはよくわかる。こんな感じで簡潔にまとめるパトリスルコント監督をもっと評価したい。
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映画「ダンサーインParis」 マリオン・バルボー

2023-09-18 18:36:51 | 映画(フランス映画 )
映画「ダンサーインParis」を映画館で観てきました。


映画「ダンサーインParis」はフランス映画、公演中に致命的なケガをしたバレリーナの復活物語だ。「スパニッシュアパートメント」セドリック・クラピッシュ監督がメガホンをとる。予告編で美貌のバレリーナが大けがをするシーンは何度か観ている。でも、絶望から復帰する場面に明るい希望とコメディの匂いを感じる。フランスでは140万人も観たという。何かあるのでは?と感じて映画館に向かう。

パリ・オペラ座の若きバレリーナエリーゼ(マリオン・バルボー)は本番前に楽屋裏で恋人が別の女と逢瀬をしているところを見てしまう。精神状態に乱れを生じて、公演中に転倒して骨折してしまう。医者からは下手をすると一生ダンスができなくなると言われてエリーゼは落胆する。


そのエリーゼを友人サブリナ(スエラ・ヤクーブ)が料理人である自分の彼氏の手伝いをしないかと誘う。ブルターニュにあるレジデンスに行き、足首のリハビリをしながら手伝う。そこに、ホフェッシュ・シェクター(本人)率いるコンテンポラリーダンスのダンスカンパニーが公演前の合宿に来ていた。足首の様子を見ながら恐る恐るダンスチームの練習に加わるようになる。

居心地のいいフランス映画だった。
オドレイ・トトゥ「アメリ」「タイピスト」のような現代フランス映画のロマンチックコメディが好きだ。この映画もその要素をもつ。基調はバレリーナの復活ストーリーでそこに恋物語が加わっていても、小さな笑い話を数多くストーリーの中に組み込む。脇役のコミカルな使い方がうまい。一緒にブルターニュに行った料理人のカップルやリハビリの療法士、エリーゼの父親、レジデンスの女性オーナーなど脇役の活躍が目立つ。主役マリオン・バルボーはあくまで現役バレリーナなので、しっかりプロ俳優がフォローしている。

バレエ映画の名作といえばナタリーポートマン「ブラックスワン」だ。ミラクルス演じるライバルとの葛藤を交えながら、徐々に精神が錯乱してくる。主人公エリーゼは足をケガしていったんはバレエ界から退いた状態に近い。ライバルとの葛藤はない。一芸を極めるストーリーではライバルとの葛藤が肝となることが多い。でも、ここではゆったりと周囲に支えられながらエリーゼは復活していく。周囲にイヤな奴はいない。やさしいフランス語が使われて、映画解釈で観客に妙な要求もしない。それ自体に心が温まり、居心地が良くなる。

いきなり真四角の大画面にバレエの公演場面がでてくる。なかなか迫力ある。そして、エリーゼことマリオンバルボーが華麗に踊る。最初のケガでバレエが見れないのは残念だけど、マリオンバルボーのしなやかな姿体がいろんなところで観られる。後半戦はコンテンポラリーダンスだ。なじみは薄いけど、「一芸は万芸に通ず」そのものでマリオンバルボーはしっかりこなす。ソロダンスではないので、メンバーどうしのコンビネーションが重要と映像から察する。お見事だ。


ダンス指導するホフェッシュ・シェクターは本物のプロだ。英語で指導する。対応するマリオンもきれいな英語で応答する。フランス人は英語を話さないという話を日本人がすることが多い。ずっと昔からよく言ったもんだ。この間も娘の友人が新婚旅行に行って、土産話でそう言っていたと聞き、お前それって都市伝説だよと娘に教えた。


ブルターニュでエリーゼが過ごすレジデンスは、日本でいえば合宿所ないしは研修所的な場所だ。そこでエリーゼは料理の下ごしらえをする。出てくる食事は美的感覚にも優れる。宿舎から散歩して海に向かうと、海岸に沿って断崖が広がる。そこから見るサンセットの映像が美しい。大画面なのでなおさらだ。
だんだん暗くなっていき恋人同士が戯れ合う。確かにこれはムードがある。


ブルターニュでのリハビリ期間が重要なので、原題と違う「ダンサーインParis」の題名にはすこし抵抗がある。それでも、エリーゼの住む階上のアパルトマンの周囲にはいかにもパリらしい建物が建ち並ぶ。エッフェル塔を遠くに見渡す夜景などベランダから映し出す美景を見ながらパリに行きたいと感じる。
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映画「サントメール ある被告」 アリス・ディオップ

2023-07-19 20:03:59 | 映画(フランス映画 )
映画「サントメール ある被告」を映画館で観てきました。


映画「サントメール ある被告」ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)と新人監督賞を受賞したフランス映画である。監督はセネガル系フランス人のアリス・ディオップである。名門ソルボンヌ大学を卒業した才媛でドキュメンタリー畑だという。評論家筋の評判もよく、好きな法廷劇ということもあり映画館に向かう。

パリの大学で講師をしているラマ(カイジ・カガメ)が、フランス北部海辺の町サントメールでの裁判を傍聴に出かける。セネガル出身の女性ロランス・コリー(ガスラジー・マランダ)が生後15ヶ月になる自分の娘を浜辺に置き去りにして命をおとしたことで捕まり法廷で裁かれるのだ。
裁判長の女性(ヴァレリー・ドレヴィル)が無表情のロランスになぜわが子を殺したのかと言っても「わかりません。裁判で知りたいです。」という。裁判長からこれまでの人生についての尋問がはじまる。


男性の自分には正直なところこの映画はそんなによく見えなかった。女性向きなのかもしれない。出産を経験する女性だからロランスの振る舞いに何かを感じられるのではないか。

映画を観終わってから知ったのであるが、実際の裁判記録をもとに脚本を書いたという。謎解き要素が強い法廷室内劇というより、アリス・ディオップ監督は実際の裁判の展開を意識したドキュメンタリー仕立てにしたかったのかもしれない。アフリカ系のガスラジー・マランダ裁判長の質問に淡々と答えるその表情が演技を通り越した世界に見える。この無表情な顔立ちが、黒澤明「天国と地獄」で横浜の猥雑な飲み屋で山崎努とダンスしながら麻薬を受け渡す女性を連想してしまう。どちらも仏頂面で自分の脳裏にこびりつく顔だ。

裁判が始まる前に、大学で講義するラマを追いかける映像が映る。先入観なしにこの映画を観たので、誰なんだろうか?事件に関係あるのか?と思ってしまう。単に被告と裁判長や検察官とのやりとりを追いかけるだけでなく傍観者たる1人の女性ラマを媒介させる。もちろんラマは証言するわけではない。でも、ロランスの母親に声をかけられる。そして、懐妊しているのを母親に読みとられる。ラマの表情がロランスの裁判証言とともに変化する中で、懐妊している女性の心の動きを映像でみせる。実際の裁判を傍聴したという監督の生き写しかもしれない。


ロランスをハラませたのが初老の白人系フランス人だというのと同様に、ラマにも白人系フランス人の彼氏?がいる。アフリカ系と白人のカップルというのは最近の欧米映画ではよく見られる。ひと時代前では考えられない。日本にいるわれわれが気づかない間に人種が入り混じるようになっているのであろうか?

ロランスはアフリカ系といっても難民ではなく、生活に困ってそだったわけでない。大学にも行っている。ただ、父親は外で女をつくって母親に育てられる。精神的には屈折している。誰かに頼るということができないタイプだ。自分の懐妊も外には漏らさずに、出産も自らひっそりと行う。そんなロランスの裁判での陳述にはウソが多い。話の前後で矛盾がいくつも生まれる。自分からみると、どうしようもない女に見えてくる。

ただ、この映画はそういうロランスをかばう。このまま極刑にしてもいいことないと弁護士が法廷で発言する。

昨年「あのこと」というフランス映画の傑作があった。まだ中絶がフランスで認められていない時に自らお腹の子を処置しようとする女性の話だ。改めて調べてみると、フランスでは中絶は解禁され、ピルの流通も日本より進んでいる。そんな女性解放が進んだフランスでも、孤独になってこういう悲劇を起こす女性がいるのをアリス・ディオップ監督は訴えたいのだろう。

Je ne sais pas(わかりません)というフランス語を何度かロランスが話す。自分でも使ったことがあるフランス語の言葉だ。何度か話すロランスの言葉の抑揚に若干変化があるのに気づく。
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映画「苦い涙」 フランソワオゾン

2023-06-06 05:23:24 | 映画(フランス映画 )
映画「苦い涙」を映画館で観てきました。


映画「苦い涙」はフランスの人気監督フランソワ・オゾン監督の新作である。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの名作「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」のリメイクとのこと。予告編にはゲイのフランソワ・オゾン監督だけに男色系映画の雰囲気がある。今回は往年の美人女優イザベルアジャーニが出ている。健在ぶりを示すのか?数々の絶賛の声も気になり映画館に向かう。今回は作品情報を引用する。

1972年のドイツケルン、著名な映画監督ピーター・フォン・カント(ドゥニ・メノーシェ)は、恋人と別れて激しく落ち込んでいた。助手のカール(ステファン・クレポン)をしもべのように扱いながら、事務所も兼ねたアパルトマンで暮らしている。

ある日、3年ぶりに親友で大女優のシドニー(イザベル・アジャーニ)が青年アミール(ハリル・ガルビア)を連れてやって来る。艶やかな美しさのアミールに、一目で恋に落ちるピーター。彼はアミールに才能を見出し、自分のアパルトマンに住まわせ、映画の世界で活躍できるように手助けするが…。(作品情報引用)


室内空間で演じる演劇のようなスタイルだ。
男色系で室内劇というのは自分にとっていちばん苦手なタイプである。フランソワ・オゾン監督の作品はむしろ好きな方で、イザベルアジャーニも出演するので男色系でもうまくバランスが取れていると思っていた。インテリアの色彩感覚や音楽のセンスは抜群である。「悪なき殺人」など数々の映画で主役を張るドゥニ・メノーシェの演技は舞台劇としてハイレベルだ。でも自分にはちょっと合わない。まあ、こういう選択のミスもあるだろう。

先日観た「ザ・ホエール」に構造が似ている気がした。主人公がずっと室内にいて、男色系の室内劇というのは同じである。「ザ・ホエール」の場合、主人公は200kgを超える大巨漢だが、こちらもそれなりのデブ。ともにゲイの恋人と別れて寂しい。身の回りを世話する人がそれぞれいる。ゲイになる前につくったがいて、いろんな来訪客が主人公の部屋に訪問した一部始終がストーリーの根幹というのにも共通点がある。

何か共通の元ネタがあるのであろうか?ただ、美少年「ザ・ホエール」の場合いない。ここでは主人公が美少年への想いに狂っていくという構図だ。美少年がしばらく離れていき、強烈に悲しむ。


上映時間85分と90分以内にまとめるのはフランソワ・オゾン監督らしい。時間内に内容は凝縮している。ただ元ネタがあるせいか、フランソワ・オゾン監督作品特有のミステリー的要素がないのは残念。久々登場のイザベル・アジャーニの美貌は70近くなっても劣っていない。20代前半で撮ったライアンオニール共演「ザ・ドライバー」クールビューティーぶりを思わず連想する。
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映画「アダマン号に乗って」

2023-05-17 19:39:56 | 映画(フランス映画 )
ドキュメンタリー映画「アダマン号に乗って」を映画館で観てきました。


映画「アダマン号に乗って」セーヌ川に浮かぶ船上のデイケア施設で精神科の患者たちが送る日々を描いたドキュメンタリーだ。ベルリン映画祭で最高賞を受賞して、日本の評論家筋の評判もいい。公開すぐさま行こうとは思わなかったが、時間が空いたので覗いてみる。映画の雰囲気は想像できたが、ほぼ予想通りだった。


個人のプライバシーの問題があって、なかなか衆目にはさらされていない世界ではある。こういったドキュメンタリーにまとめる事自体は画期的なことだと思う。ある事情があって、こういった精神科の病院の内情には若干の知識がある。日本もフランスも大きくは変わらない。映画のうたい文句に自由を感じるなどと言う言葉もあるが、日本の精神科のデイケア施設もこんなものではないか。


輪になってそれぞれの患者たちが、自分の体験談を話したりするのは日本の施設でも同じようなことをしている。アダマン号というデイケア施設に通う人たちの病気の程度は、強い精神疾患を持っている人たちから若干精神の安定を崩している人たちまで程度はいろいろだ。中には相手と目を合わせない自閉症患者もいる。表情を見ると、ほぼ全員精神科の薬を飲んでいるのは間違いない。目を見ればわかる。ある男性が,「お互い体験談を語ったりする機会を設けてくれるのはありがたいが,薬を飲まないとどうにもならない」と言っていた。


音楽では、エレキギターを弾いたり、ピアノを弾いて自ら作曲をしたり、普通の人ではできないことをたやすくできてしまう人がいる。美術関係にしても、普通の人が描ける以上のレベルの絵画を描いている。その絵を他の人たちにどういう趣旨で書いたかを説明している。


普通の人と大きな差があるわけではない。ただ、何らかの理由で精神のバランスを崩してしまったのだ。その時点ではこのように安定している状態ではなかったであろう。病院に入院した時は、かなり荒れ放題だったかもしれない。世間一般が精神病院で描いているイメージの治療をするのはやむを得ないのかもしれない。

それでも、今それぞれに向上心を持って生きているのは素晴らしいことだ。それをニコラ・フィリベール監督とカメラが解説もなく舐めるように追っていく。
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映画「午前4時にパリの夜は明ける」シャルロット・ゲンズブール

2023-05-03 20:29:03 | 映画(フランス映画 )
映画「午前4時にパリの夜は明ける」を映画館で観てきました。


映画「午前4時にパリの夜は明ける」は女優シャルロット・ゲンズブール主演で夫に去られてラジオの深夜放送のアシスタントをやることになった子持ちの女性を描いた作品だ。原題「Les passagers de la nuit(夜の乗客)」とは違う邦題だけど、「午前4時のパリ」という響きとラジオの深夜放送を題材にしていることで関心を持つ。1981年に自分はパリに行ったことがあるのでパリの街がどう描かれるのかも気になる。

1984年のパリ、専業主婦だったエリザベート(シャルロット・ゲンズブール)のもとを夫が去り、娘と息子の2人を養うことになった。深夜放送「夜の乗客」のDJヴァンダ(エマニュエル・ベアール)のアシスタントに職を得たエリザベートは、番組で知り合った家出して外で寝泊まりする少女タルラを家に招き入れ一緒に暮らすようになる。独身に戻ったエリザベートの恋と息子とタルラがお互い惹きつけられることを中心にストーリーを描く。


期待したほどではなかった。
1980年代のパリ市内の映像がかなり組み込まれている。まだ携帯電話がない時代である。もともと建築規制の強いパリではずいぶんと古い建物も残っている。エリザベートが住むアパートメントや近隣の建物は80年代以前に作られたものなのであろう。息子と居候の少女が屋上にはしごで上がってパリの街を眺めるシーンがいい感じだ。この時代の空気感は映画では感じられる。


1981年のパリで、シャンゼリゼ通りから見る凱旋門の迫力がすごかったこと、映画「ファントマ」で一気に好きになったシトロエンがたくさん走っていたこと。(この映画では見当たらない。)タクシーの運転手にベトナム人が多かったこと。シャンゼリゼ通りのはずれの映画館大島渚「愛のコリーダ」の無修正版を見て、藤竜也のあそこを確認したこと。ムーランルージュで酔っ払いながら、ショーの前のダンスタイムで踊ったこと。フォーブルサントノレ通りでエルメス、ジバンシイ、シャネルのブランド品を買いあさったこと(今はしない)思い出した。

自分も70年代は随分と深夜放送を聞いたものだった。それなので,その要素が映画の中に盛り込まれているのではないかと想像していた。このDJ番組はリスナーが直接放送局に電話してDJと語り合う設定である。電話をアシスタントのエリザベートが受けるのである。一部そのシーンがあったが、あまり踏み込んで放送内容には突っ込まなかったのは残念だ。午前4時の空気感はあまりなかった。


夫に捨てられたエリザベートの生活は娘と息子を抱えて決して楽ではない。ラジオ局のアシスタントに加えて図書館でもバイトをする。ただこのエリザベートはかなり尻軽である。図書館でナンパされた男とその日のうちにすぐ寝たり,仕事のことでDJから怒られ落胆しているところをラジオ局の同僚に慰められるとすぐさまキスして抱き合ったりする。15禁となっているのは、シャルロット・ゲンズブールが何度もメイクラブするシーンがあるからだろう。でも、いい年してあまりの尻軽には、観ていてあまり気分がいいものではなかった。

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映画「ベネデッタ」 ポール・ヴァーホーヴェン

2023-02-23 07:23:38 | 映画(フランス映画 )
映画「ベネデッタ」を映画館で観てきました。



映画「ベネデッタ」は奇才ポールヴァーホーヴェン監督の「ELLE」以来の新作である。17世紀に修道院の院長だった修道女ベネデッタの物語である。日経新聞の映画評で宮台真司が宗教的な背景も書いて、絶賛している。寺の墓はあれど、無宗教の自分はその解説を読んでもさっぱりわからない。ただ、「氷の微笑」以来長年の付き合いになったポールヴァーホーヴェン監督の作品だけは見逃せない。「ベネデッタ」の題名文字は70年代前半の東映エログロ路線を連想させる。

17世紀、修道院に1人の特殊能力を持った少女ベネデッタが親がカネを積んで入所する。やがて大きくなったベネデッタ(ヴィルジニーエフィラ)はキリストと対面して、しかも聖痕も受けたと認められて修道院の院長になる。ベネデッタは町の有力者になった。ところが罷免された前院長(シャーロットランプリング)の娘がベネデッタの傷は自分でつけたヤラセで、前院長はベネデッタが入所させた女(ダフネパタキア)とレズビアンの関係にあるとされて窮地に立たされる話である。


この映画の感想も難しい。17世紀欧州の物語だけど、内容はすんなり頭に入る。言葉はフランス語だ。宗教上の世界で若干現実から飛躍した場面があっても、わからなくなることはない。修道院をめぐる権力闘争と教会の権威、きびしい聖職生活の中でのレズビアンでの性的発散、ぺストの流行まで描かれる。ベネデッタはベストが流行しないように街の中に他のエリアの人たちが入ることを禁ずる

ポールヴァーホーヴェン監督は強烈な女主人公をいつも用意する。当然、主役ヴィルジニーエフィラは期待に応えている。窮地に陥りそうになると、男のような声で反発する。ダイナミックなボディを何度もあらわにして、予想通りのエロティックなシーンが用意されている。ただ、「ショーガール」の水中ファックシーンを思わせるような主役の性的歓喜の声があっても、衝撃を受けるほどの激しいシーンはなかった。18禁だけど、エロきわどいシーンは多い訳ではない。でも、40歳過ぎでこのナイスバディを保つのはすごい!


シャロンストーン「氷の微笑」では、エロスとヴァイオレンスに当時30代だった自分はものすごく衝撃を受けた。戦争を描いてスケールの大きな「ブラックブック」でも主役の女性カリス・ファン・ハウテンをいたぶるきわどいシーンがあった。ポールヴァーホーヴェンの作品でいちばんよくできた映画だった。そのレベルからすると驚きは少ない。
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映画「みんなのヴァカンス」

2022-08-22 20:02:03 | 映画(フランス映画 )
映画「みんなのヴァカンス」を映画館で観てきました。


映画「みんなのヴァカンス」は公開まもないフランス映画の新作。日経新聞の映画評の評価もよく夏っぽい映画を観てみるかと映画館に向かうと、公開館が少ないせいか満席だ。

パリで知り合った女性アルマに惹かれた男フェリックスが、アルマがヴァカンスに旅立った南フランスの避暑地に、友人と相乗りアプリで知り合った男と3人で向かう。川沿いにある避暑地で過ごす若者の話である。



つまらない映画だった。
映画題材としての内容が薄すぎる。パリで知り合った女のところへサプライズで押しかけ嫌がられる話と、夫が多忙で幼児の女の子と2人取り残された美女に友人が近づいていく話の2つがキーとなる。いくつかのエピソードを織り交ぜるが、え!それだけという感じで、たいした話はない。南フランスというロケ地もスパニッシュタッチの建物群以外は特筆すべき美観は見当たらない。見慣れた日本のキャンプ地とたいして変わるところはない。残念な作品だった。


日経新聞の映画評では某仏文学者が5点をつけていたが、どこがいいのかなあ?この人たまにいいこと書くけど、感性を疑う。それとも仏文系のつながりで肩入れする事情があったのかもしれない。自分の隣の席の人はずっと寝ていた。金払ってそれでも良いのと思ってしまう。退屈だったのだろう。同じ夏の日々を取り上げた日本映画「サバカン」と比較してレベルの低さに驚く。
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映画「オフィサー・アンド・スパイ」 ロマンポランスキー&ジャン・デュジャルダン

2022-06-04 09:10:46 | 映画(フランス映画 )
映画「オフィサーアンドスパイ」を映画館で観てきました。


映画「オフィサー・アンド・スパイ」「戦場のピアニスト」「ゴーストライターの名匠ロマン・ポランスキー監督の新作である。高校の世界史教科書にも記載があるドレフュス事件を扱っている。19世紀末、ユダヤ系のフランス人将校がスパイ容疑で告発されるという有名な冤罪事件である。戦前にゾラの生涯という名作映画があり、作家のゾラからの冤罪告発が主体となるが、ここでは軍内部で真犯人がいると内部告発した将校の目で描いている。


1894年ユダヤ系のフランス軍ドレフュス大尉(ルイガレル)がドイツ軍に機密情報を流しているスパイ容疑で軍籍を外され、離島に島流しされた。諜報を扱うピカール少佐(ジャン・デュジャルダン)が、自分あてに送られた書類にドレフュスが告発された文書と同じ筆跡を見出す。上司の司令官や大臣に告発するが、一旦裁決されたことと混乱を恐れて取り合ってもらえない話である。

プロの映画人による上質の作品である。さすが!という印象を持つ。
当初は単なる歴史ものに見えるスタートで、淡々と事実を語っていくように見えた。しかし、主人公のピカール少佐が怪しいと感じて冤罪に気づく場面から、グッと引き締まってくる。しかも、すごい演技合戦を見せつける。探究心が告発に変わり上司の大臣や司令官に絡むシーンに迫力がある。

歴史ものは最終結果が分かっている訳だけど、ストーリーの先行きがどうなるんだろうと感じさせるスリリングな要素がある。ロマンポランスキーと名コンビのアレクサンドルデスプラの不安を感じさせる音楽もよく、スリラーのような恐怖も感じさせる。

数多いと思われるいろんな歴史上のエピソードもうまく選択して映画を構成している。フランス原題「J'accuse」ゾラの「私は弾劾する」とはいうものの、思ったよりもゾラやドレフュスの妻の出番が少ないのもこれはこれでいいと思う。


⒈ロマンポランスキー
キネマ旬報ベストテンでも1位になったゴーストライターは傑作だった。元首相の自叙伝のゴーストライターが気がつくと陰謀にハマるというストーリーをどんよりした暗いムードを基調に、スリリングに仕上げる。魅了された。あれから10年以上経つ。日本ではあまり注目されていない2017年のスリラータッチの告発小説、その結末エヴァグリーンの怪演がよく、自分は好きだ。

何よりロマンポランスキー組とも言える映画スタッフが卓越である。武満徹のように不安を呼び起こすアレクサンドルデスプラの音楽が画面の出来事にマッチし、ポランスキーの母国ポーランドのパヴェル・エデルマンの撮影も時代背景あふれる美術を的確に反映するショットで、編集のエルヴェ・ド・リューズも題材の多いこの映画でうまくまとめる。

優秀なスタッフが集まるとこうも違うなと感じさせる。プロの仕事ですばらしい!でも、2019年にフランスで公開されヴェネツィア映画祭で審査員大賞を受賞した作品が3年経って公開されるのはいくらコロナとはいえどうしてなのかな?


⒉ジャン・デュジャルダンとルイガレル
映画を観に行く前は、ロマンポランスキー、ドレフュス事件というワード以外は先入観がなかった。映画が始まってしばらくして、主役のピカール少佐がアカデミー賞映画「アーティスト」のジャン・デュジャルダンだと気づく。久々に見る。「アーティスト」の頃はマリオンコティヤールなどと一緒の恋愛映画が多かったが、ラッキーでアカデミー賞もらってから役に恵まれていない気がする。ここでの掛け合いセリフをはじめとした演技は絶妙だ。


映画見終わってからドレフュス大尉を演じていたのがルイガレルと知り驚く。彼には「ドリーマーズ」などフランス得意の前衛的現代劇のイメージしかない。映画監督フィリップガレルの息子で若い時から役には恵まれている。モニカベルッチが豊満なボディを見せた灼熱の肌マリオンコティヤール共演の「愛を綴る人」などの作品で大女優と共演しているが、力量不足は否めない。でも、チャラ男でなく迫害され続ける役で一皮剥けたのではないか。


主役のピカール少佐は政府高官の妻と不倫をしている。これが単なる歴史ものにしていない一つの要素でもある。その不倫相手を演じるエマニュエルセニエである。映画を観て彼女はすぐわかった。ロマンポランスキーの妻である。年齢の差30あるのもすごいけど、さすがにもういいおばさんで、ジャン・デュジャルダンよりも年上だ。「あんた映画つくるんだったら私も出してよ」と言われるんだろうが、不倫相手はもう少し若くて魅力的でも良かったのでは?若い時にきれいで今は年齢を重ねているが、監督の妻というだけで主役級になる女優にレネ・ルッソもいる。日本にも多い。困ったものだ。


⒊ユダヤ系と不思議なエンディング
ユダヤ系の迫害というと、日本人はナチスのユダヤ人迫害をすぐ思い浮かべる。でも、映画をきっかけに調べると、フランスでも反ユダヤ運動が激しかったようだ。欧州にはユダヤ差別が歴史的に根強いものがあるというのもこの映画でよくわかる。もともと軍人の報酬の20倍も収入あるドレフュス大尉が悪いことをするわけがないというセリフがある。スパイ容疑であったら、今の北朝鮮だったら即刻死刑だし、戦前の日本も同様だと思う。島流しですむのがフランス流なのか?


ネタバレなので言えないが、ラストワンシーンが実に印象的である。日本であった厚生労働省の村木事件も連想させると同時に、ドレフュスに対する率直な感想が作者にあるのを感じる。
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映画「パリ13区」ジャック・オディアール

2022-05-01 17:44:54 | 映画(フランス映画 )
映画「パリ13区」を映画館で観てきました。


映画「パリ13区」はフランスの奇才ジャック・オディアール監督が2021年カンヌ映画祭に出品した現代若者の偶像を描いた18禁作品である。パリ13区はセーヌ川の南側にあるパリには珍しく高層ビルが立ち並ぶエリアで、アジア系も含めて多様な人種が住んでいる。1980年代ごろはパリでタクシーに乗ると運転手がベトナム人で、中国人は少ないと思ったが、パリ13区には多いようだ。久しくパリに行ったことのない自分は街の存在を知らなかった。

大胆な性的描写がきわだつ映画である。
現代フランス人の若者の性への考え方は、平均的日本人の思考を超越している。もともとベルナルド・ベルトリッチ監督の映画ドリーマーズに登場する1968年5月革命時代におけるフランスの若者も一歩進んでいた。映画では開放的な裸の女性も出てくる。「パリ13区」に共通するものを感じる。純粋な白人のフランス人だけが登場する映画でなく、アジア系、アフリカ系のフランスで育った若者がメインになる。ジャック・オディアール監督は直近トレンドの多様性にも焦点を合わせる。

18禁とはいっても、現代ネット社会を見据えた話の流れになっている。性的交わりを見せる場面が多いにも関わらず、映画の中身は奥が深く計算され尽くしている。


コールセンターでオペレーターとして働く台湾系のエミリー(ルーシー・チャン)のもとに、ルームシェアを希望するアフリカ系の高校教師カミーユ(マキタサンバ)が訪れる。二人は即セックスする仲になるものの、ルームメイト以上の関係になることはない。
同じ頃、法律を学ぶためソルボンヌ大学に復学したノラ(ノエミ・メルラン)は、年下のクラスメートに溶け込めずにいた。金髪ウィッグをかぶり、学生の企画するパーティーに参加した夜をきっかけに、元ポルノスターでカムガールの“アンバー・スウィート”本人(ジェニーベス)と勘違いされ、学内中の冷やかしの対象となってしまう。大学を追われたノラは、不動産会社に勤めるカミーユの同僚となり、二つの物語がつながっていく。(作品情報 引用)



⒈ジャック・オディアール監督
ジャック・オディアール監督作品では2000年代前半の「リードマイリップス」真夜中のピアニストに強い衝撃を受けた。特に「真夜中のピアニスト」の主人公は悪徳不動産屋というべき辛辣な地上げをする男だ。そんな男にも子どもの時に習っていたピアノに才能があり、アジア系美人ピアニストから指導を受けるストーリーで、善悪のコントラストが印象に残った。


今度も元教員のアフリカ系男性が不動産業に携わるストーリーで「真夜中のピアニスト」を連想する。台湾系のエミリーが祖母の所有するアパートに1人住まいでなくルームメイトを求めてひと稼ぎを目論む。眺めのいいアパートだ。所有のマンションにもう1人賃貸人を呼び込むのは今の日本ではあまり聞かない。大学を辞めたノラも賃貸系の不動産のリーシングに携わる。ジャック・オディアール監督に不動産の素養があるのかな?

⒉脚本の力
1974年生まれの米国の作家エイドリアントミネ原作の3つの作品が元になっている。映画を観終わると、うまい具合に3つの作品の要素をひとつにまとめたなと感心する。ジャック・オディアール監督のインタビューによると、原作を読んで「登場人物が自分には思いつかないオリジナリティーあふれる人物像」だと思ったようだ。初老の域に入った自分も監督の気持ちには同意する。

フランスではジュリア・デュクルノー監督のパルムドール作品TITAN をはじめとして女性監督の活躍が目立つ。2人の女性映画人セリーヌ・シアマとレア・ミシウスとともに脚本を書き上げたという。物語の原型というのは古今東西似たようなものであっても、登場人物は現代的で進化している。しかも、フランスの若者には昔の感覚ではありえない思考がある。さすがに70代のジャック・オディアールではこの飛んでいる若者たちの心境は読めないでしょう。

18禁で性描写も多い作品であっても奥が深いと思わせる構造には、女性的な感覚を織り込んだことが大きい。


⒊大胆なルーシーチャン
映画が始まり、いきなりバストトップを露わにした女性の裸が見える。中国系のようだ。ルーシー・チャンである。2000年生まれでまだ若い。ルームメイトになったというだけで、アフリカ系の男性とすぐ交わってしまうその心境にぶっ飛ぶ。ベットシーンも大胆である。ひょんなことでコールセンターを失職してしまうが、その後の自由奔放さにはついていけない。


⒋ノエミ・メルランと両刀使い
その一方で、大学に復学したノラが金髪のカツラをかぶってダンスパーティーに登場したことで、ポルノスターに間違われて落胆して辞めてしまう。アレ、この子見たことがあるなと気がつき、2020年の傑作燃ゆる女の肖像の主人公を演じたノエミ・メルランと気づく。今回の脚本セリーヌ・シアマが監督した作品だ。途中からレズビアンムードが強くなる映画でノエミ・メルランは全裸で女性同士交わっていた。

ここでは勤めた不動産屋の同僚となったアフリカ系の男性カミーユと全裸でカラダを合わせる。モノクロで色彩が強調される男性の黒い裸がまとわりつき刺激的だ。おいおい、こんなにくっついているけど、男は前貼りしているのか?と気になってしまう。大きすぎて前貼り無理か?


自分が間違えられたポルノスターに接触するという展開がおもしろい。最初は課金サイトで女性同士トークするだけだったのが、Skypeで話すようになるのだ。どんどん親密になっていく。こんな展開は単なるポルノではない面白い展開だ。
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映画「アネット」アダム・ドライバー&マリオン・コティヤール&レオスカラックス

2022-04-03 18:21:51 | 映画(フランス映画 )
映画「アネット」を映画館で観てきました。


アネットはフランスの鬼才レオス・カラックス監督の新作である。ホーリーモーターズ以来久々にメガホンを持ち、当代きっての人気俳優アダムドライバーとマリオンコティヤールが主演で共演する。前作「ホーリーモーターズ」では独創的奇怪な映像を堪能でき、公開を楽しみにしていた。レオスカラックス監督は大激戦だった2021年カンヌ映画祭「アネット」を出品して監督賞を受賞している。

ヘンリーは一人芝居のコメディアンで人気者である。オペラ歌手のアンと恋仲になり結ばれ結婚する。2人には女の子の赤ちゃんができアネットと名付ける。その頃からヘンリーはスランプに陥り、ステージで観客に悪態をついたり、むかし恋仲だった女性6人から訴えられる。アンは今まで通り人気を保ち、何とか夫婦仲を維持しようとして船旅に出て嵐にのまれるという話の展開である。


ホーリーモーターズ」に続く奇想天外な映画づくりを予想していた。今回はミュージカル仕立てである。主演2人も歌う。でも、前作ほど現実と悪夢が交錯するイメージは少ない。いつもと違う違和感を感じながらも、何が起こるかわからないと最後まで目を離せなかった。

製作費については、前作よりはいいスポンサーが付いたのでは?という印象をもつ。全世界のツアーをするという設定で、世界各所の映像が映ったり、エキストラと思しき人たちを大勢雇ったり、これまでのレオスカラックスの作品よりもカネがかかっている。毎回出演している道化師のようなドニ・ラヴァンが出るのかなと最後まで待ったけど、出演していない。常連が出ないのは若干寂しい。逆に日本人が3人登場するのがご愛嬌だ。

⒈アダムドライバー
アダムドライバーは歌の本職ではない。レオスカラックス監督はあえて歌わせようとしたわけである。きっちりこなしている。

パターソン内気でナイーブなキャラクターアダムドライバーのイメージだ。沈黙の神父役も似た感じで良かった。近作はプレイボーイのイメージに転換しつつある印象をもつ。最後の決闘裁判「グッチ」と続いて、この映画ではマリオンと結婚するだけでなく、6人の女性から訴えられる遊び人だ。その中の1人が水原希子だ。


映画のスタートで、スパークスの歌に合わせて出演者が揃って歩くシーンがあり、アダムドライバーって背が高いんだなあと感じる。189cmだ。この映画ではバイクに乗るシーンが多い。マリオンコティヤールと2人乗りでバイクを走らせるシーンを大画面で観ると、疾走感を実感でき気分が良くなる。とはいうものの、悪役だ。


⒉マリオンコティヤール
悲劇のスパイ役を演じるマリアンヌ以来5年ぶりにマリオンに出会う。人気女優とはいえ、さすがに40代半ばになると出番は少ない。久々のマリオンはベリーショートのヘアで軽いイメージチェンジをしている。前作でカイリーミノーグがショートヘアで印象深い歌を歌った。レオスカラックスの好みだろう。自分はミッドナイトインパリのマリオンコティヤールが好きだ。


エディットピアフを演じてアカデミー賞主演女優賞を受賞しているが、オペラ歌手役の時に歌う歌声は本人とは思えない。まだ20代の若き日に美しい妹できれいなバストトップを見せてくれたことがある。今回、ベッドシーンでも乳首は両手で隠していたが、トップを一部見せてくれる。大サービスだ。

自宅の庭のプールで歌いながら泳ぐ姿が優雅である。日本の個性派男優古舘寛治演じる医師のもとで出産するシーンもある。


⒊アネット
映画を観る前にアネットって何のことなんだろう?と思っていた。アンが産む子どもはアネットだ。出産してすぐさま取り上げられた赤ちゃんは人形だ。その後も少しづつ育っていき、よちよち歩きになっても人形の姿であることは変わらない。

やがて、アネットはとんでもない才能を発揮する。そして、ラストシーンになり、これまでの状況を覆しあっと驚く。幼児がアダムドライバーと対等に渡り合うシーンが見ものだ。
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映画「TITANE チタン」ジュリア・デュクルノー

2022-04-02 23:08:18 | 映画(フランス映画 )
映画「TITAN チタン」を映画館で観てきました。


映画「チタン」は2021年のカンヌ映画祭のパルムドール作品である。ちょっと変わった怪作という評価もあり関心を持つ。映画ポスターだけを見ると、普段好みとする作品とはちがう。先入観を持たずに映画館に向かう。

車に執着する少女アレクシア(アガト・ルセル)が交通事故に遭い、瀕死の重傷で頭にチタンを埋め込まれる。その後、大人になり、モーターショーでエロチックなダンスを踊っていた。ところが、熱狂的なファンを殺してしまい指名手配で逃走する途中で、自分に似た行方不明の少年がいることを知り、自ら名乗り出て消防隊長の父親ヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)のもとで、消防士になって身を隠すという話である。


評価のとおり確かにこんな映画は観たことがない。
しかも、監督脚本が女性監督ジュリア・デュクルノーと映画を見終わってから知り、おったまげた。しかも美人だ。少なくとも日本の女流監督にはこういう作品をつくれる人はいないし、クライムサスペンスに優れる韓国でもここまでのエグい作品は作れない。ジュリア・デュクルノーの両親は2人とも医師だという。映画を観れば、その素養が十分生かされていると感じる。

主人公アレクシアはいかにも変態異常というべき人物だ。あとの主要な登場人物は自分の息子と思って引き取る消防隊長ヴァンサンくらいのものだ。マッチョのヴァンサンのディテールにとことんこだわる。それでストーリーをらしくしているのは上手い。


⒈殺しと偏愛
フランスじゃこんなエロチックなモーターショーやっているの?と思わせるきわどいショーに通う熱狂的なファンを殺してしまう。シャロンストーンの「氷の微笑」でのアイスピック殺人を連想する殺し方でスタートして、殺しの場面が続くと連続殺人事件の話かと思ってしまう。これだけじゃ単なる三流セクシーバイオレンス映画でパルムドール作品にはならないだろう。15禁といっても、ファックシーンが続くわけではない。カンヌの表彰式のプレゼンターがなんとシャロンストーンという写真を見て思わず笑った。

ここで、アレクシアは変装する。髪の毛を切るだけでなく、顔をわざとぶつけて形を変えるなんて芸当で姿を変える。胸はサラシを巻いたようにテープでぺったんこにする。TVに映る行方不明だった少年が今こんなに大きくなったと名乗り出る。すると、目通しで運良く父親ヴァンサンが引き取るのだ。消防隊の隊長だ。何を聞かれてもアレクシアは一言も話さない。でも気がつくと、消防隊員にさせられている。こういう展開は予想外だ。

この映画のうまさのひとつにこの父親の存在がある。しかも、この後偏愛物語のように展開する。グッと面白くなってくる。目が離せないシーンが続く。

⒉妊娠
アレクシアが変装する段階で、裸になるとお腹がポコンと出ている。そこで妊娠しているんだなあと観客に感じさせる。当然、若い男性のふりをしているし、体にはテープを巻いている。ずっと、隠していくのかと思うと、だんだんお腹が大きくなっていく。ここからがポイントだ。アガト・ルセルは初めて知った女優だが、全裸になっての大胆なシーンと懐妊後の異常パフォーマンスにはすげえと感じる。


でも、映画を観終わって、これって「車と交わってできた子ども」といういくつかの解説をみて意外に思えた。SF的世界ということなのか。でもそこまでは感じなかった。終わってみれば、確かに黒い液体がアレクシアの身体の至る所から出ているシーンがあった。当然露骨にクルマの子だというセリフもないけど、その解釈はうーんという感じである。
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映画「ブラックボックス」ピエール・ニネ

2022-01-30 21:18:25 | 映画(フランス映画 )
映画「ブラックボックス」を映画館で観てきました。


映画「ブラックボックス」はフランス映画、逆転に次ぐ逆転でおもしろいというウワサで観てみたくなる。「イヴサンローラン」ピエールニネの主演でヤンゴズラン監督の作品だ。「ブラックボックス」とはフライトレコーダーとコックピットヴォイスレコーダーを合わせた物だというのは初めて知った。

ドバイ発パリ行きの飛行機が墜落した後に、事故究明にブラックボックスを開けてテロの仕業と判断した分析官が、ノイズが気になりそこに意外な事実が隠されているのではないかと再調査していくという話だ。観に行く前は、音の違いをチェックするだけの室内劇かと思っていたけど、そうでもない。アウトドアのシーンも多く変化を持たせる。

確かにおもしろい!
結末がこうなるだろうと観客に都度予想させて、それをくつがえすことを繰り返す。途中では、ハラハラドキドキの場面をいくつも用意してわれわれが目を離さない工夫がされている。観に行く価値はあるおすすめ作品だ。


300名の乗客を乗せたドバイ発パリ行きの旅客機がアルプスの山間部に墜落した。航空事故調査局は事故究明のために音声分析官マチュー(ピエールニネ)の上司ポロックが調査部隊を率いることになるが、いつも同行するマチュは指名されなかった。ところが、調査を開始した後でポロックが突然消息不明になる。

改めて調査に参加したマチュは、ブラックボックスを解析すると、機内にイスラム系の乗客がコックピットに侵入する疑いがあることを見つける。いったんそれで事故の顛末は決着すると思われた。ところが、乗客が遺族に残した留守電の音が、ブラックボックスの音と違うことにマチュが気づき、再調査を始めると意外な事実に気づくのであるが。。。


⒈融通の利かない分析官
この主人公マチュはかなり変わった男だ。ともかく融通が利かない。パイロットのシミュレーター飛行のチェックをしていて、軽いミスも正直に申告すると言ってパイロットの反発を受ける。普通だったら甘い点をつけてもおかしくないのに、そういうことができない。上司からの指示にも従わないことも多い。

マチュの奥さんは航空大学の同期だ。新作の旅客機を認証する機関に勤めている。当然自身の業務には守秘義務があるわけであるが、マチュはそんなことも気にせず、妻のパソコンを平気で開けて機密情報を抜き出そうとする。


融通が利かないわけどころか夫婦関係を崩す可能性もわからないバカだけど、真実をつかむためには一途だともいえる。普通だったらしないと思われることも気にせず脳天気にやる。変なやつだなあと観ながら何度も思ったが、それでなければこの映画は成立しない。

⒉登場人物の対立と葛藤
映画の最初の場面で、上司のポロックと主演のマチュ分析官がヘリコプターの墜落原因をめぐって言い合うシーンがある。音の周波数特性を分析して、理路整然と答えるマチュに対してポロックが反発するシーンではじまる。結局、次の事実解明調査部隊からマチュは外される。この映画は上司と部下の対立と葛藤の映画だと思わせた。ところが、そうストーリーは進んでいかない。この上司がいなくなるのだ。結局調査を任され、真相究明となってよかったと思わせたが、そうはいかない。


この後は、いくつもの対立を生む。しかも、その相手には、パイロットの他航空会社や飛行機の認証機関なども含まれている。要するに、次から次に真実を究明するために葛藤する矛先が変わっていくのだ。バカ真面目で融通が利かない男の奮闘記だけど、この男の推論が常に正しいわけではない。大きな間違いも起こしている。そうやって、われわれの結末への推理を難しくさせる。

主人公のような石頭男みたいなバカ正直タイプの性格のやつは好かないので、観ていて不愉快にもなってくる。それでも食いついていけるだけのストーリーの面白さと若干の謎解きの要素、ヒッチコックばりのハラハラ感がある。加えて、ハイテク機器の使い方を間違えると危険な状況に陥ることもよくわかる。観終わると、これまで知らなかった知識がたくさん頭に投下された。そんな映画である。
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映画「悪なき殺人」

2021-12-19 21:31:34 | 映画(フランス映画 )
映画「悪なき殺人」を映画館で観てきました。


これは今年でピカイチのミステリーである。
緻密に細部まで設計された映画の構成にはうならざるを得ない。フランスの雪が降る山岳地帯にある小さな農場と遠く離れたアフリカコートジボワールがなぜか1つの出来事に絡んでくるのだ。

「悪なき殺人」の原題は「動物だけが」である。確かに主要登場人物は動物を飼っている。真実も知っている。フランスのドミニクモル監督の作品だ。登場人物にスターは誰もいない。
作品情報には殺人をめぐる黒澤明の「羅生門」形式のスタイルの映画と書いてある。ただ、ちょっとこの書き方は違う。「羅生門」のように殺人の顛末がどうだったかと証言を追うわけではない。前後を揺さぶる構成は「パルプフィクション」をはじめとした時間軸をずらすのが得意なクエンティンタランティーノ作品や誰もが勘違いをしていて誤解が誤解を生む「ブラッドシンプル」などのコーエン兄弟の映画の匂いを感じさせる。

事件に関わるそれぞれの登場人物の視点ということで作品は流れるが、最初のアリスの視点だけ触れてみる。

雪が降り積もるフランスの高原地帯が舞台。共済組合の外交職員のアリスは、変人と周囲から思われている農場を営むジョゼフに接近している。この日もジョゼフを誘惑する。しかし、いつもとは態度が違う。早々に引き上げるアリスは帰る途中、路上に放ってある車を見かける。

自宅に帰ると、TVニュースでエヴリーヌという女性が行方不明になって車だけ残されているのを知る。アリスの夫である牧場主のミシェルは、家でパソコンの画面に向かっていて関心もなさそうだ。やがて、アリスの家に警官が聞き込みにやって来る。仕事柄ジョゼフについて何か知っているか?と聞かされる。どうやら、エヴリーヌの失踪について、ジョゼフに疑惑があるようだ。


先ほど会ったとき、ジョゼフの様子もおかしかったので、アリスは気になりジョゼフの家に向かう。誰も出てこないので奥へ行くと、愛犬の無惨な死体を見つける。ようやくジョゼフが出てくるが、追い出される。アリスが家に戻ると夫のミシェルの様子がおかしい。電話口で大声を出した後に外出してしまう。

この辺りで第一話が終わる。第二話のジョゼフの視点からは語るのをやめておこう。ここでも真実はわからない。第三話では死んだエヴリーヌとレズの関係にあったマリオンが話の中心になる。この映画では、普通では考えられない異常行動を起こす人と人を欺く人物を数人登場させ普通の人に混ぜる。登場人物の設定はうまい。



⒈伏線が意味を持つ
この映画の綿密な脚本の設計図の前提に、伏線となるセリフをいくつも散りばめているというのがある。第一話ではアリスがいて,仲の良いのジョセフが疑われていると言う事実しかない。犯人は到底特定できない。でも,アリスやジョセフや夫のミシェルが言った一言一言に最終章に向けての伏線がちりばめられている。思いっきりジョゼフが犯人だと決めつけていきそうな流れをつくった後に、別の流れをつくる。観客に誤解させる伏線と真実への伏線をつくるのだ。


第二話は,アリスがジョセフの家を訪ねてきた直前のある事実からスタートする。一話とかぶるが、目線が違う。アリスの知らない事実がある。そのような形で、それぞれの登場人物の視点で事件の経過を追う。そして、一部ダブりながら新しい局面、真意が浮き彫りになる。重ね合わせていくと、いくつもの誤解があらわになる。誤解が誤解を生み悲劇につながる構図だ。

⒉つながりがつながりを生む社会
仕事をしていると、まったく関係のない筋が突然つながり上手くいったりいかなかったりする。居住地が数千キロ離れているところとの関係が浮き上がるのは、ネットのおかげだろう。もう100年以上前から無線にしても通信手段でワールドワイドにはなっていたが、身近で金銭的にも気軽ではなかった。ここでは、アフリカコートジボワールの詐欺グループが関与する。まだまだ貧しい国である。そんな国のあんちゃんでも関わりが出てくるのがネット社会の怖さでもある。インチキにはご注意を


いずれにせよ、ここではこれ以上ネタバレは省きたい。観客を欺きうならせるための脚本の設計図の見事さに身を任せて欲しい。必見のミステリーである。最後の締めもそうくるかと思わず唸った。
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