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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「愛を乞うひと」原田美枝子

2025-05-19 18:02:27 | 映画(日本 1989年以降)

映画「愛を乞うひと」下田治美の原作を平山秀幸監督原田美枝子主演で映画化した1998年の作品である。

その年の日本アカデミー賞をはじめとした映画賞を独占して、キネマ旬報ベスト10でも北野武監督「HANABI」に引き続き2位である。なぜか長い間レンタルビデオ店になかった。名画座の上映チャンスもなく、そんな有名な作品をこれまで観るチャンスがなかった。今回Amazon primaのラインナップをみつけて早速見た。ともかく原田美枝子の熱演に圧倒される。

早くに夫を亡くし、娘の深草(野波麻帆)とふたり暮らしの山岡照恵(原田美枝子)は亡くなった父陳文雄(中井貴一)の遺骨を探していた。彼女の異父弟が詐欺で捕まった知らせが届き弟と再会し、少女の頃の生活を思い起こす。

文雄の死後、孤児施設に預けられていた照恵を母・豊子(原田美枝子/2役)が迎えにくる。照恵は新しい父・中島武人(モロ師岡)と弟・武則とバラックの家で同居する。やがて中島と別れた豊子は、子供を連れて“引揚者定着所” に住む和知三郎(國村隼)の部屋へ転がり込む。和知は傷痍軍人となって街角でお貰いを受けていた。

この頃から気の荒い豊子の照恵に対する態度が狂乱的にひどくなってゆく。ちょっとしたことでも怒って殴り、叩くようになる。顔にケガの痕が残ってしまう。中学を卒業した照恵は就職したが給料は全て豊子に取り上げられる。それが続き思いつめた照恵は家を飛び出す。豊子に追いかけられるが弟がかばう。照恵は娘と父の故郷である台湾で遺骨を探しに伯父を訪ねる。

社会の底辺で生きる母娘を強烈な演出で映す。すごい映画だ。

原田美枝子の娘への虐待の演技は半端ではない。というより、何度も叩かれる子役たちは大丈夫だったのかと逆に心配する。ともかく原田美枝子が半狂乱で強烈なのだ。10代の頃「大地の子守歌」という名作で、原田美枝子はヌードを披露して若くして売春婦になった少女を演じた。若き日の野生味あふれる演技にも圧倒されたが、それを上回る凄まじさだ。

⒈原田美枝子と河井青葉

当時39歳だった原田美枝子は清楚で美しい。健気に父親の遺骨を台湾の奥地まで行って探す。ひとたび母親役になると急変だ。鬼の顔でもうとんでもない女だ。映画「あんのこと」でドツボにハマった河合優実が親に売春をやらされていた役を演じて、母親役の河井青葉が娘が言うこときかないと暴力を振るった場面が多々あった。好演だった。河合優実の役柄は這い上がれなかったのに対して、この映画では復活する。少しは救いはある。とは言っても暴力の度合いは原田美枝子が上回る

⒉傷痍軍人

まだこの当時若かった國村隼傷痍軍人のふりをして、お貰いをする義父を演じる。まだ自分が小学生だった昭和40年代半ばまでは、渋谷駅のガード下あたりにアコーディオンを奏でる傷痍軍人がいっぱいいた。戦争でケガして大変な人たちだと気の毒に感じていた。この映画のように悪い連中だと思っていなかった。母親から暴力を振るわれておでこにケガをした主役が、これは使えると傷痍軍人の父が自分の横に並ばせてお貰いするシーンはいたたまれない。

⒊ロケ地のボロ家

孤児院から戻された少女が母親に連れられて行った先は平屋のボロ家だ。外壁が木板の建物が立ち並ぶ長屋は昭和40年代までは見る機会は多かった。今から27年前は全国各地をロケハンすれば出会えたのかもしれない。次に住み移ったのは中廊下で風呂なしの共同トイレのボロアパートだ。これも減ったなあ。平成のヒトケタというのは、まだ昭和や戦後の痕跡をひきづっていたのかもしれない。

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映画「サブスタンス」デミ・ムーア&マーガレット・クアリー

2025-05-18 20:24:04 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「サブスタンス」を映画館で観てきました。

映画「サブスタンス」は、ゴールデングローブ賞で主演女優賞を受賞したデミ・ムーア主演の新作である。残念ながらアカデミー賞の主演女優賞は取れなかったが, 90年代に大活躍をしたデミムーアが復活の狼煙を上げた作品ということで気になっていた映画である。フランスの女性監督、コラリーファルジャの長編2作目である。各種作品賞にノミネートされている作品でもあり、それなりのレベルと考え事前情報は極力入れず観に行く。説明しづらい内容なので、作品情報を引用する。

元トップ人気女優エリザベス(デミムーア)は、50歳を超え、容姿の衰えと、それによる仕事の減少から、ある新しい再生医療<サブスタンス>に手を出した。

接種するや、エリザベスの背を破り脱皮するかの如く現れたのは若く美しい、“エリザベス”の上位互換“スー”(マーガレット・クアリー)。抜群のルックスと、エリザベスの経験を持つ新たなスターの登場に色めき立つテレビ業界。スーは一足飛びに、スターダムへと駆け上がる。

一つの精神をシェアする存在であるエリザベスとスーは、それぞれの生命とコンディションを維持するために、一週毎に入れ替わらなければならないのだが、スーがタイムシェアリングのルールを破りはじめ―。(作品情報 引用)

ホラー映画を超越してスプラッターになってしまったのには驚くしかない。

1996年「素顔のままで」ストリッパー役を演じて、ヌードになった。全裸を披露したデミ・ムーアを見て、美しい裸体だと感じてからもう30年近く経つ。62歳になった。この映画でもヌードを披露しているが,まだまだ現役継続といった感じである。映画の最初でエアロビクスダンスを踊っている場面があるが、躍動感のあるダンスはとても60を超えているとは思えない

とは言っても,ここでは50歳を超えて、プロデューサーにもうそろそろ限界だよと言われている設定だ。徐々に出番が少なくなっていく。自分で自分が嫌になり,危うい再生医療に手を出してしまうのだ。

映画の途中までセンスのある映像だなと思っていた。それぞれの俳優のアップの使い方がうまく大画面で見ると美しくはえる映像である。セリフは決して多くはない。簡潔で内容がよくつかみやすいデミ・ムーアはもとよりマーガレット・クアリーの抜群のプロポーションには圧倒される。いかにもアメリカ映画らしいゴージャスな映像だと思っていた。

ところが,エリザベスの分身であるスーが売れっ子になり,本来1週間ごとに変わらなければならないルールを破り始めてから、もともとのエリザベスの体が極度に老化していくのである。この辺からまさにホラーの色彩になっていく。

エリザベスの特殊メイクは徐々にエスカレートしていき、とんでもない半漁人のようになっていく。これは気持ち悪い。しかも最後に向かっては完全なスプラッター系である。ここまで血が飛びかうとは想像もしていなかった。自分の映像経験で言うと、ジョンカーペンター監督の「遊星からの物体X」に通じるものがある。ともかくまいった。

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映画「新世紀ロマンティックス」ジャ・ジャンクー

2025-05-10 20:51:40 | 映画(中国映画)

映画「新世紀ロマンティックス」を映画館で観てきました。

映画「新世界ロマンティックス」は中国映画界の奇才ジャ・ジャンクー監督の新作である。原題は「風流一代 Caught by the Tides」。新作が出れば観に行く監督の1人だけに、初日に向かう。中国は文化大革命前後まではもっと閉鎖的で手の内を見せなかった。そんな中国の裏の世界に踏み込む切り口で監督はすばらしい作品を残してきた。ジャジャンクー監督作品の常連で主演のチャオ・タオは監督の妻でもある。彼女を中心に2000年以降の現代中国史をたどるかのように映画は進む。

2001年
中国北部の大同(ダートン)。チャオ(チャオ・タオ)はキャンペーンガールやモデルをしている。恋人は彼女のマネージャーを務めるビン(リー・チュウビン)。北京オリンピック開催が決定するなど、漠然とした期待で中国は盛り上がっているが、大同の炭鉱産業は傾き、失職者だらけだった。ある日、ビンは一旗揚げるために大同を去る

2006年
チャオはビンを探して三峡ダム建設により水底に沈む運命にある長江・奉節(フォンジエ)を訪れる。雄大な長江の景色の中、移住する人、建物を解体する人々でごった返す街。チャオは地方テレビの尋ね人コーナーでビンの行方を捜し、なんとかふたりは再会する。ビンはダム建設に関わり、別の女の影が見えていた。

2022年
コロナ禍、足を引きながら歩くビンはマカオに隣接する珠海(チューハイ)を訪ねるが、居場所を見つけられない。結局大同に戻る

これまでのジャ・ジャンクー監督の仕事の総集編のような映画だった。

当然悪くはないが、今までの新作で感じた中国の裏社会を暴露するような衝撃はなく、新鮮味は薄い。オンボロの建物ばかりだった2001年から20数年経ち近代化が進む中国の変貌をとらえている。

香港好きの自分から見ると、90年代に大陸と言われる中国本土から香港に来ている人たちは服装も鈍臭く一目で区別がついた。香港から恐る恐る国境を越えて本土に入っても同様に極度の差があった。香港周辺でそうなんだから、大陸を中に入った街はなおさらだろう。この映画での大同の2001年の街並みはいかにも昔の中国だ。

文化大革命から改革路線に移って約20年強たっても大同はボロい建物だらけである。そして猥雑だ。街の男性たちの顔つきもいかにも文化大革命を引きずった疲れきった顔ばかりだ。北京オリンピック開催が決まっても、すぐには変わらない。そんなボロい建物での庶民の寄り合いの様子をハンディカメラで残していた。ここまで街が変貌すると貴重な記録だ。ジャジャンクーの映画によくでてきたダンスフロアでディスコの曲に歓喜する姿が、民衆の唯一のはけ口に見える。

06年長江の三峡ダム建設で水に沈むことになり街が壊される。解体がなされて廃墟のような街をチャオタオが彷徨うシーンは以前も見ていて印象的だった。ただ、最初観た時ほどの衝撃がない。解説を読むと「長江哀歌(エレジー)」「帰れない二人」の未使用の素材も使われているようだ。映画を一作撮るごとに、ジャ・ジャンクー監督はかなりの量の映像を撮影したと察する。ピックアップした貴重な映像もあるだろうが、あくまで既存映像の検証に終わって真新しさが感じられなかったのは残念。

「罪の手ざわり」のシーンで、怪しげなサウナのシーンが印象的だった。サウナの従業員なのに売春を強要されてチャオタオがサウナで男を刺す場面には度肝を抜かれた。ここでもサウナのシーンは出てくるが、その時の素材なのであろうか?マカオに隣接する経済特区、珠海(チューハイ)でのシーンは新しい素材で現代ではないか。

そして2022年の大同に戻る。急激に近代化している。2001年と比較すると、あか抜けている。ただ厳重なるコロナ禍でみんなマスクで重装備だ。そして、ビンはチャオの職場で偶然出会うのだ。

もともとの恋人がくっついて離れてを繰り返すとなると、高峰秀子、森雅之「浮雲」マギーチャン、レオンライの香港映画「ラブソング」という不朽の名作がある。いずれもきれいな双曲線を描くような恋の浮き沈みを描く。同じような展開を期待したが、これまでの素材にわずかな新しい素材を加えただけなので、そこまではストーリー性がみえない。あくまで意図的だと思うが、チャオタオにセリフがなかった。個人的にはチャオタオに肉声で気持ちを語ってもらいたかった場面もあった。

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映画「来し方行く末」

2025-05-09 19:39:04 | 映画(中国映画)

映画「来し方行く末」を観てきました。

映画「来し方行く末」は中国映画、脚本家を目指していたけれども叶わなかった男性の物語だ。リウ・ジアイン監督の作品。現在は葬儀所での弔辞の代筆で生計を立てている。性格は温厚な主人公が弔辞を頼む人たちから故人のことを聞くときの心の動きを映画で見せている。自分の父母の葬儀では、親しい人に弔辞を依頼すると同時に、自ら文章を作った弔辞を読んだ。代筆というのはありえない印象をもつけど苦手な人も多いだろう。現代中国の庶民生活に触れているので興味深く観れた。

中国北京、主人公のウェン・シャン(フー・ゴー)は大学院まで進学しながら、脚本家として商業デビューが叶わず、不思議な同居人シャオイン(ウー・レイ)と暮らしながら、今は葬儀場での〈弔辞の代筆業〉のアルバイトで生計を立てている。丁寧な取材による弔辞は好評だが、本人はミドルエイジへと差し掛かる年齢で、このままで良いのか、時間を見つけては動物園へ行き、自問自答する。

同居していた父親との交流が少なかった男性、仲間の突然死に戸惑う経営者、余命宣告を受けて自身の弔辞を依頼する婦人、ネットで知り合った顔も知らない声優仲間を探す女性など、様々な境遇の依頼主たちとの交流を通して、ウェンの中で止まっていた時間がゆっくりと進みだす。(作品情報 引用)

ごく普通という印象

映画を観ていて状況がよくわからない。最近の中国映画でよくある。セリフでの説明が極度に少ない映画が多い印象を受ける。内容がさっぱりつかめないのだ。逆に、直後に予告編で見直すとテロップで登場人物がどういう人だかがわかる。セリフでなく、映像で見せる趣旨はわかってもちょっと無理がある。クリントイーストウッドの新作を観て、法廷劇で複雑な関係なのに単純明快に理解できる作品を観たばかりなのでなおさらだ。

数人の人物像により現代中国の庶民生活の一面が見れたのは間違いない。弔辞といっても、誰かがスピーチするのではなく、会葬御礼で配られる小冊子に載るようなものなのか?最後まで追悼式自体の構成は明らかにならなかったので、わからない。

男性2人がでてくる同性愛映画かと思い、一瞬ためらったがそうではない。同居人シャオインは自分が書いた脚本の登場人物である想像上の人物だ。弔辞のために白板に年表の故人の履歴を書いていく。その裏側にシャオインの人物像が書いてあるのだ。脚本家を目指したのに、いずれも未完成だった。物語を描くのが苦手、生死スレスレのところに興味があるので今の仕事を選んだという主人公はせわしない中国人の中では呑気者に見えた。

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映画「陪審員2番」クリントイーストウッド&ニコラスホルト &トニコレット

2025-05-07 17:52:22 | クリントイーストウッド

映画「陪審員2番」を観ました。

映画「陪審員2番」は94歳のクリント・イーストウッド監督の新作である。残念ながら日本で劇場公開されなかった。U-NEXTに新作が配信されるというのを知ったのは昨年末。いずれ映画館公開はあるかと思い、気がつくと5ヶ月近く経っていた。今回アマゾンPrime Videoで見れるということでようやく新作に巡り会えた。

父親と公開間もない「ダーティーハリー」を一緒に見に行ったのは中学生の時,こんなにかっこいい俳優がいるのかとその時思った。あれからなんと53年今だ現役でがんばる。クリント・イーストウッド自らが出演せず、いくらメジャー俳優が出演していないからとは言え、クリント・イーストウッドの新作を劇場公開しない日本映画興行界には呆れるしかない。結果、長年の映画歴の年輪を感じさせる傑作だった。

出産を控えた妻をもつ雑誌記者ジャスティン・ケンプ(ニコラス・ホルト)のもとに、ある裁判の陪審員召喚状が届く。被告はバーでケンカ別れをした恋人を大雨が降る帰り道で殺した殺人罪で逮捕された。犯行を否認しているが、バーでの言い争いの目撃証言で容疑に疑いの余地はなかった。陪審員全員一致で有罪評決が出ると思われた。担当検事のフェイス・キルブルー(トニ・コレット)にはこの評決には地方検事長への昇進がかかっていた。裁判では強く陪審員に被告の有罪を訴えていた。

犯行の具体的経緯を聞き、ジャスティンは当日そのバーにいたことに気づく。雨の中帰り道で車に何かが当たっていた気がしたが鹿だと思っていた。やがて自分がひき逃げをしたのではないかと思うようになる。陪審員どうしのミーティングでジャスティン以外の全員が有罪を訴える中で、ジャスティンはもう少し討議した方がいいのではといい出す。同時に他の陪審員のなかで、元刑事の陪審員(JKシモンズ)が被告の犯行に疑いを持ちはじめ調査に動く。

いかにもクリントイーストウッドらしいすばらしい作品だった。余韻のある結末には、思わずさすが!と感じた。

過去10年程度のクリント・イーストウッド作品の中でも、上位に位置するべき作品である。最後までハラハラさせられる展開、簡潔な演出と編集。数多い登場人物の存在感と俳優の適切な選択。そして,クリント・イーストウッド作品に共通する音楽や美術の独特のムードに惹かれる。しかも、法廷劇であってもセリフは簡潔で難解ではなくわかりやすい。今更ながら、この映画を映画館で堪能したかった。

陪審員を選出するにあたり、担当検事と弁護士が陪審員候補者たちと面談する場面がある。本事件に関わっているかどうか聞く場面だ。正直なところ、陪審員制度でこういう面談があることを自分は知らなかった。面談時にジャスティンは自分がこの事件とは関係ないと思っていた。ところが、概要の説明を受けると当日車が何かに当たった感触でアタマがいっぱいになる。なぜか、被告をかばうかのように、陪審員12人のミーティングで、あえてすぐさま有罪の方向に持っていくのを阻止する。

ここで登場するのが「セッション」の鬼のドラム教師役でアカデミー賞助演男優賞を受賞したJKシモンズだ。警察のバッジをテーブルに投げ入れて自分は元刑事だと告白する。捜査不足だと感じるのだ。殺害現場に向かった後、きっと轢いた犯人が修理に出したに違いないと考える。その時現地に向かった元刑事をジャスティンが追っていた。むかしの職業柄、修理車両のデータを手に入れて調査を始める。その中にはジャスティンの車のデータもある。ジャスティンにとって最初のピンチだ。

実は陪審員は犯罪調査を実際に行ってはいけないというルールがある。修理車両のデータを洗い出した調査もやってはいけないのだ。これが当局の事務官にわかるようにジャスティンが調査資料を落とす。それで元刑事はやりすぎだと陪審員から外される。ジャスティンは危うく最初のピンチを逃れる。

こんな感じでいくつものピンチがジャスティンに襲いかかる。

トニコレット演じるフェイス検事が映画では強い印象を残した。もともと早く有罪での決着をつけて、予定通り出世すればいい。裁判でも強く被告を糾弾する。いっさいの抗弁も認めない。旧知の仲だった公選弁護士から被告はやっていないと言われて、クビになった元刑事の陪審員からも被告は犯人でないとの捨て台詞に少しづつ気持ちが変わっていく自ら調査に乗り出すのだ。しかも、拘置所で被告と面会する。その内面の変化がこの映画のキーポイントだ。トニコレットは自分が好きな女優の1人だが、さすがベテラン。ここでの存在感は主役以上と思わせる。

これ以上はネタバレになるので控えるが、ジャスティンのピンチは波状攻撃のように訪れる。どっちに転がるにせよヒヤヒヤものだった。

緊張感が続き内容は濃い。法廷での弁護士と検察の対決だけでなく、ヘンリーフォンダ主演の名作「十二人の怒れる男」を思わせる陪審員12人の討議など見どころがたくさんで、ジャスティンの家族や被告のバーでのケンカや拘置所でのシーンなど場面が多い。それを簡潔に2時間にまとめる。最近だとついつい2時間半を超えるパターンだ。

検事と弁護士のやりとりを連続的に繋いだり、時間にムダのないようにまとめる。実に老練な技だ。まったく観客をダレさせない編集はさすがクリントイーストウッド作品だと感心する。これまでもクリントイーストウッドの映画を観るたびにもう少しやって欲しいとコメントしてきた。次作はあるのであろうか?

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Netflix映画「新幹線大爆破」 草彅剛

2025-05-06 18:23:52 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

Netflix映画「新幹線大爆破」を観ました。

Netflix映画「新幹線大爆破」は、1975年の高倉健主演の同名映画のモチーフを現代に移して、再度脚本を練って作った作品である。前回は東海道新幹線が舞台であったが、今回はJR東日本の東北新幹線を舞台にしている。主たる新幹線の車掌役で乗客の避難をリードする実質主役は草彅剛である。草彅剛は高倉健の遺作「あなたへ」で指名されて共演している。今回草彅剛は高倉健への思いを胸に作品に臨む。監督は「シン・ゴジラ」樋口真嗣監督で, JR東日本の全面的な協力のもとに作品を完成させている。前回国鉄の協力は得られなかったらしい。

新青森駅の定刻通り出発した東北新幹線「はやぶさ60号」に爆弾を仕掛けた電話が入る。身代金は1000億円だ。いたずら電話かと最初は疑ったが、実際に爆破による火災が起きて、JR東日本当局の運転操作室と電車内に緊張が走る。時速100キロ以下になると爆発すると予告した犯人の電話で、運転手(のん)は速度を守る。当局と車掌高市(草彅剛)が連絡を取り合いながら、車両を切り離すなどの乗客救出策を重ねる中から列車は東京に向かっていく。

娯楽作品として観るとおもしろい。結末がどうなるか最後まで気になる。

犯人の姿が見えない途中まで緊張感を保った後で犯人がわかる。ただ、自分は動機に不自然さを感じた。一作目からの流れを引き継いでいた。

いかにもネットフリックスが関わった日本映画としてはお金のかかった映画である。日本の資本だけではここまでのレベルには達しないはずだ。前作は日本よりもフランスなどの諸外国での興行収入が良かったようだ。名作「スピード」の速度が一定以下だったら爆発する設定も前作の影響と考えられる。巨額の製作費がNetflixから出る理由の1つだろう。

列車の連結や切り離しなどのいろんな設定は、普通の脚本家に技術的知識はないはずだ。JR東日本の協力なくしてリアリティーは出せなかったはずである。理論上可能な設定と考えるべきだ。作品情報等のインタビューを読むと、樋口真嗣監督はまず犯人像をどうするかを悩んだらしい。ディスカッションを重ねた上で決めた犯人はいかにもよくできた推理小説の結末のように意外な設定である。でも、その設定自体には本当にそんなことできるのかなあとノレない気分もあった。

登場人物は多い。JR東日本で新幹線運行の指令を出す責任者(斎藤工)などの関係者だけでなく、乗客に有名人が乗っている設定で女性国会議員(尾野真千子)や人気Youtuber(要潤)まで登場させる。女性国会議員にはスキャンダルがあり、要潤はいつもながらチャラい男だ。現代の世相を反映させる脚本でいずれもハラハラドキドキだ。その他にもリアリティーがあると思うシーンが続き飽きずに見れた。

この映画は固有名詞と数字の使い方が上手だと思う。具体的な地名と距離、速度などの数字に時間をからめてリアリティを高める。Netflixには今後も貧乏自慢の日本映画界にカネをばら撒いていい娯楽作品を作ってほしい。

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映画「6人ぼっち」

2025-05-05 08:27:01 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「6人ぼっち」を映画館で観てきました。

映画「6人ぼっち」は高校のクラスで孤立している生徒6人で修学旅行の自由行動の班を組むことになった青春ストーリーだ。先日観た「今日の空が一番好き。。」友だちがいない大学生の物語だけど、その昔に比較すると孤独な若者が増えているのであろうか?設定を見て気になってしまう。脚本が自分が好きな映画「ハケンアニメ」政池洋佑が担当。宗綱弟監督デビュー作である。

高校2年の自分の修学旅行は中学の時と同じ関西旅行だった。あえて深い想い出をつくる意味で関西を選ぶ教員の意図は正直微妙だが、グループ行動の日程はあった。どうやってメンバーを選んだのかは忘れた。奥京都を散策するのに、思い通りにならないメンバーがふくれていた記憶がある。当時クラス内で完全に1人で孤立する奴っていたかな?とは感じる。期待半分だったけど、バラバラだった仲間が徐々に距離を縮める過程を見るのは悪くない。

 

クラスに一人も友達がいない“ぼっち”の加山糸(野村康太)は、修学旅行前の班決めで、誰とも組むことができずにいた同じ“ぼっち”である5人と同じ班を組まされ、強制的に班長を任されることになってしまう。

メンバーは、自己中で周りから引かれ気味のTikTokerの馬場すみれ(三原羽衣)、ガリ勉タイプで接しにくい新川琴(鈴木美羽)、自慢話ばかりでウザがられている五十嵐大輔(松尾潤)、気が弱く自分の意思を表せない山田ちえ(中山ひなの)、そして何かの理由で不登校になってしまった飯島祐太郎(吉田晴登)、いずれも一癖も二癖もある“ぼっち”の面々だった。

修学旅行の行先は“広島”。みんながヨソヨソしく「友達でもないんだし」と、別々に行動することを提案されてしまい、ギクシャクした中で自由行動がスタートしてしまう。曲がりなりにも班長としての役割を果たそうと奮闘する加山に、渋々従うメンバーたち。

それぞれが行きたい場所を順番に周るという提案に従って行動することになるのだが、広島での修学旅行とは思えない、バッティングセンターや“SNS映え”のためのカフェを巡るうちに、少しだが仲間意識が芽生え始める。しかし、あることをきっかけに誰も予想していなかった事態が起こる・・・。(作品情報 引用)

 

現代高校生の偶像を垣間見れて、想像よりもよかった。

あえて連続して日本の若者の映画を観ている。目線を若者のレベルに落とすのはいいものだ。ほぼ無名な俳優ばかりでメジャーレベルはいない。この映画のストーリーは頭になじみやすい。すんなり入っていける。逆に、感想を残していないが、映画館で観た台湾映画「カップルズ」は若者中心の話なのにさっぱり訳がわからなかった

そのむかし、NHKで「中学生日記」という番組があった。それぞれのストーリーの話題はすっかり忘れているけど、当時のNHKらしい道徳の授業の延長みたいな話が多かった気がする。日曜日の昼いちばんの番組でも、目線があっていたのか意外にクラスメイトは見ていた。この映画で6人の距離が収束するイメージと似ている。

主役の野村康太は長身のイケメンで、誰も友人がいないという設定は不自然にも見える。やったことがないリーダー役になって本を読んだりしながら、思いきって仲間にたどたどしく意見を言うのがいい感じだ。朴訥な雰囲気が良い味を出していている。

自己中女、自慢話が多くうざく思われる男などは、普通だったらクラス内では孤立しそうもない連中だ。ガリ勉の女の子は勉強ができるというだけでスクールカースト上位になるはずだけど孤独だ。あえて言えば、孤立しそうなのは内気で気の弱い山田ちえくらいかな。

まったく6人の呼吸が合わないのに一気に近づくのは中学生日記やその昔の青春ドラマのパターンだ。結末が予測できる時代劇のような気分で観てると気持ちは穏やかになれる。優等生をおとしめる策略を練った時は一体どうなるかと思った。広島が舞台でも、観光案内的になりすぎないところもいい。

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映画「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」 萩原利久&河合優実

2025-05-01 20:14:51 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」を映画館で観てきました。

映画「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」はお笑いコンビ、ジャルジャルの福徳秀介による同名小説を大九明子監督が若手有望株萩原利久と絶好調河合優実で映画化した作品。河合優実が出演しているだけで気になる。主演級ばかり揃う超豪華メンバーのNHK TV小説「あんぱん」にも出演している。普段見ないのに思わず見てしまう。原作の福徳秀介の母校関西大学が実名で全面的に協力しているのが映像でよくわかる。どこにでもいる大学生の物語だ。

冴えない毎日を送る関西大学の学生小西(萩原利久)はしばらく学校休んでから復学する。学内唯一の友人・山根(黒崎煌代)とも再会。京都の銭湯でのバイトも仲間のさっちゃん(伊東蒼)と一緒に閉店後に風呂掃除をしている。小西と同じ講義を受けていた桜田(河合優実)が学食でも1人で食べているのを見つける。気になる存在だ。講義中に桜田の隣に座って、出席カードを代わりに提出してもらうのがきっかけで声をかけて話すようになる。周囲に交わらない桜田に引き寄せられる。なぜか学校外でも偶然に出会って、お互い友人のいない2人が意気投合する。

そんな桜田のうわさをバイト先の銭湯で話していると、さっちゃんは落ち着かない。さっちゃんは小西に恋の告白をしてもう余計なことは言わないと言ったあと銭湯に来なくなる。しかも、小西が約束したのに桜田は待ち合わせに来ない失恋したのか?一気に何もかもうまくいかなくなる。

思いがけずよかった。

普通の恋愛ものだけど、変化球を効かせていて途中からの展開は意外だった。原作者はコメディアンだけに観客を驚かせるのを楽しんでいるようだ。

「花まんま」に引き続きこの映画も関西が舞台。主人公2人は関西人ではないけど、河合優実はこれまで関西舞台の映画に出ていてそんなに違和感を感じない。いかにも関西ぽいおかしな柄の服で登場する。社会の底辺を彷徨う役が続いたのに対して、今度は普通の大学生役だ。「毎日楽しいって思いたい。今日の空が一番好き、って思いたい」というセリフが映画のキーポイントだ。「敵」では立教の学生役で今回は関西大学の学生役と器用にこなす。「さがす」でもうまかった伊東蒼がここでも活躍する。大阪出身で関西弁の映画では映える。

キャンパス内の中に「関西大学」の表示がある。ここまで映画ロケに協力するケースは少ない。関西人は楽しめるだろう。阪急の関大前駅周辺もいい感じで映し出していて、味のあるメニューが並ぶ喫茶店でのやりとりがコミカルで楽しい。主人公小西がバイトする京都の場面もある。主人公2人が水族館で遊ぶ場面があるが、京都水族館のようだ。銭湯も味がある。

 

ネタバレは厳禁だけど

意外な設定には驚いたなあ。そうなる前提がまったくなかったので突然繋がってしまったのはビックリ。長回しが多いのは大九明子監督の得意技だけど、ちょっとしつこいかな?画面分割の手法を効果的に使う。スピッツの曲「初恋クレイジー」の使い方はうまかった。

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映画「IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー」 レオスカラックス

2025-04-30 09:39:13 | 映画(フランス映画 )

映画「IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー」を映画館で観てきました。

映画「IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー」は鬼才レオスカラックス監督「アネット」以来の新作である。前々作「ホリーモーターズ」で奇怪な映像を見せてくれた後に「アネット」ではミュージカル仕立ての部分もあった。さてどんな映像を見てくれるのかが楽しみだ。上映時間は42分と短い。

経緯と作品の紹介は作品情報を引用するしかない。

パリの現代美術館ポンピドゥーセンターはカラックスに白紙委任する形で展覧会を構想していたが、「予算が膨らみすぎ実現不能」になり、ついに開催されることはなかった。その展覧会の代わりとして作られたのが『IT‘S NOT ME イッツ・ノット・ミー』である。

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』。それは「これは私ではない」と題されたセルフポートレート。カラックスが初めて自ら編集しためまいのようなコラージュ。「鏡を使わず、後ろ姿で描かれた」自画像。子供の始めての嘘(フィクション)のような「僕じゃない」という言い訳――。(作品情報 引用)

不思議な映像体験を楽しめた。42分間は短く感じなかった。

レオスカラックス監督作品の常連ドニ・ラヴァンが奇怪な服装で出てくる映像や初期作品のジュリエットビノシュの場面をいじくった映像もでてくる。自らの過去作や古今東西のニュースフィルムの引用などさまざまなホームビデオから映画、音楽が次々と連続してでてくる。映像の断片が盛りだくさんなので、短い感覚がなかった。

前作「アネット」を観た時、それまでの作品よりも予算があったように感じた。その勢いで新作を構想していたのに違いない。でも予算不足で断念。一部新しい表現があっても旧作の引用だけど編集にすぐれる短い時間を緊張感をもって過ごせる。それ以上は書きようがない。

そこにはストーリーも結論もないが、至る所に見る者の心を揺さぶる声や瞬間がある。難民の子供の遺体に重なるジョナス・メカスの声。留守電に残されたゴダールの伝言。娘のナスチャがピアノで奏でるミシェル・ルグランの「コンチェルト」のテーマ。

主観ショットで捉えられた『汚れた血』のジュリエット・ビノシュ。『ポーラX』のギョーム・ドパルデュー(1971-2008)とカテリナ・ゴルベワ(1966-2011)。盟友だった撮影監督ジャン=イヴ・エスコフィエ(1950-2003)への献辞。その後で、不意に訪れる驚嘆すべき素晴らしい終幕――。すべてが親密で私的で詩的なカラックスからのメッセージだ。(作品情報 引用)

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映画「JOIKA 美と狂気のバレリーナ」 タリア・ライダー&ダイアン・クルーガー

2025-04-27 07:14:01 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「JOIKA 美と狂気のバレリーナ」を映画館で観てきました。

映画「JOIKA 美と狂気のバレリーナ」は実話に基づく米国からロシアに渡ったバレリーナの物語だ。主役のジョイは米国で実績を積んだ後でロシアに渡り、名門ボリショイ・バレエ団の舞台に立つのが夢のバレリーナだ。バレエが題材でポスターの雰囲気からすると、ナタリーポートマンがアカデミー賞主演女優賞を受賞した「ブラックスワン」を連想する。同じようなサイコスリラーを思わせる予告編を観るとおもしろそうだ。アメリカ人女性で初めてボリショイ・バレエ団とソリスト契約を結んだジョイ・ウーマックの実話が題材だ。

主役のタリア・ライダーは望まぬ妊娠の物語「17歳の瞳に映る世界」で観て以来だ。きびしい指導のコーチ役をダイアンクルーガーが演じる。このブログができた頃は好みの女優で何度も取り上げた。英国ロイヤル・バレエ団でダンサーを目指していたそうだ。レイフファインズ監督のバレエ物語「ホワイト・クロウ」オレグ・イヴェンコは亡命するダンサーを演じた。今回はジョイカの恋人役だ。ストーリーのアップダウンが激しく、次々に展開が変わる映画だった。

15歳のアメリカ人バレリーナ、ジョイ・ウーマック(タリア・ライダー)の夢はボリショイ・バレエ団のプリマ・バレリーナになること。単身ロシアに渡りアカデミーの練習生となったジョイを待ち構えていたのは、常人には理解できない完璧さを求める伝説的な教師ヴォルコワ(ダイアン・クルーガー)の脅迫的なレッスンだった。

過激な減量やトレーニング、日々浴びせられる罵詈雑言、ライバル同士の蹴落とし合い。ボリショイが求める完璧なプリマを目指すため、ジョイの行動はエスカレートしていく…!(作品情報 引用)

とても実話に基づくとは思えないほど紆余屈折が激しい物語。逆転に次ぐ逆転で期待を大きく上回るおもしろさだった。必見だ。

ともかくボリショイバレエ団のプリマバレリーナになるための上昇志向が強い。自信満々で米国からロシアに渡ったのに一筋縄では行かない。アカデミーでのコーチの指導は常に罵声できびしい。ライバルも多い。周囲のバレエダンサーから嫌がらせも受ける。選ばれるために足の引っ張りあいだ。追い詰められて気持ちが空回りしてしまうこともある。何度も理不尽な目に遭う。まともな精神力ではもたないだろう。スポーツ根性モノにも共通する流れだ。

「ブラックスワン」は頂点にいるプリマがライバルの存在に精神の安定を失う映画だったのに対して、この映画は頂点に這いあがろうとするのに次から次へと障害となる出来事が起きる展開だ。副題に「狂気」とあるが、完全に精神の安定を失ったわけでない。むしろ、不屈の精神で立ち上がる。レジリエンスが強いのかもしれない。

⒈ロシア人でないと認められない

同じバレエアカデミーには男性のバレエダンサーも練習している。その中のニコライと仲良くなり時折会うようになる。ジョイは腕をあげて世界最高峰のバレエ団ボリショイバレエ団員になろうと日夜練習を重ねてチャンスをつかんだ。心配で仕方ない故郷アメリカの家族にもいい結果になりそうと連絡する。

ところが、いよいよ選ばれたかと思ったのに選ばれない。何故なの?と嘆くジョイにロシア人でないからだとの無情な声。そこで落胆のジョイは決断する。ニコライと結婚すればロシア人になれると。これもすごい話だ。ニコライの母親立ち会いのもと結婚して証明書を鬼コーチに渡すのだ。あらゆる手段を使って入団しようとする。ここまでやるか!

⒉スポンサーが必要

ボリショイバレエでもプリマになりたい。それにはスポンサーも必要だ。共産圏社会でなくなった後も、旧ソ連、中国は裏の何かが動く社会だ。ビジネスにはコネクションがつきものなのは旧共産圏だけではないだろう。有力者からの接近がありジョイはセットされた夜の逢引きに臨む。這い上がるために女の武器をあえて使う女性ダンサーもいるだろう。裏ではありがちな話だ。ところがそうしなかった。結局は退団を余儀なくされる。

あるマスコミに一部始終をバラすと、逆にマスコミを通じて「裏切り者」とのバッシングを受けて新聞にも記事が掲載されてしまうのだ。あえて結婚したニコライからも白い目を向けられる。悲しい。ジョイは行き場を失い転落する。

⒊何度も窮地に陥る。

ここまで主役を何度も落胆した気持ちに陥らせる映画も少ないだろう。これは最後の最後まで続く。アカデミーでの鬼コーチの指導だけでなく、アカデミーでボリショイバレエ団員を目指して競い合うダンサーの陰湿なイジメでチャンスを逃しそうになる。ボリショイバレエに入ってからも、よくありがちなセクハラに逆らって裏切り者の烙印を受けるし、気がつくとトイレ掃除で生計を立てる始末。

それらのどん底に堕ちる場面を切り抜けていく。運がいいのかもしれない。実はいろんな人に支えられている。最後に向けて思わぬ人から救いの手を差し伸べてもらう。その後でもピンチが訪れる。そんなジョイを捉えるカメラワークも良くハラハラドキドキの展開であった。

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