Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

わたしは何を知っているのか?;ク セ ジュ?

2010-06-20 13:11:00 | 日記


前にも日本では白水社から翻訳刊行されている<クセジュ文庫>(現在は月に1冊のペースで新刊が出ている)について書いたことがある。

最近、この文庫で読んだり、読みかけたりしている何冊かの本に注目した。

たとえば以下のようなタイトルである;

* サルトル(文庫クセジュ900、白水社2006)
* ミシェル・フーコー(文庫クセジュ802、白水社1998)
* モンテーニュとエセー(文庫クセジュ729、白水社1992)
* シュールレアリスム(文庫クセジュ736、白水社・改訂新版1992)
* 哲学(文庫クセジュ944、白水社2010)


上記にあげたのは、たまたま哲学-思想系だが、今月の新刊タイトルは『100語でわかるワイン』である。

このシリーズは日本でいえば“新書”であるが、たとえばフーコーについての解説書をぼくは日本人が書いた新書や新書以外のものも読んだが、それらの記述とこのクセジュ文庫の記述とでは、“何かがちがう”のである。

その“何がちがう”かを、ここで説明することは困難(めんどう)なので、あなたにぜひこのシリーズから興味あるテーマを選んで読んでみてほしい。
(もちろんクセジュ文庫が日本の新書より優れていると言っているのではない)


そもそもこの“クセジュ?”というのは、フランス語である(笑);Que sais-je ?
この言葉は、モンテーニュ『エセー』による(第2巻第12章“レーモン・スボンの弁護”)

フランスでこのクセジュ文庫を刊行する出版社が、このシリーズに掲げる刊行意図は、
《人間精神のもっとも高邁なはたらきに呼びかける》
であるという。


現在のわが国においては、《人間精神のもっとも高邁なはたらきに呼びかける》などというキャッチフレーズは、“お笑い”のネタにしかならないであろう。

“人間精神のもっとも高邁なはたらき”?

それは、なんじゃ?(爆)

もちろん、“フランス国”にも現在、“そういう精神”があるかドーかは、疑問である。

しかし<精神>というのも、“在るか否か”というふうに、“ある”わけではないのである。

たとえば、ぼくたちは、あるひとの言葉を聞く(読む)から、あるかドーかわからない<自分の精神>が、そこで、“動く”のである。

かっこよく言えば、そこで<生成する>。

ぼくたちは、“目覚める”、“世界へ目を開かれる”。

今年出たクセジュ文庫『哲学』の最初で、この著者(アンドレ・コント=スポンヴィル)は、“哲学とは何か?”について、“しつこく”問うている。

たとえば哲学と<科学>とのちがいは、何か?
哲学と<信仰>とのちがいは、何か?
哲学と<人文科学>とのちがいは、何か?;

★ つまり、人文科学がめざすのは、理性的な男性あるいは女性になることよりもむしろ人間を理性的に認識することだ。
★ 哲学するとは、認識するというよりは思考することであり、説明するというよりは問いかけることなのだ。
★ それは手もちの知についての(したがって、またその限界についての、つまりなにがわかっていないかの)反省なのだ。
(以上引用)


わたしは何を知っているのか?

たとえば昨日のブログで、ぼくは“ラテン・アメリカ”について、“知らない”と書いた。
とりあえず数冊の本を、引っ張り出した;
* 物語メキシコの歴史(中公新書2008)
* 物語ラテン・アメリカの歴史(中公新書1998)
* 戒厳令下チリ潜入記(岩波新書1986)
* アメリカの20世紀 上、下(中公新書2002)

もちろん“ラテン・アメリカ文学”を参照することもできる(ボルヘス、ガルシア=マルケス、プイグなどなど)


モンテーニュも気になる;
* 堀田善衛『ミシェル 城館の人 第1部-第3部』(集英社文庫2004)
* ビュトール『モンテーニュ論 エセーをめぐるエセー』(筑摩叢書1973)


そして、ぼくの机の上に、一冊の本が現れる。
その白い表紙は、手垢で黒ずんでしまった。

ぼくは2003年、会社を辞めたとき(=辞めさせられたとき;笑)、“このひと”を読もうと思っていた。

“そのひと”への関心を掻きたてたのが、この本であった、まだ1980年代、当時の仕事で印刷所での校正作業の合間に、ぼくはこの本を読んでいた。
なぜかそのときの“感じ”がいつまでも残っている。

“そのひと”の名は、メルロ=ポンティであり、“その本”は木田元『メルロ=ポンティの思想』(岩波書店1984)である。

ぼくは、<哲学>が何であるか、などにはあまり関心がない(上記のアンドレ・コント=スポンヴィルの説明は、とてもよいと思うが)


あるひとの<仕事>はいかになされたか。

そのことは、やはり、そのひとが、いかに生きたか、ということへの“関心”である。






<引用;メルロ=ポンティ>

★ 彼は、静物ひとつ描くのに、百回もカンヴァスにむかわねばならなかったし、肖像を一枚描くのには、百五十回ものポーズが必用であった。われわれが彼の作品と呼んでいるものは、彼にとっては、試作にすぎず、彼の絵画への接近にすぎなかった。

★ 絵画は彼の世界であり、彼の存在の方式であった。彼は弟子ももたず、家族の者に感心されることもなく、審査員たちに激励されることもなく、ただひとりで仕事をする。母親が亡くなった日の午後にも描いている。

★ ひとりの作者の生が、われわれに何ひとつ教えてくれないということも、われわれがそれを読みとくすべを知っていればそこにいっさいが見出されるだろうというのも、同様に真実なのであって、それというのも、その生は、作品のうえに開かれているからだ。

★ だがそれでもやはり、彼は、この世のなかで、カンヴァスの上に、色彩によって、おのれの自由を実現しなければならないのだ。彼はおのれの価値の証しを、他人に、彼らの同意に期待しなければならぬ。それゆえに彼は、おのれの手もとで生まれ出る絵に問いかけるのであり、おのれのカンヴァスにそそがれる他人のまなざしをうかがうのである。また、それゆえに、彼は、けっして制作をやめなかったのである。われわれは、けっしてわれわれの生を離れ去ることはない。われわれは、けっして、観念や自由を、差しむかいで眼にすることはないのである。

<メルロ=ポンティ;“セザンヌの疑惑”-『間接言語と沈黙の声 メルロ=ポンティ・コレクション4』(みすず書房2002)>