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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「F1/エフワン」ブラッド・ピット

2025-06-30 17:16:24 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)

映画「F1」を映画館で観てきました。

映画「F1」ブラッド・ピット主演のF1レーサーの物語だ。監督は「トップガンマーヴェリック」ジョセフ・コシンスキー。「トップガンマーヴェリック」には感動した。予告編で観るレース場面に同じような臨場感が期待できそう。古典的なサクセスストーリーでブラッドピット流れ者の一匹狼ドライバーだ。西部劇にも日本の時代劇にもいくらでもある物語だ。そんなことはどうでもいい。ともかくF1レースの迫力が凄すぎる。自分は映画館原理主義者でないが、これを配信で見る奴はありえない

車上生活者のドライバーソニー(ブラッドピット)がアメリカデイトナの耐久レースに参戦している。高順位にあげるレース請負人として独り気ままに日銭を稼いでいる。1990年代にF1で活躍し、大クラッシュを起こして姿を消した。そんなソニーの前に低迷中のF1チーム(APXGP)を率いるルーベン(ハビエル・バルデム)が突如現れる。チーム浮上のために旧友のソニーにF1復帰を三顧の礼で乞うのだ。

チームには若い自信家のドライバーのジョシュア(ダムソン・イドリス)や女性初のテクニカルディレクターのケイト(ケリー・コンドン)がいるが、目下最下位。突然現れたソニーの常識破りの言動にチームの面々は反発して衝突を繰り返す。それでも徐々に信頼を得るようになる。

大画面に映えるレース場面の迫力がすばらしい!

いきなり映像に映るデイトナのナイトレースシーンでのブラッドピットがカッコ良すぎる。一気に引き込まれる。ただ、カッコいいシーンだけが続くわけでない。レースシーンでは全速力で走るクルマが大量に大破する。CGだけの世界ではない。実物のクルマが次々とクラッシュするのだ。このスタントは命がけだ。これまでのレーシング映画を超越する。レースシーンの興奮が2時間半以上続いても飽きない。

正直言ってF1について詳しいわけではない。この映画ではただ単に全速力で走らせるだけでない。ルールを熟知したものだけが知るレースの駆け引きのようなものが散りばめられている。イエローフラッグやレッドフラッグがもつ意味などはルール以上に奥深いものと初めて知る。

制作費が2〜3億ドル規模だという。日本映画ではありえないレベルだ。何度もクラッシュするごとに予算は増えていっただろう。チームを率いる役のバビエル・バルデムがレースのクラッシュシーンでアタマを抱えるシーンが何度もでてきた。映画の予算管理をするプロデューサーも同じような心境だったろう。そのおかげでこれだけのすばらしい映画ができるのだ

⒈いきなりのレッドツェッペリン

デイトナのナイトレースにブラッドピットが登場する。いきなりぶっ飛ばす。なんてカッコいいんだろう。バックで流れるのがロバート・プラントのヴォーカルでレッド・ツェッペリンのセカンドアルバムから「Whole Lotta Love」だ。もう1000回以上は聴いているけど、こんなに気分が高揚することはない。ジョセフ・コシンスキー監督が「トップガンマーヴェリック」でいきなり「Danger Zone」を流して自分を興奮させたのとまったく同じパターンだ。背筋がゾクゾクする。

実はこの曲の歌詞はかなりエロい。翻訳すると18禁そのものだ。でもそんな感じがしないで映像に見惚れているうちに 有名なジミー・ペイジのギターソロだ。タイミングがレースの緊張感と完璧に合ってピッタリだ!レッドツェッペリンの曲の力、臨場感あるカメラワーク、そしてブラッド・ピットのカッコよさ。 この3つが揃ってるから、いきなり高揚感が高まる。

ジョセフ・コシンスキー監督のインタビューを読むと「冒頭の数分間で観客を物語に引き込むのが監督の役目だ」と言っている。なるほど有言実行だ。「ブラッド・ピットだから絵になる」とも言い切れる。

⒉FIレースでの駆け引き

 ルイス・ハミルトンが製作側の総指揮&技術監修として加わっている。ルイス・ハミルトンは現役F1ドライバーの中でも別格と言われる存在で、歴代最多タイ7回のワールドチャンピオンを持つ伝説級のドライバーだ。そんな人物がメンバーに加わると映画の奥行きが広がる。

主人公のチームが対決するドライバーの名前にハミルトンの名前が出てくる。映画はフィクションだが、あえて意識したのか肝心なレースの時に上位を競い合う最強ドライバーがハミルトンだ。名前を貸したのが良かった。

おもしろいと思ったのが、雨のレースの時のタイヤのチョイスの場面だ。300km/hを超えるスピードで走り、コーナーワークではタイヤも消耗するだろう。「タイヤ選択」におけるドライバーの勘とピットの戦略ミスが勝負のカギになるのだ。特に雨のレースではなおさらだ。この辺りの雨天対策をストーリーに織り込む。

ソニーは悪知恵が働く。接触事故を起こして赤旗でレースを中断させ、仲間と先行車の差を詰める。イエローフラッグやレッドフラッグにこんな深い意味があるなんて初めて知る。停止=リタイアというわけではないF1のルールも示す。マシンやコース、駆け引きを知り尽くしている人物が製作者にいるのでストーリーもただ走らせるだけにとどまらせない。すごい!

デイトナ・インターナショナル・スピードウェイにおける冒頭ナイトレースは、2024年ロレックス24時間(耐久)レースのレースウィークに撮影されたようだ。アブダビ・ヤス・マリーナ・サーキットもレーシング場面で出てくる。

⒊カメラワークのすばらしさ

監督のジョセフ・コシンスキー「トップガン マーヴェリック」撮影技術チームをこの映画でも参加させる。大画面で観るとものすごい臨場感である。「乗り物に乗せるカメラ技術」をF1に応用しているのだ。これまでのレース映画はほとんどがCGや過去映像の合成だったと違いがわかる。

解説を読むと、主人公のチーム(APXGP)のマシンは改造F2シャシーに高性能カメラを搭載し、リアルな映像を狙う。これにより「本物のF1カーのすぐ横で撮っているかのような迫力」が生まれている。被写体ブレが少なく“速さ”が分かる映像を目線の高さで撮っている。ドローンは上空から俯瞰するだけでなく、マシンの超接近ショットを追従させ、スピード感を最大化させている。観ていてウキウキする。

時効だと思うが、若き日に某高速道路で200km/hを超えるスピードを出したことがある。一瞬メーターが200km/hより上にふれた時心臓が止まりそうになった。ここではそれを超えるドライブをずっと目で追っていられる。幸せだ。

⒋FIレーサーと体力づくり

以前にF1レーサー中島悟の日経新聞私の履歴書で、科学的フィジカルトレーニングに励んだ記事を読んだことがある。車の運転にこんな体力づくりがいるんだと一瞬驚いた直後にそりゃそうだと思ったものだ。ともかく 強靭な心肺機能が必要らしい。レース中の心拍数は平均160〜180bpm、一部のコーナーでは200を超えることも。またコーナリングで首に強烈な負荷がかかる。鍛えねばならない。コンマ1秒単位の操作を長時間続けながら判断し続ける。そんなことは普通できない。レース後は体重が数kg落ちるそうだ。これは常人では無理だ。

ブラッド・ピットルイスハミルトン監修による特訓で“ベテランFIドライバー”のリアルさを作った。すばらしい。本物のレーサーに混ざってサーキットでドライビングできたのも自ら鍛えたからこそだろう。

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映画「秘顔-ひがん-」パクジヒョン

2025-06-27 08:38:21 | 韓国映画(2020年以降)

映画「秘顔-ひがん-」を映画館で観てきました。

映画『秘顔-ひがん-』は韓国映画のR18+指定のサスペンス・スリラーである。暴力描写が強烈でドロドロしたイメージが強い韓国サスペンスでも、エロティックな描写はなぜか抑え気味な作品が多い。映倫の基準がきびしいようだ。予告編での雰囲気はこれまでの韓国映画とは一味違う大胆さが感じられるので関心を持つ。ストーリーのディテールの予備知識はなく映画館に向かう。

指揮者ソンジン(ソン・スンホン)は、公演を前にしてオーケストラのチェリストでもある婚約者のスヨン(チョ・ヨジョン)が突然失踪し途方に暮れる。「あなたと過ごせて幸せだった」というビデオメッセージのみパソコンに残して消える。

そんな喪失感の中で、ソンジンのもとに公演のために代役のチェリストであるミジュ(パク・ジヒョン)が面接にくる。スヨンの代わりはいないと考えていたソンジンなのに結局ミジュを採用する。知り合ううちに彼女の魅力に惹かれていく。そして、ミジュと食事をともにする大雨の夜、ソンジンとミジュはスヨンのいない自宅の寝室で性愛を交わす。ところが、失踪したはずのスヨンが2人の様子を隣の密室でのぞいていたのだ。

変態映画に見えるが奥が深い。数々の映画にアナロジーを感じる。

いわゆるエロティックサスペンスだ。ソン・スンホンとパク・ジヒョンの絡みは韓国映画にしては大胆な演技である。しかも、清楚な雰囲気をもつパクジヒョンが惜しげもなく美しい乳首を露わにするので男性にはたまらない

ストーリーではチェリストの補充できたミジュはまったくの第三者に思えてしまうのだが、実はミジュとスヨンは音楽の学生時代だった頃からレズビアンの関係だったのだ。その関係が映画のストーリーをさかのぼりながら判明していく。当然婚約者である指揮者は何も知らない。

密室にスヨンが閉じ込められたわけではない。失踪することにしたミジュがスヨンと共謀して密室に入ったのだ。女どうしの愛を交わしていたのに、スヨンが結婚することになり感情がもつれたのだ。そのお仕置きでいったん身を隠すために密室に潜んだスヨンが出られないようにする。しかも、密室から部屋がのぞけて、意図的に自分たちが性愛をかわすのをミジュはスヨンに見せつけるのだ

⒈ファムファタールと悪女映画の色彩

この映画でのパク・ジヒョンの存在は映画の展開とともに変化していく。最初は しとやかな女性、中盤では 情熱的で官能的な恋人、終盤にかけては 計算と狂気を宿した人物になるのだ。

これって往年のフィルムノワール映画でいえば、パク・ジヒョン演じるミジュはファムファタールだ。すなわち「運命の女」で男の人生を狂わせるほどの魅力と魔性をもった女性だ。要はこの映画はミステリアスで危うい悪女映画なのだ。一般に魅了する → 依存させる → 破滅させるという構図である。でも、男は破滅しない。単なる媒介だ。この映画は男がだまされる話ではない。

監禁されたソヨンも実は悪女でもともと悪さを企てる天才的才能を持っていたが、ハマってしまう。しかし、それでは収まらない。結局は悪女対悪女の応酬になる。そう考えると、この映画は奥が深い。

⒉密室空間

ソンジンとスヨンの新居には本棚の裏に密室があった。ソンジンはその存在を知らない。本来スヨンは自ら入ったはずなのに閉じ込められてしまった。この密室を見て、映画「パラサイト」の舞台になる富豪の邸宅にある地下室の空間とのアナロジーを感じた。邸宅の主人が知らない密室空間に元家政婦の夫が密かに住んでいた。あの密閉空間を思わず連想する。

韓国は朝鮮戦争から続く南北の対立やその後の軍事政権による戒厳政治で不安定な状態が続いていた。防空壕的な感覚でこんな部屋が秘密裏にできてもおかしくない。この家を譲ったおばあさんから戦前の731部隊出身者の話も出ていた。そんな密室空間にスヨンは遊び感覚で入ったのに、結局閉じ込められる。いったいどうなってしまうのか映画の終盤まで観ている観客に謎を与える

⒊女の掟と日活ポルノのSM映画とのアナロジー(ネタバレあり注意)

どうなってしまうだろうと観客に思わせて、結局スヨンは救出される。普通の映画であれば、捜索願いを出していた警察がそこにやってきて一件落着の展開となる。でもそうならない。ここがこの映画のミソだ。

あえて警察には言わずに逆にミジュを監禁する。そしてこの密室で女どうしの性愛の境地を極めようとするのだ。そこには男は介在しない。法で裁くのではなく、自分のやり方=女の掟で裁く。女の論理と支配でケリをつけるのだ。これってヤクザが警察に言わずに裏社会の論理で裁くのと同じようなものだ。仁義の世界にも近い女の掟をテーマとするとますます奥が深い。

結局女だけ残る。昭和に遡って同じような映画を日活ポルノで谷ナオミ主演のSM映画で観たことがある気がする。ここにも強いアナロジーを感じる。なんだこれは女どうしの快楽の物語だったんだ。欲望と支配が女の間だけで閉じる構図。これから迎える快楽を目の前にして女の儀式を行いながらエンディングに持ち込む構図に改めて女の怖さを感じる。

 

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映画「中山教頭の人生テスト」 渋川清彦&佐向大

2025-06-26 08:34:12 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「中山教頭の人生テスト」を映画館で観てきました。

映画「中山教頭の人生テスト」渋川清彦演じる主人公の中山教頭の奮闘を通じて、現代の小学校が抱える多様な課題と、そこで働く人々のリアルな姿を深く掘り下げた作品である。監督脚本は「夜を走る」佐向大だ。個人的には、この作品は2022年の日本映画では上位に入る評価をしている。予測不能な展開で実に面白かった。スクラップ工場で働く工員が夜に面倒なことに巻き込まれる話だが、周辺業界や裏社会を丹念に取材していた形跡がよくわかる快作であった。

その佐向大が新作を作ることへの期待、渋川清彦の渋い演技が楽しみたいという思いで映画館に向かう。公開館が少なくすべり込むように観たけどよかった。

山梨県のとある小学校。教頭の中山晴彦(渋川清彦)は、教員生活30年を迎えた教育現場のベテランで誰に対しても物腰柔らかく接する。校長(石田えり)と教員との間で、教頭の立場は板挟みだ。校長への昇進を目指しているものの、日々の忙しさから受験勉強はうまく進まない。

それなのに、晴彦は5年1組の臨時担任を務めることになる。子供たちと真正面から向き合うことで、浮き彫りになってくる問題の数々。児童、教師、保護者、そして自身の家族といった、さまざまな者たちの思惑が複雑に絡み合う

一見の価値があるよくできた作品だ。

現代の小学校が直面する課題をこれほど多角的かつ人間的に描きだした作品はないだろう。「夜を走る」が題材にするダークな社会とは真逆の世界だけど、同様に綿密な取材を重ねているのがよくわかる。

エピソードが盛りだくさんだ。多くても消化不良にならない。中山教頭の日常に起こる出来事を丁寧に積み重ねていく。子どもたちの小さなトラブル、保護者からの連絡、教員たちの悩み、そして教育長や校長とのやりとりなど、それぞれは独立したエピソードだ。実は「何気ない」と思っていた一つ一つのシーンが最後に向けての伏線になっており、さまざまなことが繋がっていて伏線を回収する。妙に腑に落ちる。先日映画「親友かも」でも同じように感じたけど、この辺りの佐向大監督の手腕は見事だ。

1. 中山教頭のリアルな苦悩と多忙な日常

教頭という中間管理職の立場が、校長(石田えり)と現場の教師の間で板挟みになり、日々多岐にわたる業務に追われる様子を詳細に描いている。授業準備から生徒指導、保護者対応、近隣住民のクレーム対応、事務作業、さらには本来用務員や保健の先生が担うような業務にまで関わる。これは大変だ過酷な労働環境と精神的負担がリアルに伝わる。中山教頭の奮闘をより人間味あふれるものにしている。

2. 個性豊かな子どもたちの描写

登場する子どもたちは、それぞれ異なる家庭環境や内面を持つ個性豊かなキャラクターとして描かれる。水商売をするシングルマザーの娘、学校にクレームをつける中小企業の社長の息子、気の弱いいじめられっ子、そして優等生に見えても実は裏がある内面を持つ子どもなどがいる。あまりの意地の悪さに閉口してしまった。多様な背景を持つ子どもたちの人間関係の複雑さが、巧みに脚本化されている。

3. 教育長の示唆に富む描写

風間杜夫演じる教育長は、教育行政のトップとしての権威と、女性蔑視が強いよくいるおじさんの一時代前の価値観を併せ持つ人物として巧みに描かれている。この小学校の前校長で教頭の元上司だ。彼の立ち居振る舞いからは、教育行政の奥深さや、世代間の価値観のギャップが感じられる。個室の割烹でくつろぐ姿は交際費がふんだんにある民間の役員と似たようなものだ。教育長という役職を理解することができた。

4. 映画が提起する社会問題

映画は現代日本が抱える深刻な社会問題に光を当てている。教員の過重労働や待遇への不満、モンスターペアレンツの存在が教職のなり手不足につながっている現状、そして公務員全体の給与水準が民間企業に比べて見劣りする問題など、教育現場の課題が社会全体の問題と密接に結びついていることを示唆している。

ただ、物語の終盤の一部の展開(校長の不祥事に関する描写など)にありえないと思い、現実との乖離や不自然さを感じる点はある。何かを意図したとしても監督の勇み足だった気がする。それでも、現代教員事情や「現代小学校のリアル」これほどまでに伝えてくれる作品はない。

個人的には自分のベスト作品に出演している「遠雷」でスーパーバディを披露した石田えり「異人たちの夏」風間杜夫の健在が確かめられたのはうれしい

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映画「脱走」

2025-06-23 08:27:01 | 韓国映画(2020年以降)

映画「脱走」を映画館で観てきました。

映画「脱走」は韓国映画。南北の軍事境界線を超えて、北朝鮮の兵士が韓国に脱出する姿を描く。名作「JSA」は板門店での南北兵士の友情を描いた作品であるが、ここでは韓国兵士の存在はない。国境線付近の警備に従事して韓国のラジオ放送を聴きながら自由を求める兵士の話だ。国境の非武装エリアには地雷が数多く埋め込まれていて、脱出は不可能に近い。脱出しようとする兵士はどこに地雷があるかを事前に調査して脱北に試みている。興味深いので映画館に向かう。

軍事境界線を警備する北朝鮮の部隊。まもなく兵役を終える軍曹ギュナム(イ・ジェフン)は、自由を求め韓国への脱走を計画。ついに決行しようとするが、下級兵士ドンヒョク(ホン・サビン)が先に脱走を実行する。そばにいたギョナムは首謀者と疑われて取調べを受ける。

ところが、運良くギュナムの幼馴染で保衛部少佐のヒョンサン(ク・ギョファン)が脱走の顛末を確認に来て、逆に脱走兵を捕まえた英雄としてギュナムを祭り上げてくれる。しかも、兵役終了間際のギョナムを前線からピョンヤンへと異動させようとする。異動すると脱出はできない。タイムリミットが迫りギュナムはヒョンサンの目を盗み、再び軍事境界線を目指して決死の脱出を試みるのだ。

映画としては普通、スリリングだが出来過ぎのストーリー展開。理不尽な北朝鮮の軍隊を皮肉っているのはわかるが都合良すぎの印象を受ける。

これまで脱北を試みた人たちのドキュメンタリーはTVなどで何度か見たことがある。中国国境の鴨緑江や豆満江などの川を渡った後で、ブローカーの誘導されるままにタイやラオス経由で遠回りに韓国に入国する。多額の費用がかかりだろう。実際には現実の脱北の大半は「北朝鮮 → 中国」ルートのはずだ。

この映画はむしろ不可能に近い軍事境界線からの脱出だ。DMZ(南北軍事境界線)付近には地雷が大量に埋められており、撤去されていない。しかも、24時間体制の監視塔・赤外線センサー・自動火器網もあり映画でもそれが示される。脱走兵すなわち国家反逆罪で捕まれば公開処刑だ。成功事例も少ないようだ。それだけに映画になるのかもしれない。

兵役義務を終えて民間で働くことになっている主人公は平壌への栄転の内示も受けている。北朝鮮では最高の栄誉を得るチャンスではなかろうか?それでも脱出を本当に試みるのであろうか?との疑問は残る。脱出にあたっては、拷問のように暴力を振るわれし、銃弾も受けている。普通だったら死んでもおかしくない。でも死なない。出来過ぎというのはそんなところだ。北朝鮮将校たちのダンスパーティなど興味深いシーンもあった。娯楽として観る分にはいいだろう。

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映画「メガロポリス」フランシス・フォード・コッポラ&アダム・ドライバー

2025-06-21 07:18:18 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)

映画「メガロポリス」を映画館で観てきました。

映画「メガロポリス」は、巨匠フランシス・コッポラ監督が長年の構想を映像化にした作品だ。近未来の都市計画を題材にした映画である。主演はアダムドライバーで、ダスティン・ホフマンやジョン・ヴォイトなど往年の名優も脇を固めている。アダムドライバーの母親役タリア・シャイアはゴッドファーザーの冒頭で結婚するドンの娘だ。

ともかく、酷評である。186億円(1億2000万$)の制作費に対してわずかな興行収入しかなかったらしい。巨匠が長年の構想を温めたならもう少し人気があってもおかしくないがそれが実態である。映画の評論を見ても賛否両論と言うより否定の方が多い。個人的には批評が賛否別れるときには観に行けと言う鉄則がある。すぐさま映画館へと向かう。

近未来のニューローマ(ニューヨーク)市、名門クラッスス一族の一員でもある天才建築家カエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)は、老朽化した都市を刷新しようとする新都市メガロポリスの開発を推進する。財政難の中で既得権益に固執する市長のフランクリン・キケロ(ジャンカルロ・エスポジート)は、カジノ建設を計画し、カエサルと真正面から対立する。市長の娘であり、カエサルの恋人ジュリア・キケロ(ナタリー・エマニュエル)は両者の間で葛藤する。またクラッスス一族の後継を目論むクローディオ・プルケル(シャイアラブーフ)の策謀にも巻き込まれる。

わかりづらい映画である。ストーリーが直線的でないので、理解に苦しむ。

フランシスコッポラ頭の中で長年たくさんの映像コンテを構想して、その映像としての具現化を目的とした映画と自分は捉えた。ストーリーはとってつけたような感じがする。人気がないのもよくわかる。

ただ, 186億円と言われる制作費がかかっているんだろうなと映像を見てわかる映画である。ともかく映像コンテが多い。しかも豪華である。セットや衣装にお金がかかっている。

でも酷評だからと言って、ジョン・ヴォイトをゴールデンラズベリー賞にノミネートさせる話にはむかつく。映画ではカエサルと対立する政治の黒幕といった存在である。ジョンヴォイトの演技におかしな点は全くない。むしろ良い味を出している。「帰郷」でアカデミー賞主演男優賞を受賞しており, 70年代から80年代にかけては、まさに主力選手だった。2000年代に入っても黒幕的悪役がうまい俳優としての存在感を持っている。ちなみに娘はアンジェリーナジョリー。そんなジョンヴォイトをおちょくるのはいい加減にしろと言いたい。

⒈フランシスコッポラが好き勝手につくった映画

黒澤明監督の晩年に「夢」と言う作品がある。黒澤明が長年温めた映像コンテを映像化してできた作品である。映画「夢」を見て、それまでの黒澤明作品で感じられる娯楽性がなかった。今回のフランシスコッポラの映画は「夢」と似たようなものである。違うのはかけた費用だ。

フランシスコッポラが私財186億円を投入したとのコメントを読んで, 映画製作で失敗して破産したコッポラがそんなに金持っているわけないだろうと思った。ゴッドファーザーや地獄の黙示録の大ヒットはあっても、その後は、鳴かず飛ばずの興行収入の作品が続いて破産したはずだ。オーバーではないかと考えていたら,コッポラは2021年にカリフォルニアのワイナリーを5億ドルで売却して多額の収入を得たことがわかった。それで謎は解けた。これは最高の贅沢なのだ。

⒉多彩な映像コンテ

ストーリーを直線的に理解するのが難しい作品だ。よくわからないモードで頭脳が戸惑う。それなのに、それぞれのショットでは美的にうなるようなことが多い。こんな場面を映像にしたいと思っていることが理想的な形で具現化されたんだろうなと思う。映画「ミッションインポッシブル」もストーリーがわかりづらかった。でもトム・クルーズのアクションが楽しめれば良い気分でいた。この映画もフランシス・コッポラの映画美学が覗ければいいなと言う気分で観るなら悪くない。

映画の中で登場する巨大なホール、古代ローマを連想させるような円形競技場らしきものや、登場人物が住む豪華な住まいなど膨大なセットが美術監督も加わって制作されたと見受けられる。現在のニューヨークでロケしている映像も多い。完全にセットだけで近未来の都市を表現するのではなく、年輪を重ねる建物がそのまま残った前提で都市が成立していることを示している。それは良いのではないか。

主人公は個別の建物を設計する建築家と違い、都市計画に従事する建築家である。映画「ブルータリスト」エイドリアンブロディが演じた建築家は設計の場面だけでなく、現場でのやりとりもあったが、この作品では違う。セントラルパークのような広い広場に巨大な建造物を建てていく都市計画を担う人物として描く。ただアダムドライバーがしゃべるセリフは建築の能書きと言うよりフランシスコ・コッポラが常に思う哲学的な発言が多い気がするであるから、なおのこと映画がわかりづらくなっている。

⒊シトロエンDS

ディテールだが、個人的に思いがあるクルマなのでシトロエンについてだけ触れたい。普通近未来の設定ならテスラが作っているいかにも近未来らしいデザインの車が登場することが多い。それなのに現代からしてみても約70年前に登場したシトロエンが出てくるのは場違いのようにも思える。でもしっくり合っていた。

シトロエンを初めて見たのは、小学校低学年の時だった。同級生の父親がお抱え運転手で黒いこの映画と同じシトロエンを運転していた。亀型のこのデザインを初めて見たとき、最初はポルシェを連想したがフランスのシトロエンだと言う。何度も見るうちにそのデザインが目に慣れてきて好きになる

その後フランス映画の「怪人ファントマ」が乗るのはシトロエンである。映画「ファントマ危機一髪」で警察に追われるファントマが車のダッシュボードのスイッチを押すとシトロエンが翼を広げて空に飛んでいくシーンに思わず興奮した。当時のませた子供どうしの会話には欠かせない話題だった。ビデオのない時代、この映画が上映されるたびに父親に映画に行きたいとねだった。

もしかしてフランシスコッポラも映画「ファントマ」で見て自分と同じような感動を「空飛ぶクルマ」シトロエンで体験したのかもしれない。1981年にフランスパリに行ったことがある。その時パリのシャンゼリゼ通りを同じ形のシトロエンがたくさん走っているのが目についた。個人的にはうれしかった。ある意味フランス文化の象徴である。シトロエンをアメ車でなく登場させるのには、ファントマの影響が大きい気がした。あくまで個人的感想だ。あとスローバージョンのジャズボーカル「恋は異なもの」がバックで流れるのもうれしかったな。

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映画「リライト」 池田エライザ&橋本愛

2025-06-16 09:47:25 | 映画(自分好みベスト100)

映画「リライト」を映画館で観てきました。

映画「リライト」法条遥の原作を松居大悟監督と脚本家・上田誠が組んで映画化した青春ファンタジーだ。原作は未読。原作者法条遥の名前は初めて知った。早川書房の出版によるSF小説だ。主演は池田エライザ「地面師」の刑事役の印象が強い。松居大悟監督「ちょっと思い出しただけ」は大好きな作品だ。日活ポルノの「手」も観た。脚本の上田誠「前田建設ファンタジー営業部」などで観ている。SF系の脚本が得意のようだ。

300年も未来からやってきた少年が題材らしい。正直SF系は得意ではない。でも、尾道が舞台の設定にノスタルジーを感じて映画館に向かう。

高校3年の夏、美雪(池田エライザ)のクラスに保彦(阿達慶)が転校してきた。ちょっとしたきっかけで美雪は保彦が300年後からタイムリープしてきた未来人だとわかる。美雪は保彦と秘密を共有して二人は恋に落ちデートするようになる。

そして、7月21日、運命が大きく動く。保彦からもらった薬で美雪は10年後にタイムリープする。自宅に帰ると10年後の美雪が現れて、今の美雪に1冊の本を見せ「あなたはこの小説を書く」と告げる。それは保彦が未来で読んで、この世界にやってくるきっかけの本だった。そして未来に帰る彼を見送る。この夏の彼と私の物語を書き、必ず時間のループを完成させるという約束を交わす。

その後大学生になった美雪は懸命に執筆活動に励み、念願が叶って小説家として作品を数冊出版した。いよいよ10年後になり、美雪が書いた保彦との物語が出版される見込みがたった。本を手に帰省して高校生の美雪に会おうと自宅で待っていたのだが。。。

既視感のないストーリーでおもしろかった。ピカイチの青春ミステリーだ。これこそはネタバレ厳禁で、途中からの展開はまったく予想を超える。

この映画のすごいのは、散りばめられた伏線を最後に向けてほぼ回収していくということ。300年も未来から来たことに関しては意外とあっさりで、美雪と保彦の青春ストーリーにすぐ転換する。2人が尾道の町で過ごした出来事のディテールがすべて意味があることがわかっていくのである。最終に向けては思わずうなってしまう

おもしろいストーリーには謎がある。ここでも、ストーリーの転換期に謎ができる。小説家になって認められた美雪が念願の物語をようやく出版することができるようになった時に、他の出版社でストーリーがほぼ同じの本が出版されることがわかる。盗作騒ぎまである。編集者は大慌てである。観客のこちらも「何でそうなるの?」と思ってしまう。そんな疑問があるキッカケで解決に向かうけど、ネタバレ厳禁だ。既視感がない映画の行き先を楽しめる。

⒈原作からの変更

 原作者法条遥プライベートは公表していないらしい。他の作家と異なり作品の制作裏話や個人的な感想を積極的に語るタイプではないようだ。ちょうど今月日経新聞私の履歴書の欄は早川書房の社長である。先輩でもあり、毎日読んでいるがSFミステリーの大御所の出版社に認められるのは容易ではないだろう。認められるまでの苦労もストーリーには軽くにじむ。

原作では中学2年生とその10年後らしい。ここでは高校3年生と27から28才位の10年のギャップにしている。今回は同じ俳優が2つの世代を演じている。違和感はない。中学生とその10年後だとむずかしいだろう。設定変更は正解だ。それだけでなく、結末にも変更を加えているらしい。年齢の設定を変えたり舞台を尾道にするだけでなく、結末を変えるにあたっては脚本家と監督の手腕が効いてくる。これだけおもしろい映画になったのは松居大悟と上田誠の貢献が大きい。上田誠には脚色賞をあげたい。

⒉尾道のロケ

尾道といえば大林宣彦監督作品である。映画を観ていて池田エライザの母親役が大林映画で名を上げた石田ひかりなので妙にうれしくなってしまった。何といっても海というか海峡の尾道水道を高台から臨む景色が美しい。歩いても上がれるが、映画にも映るロープウェイで上がった時にある千光寺は自分も妻や娘と行ったのですぐわかる。寺の境内で池田エライザと阿達慶が風鈴が鳴る中でたたずむシーンが素敵だ。

夏祭りで花火を見るために御袖天満宮に行くシーンもいいなあ。高校が実在の瀬戸田高校で撮影されたようだ。海が見える高校って最高だよね。自分からするとありえない。もし通っていたら人生変わったかもしれない。

この映画では夜に尾道水道の海岸で撮ったシーンも目立つ。これまで尾道を舞台にした映画は昼の尾道を映し出していたことが多い。2年前の「高野豆腐店の春」も尾道が舞台だった。昼に藤竜也が妙齢の女性と海岸でたたずむシーンがあった。もちろんそれでもいいけど、違った視点で今回はよく見えた。全面的に尾道市がこの映画を応援しているのはよくわかる。

⒊池田エライザと橋本愛

池田エライザの存在はNetflix「地面師」で知った。地面師を追う新米刑事役だ。先輩刑事のリリーフランキーが亡くなった後に正義感を持って地面師を追う姿でカッコいい子だなと感じた。彼女の履歴では観ている映画は割とあるけど全然記憶にない。今回は高校生の恋のトキメキと大人になってからの騒動への戸惑いをそれぞれ巧みに演じて良かった。今後も追っていきたい女優だ。

後半に向けて存在感を増したのは橋本愛だ。CMや主演ドラマでチヤホヤされる時期は過ぎたかもしれない。でも大河ドラマでは主演の横浜流星の妻役だ。高校の同級生役で東京居住で今回クラスの同窓会があって故郷に戻ってきた。謎めいた雰囲気を持ち、今までの橋本愛の役柄と違うタイプだけど上手い。見直した悪女を演じさせてもこなす素養があると感じる。

結果的に原作から年齢の設定を変えたおかげで池田エライザと橋本愛の好演に出会えて良かった。いい映画がつづくなあ!

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映画「ラ・コシーナ/厨房」ルーニー・マーラ

2025-06-15 17:19:43 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「ラ・コシーナ/厨房」を映画館で観てきました。

映画「ラ・コシーナ/厨房」は、ニューヨークの大型レストランの厨房で働く様々なルーツを持つ移民たちのパフォーマンスを描いた映画だ。監督・脚本はメキシコ人のアロンソ・ルイスパラシオス。英国の劇作家アーノルド・ウェスカーの戯曲「調理場」を基にしている。戯曲の存在を知るのは初めて。大好きなルーニー・マーラが出ていることと料理を題材にしている映画は見るようにしているので、早速映画館に向かう。

ニューヨークの大型レストラン「ザ・グリル」の厨房は、いつも目の回るような忙しさ。ある朝、店のスタッフ全員に売上金盗難の疑いがかけられる。加えて次々に新しいトラブルが勃発し、料理人やウェイトレスたちのストレスはピークに。(作品情報引用)

極めて不愉快な映画であった。

ただ、厨房で働く人たちの風景を映し出したカメラワークは素晴らしく、これまで見たことない一筆書きのように連続して厨房内を映し出すショットには驚く。

現代のニューヨークが舞台とのコメントもあるが、ルーニー・マーラ公衆電話を使っていること、事務室の机の上のデスクトップパソコンの型式、厨房へのオーダーのシステムなどを見ると、90年代と想像できる。自分も90年代後半にニューヨークのレストランで食事したことがある。映画の客席はそのときと似ている感じだ。自分は割と大食いの方であるが、あまりに想像を絶する肉とデザートの大きさに圧倒された。当然、厨房の裏側を見たわけではない。

これまで厨房内のパフォーマンスを映し出す映画では「ディナー・ラッシュ」「ボイリング・ポイント」が迫力ある描写をしていた。ここでも厨房内は怒号が飛び交う。せわしなく動き回る料理人たち、立ち込める湯気食材が飛び交う様子など流れるように厨房内を映し出すショットは前述2作をはるかに上回ると言える。ウェイトレスが運ぶお皿が落ちてしまう時には思わず大声が出てしまった。その点では評価して良いと感じる。ただ、働く従業員の一部があまりにハチャメチャなのでむかつくだけだ。

原作の戯曲の内容を知らないが,社会主義思想に基づいた戯曲であろう。このレストランで働いている従業員は、まさに人種のるつぼだ。白人がわずかで、メキシコ系を中心にしてモロッコやアフリカ系など様々な移民が、狭い厨房という空間で、時にはぶつかり合いながら働いているのだ。ストレスや感情をぶつけ合う移民たちの鬱屈した心を表現しようとする原作の意図をメキシコ出身の監督が大げさに表現しようとしている。しかも、従業員の誰かがカネを盗んだと疑われているわけだ。わざと観客を不快にしていることはよく理解できる。

それにしても、厨房内における実質主人公に近いペドロのパフォーマンスは最低だ。周囲にいる従業員をかき乱す行為だけでなく食材を大事にしないのは料理人としてあるまじき行為だ。これを見るだけでとても不愉快になる。料理人としての立場を全く心得ていない。観るのがツラい。映画はモノクロだ。これも食材を大切にせず、単にキレるだけで厨房や客席を汚物だらけにする映像は出せないからだろう。

不愉快になる事は覚悟の上で映画ファンとしては一部の素晴らしいショットを見るために、映画館に向かう手はあるかもしれない。ルーニーマーラは相変わらずかわいい。

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映画「親友かよ」

2025-06-15 07:54:04 | 映画(自分好みベスト100)

映画「親友かよ」を映画館で観てきました。

映画「親友かよ」はタイ映画。カンニングが題材の「バッド・ジーニアス」バズ・プーンピリヤ監督がプロデュースした青春映画だ。「バッドジーニアス」は初めて見たタイ映画だったが,むちゃくちゃ面白かった。映像を観ながらひと時代前に比べてタイが近代化されていることに驚いた。そのチームが製作するなら面白いだろうと思っていた。また日経新聞の映画評で時代劇研究家の春日太一が五つ星で絶賛していたのも気になる。プロデューサーがMVやCM作品を見て、その才能を高く評価し推薦した映画初監督のアッター・ヘムワディーが脚本監督をつとめる。

高校3年生のペー(アンソニー・ブイサレート)は転校先で隣席になった(ジョーピシットポン・エークポンピシット)と知り合う。初対面で「友達になりたい」と言う人懐っこいジョーに対し、「もうすぐ卒業だから」と会話に乗り気になれないペー。そんな矢先、ジョーは不慮の事故で亡くなってしまう。ぺーはジョーが書いたエッセイを見つけ、それが実はコンテストで受賞していたことを知る。

ある日、短編映画のコンテストに入賞すると試験免除で大学の映画学科に入学できると知ったペー。父親から大学受験に失敗したら家業の製粉工場で働くように言われていたペーは、その呪縛から逃れるためにジョーの“親友”だと嘘をつき、彼のエッセイを利用した短編映画を撮ることを画策。

そこに、唯一ペーの嘘を知るジョーの本当の親友・ボーケー(ティティヤー・ジラポーンシン)や、撮影のために準備されたiMacに目が眩んだ映画オタクたちが現れ、学校全体を巻き込んでの映画撮影が始まる。新しくできた仲間との創意工夫に満ちた楽しい撮影が進むにつれ、ジョーの思いもよらない秘密を知ることになる 。(作品情報引用)

おもしろかった。ここまで予測のつかない展開の青春映画はめずらしい。タイ映画のレベルの高さを実感した。

単純に進んでいくストーリーではないので、ネタバレ厳禁だけどなあ。ギリギリの線でたどる。物語は一度は美談的なハッピーエンドを迎えそうになるもそうならない。手が込んでいる。

登場人物はそれなりにいても、主要人物は主役のペーと映画スタッフで撮影を担当するボーケーと亡くなったジョーの3人だ。そこに加えて重要人物である第三の男を映画に放つ。この使い方がうまかった。そのおかげで二転三転のストーリーが生まれる。

自分の年代だとタイはどうしても発展途上国に思えてしまう。でも今は違う。教育も含めて何もかも近代化されているようだ。そんな現代タイの高校生事情もわかる。出演者のルックスのレベルも高い。女の子は日本や韓国の美人女優にも見えてくる。バックを包む音楽もストーリーに合っている。横で女性が涙を流していた。自分とは感涙する場面が違っていたけど、人それぞれだろう。

⒈何で映画を撮るの?

そもそも高校3年生の卒業間際に転校は普通だとありえない。要は主人公ペーは不祥事で前の高校を退学させられたのである。運良く拾ってもらった高校に行き、席に着くと、隣の席のジョーから話しかけられる。愛想がないペーだったのに、なんとジョーは交通事故で亡くなってしまうのだ。

主人公はまともに行けば大学には行けない。大学に入れなかったら実家で仕事しろと言われている。それだけは避けたいと思っていたときに,短編映画が認められたら試験免除で大学に入れることがわかる。これしかないと思う。

⒉見破られる嘘と元同級生

主人公は映画を撮ったことがない。題材もどうしていいかわからない。その時ジョーの追悼映画を作ると良いのではと直感で思う。転校してきたばかりなのに、周囲には親友と言い張るわけである。

ペーが映画製作に取り組むことがわかり、ペーのもとにクラスの違う同期の女の子ボーケーが、母親が撮影のプロで撮影器具をもっているので協力させてくれと来る。何でジョーと親友になったのとボーケーが聞くと、中学の時同級生だったからと言った途端、「中学の時、席の隣は私よ。」嘘を見破り怒る。父親が警察官だというボーケーは潔癖症だ。

ところが、学校の集会でペーが映画製作の発表をするのは決まっていた。ジョーの映画はやめてとボーケーに言われていたが、思わず「ジョーが書いて賞の受賞も決まっていた短編を映画化します。」と言ってしまうのだ。会場は大喝采。協力者もでてきて、結局ボーケーも加わる。

この後の映画製作に向けての過程はよくある青春モノのパターンだ。主人公は映画化しようと完成に向けて奮闘する。「テネット」の逆走を真似るところなんて最高だ。遊園地のシーンも感動的。これで無事映画ができるだけで普通は完結する。1時間枠のTVドラマならそうだろう。でもそうならない。

⒊第三の男の存在(半分ネタバレ)

いわゆる卒業記念の集合写真を撮ろうとした時、突如見知らぬ男子学生がペーの隣にくる。不治の病で休学していたので久々の登校だ。ペーと同じようにジョーの隣の席にいたようだ。その後、自宅に快気祝いでペーが招待される。クラスの他のメンバーもいたし、ボーケーも同席した。そこでとんでもない事実がわかるのだ。

この第三の男がいなければ、ここまで複雑で予想外の展開にはならなかった。人間ドラマとして深みを与えている。

以下少しだけネタバレ(未見の方は読まないでください)

実は休学していた男子学生も短編小説を書いていた。たまたま朗読した内容はジョーが発表してコンテストに選ばれた小説と同じではないか。ジョーが休学中の同級生の短編小説を自分のものとして発表したことがわかりボーケーとともにあぜんとする。果たしてこの短編に基づいてつくった映画を発表して良いのか?潔癖症のボーケーはペーを責める。

そんな感じで進み、はたまた二転三転するのだ。これからの展開は言わない。

当然プロデューサーも関わったと思うけど、いい感じでまとめている。その節目に予想外の進み方をして読みをはずすのは上手い!十分に堪能できた。

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映画「MaXXXine マキシーン」タイ・ウェスト&ミア・ゴス

2025-06-11 21:29:40 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「MaXXXine マキシーン」を映画化で観てきました。

映画「MaXXXine マキシーン」タイ・ウェスト監督ミア・ゴスと三度タッグを組んだ「X エックス」、「Pearl パール」に続く3部作の完結編だ。A24製作で舞台は1985年のハリウッド。ポルノ女優マキシーンがスターになる夢を追い求め、ホラー映画の主役の座を掴むのに周囲では謎めいた殺人事件が続発するという物語だ。

1980年代のロサンゼルスって好きな街だ。その雰囲気が観れるだけで強烈な吸引力だ。正直言って前作「Pearl パール」は自分の好みではないが、ホラーの度合いが弱まるようなので映画館に向かう。

1985年のハリウッド、ロスアンゼルス市民は連続殺人鬼「ナイト・ストーカー」の恐怖に怯えていた。そんな緊迫した状況の中、ポルノ女優のマキシーン(ミア・ゴス)はホラー映画のオーディションに応募する。監督(エリザベス・デビッキ)に選ばれて念願かなって「ピューリタンⅡ」の主役を射止めるが、彼女の女優仲間や親しい人物が一連の殺人事件で次々に殺されていく。

マキシーンの過去のことで私立探偵(ケヴィン・ベーコン)が執拗に接触してくる。その上、殺人事件の犯人がみんなマキシーンの知り合いなので刑事(ミシェル・モナハン)と相棒の刑事からマークされる。マキシーンは監督に迷惑をかけないように自ら行動を起こす。

B級映画のムードがムンムンするサスペンススリラーだ。

ホラー色は強くはなく、続編というより単発のサスペンスとしても楽しめる。ハラハラドキドキの場面が最後まで散りばめられている。

1985年当時のファッションに身を包む面々をクローズアップする。今となっては鈍臭いネオンや良き時代のディスコやレンタルビデオ屋などを背景にしてロサンゼルスの雰囲気が再現されている。基調の音楽も魅力的である。80年代のB級映画へのオマージュも随所に感じられる。セリフも粋だ。ホラー映画でハリウッドスターになったのは誰だなんていい感じだ。

「ナイト・ストーカー」実在した犯罪者の異名で残虐な犯行にロスは震撼した。本物のヒッチコック「サイコ」の家が使用されているのにもビックリだ。

⒈強烈なミア・ゴス

ミアゴスの圧倒的な存在感が見もの。オーディションに現れたマキシーンはいかにもアバズレ女だ。ポルノ女優だったんですよねとの質問にうろたえない返答である。自信たっぷりにハリウッドの製作者や監督の前で堂々と振る舞う。そして胸を出してみてと面接官に言われて服を脱ぐ。

ここで惜しいのはバストを映像にさらさないこと。同年代で主演を張るフローレンスピューは新作でも乳首も見せてくれるのに出し惜しみだ。残念

それでも、ミアゴスは悪党と対峙するアクションシーンも多く危機一髪の状況に何度もなる。こっちもドキドキするようなシーンを堂々とこなしていくのはすごい。

⒉ハリウッドスターを目指す若者

ハリウッドスターを夢見る俳優の卵の話やハリウッドの光と闇を描いた映画は以前から数多く作られている。直近の「ラ・ラ・ランド」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」に加えて、デイヴィッドリンチ監督「マルホランド・ドライブ」も当てはまる。ハリウッドではなくブロードウェイだが「イヴの総て」も同じ類だ。映画の途中で「マルホランドドライブ」を示す道路標識も出てくる。

ただ、今回のミア・ゴスは他の新進スターたちと若干雰囲気が違う。スターダムを夢見る人々の欲望は同じでも、エマ・ストーンやマーゴット・ロビー、ナオミ・ワッツ、古くはアン・バクスターイメージは正反対に近いアバズレぶりだ。ポルノ女優出身だと開き直っている。これはこれでいいのではないか。

⒊脇を固めるベテランスター

ケヴィン・ベーコン演じる私立探偵など脇役に曲者を揃えた。登場人物はくせ者ぞろい。まったく訳がわからない存在がいいのだ。

女性陣では、モデル出身の刑事役のミシェル・モナハン、監督役のエリザベス・デビッキはメジャー映画で主人公の恋人役などの準主役的存在だった。殺される女優役のフィルコリンズの娘リリーコリンズ「あと1センチの恋」で主役を張っている。この美女たちを脇に回させるミア・ゴスもすごいではないか。セリフにもあったが、A級のキャストなどの素材でB級映画をつくっている感じで仕上げる。

 

⒋抜群の選曲センス

基調となるタイラーベイツの音楽が良いのに加えて1985年のムードが充満する映像にバックで流れるミュージックのセンスが抜群だ。

 フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド (Frankie Goes to Hollywood) の曲も良いし ローラ・ブラニガン (Laura Branigan) の「Self Control」は映画のムードにあっている。いかにも1980年代後半で昭和の最後のディスコの雰囲気を持つ。

エンディングロールで流れる曲がキム・カーンズ (Kim Carnes) の「Bette Davis Eyes (ベティ・デイヴィスの瞳)」なのにはむちゃくちゃしびれた。この歌詞って意味深。ベティ・デイヴィス「男がやると尊敬される。女がやると嫌われる」という名言も、映画のテーマ性を深める映画の内容にあっている。ベティデイヴィスといえば「イヴの総て」にも出てくる最後はホラー女優で終えた大スターだ。ホラーの名手タイ・ウェスト監督もかなり意識しているな。

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映画「国宝」 吉沢亮&横浜流星

2025-06-10 05:13:59 | 映画(自分好みベスト100)

映画「国宝」を映画館で観てきました。

映画「国宝」は任侠人の息子に生まれた男が歌舞伎の世界に入り、女形として身を立てようとする道筋を描いた吉田修一の原作を映画化。吉田修一は黒装束の裏方として歌舞伎界に3年身を置いていたようだ。名脚本家の奥寺佐渡子が脚色して監督は「悪人」李相日だ。相当な準備期間を経て製作された前評判の高い映画である。

とにかく豪華キャストだ。主演の吉沢亮のライバルになる師匠の息子が現在の大河ドラマの主役横浜流星で,国際派俳優の渡辺謙が師匠役だ。その妻を梨園出身の寺島しのぶが演じる。上映時間が約3時間と長いけど、作品の出来を期待して映画館に向かう。

長崎で任侠の頭である立花権五郎(永瀬正敏)の宴会に歌舞伎役者花井半二郎(渡辺謙)が訪れる。そこでは組長の息子立花喜久雄が女形の芸を披露していた。ところがその場に敵対する組が押し寄せ立花組長は殺される。

喜久雄は父の復讐に燃えていたが果たせず、上方歌舞伎の丹波屋・花井半二郎の元で預かってもらう。半二郎の息子俊介とともにで芸の稽古に励むことになる。稽古は厳しいながらも、半二郎から花井東一郎の名を与えられようやく重要な役を掴むようになる。

その後半ニ郎の負傷で図らずも十八番「曽根崎心中」の代役が回ってきた。当然、息子の俊介(横浜流星)が演じるべき話と誰もが思ったのに、半二郎が指名をしたのは喜久雄(吉沢亮)だった。そこで葛藤が生まれ俊介は喜久雄を追って長崎から移り住む春江(高畑充希)と一緒に暮らすようになり歌舞伎界を一旦離れる

すばらしい作品だ。当然のごとく日本映画の今年ナンバーワンになるであろう。

最初に長崎での襲撃場面で一気に観客の心をつかむ。その後も高いレベルで観る自分を刺激するシーンが続く。歌舞伎の舞台だけでなく、芸者のいるお座敷での和のショットもいい。撮影も適切なアングルだ。原作を読んでいないので、次の展開はどうなるんだろうと思わせて物語は進むので長時間でも飽きない

自分は歌舞伎には詳しくないが、各俳優が演じる歌舞伎のシーンは呆れるほどすばらしい。出演するたびに毎回強い存在感を示す田中泯(女形の小野川万菊)がここでも怪優ぶりを発揮した。

吉沢亮演じる外様の歌舞伎役者と血統を受け継ぐ横浜流星ライバル物語である。高校生の時、長崎から引き取られた喜久雄は稽古に精進して、師匠の息子俊介と肩を並べる。ともに成長していけばよいが、長期間にわたって交互に片方が浮上すると片方は低迷する。ある時期にそれぞれが歌舞伎界から遠のく状態になってしまうのだ。

ここで強調されるのが血統だ。周囲はもちろん花井半二郎の妻(寺島しのぶ)はずっと息子の俊介の活躍にこだわる。

⒈吉沢亮

この映画を観て吉沢亮は本当に運が良かったと思う。昨年末飲み過ぎでうっかりマンションの隣室に入ってしまうという問題を起こした。日本人特有の「過度な足の引っ張り症候群」にやられなかったのはラッキーだ。もし失脚したら、我々はこのすばらしい映画に巡り合うことができなかった。

代役が演技しているわけでなく、このレベルの歌舞伎の立ち回りができるようになるまでかなりの鍛錬が必要だったはずだ。お見事だ。横浜流星と組んだ「二人道成寺」に驚き、「曾根崎心中」では男役と女役の両方をこなす。特に最後の紙吹雪が舞い上がる中での場面には身震いした。3時間を長いと感じさせない。

⒉血統と歌舞伎界

歌舞伎役者の世襲が延々と続くのは仕方ないと思う。それこそ、小学校に入学する前から歌舞伎の道に入るための英才教育を受けている訳だ。タニマチ筋のようなスポンサーもいるだろう。梨園の世界はカネがかかるとその筋の方から聞いたこともある。後ろ盾がない普通の役者が追い抜いていくのは容易ではない。血筋と関係ない片岡愛之助超レアだ。

この映画では主人公の立花喜久雄が高校在学の頃から花井半二郎の門に入る設定だ。まだまだ成長期の頃に超一流の師匠から教えを受けるのなら現実的にはあり得る感じもする。師匠を通じての後ろ盾だってあるからだ。歌舞伎の興行を担う会社の社員(三浦貴大)から世襲でないのにうまくいくわけがないと言われケンカする場面がある。うーんと思いながら見ていたが、三浦友和と山口百恵のセガレがいう言葉なので妙な感じがした。

 

⒊歌舞伎

架空の歌舞伎の劇場として西の浪速座と京座、東の日乃本座の名前が使われていた。実際に撮影した歌舞伎劇場ってどこなんだろうと映画を観ながら思っていた。いわゆる東西の歌舞伎の殿堂である東京の歌舞伎座と京都の南座は使われたのかな?

情報によれば、どうやら南座は使われたようだ。満席のエキストラも南座が会場のようだ。ここが使えるかどうかで映画のクオリティは雲泥の差になる。びわ湖大津館の外観が東京歌舞伎座の雰囲気に近いため、映画の歌舞伎劇場「日乃本座」の外観として、また中村鴈治郎(智太郎)が出てくるロビー稽古のシーンで撮影に使用されたとのことだ。京都の撮影所では、歌舞伎特有の「せり」を再現するための大規模なセットも組まれたようだ。

吉沢亮や横浜流星が演じる以外は実際の歌舞伎役者が相当数出演しているようだし、中村鴈治郎も大物役者役で出演する。寺島しのぶはまさに人間国宝の尾上菊五郎の娘だ。歌舞伎界からは好感をもって受け入れられていると自分は理解する。

⒋女性陣と花柳界

女人禁制の歌舞伎役者の世界なので、あくまで女性は連れ合いだ。立花喜久雄(吉沢亮)には幼なじみで一緒に寄り添うと誓った春江(高畑充希)がいる。ともに背中に刺青をしている。ところが、祇園のお座敷でひいきになった芸妓の藤駒(見上愛)との間に女の子が生まれる。藤駒は結婚しなくていいと言い続ける。そのまま添い遂げるはずだった春江は俊介のもとへ行ってしまう。その後、喜久雄は大御所の歌舞伎役者の娘(森七菜)に惚れられてしまうのだ。

そんな感じで女性関係はゴチャゴチャだ。以前坂田藤十郎(今回出演した中村鴈治郎の父)が若い女性との逢引きアソコを露わにして写真雑誌にスクープされたことがあった。妻の扇千景は芸人だから仕方ないと開き直っていた。でも相当絞られたんだろうと仲間うちで苦笑したものだ。祇園は南座のそばだ。芸妓とその娘をクローズアップして花柳界の世界を垣間見せる場面もいくつかある。最後に向けて現代映画界の人気女優が娘だと名乗り出る。なかなかしびれるシーンだった。

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