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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「花まんま」 鈴木亮平&有村架純&朱川湊人

2025-04-26 09:12:46 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「花まんま」を映画館で観てきました。

映画「花まんま」朱川湊人の直木賞作品を鈴木亮太と有村架純の主演で監督三浦哲で映画化した作品である。日経新聞で何気なく読んだ朱川湊人が書いたコラムの文章に引き寄せられ、彼の小説を連続して読んだことがある。東京や大阪の下町を舞台にした怪奇じみた現実離れした要素を持つ創作話が中心だ。温かみのある文章が自分に合っていた。今から14年前に「花まんま」を読みブログ記事にupしたこともある。他にも短編集「赤々楝恋」の小説も絶品だ。

それなので、今回の映画化を知り楽しみだった。公開初日に見ようと映画館に向かう。blog閉鎖発表からのれずに映画も観る気がせずにブログ化には戸惑った。

東大阪市に兄加藤俊樹(鈴木亮平)、妹フミ子(有村架純)の2人兄妹で暮らしている。運転手だった父は妹が生まれてすぐなくなり,母親(安藤玉恵)も子供を育てるため掛け持ちで仕事をして早く亡くなった。その後東大阪の工場で働き妹の面倒を見てきた。そんな妹が今度結婚することになり、フィアンセと一緒に承諾を得ようときた。兄がいやいや承諾して結婚式を迎える前々日妹の姿が見えない。連絡はあったけど、その昔の出来事が兄の脳裏に浮かんだ。

妹が小学校に入った時、夜突然嘔吐したり、行方不明になることがあった。ある時は京都まで行ってしまった。そんな妹の自由帳を読むとむずかしい漢字で繁田喜代美という女性の名前が書いてある。まだむずかしい漢字は習っていないころだ。兄がどうしたのかと聞くと、自分の前世はこの女の人だったというのだ。

その後兄は妹から自分が住んでいた滋賀まで一緒に行ってくれないかと頼まれる。母親に言うと心配するので動物園に行くとウソをついて電車に乗り向かった。

小説のクライマックスの場面で思わず大粒の涙を流してしまった。

朱川湊人花まんまは短編小説である。映画化するにあたり、原作を大きく脚色して元々の小説の世界を広げた

短編小説について吉行淳之介がこんなことを言っている。名言だ。

「長い棒があるとしますね。長編は左から右まで棒の全体を書く。短編は短く切って切り口で全体をみせる。あるいは、短い草がはえていて、すぐ抜けるのと根がはっているのとがある。地上の短い部分を書いて根まで想像させるものがあれば、いくら短いものでもよいと思う。」

吉行の言う「地上の短い部分」に関して、朱川湊人が絶妙のタッチで書いた文章に映画は忠実である。それに加えて「根を想像して」現在の婚約が決まった兄妹の世界を脚色している。小説でサラッと流した大学の助教であるフィアンセにも存在感がある。結婚式の場面などのディテールには若干無理のある設定が目立つ。でも目をつぶってもいいだろう。

小説のクライマックスがある。父娘の厚情を示すシーンには弱い。その場面を実像の映像で観ると、泣けて泣けて仕方なかった。加えて小さな弁当箱に食べ物に似せた花が詰まっている「花まんま」も文章でなく実際に見ると感動する。最後まで効果的に使われていた。

実はこの映画を観るまで知らなかったが、主演の鈴木亮平も有村架純も関西出身だ。自分も転勤で5年大阪に住んだ。エセ関西弁はすぐわかるし不自然だ。コテコテの関西を描くには、ネイティブな言葉を話す関西人を起用するかしないかで映画のレベルが変わる良い例だ。2人が住む戸建も小さい頃住んだ文化住宅もいかにも大阪らしい風景だ。古い建物が建ち並ぶ滋賀の風景もよく見える。ロケハンには成功している映画だ。

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映画「ブリジットジョーンズの日記 サイテー最高な私の今」 レネー・ゼルウィガー

2025-04-17 17:16:09 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「ブリジットジョーンズの日記 サイテー最高な私の今」を映画館で観てきました。

映画「ブリジットジョーンズの日記 サイテー最高な私の今」レネー・ゼルウィガー主演の「ブリジット・ジョーンズの日記」シリーズ第4作である。今回はマイケル・モリス監督がメガホンをとる。公開中の映画ラインナップはアクション映画でも敵討ち物語のような精神を尖らせる題材が多く、つい「ブリジットジョーンズ」に目がいく。これまでの「ブリジットジョーンズ」シリーズは3作とも見ている。ただ、面白かった印象が残っていても、内容を全く覚えていない。

映画「ジュディ」では、ジュディガーランドぽいショートカットでレネー・ゼルウィガーは念願のアカデミー賞主演女優賞を受賞してキャリアに一区切りをつけた。今回はライフワークとも言える役柄に戻って熟年女性になったブリジットジョーンズを見せてくれる。

最愛の夫マーク(コリン・ファース)が4年前にスーダンでの人道支援活動中に亡くなり、ブリジットジョーンズ(レネー・ゼルウィガー)は2人の子育てに追われるシングルマザーとなった。元カレだったダニエル(ヒューグラント)も家族の面倒を見てくれる。昔からの友人たちにマッチングアプリを勧められ、そろそろ新しいボーイフレンド探しでハネを伸ばそうとしていた。

遊びに行った公園で子どものピンチを助けてくれた29歳のロクスター(レオ・ウッドール)と意気投合して付き合い始める。そして職場に復帰する。その一方で、息子の担任の理科教師ウォーラカー(キウェテル・イジョフォー)は融通がきかない教師で母親たちと打ち解けない関係だった。それなのに徐々に距離が縮まっていく。

居心地の良いラブコメで、場面に合わせる音楽の選曲が抜群に良いし視覚的にも楽しめて快適な時間が過ごせた。観て良かった。

欧米のラブコメの色彩設計はどの作品もレベルが高い。ここでも配置する家具やベットカバーやカーテン含めたインテリア設計が素晴らしい。身体にやさしく馴染むストレスを感じさせない色合いだ。キッチンなどの小物のセレクトもプロの仕事だ。昔からの仲間たちが再登場しても、服装のセンスを含めてシャレた中年の匂いがする。ともかく抜群の音楽選曲には驚いた。80年代前後の曲が多くウキウキする。RAYEやJESS GLYNNEの現代歌手の曲の織り交ぜ方が絶妙だ。ここしばらくで観た映画では最もセンスの良さを感じた快適な室内外の色彩や音に注意を向けるだけで、リラックスできた。

レネーゼルウィガーもさすがに歳をとった。シリーズ1作目や「シカゴ」の頃と比較すると衰えは目立つけど、持ち前の明るさで乗り切る。昔ながらの友人も登場してSNSなども織り交ぜたストーリーは現代のネット社会を反映する。女性がかなり年下の男と恋に落ちるパターンは直近の日本でも松たか子の作品でもあった。逆にこれまでは中年男性と若い女性のパターンがいくらでもあった。今後年下男パターンが増えてくるのではないか。

映画界における多様性重視は欧米の映画では当たり前でも,今回は途中からあれよあれよと相性が悪かった黒人教師と近づいていくのが正直意外な展開だ。当初は笛を吹いて生徒に注意ばかりしているめんどくさい教師だった男がいつの間にかブリジットジョーンズと接近していく姿にあぜんとする。

ヒューグラントとコリンファースはいずれも健在だ。やっぱり英国映画だとこの2人がいるだけで引き締まる。ヒューグラントはもともとのプレイボーイがちょっとドジないいおじさんという役柄が上手い。エマトンプソンを加えると、ラブコメ映画「ラブアクチュアリー」の主要メンバー3人となる。エマトンプソンはおばあちゃんになったなと思ったら、自分とあまり歳が変わらなかった医師の役はいかにもインテリのエマにお似合いだ。数多い出演者それぞれに役割を持たせた脚本もまとまっている。

雪の降る年末シーズンの映像が素敵だ。降る雪が恋愛の情感を高める。gooブログの終了通知がショックで今も呆然としたままだが、ラブコメディーは、そのストレスを和らげる効果がある気もした。

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映画「シンシン」 コールマン・ドミンゴ

2025-04-16 09:28:18 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)

映画「シンシン」を映画館で観てきました。

映画「シンシン」は刑務所の更生プログラムで演劇をする囚人たちの物語である。「シンシン」とはハドソン川に接するニューヨーク北部の収監施設の名前である。刑務所で生活する囚人たちの映画は日本も含めて数多く作られているが、入所する前哨戦の映像も含めてストーリーを組み立てることが多い。ここではあくまで演劇の題目に向けて刑務所内で稽古をするグループの姿のみを追う。

NY北部のシンシン刑務所に無実の罪で収監された男ディヴァインG(コールマン・ドミンゴ)は、RTAと呼ばれる刑務所内の収監者更生プログラムである舞台演劇グループに所属する。配役のオーディションから始めて、演じる題目の決定、稽古の段取りを行っている。

そのメンバーとして新しく所内で悪党とされるディヴァイン・アイ(クラレンス・マクリン)が加入する。次の演目は彼の提案でタイムトラベルを扱う喜劇になるが、なかなか周囲になじめない。なだめるディヴァインGの言うことも聞かなかったが、徐々に親密な関係を気づいていく。

意外にも威圧感なく、演劇に参加する囚人メンバーが徐々に良好な関係を築き上げていくのを観るのは悪くない。

エンディングのクレジットでは、as himself となっている配役が多い。演劇プログラムの卒業生及び関係者が本人役を演じるということだ。何と出演者の85%以上が元収監者なのも恐れ入る。色んなタイプの囚人がいるが、悪党とされるクラレンス・マクリンは往年のボクシング世界チャンピオンのマイクタイソンのような風貌だ。怒ったら半殺しの目にあわせるのはわけないだろう。まるでタイソンのようなクラレンス・マクリンもこの映画には切っても切れない存在だ。

そんな面倒くさい俳優たちをグレッグ・クウェダー監督は猛獣使いのようによく手懐けたものだ。すばらしい手腕だ。作品情報によると、再犯で刑務所に戻る人は国レベルで約60%だが、RTAの修了者は3%以下らしい。この映画はほとんど刑務所内での場面だが、映画の会話は割とまともなセリフが多い。この映画を撮るにもそれぞれ覚えなければならないセリフが多い。全員がプロの俳優といってもおかしくないレベルだ。これまでの経験で得た自分の思いをそれぞれに語るシーンがいい。

主演のコールマン・ドミンゴは今回アカデミー賞主演男優賞の候補になる。ブラックパワーが強い年だったら受賞していたかもしれない。良かった。演劇チームのリーダー的存在で周囲を引っ張る。

所内で最凶悪とされる男「ディヴァイン・アイ」ことクラレンス・マクリンも最初は斜に構えている。彼に対しても絶妙の距離感を持って接して、徐々に信頼を得る。台詞の覚え方を教えたり、刑務所から出るために知恵を授けたりする。でも、本人が無実だとする証拠をもってしても、なかなか塀の外に出られない。その辺りの苦悩も表現していた。

ラストに向けてのコールマン・ドミンゴとクラレンス・マクリン2人のシーンも情感があって良かった。「ショーシャンクの空」のモーガンフリーマンとティムロビンスの再会に似た響きを心に感じた。

 

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映画「アマチュア」 ラミ・マレック

2025-04-14 19:22:43 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)

映画「アマチュア」を映画館で観てきました。

映画「アマチュア」はアカデミー賞俳優ラミ・マレック主演のアクション作品。監督はジェームズ・ホーズ。CIA分析官がテロで亡くなった妻の敵討ちをするなんて話は、リーアムニーソンの主演作や日本の時代劇にもあり得そうな話だ。ただ、こういう時敵討ちに向かうのは元凄腕のエージェントだったり剣の達人だったりする。でも、ラミマレック演じるチャーリーはあくまで「アマチュア」で殺しのプロではない。まさにCIA職員でも常人と同じなのだ。銃を扱ったこともない。

予告編を観るとおもしろそうだ。末梢神経を刺激するアクション映画を最近回避しがちだけど、これは娯楽として楽しめそうだ。久々に20世紀foxのファンファーレを聞いたあと、舞台はCIAの本拠地アメリカのラングレーからロンドン、パリ、イスタンブール、マドリードと007シリーズやミッションインポッシブルのように世界を横断する。

愛する妻(レイチェル・ブロズナハン)と平穏な日々を過ごす、CIA分析官チャーリー・ヘラー(ラミ・マレック)。しかし、妻がロンドンで無差別テロによって命を奪われたことで、すべてが変わる。最愛の妻を殺したテロリストたちへの復讐を決意し、CIAの上官に特殊スパイとしてのトレーニングを志願し、さらに、CIAすらも予測できない“彼ならではの方法”で、テロリストたちを追い詰めていく。だが、その裏には驚くべき陰謀が隠されていた。(作品情報 引用)

発想はおもしろいが、展開についていくのがやっとだった。

映画のせいではなく、自分の理解度の問題かもしれない。スパイ映画はある意味騙し合いで、昨日の友が今日の敵に往々にしてなることが多い。妻がテロの犠牲になったあと、CIAとテロ組織の関係がゴチャゴチャして頭の整理がつかない。敵討ちに向かった後で、何で主人公が狙われるのか考えているうちに頭が炸裂する。娯楽としては楽しめたが、自分の反射神経の鈍さですばやい展開についていけない。

CIA分析官のチャーリーはIQが高い有能な分析官だ。CPU上の情報や路上カメラの画像の収集などを通じて、テロに巻き込まれて亡くなった妻を殺害したグループを即座に割り出す。すると復讐に燃えるのだ。でも、CIAといっても格闘や銃の訓練も受けていない。上官に志願して腕利きの教官(ローレンスフィッシュバーン)から指導を受けても、お前には相手を殺せないと言われてしまう。そんな調子でも、テロ組織に立ち向かう。気がつくと、機密情報を外部に持ち出して勝手に行動するのでCIA当局からも狙われる存在になる。

組織の指示で動かないとなると、孤独な一匹狼状態になってしまう。絶体絶命だ。路上カメラなどで位置情報はCIAにわかってしまう。チャーリーはテロ組織の犯人を追うだけでなく、自分を教えた腕利きのCIA教官にマークされる。そんな時、もともとCPU上で情報交換していた女性インクワライン(カトリーナ・バルフ) と繋がることができる。CIA内部と同じようにインクワラインはあらゆる情報をキャッチできるのだ。

ボンドガールといえば、毎回美女がミッションの鍵になる歴史がある。ここでも似たようなキーとなる女性をクローズアップさせる。トップモデル出身のカトリーナ・バルフがカッコいい。イスタンブール居住の謎の美女を味方に入れてピンチを乗り越えていく。こんな話はおもしろいし、ビルの階上にあるプールを破壊させたり、敵の女を閉じ込めて花粉責めにしたり、謎の美女と逃げ回ったりと金がかかっているなと思わせる鋭いシーンも多い。でも、絶賛というところまではいかないかな。

それよりも人間社会がすごい監視社会になっていることに恐ろしく感じる。

 

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映画「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」

2025-04-12 07:52:28 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )

映画「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」を映画館で観てきました。

映画「ゲッベルス」はナチスドイツの宣伝大臣ゲッベルスをクローズアップしたヨアヒム・A・ラング監督の作品。ヒトラー以外のナチス幹部ではゲッベルスはゲーリングと並んで世間に名が知れている。ヒトラーが叩き上げで這い上がる途中で、弁舌に長けていることに加えて、大衆を扇動するために大量のプロパガンダを使ったことに以前から注目していた。その時の宣伝の責任者がどんな施策をとったのかを映像で観れるのかと気になる。これまで見たことがない記録映像も多く世界史好きにはたまらない場面を見せつけてくれる。

映画は1938年から1945年までのゲッベルスの動向を追う。

作品情報を引用する。

1933年のヒトラー首相就任から1945年にヒトラーが亡くなるまでの間、プロパガンダを主導する宣伝大臣として、国民を扇動してきたヨーゼフ・ゲッベルス。当初は平和を強調していたが、ユダヤ人の一掃と侵略戦争へと突き進むヒトラーから激しく批判され、ゲッベルスは信頼を失う。 

愛人との関係も断ち切られ、自身の地位を回復させるため、ヒトラーが望む反ユダヤ映画の製作、大衆を扇動する演説、綿密に計画された戦勝パレードを次々と企画し、国民の熱狂とヒトラーからの信頼を再び勝ち取るゲッベルス。独ソ戦でヒトラーの戦争は本格化し、ユダヤ人大量虐殺はピークに達する。スターリングラード敗戦後、ゲッベルスは国民の戦争参加をあおる“総力戦演説”を行う。しかし、状況がますます絶望的になっていく。(作品情報引用) 

ヒトラー及びゲッベルスが頂点から破滅に向かう姿を歴史上の記録映像を交えて編集に組み入れた興味深い映画である。必見だ。

巷の評論家の評価は賛否分かれている。個人的には賛否両論の時は観るべしという考えだ。うまくいくことが多い。劇中の記録映像でのユダヤ人虐殺場面にはドギツさもある。それでも、世界史的にも重要な場面でヒトラーやゲッベルスの記録映像と今回撮影した映像を交互させる手法は自分にはよく見える。編集の妙味を感じる。

ヒトラーが総統に成り上がる頃からゲッベルスを追うのかと思ったら違う。1938年のズデーテン併合が絡んだ英国首相ジョセフチェンバレンとヒトラーとのミュンヘン会談の時期からだった。ナチスドイツはチェコを手に入れようと第二次世界大戦への一歩を踏んでいる頃だ。この頃は厭戦ムードがドイツ国民にも強く、宣伝大臣のゲッベルスが戦争回避のムードに持ち込んだことで手に入れられるはずのチェコがモノにできなかったとの批判を浴びている。

その当時ゲッベルスはチェコ出身の美人歌手と不倫していた。子だくさんのゲッベルスの妻が出産したばかりなのに、浮気がバレる。離婚寸前までいったが、ヒトラーから宣伝大臣の離婚は大衆に示しがつかないと強制的にやめさせられる。その後夫婦仲は戻る。ゲッベルスはナチスドイツを扱った映画に登場することが多い。しかし、ゲッベルスの子だくさんの家庭や浮気に踏み込んだ映画は観たことがない。

ユダヤ人迫害を言及した映画は多い。ここではどういう流れでドイツがユダヤ人を敵にするようになったかを取り上げる。もともと厭戦の立場だったゲッベルスは、自身の立場を戦争強硬派のライバルと比較して弱めた。ここで逆転を狙う。ユダヤ人によるドイツ外交官殺害事件を大げさにクローズアップさせたり、ユダヤ人は残虐だと動物迫害の極端な映像を大衆に見せてユダヤ人は敵との印象を植え付けさせようと試みる。他国との戦いもむしろ戦争不可避の立場に持ち込む。

ナチス統治下のドイツで、いかにゲッベルスの宣伝による洗脳が行われていたかがよくわかる。国民を鼓舞するために新聞社やラジオ局を懐柔させ、映画や記録映像などの映像の手法を使う。徐々に劣勢になっていく戦況の中でも、メディアの力を最大限使っている。独ソ戦でスターリングラード戦に敗退した後の大演説会や大衆の行進の映画シーンは演出家としてのゲッベルスの恐るべき才能を感じる。自分の地位の保身のため、そしてヒトラーのために尽くしたけど終わりは良くなかった。

映画を見終わった後で解説を読むと、史実の歴史監修をしっかりと行なっているようで、セリフの多くもゲッベルスやヒトラーらが実際に口にした言葉のようだ。リアルさに迫る映画だと感じる。戦時中の天◯神格化の日本や現代北◯鮮のインチキ映像と照らし合わせると思わず吹き出す。

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映画「モンテッソーリ 愛と創造のメソッド」 ジャスミン・トリンカ

2025-04-08 17:57:41 | 映画(フランス映画 )

映画「モンテッソーリ 愛と創造のメソッド」を映画館で観てきました。

映画「モンテッソーリ 愛と創造のメソッド」発達障害の教育メソッドとして有名なモッテッソーリ教育の創始者マリア・モンテッソーリ女史に焦点を当てたフランス、イタリア共作映画だ。La nouvelle femme(新しい女性)が原題で、まさにイタリアで先進的な活躍を遂げた女医だった。

予告編で観てから必ず行こうと思っていた。今は普通に暮らす娘が、幼児のころ発達が遅れて言葉もなかなか話せなかった。その時に県が管理する児童訓練所のような場所で娘の面倒を見てもらい幼稚園に行く前に一年通った。その女性指導者はまさにこのマリア・モンテッソーリのような素晴らしい方だった。もし出会わなかったら今どうなっていたんだろうと思う。

1900年、フランスパリの有名なクルチザンヌ(宮廷女官)であるリリ・ダレンジ(レイラ・ベクティ)は娘の発達障がいが明るみに出そうになったとき、自分の名声を守るためにパリからローマへ娘ティナを連れていく。そして女性医師マリア・モンテッソーリジャスミン・トリンカ)の元を訪ねる。マリアは障害を持つ子供たちを預かって、教育する公的な研究所を運営していた。新しい教育法の基礎を築いていた。

リリはそのまま娘ティナ(ラファエル・ソネヴィル=カビー)を預けてパリに戻るつもりだったが、マリアからは母親の愛情が重要なので通いで来てくれと言われてローマに残る。その後マリアの指導が徐々に効果を示してティナの状況は改善された。マリア中心に運営する研究所であったが、当時は男性中心の社会パートナーのジュゼッペが注目されていた。ジュゼッペとの間には婚外子のマリオがいた。しかし、親族の反対で一緒には暮らせずに乳母に預けられているのがマリアの悩みだった。

興味深い映画だった。よかった。

フェミニズム映画との紹介もあるが、男性主体だった医療の世界での女性の自立を主張する場面はあってもそれが前面にでている訳ではない。幼児の頃に発達障害を持っていても立ち直れる余地は十分あるというのが主題と考えたほうがいい。作品情報によると、監督のレア・トドロフの娘遺伝性の病気を持っていたことでこの映画を製作するきっかけが生まれたようだ。

実際に本物の知的障害児が出演している。演出はたいへんだったろう。監督の指導のもと愛情をもって出演者が接しているのはよくわかる。その子たちがモンテッソーリ教育によって、四則演算など認知能力を改善しているのが映像で示される。良い場面だ。身辺に自閉症などの発達障害や知的障害の子どもがいる方はすんなり内容に入っていけるかもしれない。

その昔、訓練する場所で先生の指導のもと玩具を手にして遊ぶ娘の姿が目に浮かぶ。行く前は絶望感があったが、時間を経るにつれて状況が劇的に改善される。多動だった娘が訓練中に椅子に落ち着いて座れるようになった。その指導をモンテッソーリ教育と知るのはずっと後だった。

マリア・モンテッソーリは1870年生まれで当時30歳だ。自分のやり方を信じて強い意志と向上心を持って障がいをもった子に向かい合う。しかも無給で働く。報酬や給与は一切ないのだ。実績はでている。周囲があきらめていた知能の向上が見られるのだ。その一方で、同僚のパートナーとの間に婚外子をつくったにも関わらず自分で育てていない心のジレンマがある。親は世間体もあってか同居に反対だ。人の面倒はうまくいっても身内でなるようにならないジレンマに陥るのも映画の見どころだ。

リリ・ダレンジはクルチザンということで、作品情報では高級娼婦となっている。ピンとこないけど、宮廷女官との訳もある。日本の天皇家も明治天皇までは側室がいて、大正天皇は女官柳原愛子が産んだ子だ。当時フランスに王や皇帝は存在しないが日本式に(貴族の)女官とすべきと感じた。リリはフランスの社交界に接していた訳だが、娘の障害は表だって周囲に話せない。ローマに行きマリアモンテッソーリの前に現れた時、娘のことをめいだと言っていた。もともと結婚していて娘が一歳の時に障害をもつとわかり離縁させられる。その後クルチザンになったのだ。徐々にマリアとの関係も良くなる。マリアの支えにもなっていきスポンサーも紹介するのだ。

個人的にはいい映画を観たという後味の良さがあった。

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映画「ベイビーガール」 ニコール・キッドマン

2025-04-04 08:57:00 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「ベイビーガール」を映画館で観てきました。

映画「ベイビーガール」ニコールキッドマン主演のA24映画。ニューヨークの女性CEOが若い青年との性に狂う展開は予告編で読める。気がつくともう60近くなのにまだまだ女性として現役であるのを示してくれる。ベネチア国際映画祭最優秀女優賞まで受賞している。

ペドロアルモドバル作品でおなじみのアントニオバンデラスが夫役であっても影が薄く、メインはインターンで働きに来ている青年ハリス・ディキンソンがCEOのアバンチュールのお相手だ。インテリアや美術関係はいかにもアメリカ映画らしくレベルが高い。監督・脚本はオランダ人女性のハリナ・ラインで、女性たちがどういう風にこの映画を観るのかが関心がある。

ロミー(ニコール・キッドマン)はニューヨークのロボティック企業のCEOで舞台演出家の夫(アントニオ・バンデラス)と10代の2人の娘と暮らしている。その会社にインターンとしてサミュエル(ハリス・ディキンソン)が入ってくる。サミュエルが街で狂犬を手なずけているのをたまたま見て気になる存在だった。

たまたまインターンのメンターを指名が可能な制度にかわって、サミュエルがCEOのロミーを選ぶ。多忙なロミーのわずかな時間でのワンオンワンミーティングで、2人は急速に接近する。サミュエルはロミーの満たされない性的欲求を満たして禁断の世界から離れられなくなる。

ニコールキッドマンがひたすらエロい。

女性監督ハリナ・ラインの視線が自分の目線を大きく上をいく。理解を超越する。いきなりニコールキッドマンアントニオバンデラスと夫婦の営みを見せるシーンが出てくる。あえぐニコールが情事が終わるとパソコンを持って別の部屋に行き、ポルノ動画を見ながらオナニーにふけるのだ。え!終わったばかりなのに。そこで好きモノなんだな!?と観客に示してから映画がスタートするのだ。

日本映画「ラストマイル」でも登場したAmazon ぽい配送センターでの自動仕分け機械をような映像が映る。ニコールキッドマン演じるロミーはいわゆる自動化のロボティック産業のCEOということなんだろう。イェール大学出で投資会社に勤めてからキャリアを積んだとするロミーは服装から振る舞いから家庭生活まで完璧だ。

そんな完璧な女性の前に現れた青年サミュエルに狂うようになるのだ。それこそこんな女社長と若い青年なんて題材は往年の日活ポルノやAVにもいくらでもある。でも陳腐にならないのは天下のオスカー女優ニコールキッドマンが登場するからであろう。バックもニューヨークのオフィスと街角と自宅の最高のインテリアだ。ニューヨークのクラブのシーンはゴージャスだ。長身のニコールキッドマンよりも背が高くいい男のハリス・ディキンソンに狂って変態プレイまでやってしまう。サミュエルに関心を持ったロミーの秘書に嫉妬して排除しようとする。

いつもは完璧な二枚目のアントニオバンデラスが妻のニコールキッドマンに夜迫っていくのに、サミュエルと交わるようになると、夜の営みを拒否される。あなたとしてもオーガズムを感じないと言われるシーンが印象的だ。胸毛ふさふさの男っぽいアントニオバンデラスが情けなく見えてしまう。男性監督が描くのではなく、女性目線で描くのに意義がある気がした。ニコールキッドマンのスタイルは今でも完璧で、バストトップや小さ目の乳首も絶妙のショットで見せてくれる。その自由奔放さは世の女性の羨望の眼差しを浴びるだろう。

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映画「エミリアペレス」 ゾーイ・サルダナ& カルラ・ソフィア・ガスコン

2025-04-01 22:17:06 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「エミリアペレス」を映画館で観てきました。

映画「エミリア・ペレス」は本年のアカデミー賞の各賞で有力候補となりゾーイ・サルダナ助演女優賞を受賞したジャック・オーディアール監督・脚本作品。メキシコの麻薬王が女性への性転換手術(性別適合手術)で性別をかえる話が主題で、その手術の手配をするのがゾーイサルダナ演じる弁護士だ。

フランスのジャック・オディアール監督は以前から注目していて、「真夜中のピアニスト」「リードマイリップス」にはいずれも衝撃を受けた。前作「パリ13区」はパリの住む若者の性の乱れを示す性描写がどぎつかった。今回は母国を離れてスペイン語が基調の映画である。ストーリーに先入観を持たずに映画館へ向かう。映画が始まる前にサンローランが 製作に入ることがわかり思わずうなる。

不遇な日々を送る弁護士リタ(ゾーイ・サルダナ)のもとに、ある日、メキシコの麻薬王マニタス(カルラ・ソフィア・ガスコン)から、莫大な報酬と引き換えに「女性としての新たな人生を極秘に用意してほしい」という依頼が来る。そこでリタは、誰にも知られずに性別適合手術を受けたいとの願いを実現させる。マニタスは妻ジェシー(セレーナ・ゴメス)や子供たちからその存在をも隠した。

4年後、エミリアペレスという名の女性として生きるマニタスからリタが呼ばれる。エミリアが亡きマニタスのいとことして、妻と二人の子供を呼び寄せるのだ。

奇異なストーリーに戸惑いを感じた。ミュージカルテイストを持ち見どころは多い。

メキシコというと貧しく、トランプ規制の前は不法移民が次々とアメリカに移り住む印象がある。米国との国境を取り巻く麻薬シンジゲートの話は「トラフィック」などいくつかの作品で映画化された。パリでのセット撮影も多かったようだが、あくまでスペイン語基調で展開されて猥雑なメキシコが舞台だ。

もうすぐ40歳の弁護士リタは自分の力で有罪になるべき事件を無罪に持ち込んでも評価されないでくすぶる。ミュージカルタッチで不満な気持ちを歌って踊って見せてくれる。そんなリタに仕事の依頼が来る。待ち合わせ場所に行くと、怪しい奴らに強引に引っ張られて謎の場所へ車で連行される。そして、ある男と対面する。悪名高い麻薬王マニタスだ。マニタスから女性への転換手術の手助けをして欲しいと言われるのだ。報酬が半端じゃない。バンコクへ行き手術の手配をした後でテルアビブに向かう。

映画の雰囲気になれず頭がついていけない。主役のエミリアペレスであるカルラ・ソフィア・ガスコンはなかなか出てこない。何となく流れがわかっても、ディテールは映画を観終わってそういうことだったとわかることが多い。日本とは別世界で自分の理解度では苦しい映画だった。ラストに向けての展開はいったいどう決着するのか予想がたたなかった

⒈ゾーイサルダナ

ミュージカルテイストなのでゾーイ・サルダナが前半から歌って踊る。性転換後のエミリアペレスが出るまでは完全な主役だ。助演女優賞というより主演女優賞ノミネートでもおかしくない。ゾーイの名をあげたのはもちろん「アバター」だが、リュックベッソン製作らしいアクション映画で殺し屋を演じた「コロンビアーナ」が好きだ。身のこなしに凄みを感じた。ドミニカ育ちスペイン語は母国語だ。あれから12年経っても宴会のテーブルの上でも踊りまくるゾーイサルダナがかっこいい

⒉カルラ・ソフィア・ガスコン

悪さしていた大金持ちがマネーロンダリングのように身を洗浄して異性になるなんて話はあり得そうな気もする。もともと麻薬王は真の存在が世間に露わになっていないし、自らの肖像写真は撮らせないだろう。女性に変身して行方不明者の家族の世話をする慈善事業をやる話も良心の呵責があるからあり得そう。実際には行方不明者にさせたのは自分なのにね。

つい先日ベトナム映画「その花は夜に咲く」トランスジェンダーの主役の映画を観たばかりだ。ここでも主演のカルラ・ソフィア・ガスコンは実際にトランスジェンダーだ。長身のゾーイサルダナが小さく見えるほど身体は大きい。

⒊ジャック・オーディアール監督

ジャック・オーディアール監督は地元フランスを飛び出しスペイン語主体のメキシコで撮る。2000年代に入って「リードマイリップス」を撮った。読唇術の女が主人公で、自分は初めて読唇の世界があると知る。この映画以来読唇に関心を持つ。先日NHKスペシャルでヒトラーの映像からAIにより話し言葉を読唇で読み取りどんな会話をしているか分析する番組があった。おもしろかった。

「真夜中のピアニスト」立退きのためにネズミを放ったりして強引に地上げをする不動産屋がアジア系美人のもとでピアノを習う話だ。そんなユニークな題材の2作でジャック・オディアールが気になる。前作「パリ13区」は18禁映画で多国籍の自由奔放な登場人物の大胆な性の話だ。「エマニュエル」ノエミメルランなどみんな脱ぎっぱなしで「エミリアペレス」も同じように裸を見せるかと想像したが、きわどいシーンはなかった。

 

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映画「レイブンズ」 浅野忠信&瀧内公美

2025-03-29 20:16:26 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「レイブンズ」を映画館で観てきました。

映画「レイブンズ」は写真家深瀬昌久の破天荒な人生の歩みを描いた浅野忠信主演作だ。レイブンズは鴉(カラス)を意味する。日仏をはじめとした4カ国の資本が入っている作品だ。深瀬昌久についての知識はない。監督、脚本はイギリスのマーク・ギルで、深瀬昌久の妻役はこのところ出番の多い瀧内公美だ。主演級の古舘寛治、池松壮亮、高岡早紀が脇を固める豪華メンバーだ。

浅野忠信の前作「かなさんどー」は愛情に満ち溢れた自分が好きな作品だった。「将軍」でゴールデングローブ賞を受賞してまさに国際派俳優として名をあげた。その一方で「箱男」「湖の女たち」など幅ひろい出演作もある。以前にましていい女になった瀧内公美「敵」で、古舘寛治は指名手配犯「逃走」で、池松壮亮「本心」「ぼくのお日さま」で観てきた。いずれも日本映画界では最も信頼されている俳優だ。エンディングロールのクレジットは英文字で、諸外国のスタッフの人数が多いのに驚く。

1951年の北海道、大学の写真学科に合格して進学したいと父親(古舘寛治)に報告した深瀬昌久は家業の写真館を継ぐには「学」はいらないと怒られる。結局母親からもらったカメラを持って上京して大学で学び、故郷に帰らず写真家を志す。屠殺場の豚を撮ったりユニークな写真を撮るようになる。

1963年昌久(浅野忠信)写真のモデルだった洋子(瀧内公美)と意気投合して一緒に暮らす。勘当同然の関係なので実家には結婚を伝えなかった。洋子を中心に撮ってきた昌久はその斬新な写真を認められるようになっていく。一方で酒に溺れる生活で、洋子も呆れ果てている状況だった。そんな昌久を訪ねて父親が上京してくる。

おもしろかった。浅野忠信がうまかった。

無頼派というべきか破茶滅茶だけど天才的センスを持つ深瀬昌久を演じた浅野忠信が自然体でよかった。タチの悪い飲んだくれ役を連続して演じる。浅野が被写体として写真を撮りまくる相手役の瀧内公美観るたびごとに魅力的になっていく。時代を感じさせる建物でのロケ撮影なので60年代70年代のシーンでもすべてに不自然さを感じない。バックに流れる音楽も時代に応じた適切なチョイスだ。

⒈父と息子の葛藤

北海道の写真館の店主の父親のもと、深瀬昌久は子どものころから写真を学んできた。「写真館で撮る写真には芸術性はいらない」というのが父親の言い分だ。東京の大学へ行くと聞くと合格通知を破ってしまい部屋に閉じ込める。暴力も振るう。暴君のような父親役の古舘寛治ががんこ親父になりきる。そんな時に空想のカラス(レイブンズ)がでてくる。セリフは英語だ。このレイブンズは最後の最後まで昌久の横にいる。昌久の心の中とも言えるし、味方とも言える。

一度は父と息子の心は離れた。それでも父親は上京し、昌久は何度か北海道に行く。そこでも取っ組み合いの大げんか。でも、その父親が亡くなって葬儀が終わった時に、母親が遺品の中から息子の作品が掲載されているカメラ雑誌を見せる。父親が大事に保管しているケースがあったのだ。本当は息子を思う父親の気持ちが伝わるジーンとする場面だった。

⒉ユニークな写真と酒癖の悪さ

屠殺場から移動寸前の肉を撮ったり、流産した子供の写真を撮ったりユニークな写真で名を売った。モデルの洋子と親しくなると、ひたすら洋子を撮りまくる。でも、団地住まいをしながら生活は豊かにならない。一度酒を飲み始めると止まらない。これで大丈夫かと洋子もその母親も心配する。

それで始めたのがCM撮影だ。これがおもしろい。掃除機のCM撮影で、モデルにギターのように持ってよと注文する。それがカタチになっている。そんなユニークさも認められて、昌久の写真がニューヨーク近代美術館(MoMA)に展示されることになる。その時洋子と一緒に喜ぶシーンがいい。ニューヨークで大はしゃぎだ。それでも、深瀬の酒癖の悪さは治らない。破滅への道を歩んでいき離婚だ。

その後しばらくして脚光を浴びた深瀬昌久の展覧会に、洋子がきてくれて喜ぶ昌久に向かって「わたし結婚したの」と告げて呆然とする浅野忠信の顔が最も印象に残る。

⒊新宿ゴールデン街

途中から新宿ゴールデン街と思わせる店の並びが出てくる。あの界隈は昼間閑散としているので、その時間に撮ったのであろう。建物は古いままなので、時代設定を70年代から1992年としてもおかしくない。映画に出てくる店は今もゴールデン街に実在しているようだ。昔は青線だったどの店もカウンターの配置はほぼ似たようなものだ。高岡早紀のママいかにもゴールデン街のママという感じを醸し出す。

ゴールデン街自体、店がいっぱいになって次の客が来たら席をあけて別の店に行く暗黙のルールがある。深瀬昌久はどうだったのであろうか?だいたい一階と二階にそれぞれ店があるので、自分がなじみの二階にある店では酔っていると落ちないようにねとママが声をかけて見張ってくれる。ところが、深津昌久が階段で落ちた時はいつものように酔っているとみなされていて気がつくと転落して頭を打った脳挫傷を負ってしまうのだ。

自分自身あの界隈で酩酊したことがある。飲んだくれた浅野忠信を観ていると自分のことのようで共感する。逆に自戒にもなったシーンであった。

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映画「光る川」 華村あすか

2025-03-27 19:47:34 | 映画(日本 2019年以降主演女性)

映画「光る川」を映画館で観てきました。

映画「光る川」は大河の上流に面する山村での古くからの伝承を基調にした物語。長良川スタンドバイミーの会が製作し、監督は金子雅和岐阜県の山間部で撮影された。主演は華村あすかと葵揚で、脇役は安田顕や根岸季衣をはじめとして名優が揃う。物語は子役の目線で繰り広げられる。予告編で山間部を流れる川の清流や淵を映し出す映像がきれいだ。それだけで魅せられる。

1958年、山間の集落に暮らす幼い男の子ユウチャ(有山実俊)は、紙芝居で土地の言い伝えを見て関心を示す。

里の娘、お葉(華村あすか)と、漂泊の民、木地屋の青年、朔(葵揚)がお互いに惹かれあう。お葉の父親(安田顕)と木地屋の親分(渡辺哲)は2人が結びつくことに反対していたが、2人で村から離れようと約束していた。ところが、待合せに青年が来ないことに嘆いたお葉が身を淵に投げる。そのたたりで大きな洪水が起きるという伝承だ。

ユウチャは祖母(根岸季衣)に言い伝えの場所を地図で確認する。台風で降りしきる大雨の中、反対する父親(足立智充)に内緒で危険を顧みず川に沿ってさかのぼる。そしてお葉が身を投げたという「青い淵」に向かう。

緑あふれる山と美しい川の滝や淵に目を奪われる。

寺島しのぶ主演の「赤目四十八瀧心中未遂」という傑作がある。三重県にある赤目四十八瀧に映る瀧や淵の光景に似ているなとアナロジーを感じる。今回は岐阜県の山奥でロケをした。作品情報にロケマップがある。金子雅和監督はかなりロケハンをしたらしい。風景だけを見せる映画でないけど、水辺のショットや滝や淵の映像は抜群に良い。

 

悲哀物語で、里の者と木地屋が一緒になるのは御法度とのセリフがある。2人が何で付き合ってはいけないの?意味がよくわからない。木地屋とは山を徘徊する木工職人で流れ者だ。青年はまだまだ修行の身で親方から我々から離れても良いが、その前に手を切り落とすとまで言われている。青年は約束を破って娘と一緒に暮らすのを断念する。失意の娘は「青い淵」で身を投げる。そんな昔話と1958年に暮らす少年をつなげるのだ。

そんな伝承が気になって仕方ない少年ユウチャが、家の外で嵐の気配が出てきた後で1人大雨の中現地に向かうのだ。普通だったら、祖母も行かせないだろう。それがこの映画の見どころなので仕方ない。少年が鍾乳洞にも潜りこむ冒険物語がしばらくすると、娘と青年が現れてファンタジーの世界にも繋がってくる。

傑作とまではならない。山間部の神秘的な雰囲気に少しだけ浸る気持ちがもてれば良いのでは。

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