映画「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」を映画館で観てきました。
映画「ゲッベルス」はナチスドイツの宣伝大臣ゲッベルスをクローズアップしたヨアヒム・A・ラング監督の作品。ヒトラー以外のナチス幹部ではゲッベルスはゲーリングと並んで世間に名が知れている。ヒトラーが叩き上げで這い上がる途中で、弁舌に長けていることに加えて、大衆を扇動するために大量のプロパガンダを使ったことに以前から注目していた。その時の宣伝の責任者がどんな施策をとったのかを映像で観れるのかと気になる。これまで見たことがない記録映像も多く世界史好きにはたまらない場面を見せつけてくれる。
映画は1938年から1945年までのゲッベルスの動向を追う。
作品情報を引用する。
1933年のヒトラー首相就任から1945年にヒトラーが亡くなるまでの間、プロパガンダを主導する宣伝大臣として、国民を扇動してきたヨーゼフ・ゲッベルス。当初は平和を強調していたが、ユダヤ人の一掃と侵略戦争へと突き進むヒトラーから激しく批判され、ゲッベルスは信頼を失う。
愛人との関係も断ち切られ、自身の地位を回復させるため、ヒトラーが望む反ユダヤ映画の製作、大衆を扇動する演説、綿密に計画された戦勝パレードを次々と企画し、国民の熱狂とヒトラーからの信頼を再び勝ち取るゲッベルス。独ソ戦でヒトラーの戦争は本格化し、ユダヤ人大量虐殺はピークに達する。スターリングラード敗戦後、ゲッベルスは国民の戦争参加をあおる“総力戦演説”を行う。しかし、状況がますます絶望的になっていく。(作品情報引用)
ヒトラー及びゲッベルスが頂点から破滅に向かう姿を歴史上の記録映像を交えて編集に組み入れた興味深い映画である。必見だ。
巷の評論家の評価は賛否分かれている。個人的には賛否両論の時は観るべしという考えだ。うまくいくことが多い。劇中の記録映像でのユダヤ人虐殺場面にはドギツさもある。それでも、世界史的にも重要な場面でヒトラーやゲッベルスの記録映像と今回撮影した映像を交互させる手法は自分にはよく見える。編集の妙味を感じる。
ヒトラーが総統に成り上がる頃からゲッベルスを追うのかと思ったら違う。1938年のズデーテン併合が絡んだ英国首相ジョセフチェンバレンとヒトラーとのミュンヘン会談の時期からだった。ナチスドイツはチェコを手に入れようと第二次世界大戦への一歩を踏んでいる頃だ。この頃は厭戦ムードがドイツ国民にも強く、宣伝大臣のゲッベルスが戦争回避のムードに持ち込んだことで手に入れられるはずのチェコがモノにできなかったとの批判を浴びている。
その当時ゲッベルスはチェコ出身の美人歌手と不倫していた。子だくさんのゲッベルスの妻が出産したばかりなのに、浮気がバレる。離婚寸前までいったが、ヒトラーから宣伝大臣の離婚は大衆に示しがつかないと強制的にやめさせられる。その後夫婦仲は戻る。ゲッベルスはナチスドイツを扱った映画に登場することが多い。しかし、ゲッベルスの子だくさんの家庭や浮気に踏み込んだ映画は観たことがない。
ユダヤ人迫害を言及した映画は多い。ここではどういう流れでドイツがユダヤ人を敵にするようになったかを取り上げる。もともと厭戦の立場だったゲッベルスは、自身の立場を戦争強硬派のライバルと比較して弱めた。ここで逆転を狙う。ユダヤ人によるドイツ外交官殺害事件を大げさにクローズアップさせたり、ユダヤ人は残虐だと動物迫害の極端な映像を大衆に見せてユダヤ人は敵との印象を植え付けさせようと試みる。他国との戦いもむしろ戦争不可避の立場に持ち込む。
ナチス統治下のドイツで、いかにゲッベルスの宣伝による洗脳が行われていたかがよくわかる。国民を鼓舞するために新聞社やラジオ局を懐柔させ、映画や記録映像などの映像の手法を使う。徐々に劣勢になっていく戦況の中でも、メディアの力を最大限使っている。独ソ戦でスターリングラード戦に敗退した後の大演説会や大衆の行進の映画シーンは演出家としてのゲッベルスの恐るべき才能を感じる。自分の地位の保身のため、そしてヒトラーのために尽くしたけど終わりは良くなかった。
映画を見終わった後で解説を読むと、史実の歴史監修をしっかりと行なっているようで、セリフの多くもゲッベルスやヒトラーらが実際に口にした言葉のようだ。リアルさに迫る映画だと感じる。戦時中の天◯神格化の日本や現代北◯鮮のインチキ映像と照らし合わせると思わず吹き出す。