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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「バッド・ジーニアス(リメイク)」カリーナリャン

2025-07-15 19:13:20 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)

映画「バッドジーニアス」を映画館で観てきました。

映画「バッド・ジーニアス」は同名のタイ映画のアメリカ版のリメイクだ。タイってこんなに近代化したのかと驚いた作品だ。優秀な高校生がカンニングで答えを教えるのが気がつくとビジネスにエスカレートするタイ映画だった。ストーリーはすんなりいかず、途中からのハラハラドキドキ感がよかった。その時のおもしろさを期待して、二匹目のドジョウを狙って映画館に向かう。アメリカ版ではアジア系のカナダ人のカリーナ・リャン主演である。

コインランドリーを営む父・モウ(ベネディクト・ウォン)と二人、裕福とはいえない家庭で暮らすリン(カリーナ・リャン)。全科目で毎年学年トップの成績を収め、常人離れした頭脳の持ち主だった。高校2年への進級時、リンは一流大学への最短コースとなる名門私立高校から破格の奨学金付きの特待生として迎え入れられる。

転入早々、彼女の案内係のグレース(テイラー・ヒックソン)と仲良くなるが、グレースは落第ギリギリの劣等生。そんな親友を助けるため、試験の最中にリンは消しゴムに答えを書いてこっそり渡してグレースに解答を教え、好成績を取らせてしまう。その才能に目を付けたのが、グレースの恋人のパット(サミュエル・ブラウン)。リンが進学を夢見るジュリアード音楽院の理事も務める富豪弁護士を父に持つパットは、リンの頭脳で学校の落ちこぼれ達を救済する“危険なビジネス”を持ちかけてくる。

期待したほどではなかった。

というより途中で訳がわからなくなりまったく理解ができなくなった。アメリカ版ではSATの試験システムでの集団カンニングが焦点になる。前作では試験の舞台が「タイの一教室」から「国際会場へ」と移る。今回も「カンニングの規模と難易度」がエスカレートする基本的な考え方は同じ。でも、消しゴムを使った古典的カンニングから大きく飛躍しすぎて頭がついていけない

この映画では高校生たちがガラケーを持っている。説明はないが、時代設定は今よりも前ということなのか?実際にSATカンニング事件があったらしい。 SAT特有の“時間差受験”が背景を理解しない日本人には分かりにくい。アメリカではタイムゾーンを跨ぐ国際受験が実際に問題になったことがあるそうだ。

「先に試験を受けて答えを外に送る → 後の時間帯に受ける人に伝える」というスキームは実話がもとになるようだ。突然他人のなりすましで外国人を装った受験の話となると、映画ではルールや仕組みの説明がほとんどないので理解しづらい。

ジョークやコメディーの要素は全くなく、残念ながら頭が混乱したままで映画は終わってしまった。

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映画「スーパーマン」デヴィッド・コレンスウェット

2025-07-12 05:09:37 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)

映画「スーパーマン」を映画館で観てきました。

映画「スーパーマン」デヴィッド・コレンスウェットがスーパーマンを演じるジェームズ・ガン監督の新作。ここのところアメコミの新作は遠慮してきたけど、スーパーマンだけは別格だ。小学校の時、再放送のTV「スーパーマン」に惹かれて興奮して見ていた。「弾丸よりも早く、機関車よりも強く、高いビルもひとっ飛び」そんなイントロの勇姿は忘れられない。

それなのでスーパーマンの映画化はずっと観ている。2016年の「バットマンvsスーパーマン」以来だ。主役のデヴィッド・コレンスウェット「ツイスターズ」に出演しているようだが影が薄い。実質初めてだ。

映画が始まってすぐスーパーマン(デヴィッド・コレンスウェット)はメトロポリスの街でコテンパンに敗北して 遠く南極の氷原に叩きつけられる。氷の要塞「フォートレス・オブ・ソリチュード」で身体を養生して再起をはかり街に戻る。デイリープラネット新聞社ではクラークケントの同僚ロイス(ローレン・ブロズナハン)はスーパーマンを応援しているが形勢はよくない

大富豪のレックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)は現場に出ずに情報戦と代理戦争で手下をコントロールする。スーパーマンの弱点は研究し尽くされて闘い方を見破られる。スーパーマンもやられっぱなしだ。また、ルーサーは自ら利権を得ようとするボラビア国が隣国へ侵攻するのを後押しして世界を混乱させようとする。

形勢不利のスーパーマンの逆襲が見ものだ。

今回の「スーパーマン」は、従来のような「無敵の救世主」にはならない。悪の親玉ルーサーの一味にスーパーマンが序盤から中盤過ぎまでコテンパンにやられる。 正義の力で乗り越えられない現実を突きつけられる構造が斬新だ。しかも、ルーサーはTV放送を通じてスーパーマンは宇宙からの侵入者で悪者だとのプロパガンダを一般市民に植え付ける。絶体絶命がずっと続いていく構造だ。

⒈強い敵と国際情勢とのアナロジー

バットマンも2012年の「ダークナイトライジング」で破産させられたり、トムハーディが仮面をかぶった悪の親玉に対決で敗れてマスクを剥がされる衝撃な場面があった。今回スーパーマンもいきなりの敗北に続き形勢はずっと不利だ。スーパーマンの戦い方、弱点、心理パターンを軍事科学者やAIが解析しているのだ。

南極にある住処を悪玉ルーサーに荒らされてしまう。襲撃で完全に無力化されたスーパーマンは守るだけで精一杯だ。ルーサー陣営の策略で世論もスーパーマンに不信感を持つ。デイリープラネットのロイスたちが孤立しないようにするので手一杯だ。逆転するまで、時間がかかる。

ルーサーが支援する仮想の国ボラビアが隣国への侵略に進む構図はロシアのウクライナ侵攻を思わせる。  ボラビア侵攻×現実のメタファーで国際情勢のリアルさを言わんとする。レックス・ルーサーを演じるのはニコラス・ホルトクリントイーストウッドの直近の傑作「陪審員2番」の主役で配信スルーだけど傑作だった。どこかで観たことあると思った。

⒉近未来テクノロジーの恐怖

ルーサーの一味にはムチャクチャ強い蜘蛛女(スパイダー・アマルガム)がいる。身体には自己修復ナノポット+神経制御用のナノインターフェースが入って、人間離れした生体兵器となっている。しかも、ルーサーはスーパーマンのクローンという代替まで投入して対決までさせるのだ。

映画の途中で「ナノポット」のセリフを観て、AIが人間の頭脳を超越する「シンギュラリティ」を2045年と予言しているレイ・カーツワイルの本を連想する。人間の体内に埋め込まれるナノポットが人間の頭脳を超人化させる記述がある。思わずうなった。加えて、スーパーマンのクローン人間も登場して未来に向けての技術の進化と人間性の喪失を描く。テクノロジーに依存した兵器は制御が効かなくなり暴走する。実際に恐ろしい未来が来なければいいけど。

⒊周囲の支えと愛犬クリプト

クラークケントの同僚ロイスはスーパーマンの正体を知っている。言論操作で窮地に堕ちるスーパーマンを助けようと頑張る。演じるローレン・ブロズナハン「アマチュア」で主人公の妻役だ。キスシーンは多い。今回は愛犬クリプトが大活躍だ。クローン兵士や蜘蛛女からスーパーマンの命を守る。

スーパーマン側には味方が思ったよりも多かった。これだけ敵が多いとアメコミ的な味方もそれなりにでてこないと助かるわけがないのだ。ヒーロー集団「ジャスティスギャング」のアフリカ系のハイテク捜査員やボルビアの危機を助けに行ったグリーンランタンの連中だ。スーパーヒーローだけが悪玉退治に関わっていないことがこの映画の特徴かもしれない。

敵だか味方だか良くわからず気がつくと味方になるパターンもある。アメコミキャラを読み込んで映画のキャラに反映する団体戦が好きなジェームズガン監督なのかもしれない。このあたりはオタク以外は調べないとわからない。映画内で見るクルマにトヨタのマークがあった。関税で大騒ぎの中見つけると思わずうれしくなる。

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映画「夏の砂の上」オダギリジョー

2025-07-09 08:39:31 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「夏の砂の上」を映画館で観てきました。

映画「夏の砂の上」は長崎を舞台にしたオダギリジョー主演の物語。原作は90年代後半に作られた長崎出身の松田正隆の戯曲で、監督脚本は玉田真也である。オダギリジョーは妹から突然17歳の娘を預けられ共同生活をはじめるリストラされた男を演じる。2005年に長崎を舞台にした「いつか読書する日」という田中裕子主演の傑作がある。坂の多い長崎の町を自転車でさっそうと走る田中裕子が強烈なインパクトを残した自分の好きな映画だ。どうしても比較して観てしまう。

 長崎の雨が降らない夏。幼い息子を亡くし、妻・恵子(松たか子)と別居中の小浦治(オダギリジョー)は、勤めていた造船所の職を失ったあと無気力な日々を送っている。そんな彼のもとに、妹・阿佐子(満島ひかり)が17歳の娘・優子(髙石あかり)を連れて訪ねてくる。福岡でスナックを任せられる話があり、優子をしばらく預かってくれというのだ。姪との突然の同居生活が始まります。

優子は高校に通わず、スーパーのバイト先で年下の先輩・立山(高橋文哉)と親しくなる中、治との生活にも慣れていく。しかしある日、優子は恵子と治が言い争う場面に遭遇する。

映画としては普通。オダギリジョー演じる主人公の男の哀しさが根底に流れる。

直近では長崎に造船所がある三菱重工の株価も最高値を更新して絶好調のはずだけど、この映画では造船所がつぶれて主人公が職を失う。現代の設定にすると少し違和感はある。

ひょうひょうとしたオダギリジョーには味がある。元の同僚に妻を奪われる情けない役だ。それなのに妻の浮気相手の奥さんから詰め寄られるシーンは気の毒。これでもかというくらいツキがない

高石あかりは醒めた変わった女の子の役柄だったのに、おじさんの面倒は私がみると言い切るダメ男のおじさんに情を移すセリフは印象に残る。松たか子はわざとだと思うがこれまでになくどん臭く地味だ。満島ひかりは最初と最後だけベラベラしゃべって台風のように去っていく。いかにもあっている役柄だ。

⒈時代を経てもかわらない長崎の町

長崎には3回行ったことがある。市電と坂が印象的な造船所のある町という印象が残る。長崎が舞台の「いつか読書する日」と同じ長崎の坂道、階段、細い路地、約20年たっても見た目はほとんど変わっていない。細い路地の奥だと重機も入らないので坂の途中にある主人公の家は再建築が難しいのではないだろうか。結果として古い家のまま住み継ぐしかないのだ。町並みとしては大きくは変わらない。坂道や路地の雰囲気で長崎の空気感が味わえるだけでも映画を観た甲斐がある。

⒉いつか読書する日との比較

田中裕子牛乳配達とスーパーのレジ打ちを掛け持ちで働いていた。預かった姪もスーパーでバイトしている。田中裕子が坂を駆け巡る姿に躍動感を感じた。一方でオダギリジョーは逆でいかにも無気力感が強い「いつか読書する日」岸部一徳が川で溺れた子を助けようとおりていった階段で、高石あかりがたたずむシーンに2人に共通する去っていく感覚をおぼえた。顔に哀しさが感じられる高石ひかりに大物の素質ありと感じる。

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映画「桐島です」 毎熊克哉&高橋伴明

2025-07-07 08:51:22 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「桐島です」を映画館で観てきました。

映画「桐島です」は過激派による爆弾事件で長きにわたり指名手配されていた桐島聡の物語である。桐島聡の指名手配のポスターは誰もが見たことがあったであろう。高橋伴明監督がメガホンをとり毎熊克哉が主演で桐島聡を演じる。自分は学生運動世代の後の世代だけに活動家は学生時代から嫌いな人種である。現在でもリベラルという名で金儲けする左翼人はひたすら嫌い。それなのに指名手配にも関わらず長い間逃げ切っていた桐島聡に強い関心を持っている。

今年3月に足立正生監督古舘寛治主演で「逃走」と言う作品が作られ鑑賞した。どちらも「逃走中の真実は完全には分からない」ことを前提に、証言や想像で空白を埋める。映画館には70代前後と思しき男性が大半で、思ったよりも観客は多い。その中で夫婦で来ているカップルの女性は元活動家のような鋭角的風貌の顔つきだった。同じ桐島聡を巡って2作連続で映画ができた。前作も観ているので、比較をしながら映像を追う。

(作品情報を引用して桐島聡の末路を確認)

2024年1月26日、衝撃的なニュースが日本を駆け巡った。1970年代の連続企業爆破事件で指名手配中の「東アジア反日武装戦線」メンバー、桐島聡容疑者(70)とみられる人物が、末期の胃がんのため、神奈川県内の病院に入院していることが判明した。

男は数十年前から「ウチダヒロシ」と名乗り、神奈川県藤沢市内の土木関係の会社で住み込みで働いていた。入院時にもこの名前を使用していたが、健康保険証などの身分証は提示しておらず、男は「最期は本名で迎えたい」と語った。報道の3日後の29日に亡くなり、約半世紀にわたる逃亡生活に幕を下ろした。

桐島聡は、1975年4月19日に東京・銀座の「韓国産業経済研究所」ビルに爆弾を仕掛け、爆発させた事件に関与したとして、爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていた。最終的に被疑者死亡のため、不起訴処分となっている。

桐島聡の人間味に焦点を合わせる作品だった。

女性の梶原阿貴との共同脚本だったせいか元活動家の高橋伴明が作るにしては足立正生監督作品に比較して思想的な肌合いは抑えられる。いきなり「実話に基づく」という文字が映る。逃走中の空白期間と孤独を描くために、80年代〜90年代〜2010年代と細かく時代を追う。空白を断片的な証言によるショットで埋めていく。女性目線が入ることで観客層が男中心でも男の論理に閉じなかった構造になる。工務店時代や宇賀神証言の小さなエピソードが人間の優しさを醸しだす。

⒈連続爆破のきっかけ

1974年9月の三菱重工爆破事件の負傷者を搬送する実録フィルムがいきなり映る。大道寺将司を始めとした連続爆破事件の首謀者たちが喫茶店でダベリ合うシーンに移っていく。大道寺はここまで死亡者をだす酷いことになると思っていなかったという。強烈な違和感を感じながらその会話を聞く。その中の1人が桐島聡と相棒宇賀神寿一(奥野瑛太)の親玉黒川芳正だ。

黒川の首謀で鹿島建設の作業所を狙った後に間組本社と大宮工場の爆破を計画し実行した。映画のセリフによると、理由は戦時中の中国での建設会社の土木作業員への扱いについてだ。戦後30年経って経営幹部はとっくに切り替わっている。なんでまた戦前の話を持ち返すのか、鋭角的に話をする首謀者黒川の話は聞いていて、ひたすらむかついてしまう。

それにしても、学生運動をやってた連中はなんてクズなんだろう。自分の同世代に近い佐藤優や百田尚樹の本を読むと、当時同志社ではまだ学生運動が残っていたようだが、我が母校ではその気配はほぼなかった。

⒉桐島の思想に関する中途半端さ

「逃走」足立正生監督自身の学生運動の経験を踏まえた強い思想性が感じられる。逆に同じ題材なのに、桐島の思想の薄さと戻れたはずの道を選ばなかった不器用さを感じさせる。結局、桐島は「思想が強かったから逃げ切った」のではなく、むしろ思想の空白と中途半端さがあったからこそ逃げ切れたと自分は感じる。 

ただ、桐島聡が亡くなった時元の盟友宇賀神「桐島は公安に勝った」と言った。高橋伴明監督も宇賀神が古い思想の物差しを最後まで持っていた人物とする。刑を受け出所した宇賀神のこれからの居場所を確保するかのように当時の行為を完全に否定しない。謎の女を演じる高橋恵子がのたまう言葉も似たような余韻を残すものだった。



⒊桐島がライブバーで知り合った女性像
桐島聡がライブバーに通っていたという証言をもとに両作品で親しくなった女性が出てくる。「逃走」では謎めいた優しさをもった美女だ。桐島の正体を知っていると匂わせるセリフがあった。結果的に結婚詐欺の常習犯だったと伝えられる。「桐島です」ではギターで「時代遅れ」を弾き語りをする女性ミュージシャンのキーナ(北香那)だ。ミュージシャンのキーナは桐島に惹かれるが、桐島が自ら繋がりを断つ。彼女は桐島の正体を知らない。周囲にこんな女性がいたのであろうか?

⒋女性目線の入った脚本

女性脚本家梶原阿貴の視点で「ささやかな人間味」をひろっているのがいい。思想と優しさが同居する人物像には女性脚本家の視点が生きている。桐島聡が大学時代の恋人(高橋伴明恵子の孫)からふられるシーン「あなたは時代遅れよ。私は普通に上場企業に就職したい」という現実の声がでてくる。そこで桐島は「労働者の搾取を救う」と一応言うが、実質言い返せないのだ。こんな場面は「逃走」ではなかった。

一時期行動をともにした仲間の宇賀神寿一の証言を引き出す。2人が離れる前に金欠の宇賀神に桐島が仕送りの一部を引きだして渡した優しさあふれるエピソードだ。また工務店生活での逸話も生活者としての桐島を強調するものだ。いい奴だったんだなと自分に思わせてくれるのは良かった。キネマ旬報によると梶原阿貴活動家の娘だったらしい。桐島聡の指名手配の写真の隣に父の顔があったと知ると驚く。この映画には適切な起用だったと感じる。

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映画「愛されなくても別に」 南沙良&馬場ふみか

2025-07-05 09:29:36 | 映画(日本 2019年以降主演女性)

映画「愛されなくても別に」を映画館で観てきました。

映画「愛されなくても別に」は毒親に悩まされる女子大学生2人が主人公の物語。武田綾乃の小説を井樫彩監督が映画化。メジャー俳優は出ていない。しかし予告編を見ると何か面白そうな感じがした。貧困下層社会を描く日本映画はやたらと多いが,主人公が大学生というのは珍しい。直感で映画館に向かう。南沙良と馬場ふみかの女同士の連帯がいい感じだ。

浪費家の母親のためにバイトと家事に明け暮れる宮田(南沙良)と人殺しの父親に性暴力を受け、母親には体を売れと言われた江永(馬場ふみか)。2人は同じ大学に通いコンビニで働く。仲良くはない。ともに毒親のために恵まれない大学生活を送っている。母親(河井青葉)の金遣いの荒さにキレて家を飛び出した宮田に行く場所がなく、江永のアパートで同居を始める。

毒親の話にとどまらず現代版大学苦学生の実態に迫って予想よりおもしろい。

シングルマザーの毒親だけの話かと思いきや、途中で新興宗教にハマる同級生(本田望結)が描かれることで物語が単調にならずに広がった。現代大学生の孤立や依存先の欲しさにも視点が広がり物語として単なる貧困モノとは違う。

1,大学生が題材の貧困映画

「シングルマザーの子ども」を題材にした映画やドラマって、多くは義務教育の最中や高校生で家を支えたり中卒・高卒で働きに出るというパターンが多い。主人公は大学生で学費も家計も自分で出している。母親は浪費家で働かず、生活費を娘のバイトの収入に依存しているなんて話だ。

その昔の「キューポラのある街」を始めとして、貧困で「進学できない」「夢を諦める」で終わりがちだけど、現代はバイトや奨学金だって家計が苦しくても大学に行く学生も多い。こんな設定があってもおかしくない。

⒉現代の大学生の孤独

今の大学生は学内で友達を作れない人が多いというリアルが背景にある。最近の若い世代を描く日本映画では 「学内のつながりがない」のが当たり前 という状況が背景として使われるのが目立つ。大学が舞台の河合優実主演『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』とも共通する空気感だった。

主人公は「友達ができない」のではなく、ゼミ飲み会の誘いを自ら断ったりして人付き合いを閉じる。こんな感じでただ単位を取りに行くだけで、人間関係が浅いまま卒業する人も多い。この映画のようにバイト掛け持ちしてる学生は「大学=勉強だけの場所、友達を作る場所じゃない」になりがちなのだろうか。

⒊未成年禁酒徹底論に閉口
未成年だから酒が飲めない、コンビニで年齢確認を何度もするなど、細かい描写がリアルに時代を感じさせた。今は大学のコンプラもめちゃくちゃ厳しくて、当然「未成年飲酒は絶対NG」だ。大学のOB会でも、現役の学生がいると何度も飲ますなとしつこくOBに説教していた。コンビニで酒を買うだけで年齢証明が必須というのも自分たちの世代からすると強烈な違和感だ。

⒋新興宗教を題材

一緒に授業を受ける福岡生まれの同期の女子学生(本田望結)が新興宗教にハマっている。「子離れできない」過干渉の母親から退避するために宗教へのめり込むのだ。親から多額の仕送りをしてもらっているのに、バイトした金も宗教法人への多額の献金にあてている。キャンパスで友達は作れない分、宗教のような“依存先”が強まる構造は現代を象徴する。

主人公も誘われて教祖様に会いに行くのだ。そこでの集会シーンに既視感がある。集会のシーンでの「にこやかな信者たちの笑顔」がいかにも偽善的でリアルだった。筒井真理子『波紋』のカルト描写を思い出した。満面に笑顔を浮かべるいかにも宗教法人っぽい信者たちに独特のあやしい雰囲気が漂っている。なかなか上手い。修羅場の中でも教祖が平然としている演出も「いかにも教祖らしい」と感じさせてうまい。

⒌河井青葉の毒親

河井青葉『あんのこと』ではまさに河合優実の母親役で、引き続いての毒親役を演じる。『あんのこと』では娘に売春させ、暴力を振るい、ストーカーのように再登場する最悪の母だった。今回も自宅に男を連れ込み、浪費家で娘がバイトで稼いだ金を搾取をするが、前回ほどの暴力性はない。リアルに身近にいそうな毒親の怖さがあった。前半だけでの登場かと思ったら、「あんのこと」と同様に最後にまた現れる。美人女優なのに、こういう堕落しきった役が上手くなってきた。

⒍普通であればありえない設定(ネタバレあり)

人殺しの娘江永が「父親が殺した相手の息子」からレイプを受けて殺されそうになる。何で娘に仕返しするんだと腹立たしいが微妙なシーンだ。「父親を殺したから仕返し」は江戸時代でもない現代感覚ではあり得ない。しかもそ行為を仕方ないと警察に通報しない展開も現実離れしている。普通じゃない選択をすることは彼女の自罰的なキャラクターにはあっているのかもしれない。そんな気がした。

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映画「ルノワール」 早川千絵&鈴木唯

2025-07-03 09:08:26 | 映画(日本 2019年以降主演女性)

映画「ルノワール」を映画館で観てきました。

映画「ルノワール」「PLAN75」で注目を浴びた早川千絵監督の最新作である。カンヌ国際映画祭で注目を浴びた小学5年生の少女を取り巻く物語だ。主人公であるおかっぱ頭の少女鈴木唯は初めて観た。バックにはリリーフランキー、石田ひかり、河合優実と主演級を集めている。TVドラマ「あんぱん」では河合優実と義理の兄妹である中島歩も加わる。のんびりした地方都市独特のムードの中で、子どもから抜けきれない想像力あふれる少女の好奇心を巧みに描いている。

1980年代後半の夏、地方の小学校5年生のフキ(鈴木唯)は父と母との3人家族だ。父(リリー・フランキー)はがんを患い入院中、母(石田ひかり)は仕事では管理職だがうまく立ち回れていない。ヒステリーになりがちだ。

フキは好奇心の強い女の子だ。世は超能力ブームで、フキはTVのテレパシーの実験に夢中だ。フキは近所の女性(河合優実)に接して催眠術で夫の死の秘密を聞きだしたりする。父親が入院で、母親も会社から行かされた研修で不在がち。しかも母は研修講師(中島歩)との関係があやしい。フキは家のポストにあった伝言ダイヤルのチラシの番号にかけてみると、自称大学生と知り合い誘われる。

好奇心旺盛な小学校5年生の女の子が大人の世界に触れる姿に好感

エピソードが盛りだくさんなストーリーだ。1976年生まれの早川千絵監督が、10歳から11歳にかけて経験したことも含まれているようだ。そうすると1986年前後で、そのバブル前夜の時代背景も映画には現れている。自分にはついこの間のことのようだ。

林間学校に行ったときのキャンプで、YMOの「ライディーン」に合わせて子どもたちがダンスするシーンが印象的だ。早川監督と同世代の人たちは運動会の集団演技などで同じような体験をしているかもしれない。この時代になじみのある我々の世代には受けるが、あくまで伝言ダイヤルなど日本特有の話題も多くカンヌ国際映画祭の審査員には響かないと思う。それでもヒロインを演じる鈴木唯はのびのびした演技で大器を感じさせる

⒈こちらあみ子とのアナロジー

同じ小学校5年生のおかっぱ頭の女の子で、純粋無垢で自由奔放なところは「こちらあみ子」あみ子にそっくりだ。映画を見始めてすぐに感じた。子どもは長期間の撮影となると夏に限られる。設定が夏になるのも同じだ。フキもあみ子も「孤立している子」だ。周囲に合わせようと必死だけどどこかズレている。2人は大人の世界の理屈とは別のルールで生きている。ともに想像力と好奇心がずば抜けていて大人の世界にも敏感なのだ。

⒉伝言ダイヤル

伝言ダイヤルは80年代後半の日本独特のシステムで、子どもなのにフキが大人の世界をのぞき見してしまう。フキは何が危険で何が面白いのか、まだ境界がわからない。好奇心で電話して、知らない人からの誘いに合意して会ってしまうのだ。え!本当。思わず大丈夫かと心配になってしまう。そう我々に感じさせるところも狙いなのだろう。早川千絵監督も思春期になろうとする時に似たような体験をしたのかもしれない。

⒊石田ひかりと中島歩

先日観た「リライト」では、石田ひかりは夫が先に亡くなった地方の未亡人だ。個性が強くない。この映画では会社の管理職だ。叱責が強すぎると部下からのクレームが会社の上司に伝わっている。こんなクレームが出る時代ではないのでは?とも思うけどまあいいだろう。でも出社に及ばずと表面的に言えないから、会社から心理の研修に派遣されるのだ。当時はやりの自己改革の研修だ。

その講師を演じるのが中島歩だ。朝のTV小説では主人公今田美桜の夫役、どちらかと言えば古典的二枚目なので昭和の不倫相手とすると適役なのかもしれない。フキがやさしい講師と母親との関係があやしいと察知する。その講師の妻ががんの治療になるあやしい薬を売っていて、それを母親石田ひかりが買ったり、一緒に食事行ったりする。講師の妻が母親に会いに来るシーンもある。

でも、細かくはセリフにせず具体的にツッコミしない範囲で映像で示す。早川千絵監督のやり方だ。セリフがなくて何を言っているのかさっぱりわからない映画もあるけど、この映画は割と親切に想像のための伏線があるのでよかった。

⒋リリーフランキー

リリーフランキーは相変わらず変幻自在の芝居が安定している。今回は末期がんにかかっている。仕事に追われる中の介護は面倒で妻は早くから葬儀や喪服の準備をする。女はドライだ。フキは複雑な心境だけど淡々として黙っている。大金を使い妙な治療法にカネを払っているしまうがん患者の心理は、自分も母親のがん末期を見たのでわかる気もする。がんになると変な人が近づいてくる石田ひかりが呆れて爆発するけどもう先がない。

フキと競馬場に行くシーンが印象的。妻と違って父親に対して気持ちが温かい。岐阜の笠松競馬場でのロケのようだ。場内の雰囲気がいかにも昭和の公営ギャンブル場ぽいのでいい感じだ。そこでがんの痛みでアタマを抱えて気がつくとスリにあうリリーフランキーがリアルだ。

⒌親しくなった美少女と母親(ツッコミたくなる場面)

フキは転校してきた美少女と親しくなる。一緒に超能力に関わる遊びをしたりする。庭付きの一戸建に住み、家に行くと美人のお母さんがおいしそうなショートケーキをフキにもごちそうしてくれる。お金持ちの家に行くとこんな光景には出くわしたものだ。でも、両親の夫婦関係が微妙な雰囲気を醸しだす。

その美少女がフキと一緒に戦争のフィルムを見に行くと突然倒れてしまうのだ。その後美少女の自宅で母親と話していた後に、おつかいに行くと言って母親が外出する。その時部屋の中を探るように歩き回り、引き出しや棚を開けて写真を見つける。映像としては一瞬で、大人の男性とお母さんが一緒に写っているように見えるのだ。セリフでは示さないけどなんか怪しそう。

その後に美少女が遠方に転校するのだ。何と青森、何でと思ってしまう。でも、早川千絵監督はそれらを露骨にセリフでツッコミせずに淡々と進むあやしい感覚を次々と映像で示していく展開はうまいと思う。いくつもの伏線を我々が想像するために投げかけているのだ。セリフなしでも難解ではない。

(以下私事ではあるが、)

実は美少女が倒れるシーンには既視感があった。妹の同級生に小学校の頃から女性雑誌のモデルになる美少女がいた。アタマも賢く、女子御三家に楽々受かる能力を持ちながら、女の子なんだからと母親の勧めで南青山のセーラー服が有名な女学校に行った。そこでも美女の誉れが高かったとのちに周囲から聞いた。

その女の子が小学校高学年の頃、私の自宅の妹のところに遊びにきていて突然倒れた。自分もその時偶然いた。あわてて救急車を呼び搬送された。お母さんが前にもこういうことがあったと言った。そのセリフまでまったく同じなので映画を観ていて仰天しそうになった

その美少女の母親も柏木由紀子系のすごい美人だった。やさしい女性で自分が大学に合格した時はものすごく喜んでくれてうれしかった。私の家から100mくらいの所にある瀟洒な家に住んでいたが、父親の仕事の失敗で家を抵当に取られて強制執行で突如引越した。泣きながらうちの母が引越しを手伝った記憶がよみがえる。

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映画「F1/エフワン」ブラッド・ピット

2025-06-30 17:16:24 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)

映画「F1」を映画館で観てきました。

映画「F1」ブラッド・ピット主演のF1レーサーの物語だ。監督は「トップガンマーヴェリック」ジョセフ・コシンスキー。「トップガンマーヴェリック」には感動した。予告編で観るレース場面に同じような臨場感が期待できそう。古典的なサクセスストーリーでブラッドピット流れ者の一匹狼ドライバーだ。西部劇にも日本の時代劇にもいくらでもある物語だ。そんなことはどうでもいい。ともかくF1レースの迫力が凄すぎる。自分は映画館原理主義者でないが、これを配信で見る奴はありえない

車上生活者のドライバーソニー(ブラッドピット)がアメリカデイトナの耐久レースに参戦している。高順位にあげるレース請負人として独り気ままに日銭を稼いでいる。1990年代にF1で活躍し、大クラッシュを起こして姿を消した。そんなソニーの前に低迷中のF1チーム(APXGP)を率いるルーベン(ハビエル・バルデム)が突如現れる。チーム浮上のために旧友のソニーにF1復帰を三顧の礼で乞うのだ。

チームには若い自信家のドライバーのジョシュア(ダムソン・イドリス)や女性初のテクニカルディレクターのケイト(ケリー・コンドン)がいるが、目下最下位。突然現れたソニーの常識破りの言動にチームの面々は反発して衝突を繰り返す。それでも徐々に信頼を得るようになる。

大画面に映えるレース場面の迫力がすばらしい!

いきなり映像に映るデイトナのナイトレースシーンでのブラッドピットがカッコ良すぎる。一気に引き込まれる。ただ、カッコいいシーンだけが続くわけでない。レースシーンでは全速力で走るクルマが大量に大破する。CGだけの世界ではない。実物のクルマが次々とクラッシュするのだ。このスタントは命がけだ。これまでのレーシング映画を超越する。レースシーンの興奮が2時間半以上続いても飽きない。

正直言ってF1について詳しいわけではない。この映画ではただ単に全速力で走らせるだけでない。ルールを熟知したものだけが知るレースの駆け引きのようなものが散りばめられている。イエローフラッグやレッドフラッグがもつ意味などはルール以上に奥深いものと初めて知る。

制作費が2〜3億ドル規模だという。日本映画ではありえないレベルだ。何度もクラッシュするごとに予算は増えていっただろう。チームを率いる役のバビエル・バルデムがレースのクラッシュシーンでアタマを抱えるシーンが何度もでてきた。映画の予算管理をするプロデューサーも同じような心境だったろう。そのおかげでこれだけのすばらしい映画ができるのだ

⒈いきなりのレッドツェッペリン

デイトナのナイトレースにブラッドピットが登場する。いきなりぶっ飛ばす。なんてカッコいいんだろう。バックで流れるのがロバート・プラントのヴォーカルでレッド・ツェッペリンのセカンドアルバムから「Whole Lotta Love」だ。もう1000回以上は聴いているけど、こんなに気分が高揚することはない。ジョセフ・コシンスキー監督が「トップガンマーヴェリック」でいきなり「Danger Zone」を流して自分を興奮させたのとまったく同じパターンだ。背筋がゾクゾクする。

実はこの曲の歌詞はかなりエロい。翻訳すると18禁そのものだ。でもそんな感じがしないで映像に見惚れているうちに 有名なジミー・ペイジのギターソロだ。タイミングがレースの緊張感と完璧に合ってピッタリだ!レッドツェッペリンの曲の力、臨場感あるカメラワーク、そしてブラッド・ピットのカッコよさ。 この3つが揃ってるから、いきなり高揚感が高まる。

ジョセフ・コシンスキー監督のインタビューを読むと「冒頭の数分間で観客を物語に引き込むのが監督の役目だ」と言っている。なるほど有言実行だ。「ブラッド・ピットだから絵になる」とも言い切れる。

⒉FIレースでの駆け引き

 ルイス・ハミルトンが製作側の総指揮&技術監修として加わっている。ルイス・ハミルトンは現役F1ドライバーの中でも別格と言われる存在で、歴代最多タイ7回のワールドチャンピオンを持つ伝説級のドライバーだ。そんな人物がメンバーに加わると映画の奥行きが広がる。

主人公のチームが対決するドライバーの名前にハミルトンの名前が出てくる。映画はフィクションだが、あえて意識したのか肝心なレースの時に上位を競い合う最強ドライバーがハミルトンだ。名前を貸したのが良かった。

おもしろいと思ったのが、雨のレースの時のタイヤのチョイスの場面だ。300km/hを超えるスピードで走り、コーナーワークではタイヤも消耗するだろう。「タイヤ選択」におけるドライバーの勘とピットの戦略ミスが勝負のカギになるのだ。特に雨のレースではなおさらだ。この辺りの雨天対策をストーリーに織り込む。

ソニーは悪知恵が働く。接触事故を起こして赤旗でレースを中断させ、仲間と先行車の差を詰める。イエローフラッグやレッドフラッグにこんな深い意味があるなんて初めて知る。停止=リタイアというわけではないF1のルールも示す。マシンやコース、駆け引きを知り尽くしている人物が製作者にいるのでストーリーもただ走らせるだけにとどまらせない。すごい!

デイトナ・インターナショナル・スピードウェイにおける冒頭ナイトレースは、2024年ロレックス24時間(耐久)レースのレースウィークに撮影されたようだ。アブダビ・ヤス・マリーナ・サーキットもレーシング場面で出てくる。

⒊カメラワークのすばらしさ

監督のジョセフ・コシンスキー「トップガン マーヴェリック」撮影技術チームをこの映画でも参加させる。大画面で観るとものすごい臨場感である。「乗り物に乗せるカメラ技術」をF1に応用しているのだ。これまでのレース映画はほとんどがCGや過去映像の合成だったと違いがわかる。

解説を読むと、主人公のチーム(APXGP)のマシンは改造F2シャシーに高性能カメラを搭載し、リアルな映像を狙う。これにより「本物のF1カーのすぐ横で撮っているかのような迫力」が生まれている。被写体ブレが少なく“速さ”が分かる映像を目線の高さで撮っている。ドローンは上空から俯瞰するだけでなく、マシンの超接近ショットを追従させ、スピード感を最大化させている。観ていてウキウキする。

時効だと思うが、若き日に某高速道路で200km/hを超えるスピードを出したことがある。一瞬メーターが200km/hより上にふれた時心臓が止まりそうになった。ここではそれを超えるドライブをずっと目で追っていられる。幸せだ。

⒋FIレーサーと体力づくり

以前にF1レーサー中島悟の日経新聞私の履歴書で、科学的フィジカルトレーニングに励んだ記事を読んだことがある。車の運転にこんな体力づくりがいるんだと一瞬驚いた直後にそりゃそうだと思ったものだ。ともかく 強靭な心肺機能が必要らしい。レース中の心拍数は平均160〜180bpm、一部のコーナーでは200を超えることも。またコーナリングで首に強烈な負荷がかかる。鍛えねばならない。コンマ1秒単位の操作を長時間続けながら判断し続ける。そんなことは普通できない。レース後は体重が数kg落ちるそうだ。これは常人では無理だ。

ブラッド・ピットルイスハミルトン監修による特訓で“ベテランFIドライバー”のリアルさを作った。すばらしい。本物のレーサーに混ざってサーキットでドライビングできたのも自ら鍛えたからこそだろう。

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映画「秘顔-ひがん-」パクジヒョン

2025-06-27 08:38:21 | 韓国映画(2020年以降)

映画「秘顔-ひがん-」を映画館で観てきました。

映画『秘顔-ひがん-』は韓国映画のR18+指定のサスペンス・スリラーである。暴力描写が強烈でドロドロしたイメージが強い韓国サスペンスでも、エロティックな描写はなぜか抑え気味な作品が多い。映倫の基準がきびしいようだ。予告編での雰囲気はこれまでの韓国映画とは一味違う大胆さが感じられるので関心を持つ。ストーリーのディテールの予備知識はなく映画館に向かう。

指揮者ソンジン(ソン・スンホン)は、公演を前にしてオーケストラのチェリストでもある婚約者のスヨン(チョ・ヨジョン)が突然失踪し途方に暮れる。「あなたと過ごせて幸せだった」というビデオメッセージのみパソコンに残して消える。

そんな喪失感の中で、ソンジンのもとに公演のために代役のチェリストであるミジュ(パク・ジヒョン)が面接にくる。スヨンの代わりはいないと考えていたソンジンなのに結局ミジュを採用する。知り合ううちに彼女の魅力に惹かれていく。そして、ミジュと食事をともにする大雨の夜、ソンジンとミジュはスヨンのいない自宅の寝室で性愛を交わす。ところが、失踪したはずのスヨンが2人の様子を隣の密室でのぞいていたのだ。

変態映画に見えるが奥が深い。数々の映画にアナロジーを感じる。

いわゆるエロティックサスペンスだ。ソン・スンホンとパク・ジヒョンの絡みは韓国映画にしては大胆な演技である。しかも、清楚な雰囲気をもつパクジヒョンが惜しげもなく美しい乳首を露わにするので男性にはたまらない

ストーリーではチェリストの補充できたミジュはまったくの第三者に思えてしまうのだが、実はミジュとスヨンは音楽の学生時代だった頃からレズビアンの関係だったのだ。その関係が映画のストーリーをさかのぼりながら判明していく。当然婚約者である指揮者は何も知らない。

密室にスヨンが閉じ込められたわけではない。失踪することにしたミジュがスヨンと共謀して密室に入ったのだ。女どうしの愛を交わしていたのに、スヨンが結婚することになり感情がもつれたのだ。そのお仕置きでいったん身を隠すために密室に潜んだスヨンが出られないようにする。しかも、密室から部屋がのぞけて、意図的に自分たちが性愛をかわすのをミジュはスヨンに見せつけるのだ

⒈ファムファタールと悪女映画の色彩

この映画でのパク・ジヒョンの存在は映画の展開とともに変化していく。最初は しとやかな女性、中盤では 情熱的で官能的な恋人、終盤にかけては 計算と狂気を宿した人物になるのだ。

これって往年のフィルムノワール映画でいえば、パク・ジヒョン演じるミジュはファムファタールだ。すなわち「運命の女」で男の人生を狂わせるほどの魅力と魔性をもった女性だ。要はこの映画はミステリアスで危うい悪女映画なのだ。一般に魅了する → 依存させる → 破滅させるという構図である。でも、男は破滅しない。単なる媒介だ。この映画は男がだまされる話ではない。

監禁されたソヨンも実は悪女でもともと悪さを企てる天才的才能を持っていたが、ハマってしまう。しかし、それでは収まらない。結局は悪女対悪女の応酬になる。そう考えると、この映画は奥が深い。

⒉密室空間

ソンジンとスヨンの新居には本棚の裏に密室があった。ソンジンはその存在を知らない。本来スヨンは自ら入ったはずなのに閉じ込められてしまった。この密室を見て、映画「パラサイト」の舞台になる富豪の邸宅にある地下室の空間とのアナロジーを感じた。邸宅の主人が知らない密室空間に元家政婦の夫が密かに住んでいた。あの密閉空間を思わず連想する。

韓国は朝鮮戦争から続く南北の対立やその後の軍事政権による戒厳政治で不安定な状態が続いていた。防空壕的な感覚でこんな部屋が秘密裏にできてもおかしくない。この家を譲ったおばあさんから戦前の731部隊出身者の話も出ていた。そんな密室空間にスヨンは遊び感覚で入ったのに、結局閉じ込められる。いったいどうなってしまうのか映画の終盤まで観ている観客に謎を与える

⒊女の掟と日活ポルノのSM映画とのアナロジー(ネタバレあり注意)

どうなってしまうだろうと観客に思わせて、結局スヨンは救出される。普通の映画であれば、捜索願いを出していた警察がそこにやってきて一件落着の展開となる。でもそうならない。ここがこの映画のミソだ。

あえて警察には言わずに逆にミジュを監禁する。そしてこの密室で女どうしの性愛の境地を極めようとするのだ。そこには男は介在しない。法で裁くのではなく、自分のやり方=女の掟で裁く。女の論理と支配でケリをつけるのだ。これってヤクザが警察に言わずに裏社会の論理で裁くのと同じようなものだ。仁義の世界にも近い女の掟をテーマとするとますます奥が深い。

結局女だけ残る。昭和に遡って同じような映画を日活ポルノで谷ナオミ主演のSM映画で観たことがある気がする。ここにも強いアナロジーを感じる。なんだこれは女どうしの快楽の物語だったんだ。欲望と支配が女の間だけで閉じる構図。これから迎える快楽を目の前にして女の儀式を行いながらエンディングに持ち込む構図に改めて女の怖さを感じる。

 

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映画「中山教頭の人生テスト」 渋川清彦&佐向大

2025-06-26 08:34:12 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)

映画「中山教頭の人生テスト」を映画館で観てきました。

映画「中山教頭の人生テスト」渋川清彦演じる主人公の中山教頭の奮闘を通じて、現代の小学校が抱える多様な課題と、そこで働く人々のリアルな姿を深く掘り下げた作品である。監督脚本は「夜を走る」佐向大だ。個人的には、この作品は2022年の日本映画では上位に入る評価をしている。予測不能な展開で実に面白かった。スクラップ工場で働く工員が夜に面倒なことに巻き込まれる話だが、周辺業界や裏社会を丹念に取材していた形跡がよくわかる快作であった。

その佐向大が新作を作ることへの期待、渋川清彦の渋い演技が楽しみたいという思いで映画館に向かう。公開館が少なくすべり込むように観たけどよかった。

山梨県のとある小学校。教頭の中山晴彦(渋川清彦)は、教員生活30年を迎えた教育現場のベテランで誰に対しても物腰柔らかく接する。校長(石田えり)と教員との間で、教頭の立場は板挟みだ。校長への昇進を目指しているものの、日々の忙しさから受験勉強はうまく進まない。

それなのに、晴彦は5年1組の臨時担任を務めることになる。子供たちと真正面から向き合うことで、浮き彫りになってくる問題の数々。児童、教師、保護者、そして自身の家族といった、さまざまな者たちの思惑が複雑に絡み合う

一見の価値があるよくできた作品だ。

現代の小学校が直面する課題をこれほど多角的かつ人間的に描きだした作品はないだろう。「夜を走る」が題材にするダークな社会とは真逆の世界だけど、同様に綿密な取材を重ねているのがよくわかる。

エピソードが盛りだくさんだ。多くても消化不良にならない。中山教頭の日常に起こる出来事を丁寧に積み重ねていく。子どもたちの小さなトラブル、保護者からの連絡、教員たちの悩み、そして教育長や校長とのやりとりなど、それぞれは独立したエピソードだ。実は「何気ない」と思っていた一つ一つのシーンが最後に向けての伏線になっており、さまざまなことが繋がっていて伏線を回収する。妙に腑に落ちる。先日映画「親友かも」でも同じように感じたけど、この辺りの佐向大監督の手腕は見事だ。

1. 中山教頭のリアルな苦悩と多忙な日常

教頭という中間管理職の立場が、校長(石田えり)と現場の教師の間で板挟みになり、日々多岐にわたる業務に追われる様子を詳細に描いている。授業準備から生徒指導、保護者対応、近隣住民のクレーム対応、事務作業、さらには本来用務員や保健の先生が担うような業務にまで関わる。これは大変だ過酷な労働環境と精神的負担がリアルに伝わる。中山教頭の奮闘をより人間味あふれるものにしている。

2. 個性豊かな子どもたちの描写

登場する子どもたちは、それぞれ異なる家庭環境や内面を持つ個性豊かなキャラクターとして描かれる。水商売をするシングルマザーの娘、学校にクレームをつける中小企業の社長の息子、気の弱いいじめられっ子、そして優等生に見えても実は裏がある内面を持つ子どもなどがいる。あまりの意地の悪さに閉口してしまった。多様な背景を持つ子どもたちの人間関係の複雑さが、巧みに脚本化されている。

3. 教育長の示唆に富む描写

風間杜夫演じる教育長は、教育行政のトップとしての権威と、女性蔑視が強いよくいるおじさんの一時代前の価値観を併せ持つ人物として巧みに描かれている。この小学校の前校長で教頭の元上司だ。彼の立ち居振る舞いからは、教育行政の奥深さや、世代間の価値観のギャップが感じられる。個室の割烹でくつろぐ姿は交際費がふんだんにある民間の役員と似たようなものだ。教育長という役職を理解することができた。

4. 映画が提起する社会問題

映画は現代日本が抱える深刻な社会問題に光を当てている。教員の過重労働や待遇への不満、モンスターペアレンツの存在が教職のなり手不足につながっている現状、そして公務員全体の給与水準が民間企業に比べて見劣りする問題など、教育現場の課題が社会全体の問題と密接に結びついていることを示唆している。

ただ、物語の終盤の一部の展開(校長の不祥事に関する描写など)にありえないと思い、現実との乖離や不自然さを感じる点はある。何かを意図したとしても監督の勇み足だった気がする。それでも、現代教員事情や「現代小学校のリアル」これほどまでに伝えてくれる作品はない。

個人的には自分のベスト作品に出演している「遠雷」でスーパーバディを披露した石田えり「異人たちの夏」風間杜夫の健在が確かめられたのはうれしい

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映画「脱走」

2025-06-23 08:27:01 | 韓国映画(2020年以降)

映画「脱走」を映画館で観てきました。

映画「脱走」は韓国映画。南北の軍事境界線を超えて、北朝鮮の兵士が韓国に脱出する姿を描く。名作「JSA」は板門店での南北兵士の友情を描いた作品であるが、ここでは韓国兵士の存在はない。国境線付近の警備に従事して韓国のラジオ放送を聴きながら自由を求める兵士の話だ。国境の非武装エリアには地雷が数多く埋め込まれていて、脱出は不可能に近い。脱出しようとする兵士はどこに地雷があるかを事前に調査して脱北に試みている。興味深いので映画館に向かう。

軍事境界線を警備する北朝鮮の部隊。まもなく兵役を終える軍曹ギュナム(イ・ジェフン)は、自由を求め韓国への脱走を計画。ついに決行しようとするが、下級兵士ドンヒョク(ホン・サビン)が先に脱走を実行する。そばにいたギョナムは首謀者と疑われて取調べを受ける。

ところが、運良くギュナムの幼馴染で保衛部少佐のヒョンサン(ク・ギョファン)が脱走の顛末を確認に来て、逆に脱走兵を捕まえた英雄としてギュナムを祭り上げてくれる。しかも、兵役終了間際のギョナムを前線からピョンヤンへと異動させようとする。異動すると脱出はできない。タイムリミットが迫りギュナムはヒョンサンの目を盗み、再び軍事境界線を目指して決死の脱出を試みるのだ。

映画としては普通、スリリングだが出来過ぎのストーリー展開。理不尽な北朝鮮の軍隊を皮肉っているのはわかるが都合良すぎの印象を受ける。

これまで脱北を試みた人たちのドキュメンタリーはTVなどで何度か見たことがある。中国国境の鴨緑江や豆満江などの川を渡った後で、ブローカーの誘導されるままにタイやラオス経由で遠回りに韓国に入国する。多額の費用がかかりだろう。実際には現実の脱北の大半は「北朝鮮 → 中国」ルートのはずだ。

この映画はむしろ不可能に近い軍事境界線からの脱出だ。DMZ(南北軍事境界線)付近には地雷が大量に埋められており、撤去されていない。しかも、24時間体制の監視塔・赤外線センサー・自動火器網もあり映画でもそれが示される。脱走兵すなわち国家反逆罪で捕まれば公開処刑だ。成功事例も少ないようだ。それだけに映画になるのかもしれない。

兵役義務を終えて民間で働くことになっている主人公は平壌への栄転の内示も受けている。北朝鮮では最高の栄誉を得るチャンスではなかろうか?それでも脱出を本当に試みるのであろうか?との疑問は残る。脱出にあたっては、拷問のように暴力を振るわれし、銃弾も受けている。普通だったら死んでもおかしくない。でも死なない。出来過ぎというのはそんなところだ。北朝鮮将校たちのダンスパーティなど興味深いシーンもあった。娯楽として観る分にはいいだろう。

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