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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

ア・ハード・デイズ・ナイト ビートルズ

2010-11-26 20:32:28 | 映画(洋画 69年以前)
ビートルズの映画を久々にみてみたくなった。
最近会社や自宅の車でかけているのが初期のビートルズ音楽なのである。「ハード・デイズ・ナイト」はビートルズの忙しい日常をドキュメンタリータッチで描くことにしたコメディ映画である。ジョンとジョージが故人となった今全盛時代のビートルズを描いたこの画像は貴重なものと言える。
初めてこの映画を見たのは中学生の頃だった。友達と行った映画館でコメディタッチの展開にひたすら笑いまくった印象がある。オープニングの女の子たちに追いかけられる場面はあまりに有名、スタートの「ア・ハード・デイズ・ナイト」の音楽を聞いていると心がうきうきする。中学時代はビートルズの曲はいずれも擦り切れるほど聞いた。今もカラオケで「オールマイラヴィング」は定番だ。



実際のビートルズが映画の主人公。熱狂的な女の子に追いかけられる中汽車に乗り込む4人であった。そこにはすっとぼけたポールの祖父が乗っていた。ピント外れた彼が彼ら4人やマネジャーを振りまわしているうちにリンゴが行方不明になってしまうという展開。。。


ドキュメンタリーとフィクションが混ぜ合わさったような本作品は、ビートルズのメンバーそれぞれのキャラクターと、熱狂的なファンたちを映像にとらえることに成功している。中期から後期にかけてはライブをやらなくなった彼らが世界をかけめくっているころである。深く考えず、人気絶頂の雄姿を見ていればいいのではないか?
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王様と私 ユルブリンナー

2010-11-25 18:25:42 | 映画(洋画 69年以前)
「王様と私」は1956年映画の全盛時につくられたミュージカル映画である。タイ国王を演じたユルブリンナーがこの映画で大スターとなる。デボラカーが宮廷の家庭教師を演じて、ウェストサイドストーリーでも抜群の存在感を見せたリタモレノがビルマからの貢ぎの女性を演じる。一夫多妻制のタイ王朝の宮殿の中で、大奥のような世界に飛び込むデボラカーだ。でも気分は明るく陰険さは全くない。
ユルブリンナーがデボラカーと「シャルウィーダンス」で踊るシーンはあまりにも有名。このシーンをみると背筋がぞくっとする。


1862年、アンナ夫人ことデボラ・カーは息子を連れてシャム王ことユル・ブリンナーの王子や王女らの家庭教師としてイギリスからシャムに渡る。バンコックの港では王の側近である首相の出迎えを受け、王の宮殿へ向かう。
王はビルマ大公の貢物、美姫ことリタ・モレノを受け取ったところ。デボラカーを後宮へ伴い正妃を始め数多くの王子、王女らを引合わせる。デボラは王の子女の教育について正妃の援助を受けることになり、リタモレノは妃達に英語を教えることになる。デボラはリタモレノの恋人がビルマから彼女を連れてきた使者と知り、何とか心遣いをしてやった。次代の王は、デボラの示す世界地図を見てシャムは地球上の小国と言い出し、驚いた王は授業参観に赴く。自分が英人から野蛮人と考えられていると知った王は、保護国の資格を失うと考えるが。。。。

デボラカーの歌声は肉声ではない。裏で歌うのはこの後ウェストサイドストーリーやマイフェアレディなど一連のミュージカル映画大ヒット作で歌声を披露した女性マーニ・ニクソンである。彼女はサウンドオブミュージックで修道女の役を演じて、正体を現しているが、別にルックスに問題があるわけでない。素敵な女性である。個人的にはウェストサイドストーリーでナタリーウッドが歌う「トゥナイト」のシーンが好きである。あの歌声の響きは思い出すだけで背筋に電気が走る。
同じくウェストサイドストーリーでのリタモレノの存在感は大きかった。あの映画でのダンスは完璧だと思う。この映画を観て、リタモレノの美貌に驚いた。一瞬彼女だとわからなかった。ハリウッド女優が東洋人を演じるのは「慕情」でジェニファージョーンズが演じた混血の医師が有名である。意外にそれらしく見えるものである。



ユルブリンナーにとってはこんな適役はなかったろうと思う。最近は日本でも潔く?頭を剃る人が多い。見ようによっては与太者にも見えてしまうが、スキンヘッドが珍しくなくなった。でもスキンヘッドの代名詞は今でもユルブリンナーだと思う。

「王様と私」は舞台を映像にしたような映画である。全部セットなので実際のタイが出てくるわけではない。でもそのほうがいいだろう。それにしても適役って言うのはあるんだなあとつくづく思う。
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駅馬車  ジョンウェイン

2010-10-25 04:51:40 | 映画(洋画 69年以前)
1939年制作「駅馬車」はジョンフォード監督による西部劇の古典的名作である。ジョンウェインとのゴールデンコンビのスタート作だ。あまりにも有名なテーマソングに乗せて軽快に駅馬車がスタートするが、途中アパッチの襲撃を受けて大混乱する構図である。インディアンとの抗争というのが西部劇の定番だった。現在では人種差別問題でこういう映画はつくれないので貴重な存在となりつつある。



1885年、アリゾナのトントからニューメキシコのローズバーグまでの路は、駅馬車で横切って2日を要した。軍隊にいる夫のもとへ行く身重の若い妻。妻子の許へ帰る途中のウィスキー行商。酔いどれの医者。紳士風のギャンブラー。もう1人の女性は娼婦だ。この一行を護衛するのは警察部長だ。アパッチ族の反乱があって連絡の電信が切断されている。次の駅まで騎兵隊が送って行くことになった。町はずれで、黒鞄を大事そうに抱えた銀行家が乗込んだが、電報が来たので急行するという彼の言葉に警察部長は疑いを抱いた。荒漠たる平原を進んでいる途中で馬車を止めたのはリンゴ・キッドことジョンウェインだった。彼の父と弟を殺した上、彼に濡衣を着せて投獄した3兄弟を討つため、ローズバーグへ向かう途中だった。警察部長は脱獄囚と承知しつつ、ジョンを駅馬車に乗せて同行せしめることにしたが。。。。

モニュメントバレーの景色は美しい。その中をテーマソングに乗せて軽快に駅馬車は進む。しかし、駅馬車の中はいわくつきの人間だらけであった。人間ドラマとして観ると趣きのある映画だ。これを模倣してつくられた人間ドラマがいかに多いことか!古今東西の映画のベンチマークであるこの作品を観ると、あとの脚本が陳腐に見えてくるのは自分だけであろうか。



ともかく、この映画のクライマックスは、アパッチ軍団と駅馬車の並走である。映画史上に名高いこの名シーンで、馬の乗り移りを演じたスタントには改めて敬意を表したい。よくぞ一発勝負で写したものである。すごい迫力だ。同様に馬から転げ落ちるスタントもすごい。そのアップテンポのシーンを観るだけでも価値がある。

ジョンウェインはまだ若い。映画としての完成度では、カラー作品ということもあってか「捜索者」の方が上回ると思う。しかし、この映画が見せる荒々しさと浪花節的人間劇は心に強くインパクトを与える。
この映画の曲はどれも小さいころから何度も繰り返し聞いてきた曲である。誰もがこの映画を観て同じようなことを感じるであろう。ある意味心のふるさとのような映画だ。
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深夜の告白  映画史上最高の悪女

2010-10-24 06:50:48 | 映画(洋画 69年以前)

映画史上ベスト5に入るといわれている悪女がいる。これが巨匠ビリーワイルダー監督の1944年の名作「深夜の告白」の女主人公バーバラ・スタンウィックだ。


保険金詐欺事件は映画やテレビの2時間ドラマで何度も繰り返し取り上げられている。そのはしりになったのがこの作品だ。時代背景こそ違うが、この映画のもつダークな匂いは何度見ても幻惑させられる。ウディアレン監督のベストワンはどうもこの映画らしい。

深夜のロサンゼルス。フル・スピードで走ってきた車が保険会社の前で止まり、勧誘員ことフレッド・マクマレイがよろめきながら下りてきた。彼は会社の自室に入り、テープレコーダーに向かって上役ことエドワード・G・ロビンソンに宛てた口述を始めた--。
数カ月前、主人公の保険勧誘員は自動車保険をかけている顧客を訪ねた。夫が不在で、夫人ことバーバラ・スタンウィックに会った。翌日再度顧客である夫へのアポイントで訪れたが、夫人しかいなかった。夫人から夫名義の保険が内緒で加入できるかの問い合わせがあった。勧誘員の主人公は保険詐欺の匂いを察知してその場を立ち去る。しかし、夫人は主人公のアパートを訪れ、後妻である自分の辛い身の上を話し、夫を殺してそれを事故死と見せ、保険金を取ろうともちかけた。

最初は当惑する主人公も、美しい彼女の魅力に負けて、ついに計画を手伝う破目になった。そして、経験上あるゆる事象を想定した完ぺきな計画を練る。夫から自動車保険の更新という名目で傷害保険のサインを詐取して保険に加入するが。。。



主要な出演者は少ない。主人公の二人、顧客である夫とその娘、娘の彼氏、保険会社の上司くらいだ。ミステリーの要素を強くもつこの映画ではその全員をうまく活用する。原作「倍額保険」を脚本化するにあたり、ビリーワイルダーは作家としても名高いレイモンド・チャンドラーと組んだ。二人の意見が合わなかったと噂で聞くが、お互いのいいとこどりをした匂いが感じられる。シリアスな雰囲気の中にもビリーワイルダー特有のユーモアのセンスも感じられる。またチャンドラーのきざなセリフも冴える。

保険詐欺を見破る調査員というべきクレームマネジャーを演じるのがエドワード・G・ロビンソンである。これが実にうまい。自分の第6感と綿密な調査に依り、数多くの疑わしい保険請求を退ける。しかし、その一面だけでなく、ユーモアのセンスを残す。ビリーワイルダー監督「情婦」で言えば、弁護士役のチャールズロートンを思わせる。ビリーワイルダーは晩年に入り、ジャックレモンを中心にしたコメディが中心となった。それまでは美男美女のハリウッドスターを中心に配置している。その時でも必ず、腰を据えた脇役に重要な役を演じさせ、その役のセリフに重要な意味を持たせる。そこがうまいと感じる。



世紀の悪女を演じるバーバラ・スタンウィックは2度結婚したけれどレズビアンのうわさがあったという。相手はなんとディートリッヒとジョーン・クロフォードという映画史上に残る名女優だ。ディートリッヒ「セックスは女とするほうがいいけど、女とは暮らせない。」といったそうな。クロフォードが死んだ時、部屋にあった写真はケネディ大統領とバーバラ・スタンウィックらしい。そういうキャラを持つ彼女は悪女にうってつけだ。そのクロフォードのライバルであったベティ・デイビスも悪女の極みをいっていた。
ベティ・デイビスは1908年生まれ、バーバラ・スタンウィックは1907年生まれだ。この二人がハリウッドの全盛時代に大女優として君臨した。日本が戦争で大変なことになっていた時代なのに、海の向こうはすごかった。

深夜の告白
映画史上に残る悪女
 
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汚名 イングリッドバーグマン

2010-10-17 22:28:31 | 映画(洋画 69年以前)
アルフレッド・ヒッチコック監督の1946年の作品である。ヒッチコックの常連の二人、ケイリーグラントとイングリットバーグマンによるハラハラドキドキ劇である。かなり強烈なキスシーンが頻繁に出てきて、恋愛モノの要素も残す。



主人公ことイングリッド・バーグマンの父親がドイツナチスのスパイとして懲役20年の判決で収監される。そのことへの失望と周りからの冷たい目に落ち込んでいた彼女であった。その夜開いたパーティで、彼女はハンサムガイのケイリーグラントと知り合う。まもなく彼がアメリカのFBIの一員と知り、彼女は一瞬引くが、彼に強く惹かれて恋に落ちる。グラントは南米にいるナチ残党を探る重要な職務にあった。リオにいるナチ残党をよく知っているバーグマンを利用する目的で近づいた。グラントは強く同行するよう頼む。グラントに強く惹かれたこともあり、彼女はリオに行くことを承諾する。

ケイリーグラントと一緒にリオ・デ・ジャネイロに行き、好きな男性との恋の戯れに陥る。しかし、彼女はナチ残党の首謀者クロードレインズに色仕掛けで近づくことをグラントの上司に命令される。彼が以前父親の相棒だったことから、容易に首領の家に入り込むことに成功した。美しいバーグマンを愛した彼は彼女に求婚する。それでも、彼女にスパイとしての行動を強いるグラントは複雑な気持ちになるのであるが。。。。



ヒッチコック監督作品の順番で行くと、「白い恐怖」の後である。連続してイングリッドバーグマンの主演である。ロッセリーニ監督との恋の逃避行に行く前のバーグマンは、ハリウッドのまさに女王的存在だったと思う。ケイリーグラントと一緒に出ると、白黒場面でも非常に優雅な感じがする。
ヒッチコック監督特有の小技とハラハラドキドキ場面がここでもいくつか出てくる。しかし、それ自体は5年後の「見知らぬ乗客」あたりの方が冴えを見せるような気がする。むしろ、主演二人の優雅さに注目した方がいいのではないか?最初にこの映画を観た時に、あまりに二人のキスシーンが多いのでドキドキした。どちらかというとキスをしているバーグマンの目もうつろである。本気度抜群の印象だ。



あとはナチの首謀者を演じたクロードレインズに注目した。バーグマンとは名作「カサブランカ」でも一緒である。新しい恋人とのまさしく逃避行の際に、浪花節的知らぬ存ぜぬを通した警部役は目に焼きつく。「アラビアのロレンス」でも英国軍参謀の役を演じる。その活躍と比較すると影は薄いが悪くない。

1946年というと、終戦の翌年昭和21年である。昭和21年の日本映画はどれを見ても非常に稚拙なセットで、終戦後の猥雑さを示している。それと比較すると、主人公二人の優雅さもあってか当然ながらあまりの違いに驚く。ヒッチコック作品はサスペンス要素を楽しまさせてくれるだけでなく、当代きってのハリウッドスターをそろえることで優雅な雰囲気にさせてくれるのがいい。2度3度みてもあきない。
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シェーン  アラン・ラッド

2010-10-03 10:03:25 | 映画(洋画 69年以前)
「シェーン」は映画ファンなら誰でも知っている作品。ラストで少年が「シェーン」と呼ぶシーンはあまりにも有名である。最近ジョージ・スチーヴンス監督の「陽のあたる場所」を観て無性にシェーンを観てみたくなった。今観ると、子供の演技がわざとらしいなあと感じるのと何でこんなに殴り合いのけんかをするのかが奇怪である。

ワイオミングの高原地帯、父母息子家族3人のスターレット一家に1人の流れ物のガンマンことアランラッドがやってきた。男はそこで水をもらい、家族の好意で泊めてもらうことになった。男は名をシェーンと名乗った。
一家はかねてから利害の反するライカーの一味に悩まされていた。そこで冬まで働いてくれないかとシェーンに頼み、スターレット一家に厄介となる。しかし、開拓移民と牧畜業者の間で騒動が飛び火し、シェーンは、彼らの間に割って入っていくことになる。ライカーは腕利きのガンマンを雇ったようだが。。。。



有名な主題の音楽は美しいが、バックの音楽がうるさすぎである。1950年代あたりの映画ではそう思うことが多々ある。
演歌でよく盗作騒動があり、そのたびごとにそもそも演歌の節回しはみな同じようなものだからとおさまることがよくある。西部劇のストーリーも同じようなものである。先日イーストウッドの「ペイルライダー」を観たが、意地の悪い人だったら、「シェーン」の盗作と言うであろう。西部劇のネタには限界があるかもしれない。



そんな中見せ場をいくつか作る。酒場での乱闘シーン、アランラッドの早打ち、そして有名なラストシーンとそこに至るまでのアランラッドのきざなセリフなど、好きな人は何度も繰り返し観ているだろう。なんとシェーンの死亡説まであるそうな!?確かに左腕がぶらんとしているのは気になる。でもビートルズの「アビーロード」のジャケットにおける死亡説と大差はないだろう。
映画っていろんな解釈ができるんだろうと思う。
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陽のあたる場所  エリザベス・テーラー

2010-09-16 05:59:15 | 映画(洋画 69年以前)
「陽のあたる場所」は、ジョージスチーヴンスが1951年のオスカー監督賞を受賞した作品である。当代きっての大スターだったモンゴメリー・クリフトとエリザベステイラーの共演。婚約している女性がいるのに、美しい上流のお嬢様と付き合ってしまい、あたふたしてしまう男性の物語だ。華やかな二人のジャケットとは裏腹にせつない思いを感じてしまう映画だ。



主人公モンゴメリー・クリフトは貧しい家に育ち、シカゴのホテルでボーイをしていた。水着製造工場を経営している伯父に会い、幸い彼の工場に職を得た。伯父の家で上流家庭の娘エリザベス・テイラーに会い、心を惹かれたが、彼には身分違いの遠い存在に思えた。モンゴメリーは同じ工場で働くシェリー・ウィンタースとある夜映画館でふと隣合わせになったことをきっかけに付き合い始めた。会社では男女社員の交際が御法度になっていたので、2人は人目を忍んで逢っていた。
モンゴメリーは社長である伯父のパーティに招かれ昇進を告げられた。そしてエリザベスと再会した。エリザベスも強く彼にに惹かれた。その日はちょうどジョージの誕生日だった。シェリーはアパートでささやかなお祝いの準備をして待ちかねていた。彼女は妊娠していたのである。ところが、エリザベスもかなり彼に熱を上げるようになり、モンゴメリーは彼女の別荘に招待され両親に会うことになるが。。。。

石川達三原作の「青春の蹉跌」を思わず連想する。映画ではショーケンと桃井かおりが主演で、檀ふみが御令嬢を演じた作品であった。話の構図は似ている。同じようなパターンはテレビドラマでもこれまで何度もつくられてきたかもしれない。最近ではウディアレン監督スカーレットヨハンソン主演「マッチポイント」も同じようなパターンだ。でもこの映画の方がせつなくなる。
「ミリオンダラーベイビー」もそうだが、観た後にどうにもやるせない映画ってある。この映画はその一つであろう。脚本のやるせなさは強く自分にインパクトを与える。主人公の彼女のことをいとおしく感じてしまうのは自分だけであろうか?

50年前の作品なだけに映像処理はどうしても一時代前の感覚である。アップを強調している。当時アップの強い作品が撮影賞をもらったパターンがあるのかな?「波止場」も同じような感覚だ。それにしても全盛時のエリザベステーラーの美貌はただものではない。
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マーティ  アーネスト・ボーグナイン

2010-08-21 05:54:36 | 映画(洋画 69年以前)
「マーティ」は1955年のオスカー作品賞である。ロバートアルドリッチ作品で強烈な個性を見せる彼が風采の上がらない独身男を演じてアメリカの大衆から支持を得た映画といわれていた。DVDレンタル化して初めて観た。オスカー作品といわれると少々首をかしげる。

ニューヨークの肉屋に働いているマーティことアーネスト・ボーグナインは風采の上がらないイタリア系の34歳の男で結婚せずに母と2人暮しをしていた。良い相手があったら早く身をかためたいとあせっていた。マーティは親友とダンスホールへ行った。マーティは相変らず、まごついていた。パートナーとなった青年が置き去りにした娘が、そっとバルコニーに出て泣いているのに気がついた。マーティは遠慮深く声をかけて、彼女と踊ってから近くの店で遅くまで話し込んだ。娘は29歳で高校の化学の教師をしていた。マーティは心が傷ついている彼女と意気投合したのであるが。。。



1時間半の映画の中でいくつもの問題にスポットをあてる。大戦後のアメリカの一般家庭で問題になっていたことなのであろうか?もてない男の結婚問題、大学を出ているのに独身でいるインテリ女性の結婚問題、イタリア系と他民族との結婚問題、嫁姑問題と同居がいいのかどうかの話など。。
いわゆるホームドラマの延長と考えていい映画だ。とらえる話が多すぎて時間が足りない印象を受けた。

アーネスト・ボーグナインはロバートアルドリッチ映画では独特の風貌で圧倒的な存在感を誇っている。「特攻大作戦」「ワイルドパンチ」は映画史上でも名作といわれる作品だ。むしろ悪役をやらせる方があっているが、ここで見せる善良な男も悪くない。本当の彼はきっとこの映画のようにいい男なのであろう。私生活では5回も結婚して90過ぎてまだ存命と聞く。
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草原の輝き  ナタリー・ウッド

2010-08-01 20:39:40 | 映画(洋画 69年以前)
「エデンの東」「波止場」のエリアカザン監督の61年の作品である。「俺たちに明日はない」のウォーレン・ベイティと「ウエストサイドストーリー」のナタリーウッドが主演する青春モノである。恋の行き着くところがどこまでなのかを模索している高校生の微妙な心理を描く。1920年代の設定なので、アメリカの若い高校生も行き着くところまで行き着けないもどかしさを感じている。大恐慌前の能天気な20年代の時代背景も読み取れるのもよい。



1920年代のある地方都市、高校に通うウォーレン・ベイティとナタリー・ウッドは恋人同士である。オープンカーを乗り回してのデートで、キスを交わす仲であるが、それ以上は進めない。貞操観念をどこまで持つべきなのかで悩んでいる。事業を営む父の希望でエール大学へ行こうとするが、成績はふるわない。そんな彼に別の女の子が積極的に近づいていき、ウォーレン・ベイティがつまみ食いをしてしまうが。。。。

村上春樹は「この映画を想うと哀しい気持ちになる。」と述べている。
確かに純愛を基調とする彼の作品に相通じる部分がある。同時に普通に付き合っている二人に別の女性が割り込んで、もとの女性が激しいショックを受けるという設定も彼の小説にはよくみられる。ということは、同じようなことが彼の体験にあるのであろう。

この映画の中で、親たちが株の急上昇であぶく銭が入って大喜びするシーンが出てくる。1920年代のアメリカはそういう時代だったのであろう。ある意味日本のバブル時の熱狂に相通じる部分もある気がする。エリアカザン監督は「エデンの東」では商品取引にスポットをあてた。彼が共産主義者からの転向組であるのは有名な話だ。金にかかわる話には映画監督の割には敏感なのかもしれない。

それにしても1920年代といえば、日本では大正末期から昭和一桁だ。今の高校生とそん色ない服を着て、スクールパーティを実際にやっていたと思うと、驚かされる。ナタリーウッドがパーティによく映える。この映画の前に史上最高の西部劇といわれるジョンウェイン「捜索者」では、インディアンに同化するかわいい少女を演じていた。このあとに「ウェストサイドストーリー」で主役を張る。その人の美しさの絶頂期を観るのは気分がいい。この作品では風呂場での派手なオーバーアクションが印象的だ。

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荒野の七人  ユル・ブリンナー

2010-06-27 20:31:23 | 映画(洋画 69年以前)
「荒野の七人」はいわずと知れた黒澤明監督「七人の侍」のアメリカ版リメイクである。今だったらギャラにいくらかかるんだろうと思わせる豪華キャストである。エルマーバーンスタインの映画音楽が非常に画像にマッチしていて、気分を高揚させる。
イーストウッド主演「荒野の用心棒」が黒澤の「用心棒」をストーリーを完全にパクっているのに対して、この映画は七人のキャラも若干変えて、まったく同じにはしていない。「用心棒」のように一対一の戦いではないので、まったく同じにしづらい部分も多かったであろう。後半戦の盛り上げは本家に比べて落ちるが、ユルブリンナーの颯爽たるリーダーぶりはもう少し評価されてしかるべきだと思う。

メキシコのある農村には収穫の季節になると、たちの悪い盗賊たちがいつも来て収穫の農作物をさらっていった。そのことは村中の悩みであった。そこで村人3人が盗賊たちに対抗するために助っ人を探しに旅にでる。ある町でユルブリンナー扮する浪人のガンマンがスティーブマックイーンとくんで町人たちを札付きたちから助ける場面に直面する。その直後に農民3人はユルブリンナーのもとを訪れて事情を話し、自分たちを助けてくれないかと懇願する。態度を保留するが、結局引き受けることになり、仲間を探しはじめる。報酬が安いため、二の足を踏むガンマンたちだが、結局引き受けることになり7人が農村に向かう。農村では暴れ棒たちの来襲に備えて、防御のための石垣を積んだり、銃の演習をしたりして防戦の準備に入ることになるが。。。。

本家と比較すると、当然ながら役者の面構えがちがう。60年代初頭のユルブリンナーはまさに絶頂のとき、リーダーぶりに貫禄を感じる。実にかっこいい!本家のリーダーは志村喬であるので、戦略家とプレイヤーの要素が入ったリーダーとの違いがでてくる。彼とマックィーンの存在でリメイク映画のいやらしさを消している。



この映画を機として人気が出てくるスティーブ・マックィーンやジェームス・コバーンもいい。スティーブ・マックィーンは何せかっこよすぎる。本家の作品で宮口精二が演じた剣の達人に対応するのがジェームス・コバーンである。宮口精二が宮本武蔵的な修練の鬼のような日本人的達人であるのに対すると、若干違うがイメージは同じであろう。



チャールズ・ブロンソンもいい味出している。この映画では村の子供たちとの彼の会話に重みを持たせている。ブロンソンは70年初頭「マンダム」のコマーシャルで日本中を沸かせたものだった。自分の部屋にもひげのブロンソンのポスターが貼ってあった。あの人気ぶりは異常だったと思う。この作品やアルドリッチ監督「特攻大作戦」のころの彼もいいと思う。



本家で三船敏郎と木村功が演じていた役を混ぜて一人の農民出身の若者を登場させる。ドイツ人の俳優と聞くが、この映画では重要な役である。黒澤明は未熟者と達人を一緒に登場人物として、その対比を示すのが得意である。宮口と木村を対比させた「七人の侍」もそうだし、三船と志村を対比させた「野良犬」も同様である。ここではそんなに顕著には対比を出してはいない。この観点でみると黒澤映画の人物設定の重みを感じる。

音楽もいいし、途中までは快調だけれども、締めに向かってがちょっと弱いなあ!
あの雨の中の戦いのようなスリリングさにかけるのではないか?
改めて「七人の侍」が海外でもあれほどまでに評価されるのがわかる気がする。

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華麗なる賭け  スティーブ・マックイーン

2010-06-17 19:43:42 | 映画(洋画 69年以前)
60年代らしいスティーブ・マックィーンとフェイ・ダナウェイの人気絶頂のコンビによるアクション映画である。銀行強盗の親玉マックィーンを保険調査員フェイダナウェイが色仕掛けで追いかける奇想天外な流れである。

一人のセールスマンが現金輸送を依頼される場面からスタートする。同じようにバラバラに役割分担を受けた5人が組んで銀行強盗がなされる。200万ドル奪われる。スティーブマックィーンは大富豪なのに現状で満足しない。奪われたほうの側は美貌の保険調査員フェイダナウェイを犯人探しとして登場させる。彼女はすぐに犯人をスティーブに絞って、彼に近づいていく。そして彼本人に率直に「あなたが犯人でしょ」と言う。お互いに関心をもった二人はより近づいていくようになるが。。。。

車好きのスティーブマックィーンらしく、次から次へと60年代の名車が出てくる。色合いも良く映える。海辺をオレンジのサンドバギーで走るシーンはなかなかかっこいい。黄色のセスナ機もいい感じだ。



音楽は古い匂いが強い。でも60年代の匂いが強いのは悪くはない。
自分が小中学生のころは、アクションスターといえばスティーブ・マックィーンだった。「ブリット」のカーアクションは有名だが、「ゲッタウェイ」のドタバタ逃亡劇も実に良かった。早くなくなったは残念だ。
フェイダナウェイは「俺たちに明日はない」の後で、この後ヒットの連発であった。
ここでも素敵な姿を見せている。
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波止場 マーロン・ブランド

2010-06-16 16:10:12 | 映画(洋画 69年以前)
エリアカザン監督の「波止場」はアカデミー賞8部門を受賞した作品である。若き日のマーロンブランドが主演
ハドソン川に面したニュージャージーの波止場で暮らす荷役たちの話である。
スタートは何かよくわからないなあといった印象だが、途中からエンジンがかかって後半にかけて大きく盛り上げる。マーロンブランドよりも脇役の活躍が非常に印象的だ。

ニュージャージーの波止場で飛び降り死傷者がでた場面からスタートする。波止場の荷役を仕切る顔役ジョニーの悪さ加減の証言を口封じといったところだ。死んだ男の妹エヴァ・マリー・セイントは非常に悲しむ。マーロンブラントは荷役の一人、顔役の子分ロッドスタイガーの弟でボクサーあがりであった。八百長試合でボクサーを辞めている。飛び降りる直前に死んだ本人に会っていた。
マーロンブラントは妹エヴァと出会う。彼女に強く惹かれる。そして、良心の呵責から兄や親分寄りではない行動を起こそうとする。

エリアカザンといえば、最初に「エデンの東」を観たとき、退屈で寝てしまった。2度目に観たときも最初が凡長で退屈で、途中から最後にかけておもしろくなってきた印象であった。「波止場」も同様である。登場人物同士の関係がよくつかみづらいし、レナードバーンスタインの音楽がちょっとうるさすぎてごちゃごちゃした印象だ。映画館にいたらたぶん寝てしまったかもしれない。
でも途中からさえる。撮影もよく、アップを効果的に使っている。
個人的には最初から飛ばしてもらわないとおもしろくない。でもここまで途中から盛り上げてくれたら許そうか。

この映画で冴えるのはリーJコッブの親分役だ。顔つきがいい。ネタばれになるのであまり語れないが、後半戦でのマーロンブラントとの絡み合いは見ごたえがある。

マーロンブラントの恋人役のエヴァ・マリー・セイントを観て、どこかで観たなあとおもった。
しばらくして「北北西に進路をとれ」のケイリーグラントの前に現れるなぞの女というのに気づいた。
「波止場」でオスカー助演女優賞をもらっている。

ロッドスタイガーもでてくる。この作品から10年後に「夜の大捜査線」でオスカー主演男優賞をとる。
本来主演はシドニーポワティエで、彼自体は助演賞じゃないのという気もする。
この作品ではまだ若い。10年後にみせる荒々しさはない。

レナードバーンスタインはどちらかというと指揮者としての巨匠のイメージが強い。ここではやけにうるさい。映画にはあまりあっていない気がする。「ウェストサイドストーリー」の方がまだいい。
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愛情物語  タイロン・パワー

2010-06-03 20:06:43 | 映画(洋画 69年以前)
タイロンパワーが成り上がりのピアニストを演じる物語。原題はモデルのピアニストの名前のまま「エディ・デューチンストーリー」である。最初の妻を当時人気絶頂のキム・ノヴァクが演じる。

ボストンのピアニストであるタイロンパワーは、ニューヨークのクラブのバンドマスターを訪ねてきた。バンドマスターがボストンに来た際、ピアノがうまいから来いよと言われ、空約束を本気にして、どびこみで来たのである。
ところが相手にされない。
やけくそでピアノを弾き始めたら、非常に美しい音色をだす。それを聞いていたセレブのご令嬢キム・ノヴァクが音楽に魅せられて、ちょっとクラブで使ってみたらとバンドマスターに頼む。使ってみたら非常にいいセンスをしている。最初はメインバンドの合間との演奏とのことだったが、次第に頭角を現す。
ショパンの「ノクターン」を現代風にアレンジしたテンポ良いピアノが好評で、社交界の紳士淑女が集うクラブで名を上げていく。クラブに出入りしているブルジョアの娘キム・ノヴァクと良い仲になっていきやがて二人は結婚するのであるが。。。。



ピアニストを演じるといっても、演奏する際は鍵盤をたたくところをクローズアップさせて本物のピアニストが弾くのが通例。ここでもそのようだ。
しかし、映画ではタイロンパワーがいかにも弾いているように見える。
彼の履歴を見るとピアニストだった形跡はないけれど、もしかして本気出して練習したのかなあ
物語では割と悲しいことがあったりするんだけど、そんなに暗いムードが出ない。
メインは古きよき時代の社交界ダンスミュージックでテンポがいいので聞いていて楽しい。

まだまだ映画全盛の時期のいい映画である。
キム・ノヴァクもここでもきれいだ。
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ピクニック キム・ノヴァク

2010-05-23 13:37:12 | 映画(洋画 69年以前)
アルフレッドヒッチコック監督の作品で「めまい」が再評価されているようだ。1958年の色鮮やかなカラー作品で、美しいサンフランシスコの街を舞台にして一人の美人の人妻を尾行するジェームス・スチュアート主演の作品だ。

この作品で妖艶な演技を見せるのがキムノヴァクだ。思わずドキッとさせられる美しさに圧倒させられる。その彼女が「めまい」の3年前に撮った名作が「ピクニック」である。22歳のキムの清純な美しさが際立ち、ウィリアム・ホールデンがいかにも彼らしいチャランポラン男を演じる。彼にとってはボガード、ヘップバーン共演「麗しのサブリナ」と香港を舞台にした「慕情」の映画史上に残る2大名作の間に作られた絶頂期の作品である。

9月の初旬、貨物列車に乗ってウィリアム・ホールデンがカンザスにやってきた。大学時代の同窓だった金持ちの息子を訪ねてきた。街を歩いていて、無一文の彼は老人の女性が一人住む家で庭掃除をさせてくれと頼む。彼の身なりを見かねた老婆は飯を食べさせてあげる。その隣の家にいるのがキムノヴァクである。母親と妹、居候の独身の女教師の3人と一緒に住む。昔の同級生はどうも彼女に求愛をしているらしい。キムに聞いた昔の同窓の居所を訪ねていき、ウィリアムは歓待された。そして町で恒例の集団ピクニックにキムの家族や同窓生と一緒に参加することになるが。。。

私が思うピクニックという言葉の響きは、家族や仲間と一緒に郊外へ弁当を持って散策にでる響きである。基本的には同じニュアンスであるが、この映画でのピクニックは集団ピクニックと夏祭りを併せ持った町のお祭りである。そのセレモニーの様子をじっくり映画で描いていく。朝鮮戦争以降、ベトナム戦争前の平和だったアメリカの地方都市の祝い事の様子がわかる。貴重な映像だ。

ウィリアム・ホールデンとキム・ノヴァクが名曲「ムーングロー」で踊るダンスは名シーンである。奇妙に頭に残る。



うまいダンスではない。キムのしぐさには男をメロメロにする強いオーラがある。でもその恋愛に焦点を合わせるだけでない。キムの家族の性格、心理描写に奥深く入る。美人の姉に引け目を感じて勉強に精を出す男っぽい妹役と中年独身の居候女教師のふるまいが映画に味付けする。

よき時代のアメリカの姿をよくあらわした映画らしい映画を観て良かった。
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終着駅 ジェニファー・ジョーンズ

2010-03-29 06:46:50 | 映画(洋画 69年以前)
イタリアの名監督ヴィットリオ・デ・シーカを起用してハリウッド資本でイタリアの駅の別れを描く。主演はこのあと「慕情」で中国人とのハーフ医師を演じたジェニファージョーンズ、モンゴメリークリフトがイタリア人の恋人を演じる。いかにもイタリアの駅らしいせわしなさの中、ひたすら駅のみを舞台にして二人の別れの2時間を描く。



ジェニファー・ジョーンズは7歳の娘がいる人妻で、ローマでモンゴメリークリフトと恋に落ちる。しかし、家族を思うジェニファーはモンゴメリーに別れを告げずに、ローマの駅からミラノ経由でパリに向かおうとしている。そこから空路アメリカに帰国するつもりだ。あわてて家路を急いだので、荷物をおいのリチャード・ベイマーに駅まで持ってきてもらおうとした。午後7時出発の汽車に乗ろうとしたときにモンゴメリークラフトが現われる。汽車に乗ろうとしたが、別れを惜しみ二人は駅でたたずむが。。。。

ヴィットリオ・デ・シーカ監督が作る映画のバックは本当にせわしない。さまざまな通行人が次から次へと通り過ぎる。イタリア人特有の猥雑な感じだ。同じようにロケ中心の「自転車泥棒」もソフィアローレン主演「昨日今日明日」もイタリア的ざわめきを感じた。その中に二人の恋人が映る。
バックの音楽が派手に響き渡る。主題の音楽をさまざまにアレンジしながらひたすら音楽が響く。これはいい方にも悪い方にも両方にとれる。いかにも50年代の映画という匂いだ。

ストーリーは単純でたいしたことはない。なんでジャニファージョーンズがこの男に惹かれるのかがよくわからない。自分には不自然と思える場面が割とあった。
でも50年代の恋愛像と割り切ってみると、さぞかし大胆な話だったんだろうなあ?!とは思う。当時の日本の恋人たちがこの映画を観てなんとしびれたことか想像できる気がする。
あとはダイアログという名目で作家トルーマン・カポーティのクレジットがあることだ。これはセリフということか?確かにきざなセリフがいくつかある。この起用もおもしろい。「ティファニーで朝食に」よりもかなり前でまだ20代である。世間に存在感を見せつけようとしているころである。
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