Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“世論”だとさ

2010-06-10 11:51:19 | 日記


ぼくは“政局”について書きたくない。

ほんとうにウンザリである。

しかし、このぼくも“日本国民”として、“この国で”死ぬまで生きなければならない。
“このこと”は、現在のぼくの“客観条件”では、選択の余地がない。

それと“このブログ”は、ぼくの<日記>でもあるので、“私という現象”のバックグラウンドとして、“くだらないこと(ドーでもよいこと)”もたまには、記録しておかねばならない。


さて、新内閣の“支持率”の世論調査とやらが、大メディアから一斉に発表された。
“大本営発表”である(“大本営発表”という言葉を知らないひとは“オヤジ”に聞いてくれ)

今日の“あらたにす・編集局から“から、3メディアを引用する;


☆ 読売新聞;
本紙の世論調査によると、菅内閣の支持率は64%でした。歴代5位の高さで、上々の滑り出しです。小沢前幹事長と距離を置く議員を活用したのを76%が評価しており、世の人々がいかに小沢氏の振る舞いに眉をしかめていたかわかります。その一方、「小沢氏は今後も強い影響力を持つ」との答えも72%でした。「脱小沢」はよかったが、問題が終わったわけではない、と多くの人々は見ているわけです。有権者は冷静です。(河)

☆ 朝日新聞;
朝日新聞社が実施した全国世論調査で、菅内閣の支持率は60%と、鳩山内閣の最後の支持率17%から急回復しました。民主党は参院選比例区の投票先で39%と、昨年の衆院選直前に衆院選比例区の投票先で40%だったのに迫る勢い。政府・与党は国会延長なしで参院選に入る方向で最終調整に入りました。心配なのは宮崎県都城市に飛び火した口蹄疫(こうていえき)です。屈指の畜産地帯で被害拡大を抑え込めるでしょうか。(市)

☆ 日経新聞;
菅政権の発足を受けて、日本経済新聞社とテレビ東京が緊急世論調査をしたところ、菅内閣の支持率は68%と高い結果が出ました。最大の理由は「小沢一郎前幹事長と距離を置いた」ことにあります。10日付1面の編集委員コラムでは、小沢氏を「悪役」にして人気を得た手法は、抵抗勢力をつくって高支持率を得た小泉純一郎元首相を思い起こさせると書いています。イメージづくりに成功したのは確かでしょう。問題は普天間基地問題をはじめ難問にどう立ち向かうか。まずは郵政改革法案をどう扱うかが焦点です。(つ)

(以上引用)


さてなにが“わかった”か。

まず“数字”である;
読売新聞=64%
朝日新聞=60%
日経新聞=68%


次にこの“数字”に対する、各メディアの“論評”である;
あーあ。
言うことありません。


次ぎの言葉を参照すれば充分です;

☆ 沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題で、菅首相が日米合意を踏まえて対応するとしていることについては「評価する」は49%で、「評価しない」26%を上回った。(アサヒコム)


“日本国民の世論”というのは、かくも素晴しいのです。

 ぼくも“日本国民”でホントによかった! “沖縄県民”でなくて。


参考までにアサヒコムからもうイッコ引用しよう;

<「新聞読む」91.3%、週平均5.2日 新聞協会調査>アサヒコム2010年6月8日5時0分

 日本新聞協会は7日、「2009年全国メディア接触・評価調査」の結果を発表した。
 調査は09年10~11月、全国6千人に聞き、有効回答率は61.4%だった。このうち、91.3%が「新聞を読む」と答え、1週間の平均接触日数は5.2日だった。いずれも07年の前回調査から大きな変化はなかった。
 新聞は「地域や地元の事がよく分かる」は52.6%、「情報源として欠かせない」は50.2%だった。同協会は「新聞離れが指摘されるなか、新聞が以前と変わらず、日常生活に欠かせないメディアであることが確認された」と話す。




“新聞”も“テレビ”もとっくに死んでいるのにね。





かぎりなく“不正確な”

2010-06-10 09:57:03 | 日記


一瞬にして以下の“例文”を貼り付ける;

〈河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている〉という、奥泉光さんの芥川賞作「石の来歴」の冒頭は印象深い。ふだんは「石ころ」などとさげすまれる。しかし沈黙の奥に、聞こうとする耳には聞こえる悠久の物語を秘めてもいる▼太陽系が誕生して46億年がたつ。往古の姿を今も保つ小惑星に向けて、小石などの採取に飛び立った探査機「はやぶさ」が、7年ぶりに地球に帰ってくる。機械の不調で石は難しかったようだが、砂などが採取できたのではと期待されている▼成功していれば快挙である。これほどロケットが飛ぶご時世でも、他の天体の表面から持ち帰った物質は、かの月の石だけだ。はやぶさは20億キロの長旅をへて、長径わずか500メートルの小惑星イトカワに着陸した▼帰路は苦難に満ちていた。エンジンなどが次々に壊れ、帰還を3年遅らせた。動いているのが奇跡的なほどの満身創痍(そうい)で、40億キロを乗りきってきた。機械ながら健気(けなげ)な頑張りが、帰還を前に静かな共感を呼んでいる▼漫画家の里中満智子さんは応援イラストを描いた。傷だらけの鳥ハヤブサが懸命に宇宙を飛ぶ。「ぼく がんばったよ」「もうすぐ かえるからね」。吹き出しが涙腺をじんわり刺激する。賢治の名作「よだかの星」をどこか彷彿(ほうふつ)とさせる▼13日夜、はやぶさは大気圏に突入して燃え、流れ星となって消える。わが身と引き換えに回収カプセルだけを地上に落とす。砂一粒でも入っていれば、様々な物語を聞かせてくれるそうだ。遠い空間、遠い時間からの語り部を待ちたい。(今日天声人語)



さて、あなたは、上記の“文”を何分で読み終わっただろうか。

もちろん、上記の文を何分で読み終わろうと、どうでもよいのである。
もしあなたが、上記の文を“2分”で読み終わったとしても、“その2分”が、あなたの“人生の時間の”損失であるか否かを問うほど、“あなたの時間”はシビアではないだろう。

“問題”は、あなたが上記の文からなにを受け取り、“自分で”なにを感じ、考えることが“できるか”である。

ひとがある文を読んでなにを感じるかを、ぼくは占い師ではないので、“完全に予想”できない。
しかし、上記の文で、多くのひとが“感じるであろうこと”は想像できる。

すなわち、上記の文は、“なんとなく夢のある肯定的な良い文”なのである。
“書き手”は、それを“狙っている”。


しかしこのぼくにとっては、“ひっかかる”ことがある。

まず上記の文の書き出しにある“奥泉光さんの芥川賞作「石の来歴」”を、ぼくはわりと最近読みかけてこのブログに引用さえした。
しかし、読み終わっていない(ああ、この小説も読み続けなければ!)
しかしいったい何人のひとが、この『石の来歴』を実際に読んだのであろうか。

つまり『石の来歴』に、
《ふだんは「石ころ」などとさげすまれる。しかし沈黙の奥に、聞こうとする耳には聞こえる悠久の物語を秘めてもいる》
ということが、本当に書いてあるか否かは、『石の来歴』を実際に読まなければ、わからない。

天声人語が、“そう書いている”から、『石の来歴』を読まずに納得してしまうのは、人間として正しくない(笑)とは言えないにしても、“不正確”ではないだろうか。
そもそも上記引用文だけでは、天声人語の書き手が、『石の来歴』を“読んだ”か否かも不明である。

ぼくが何度も(たぶん)言っているのは、ある文章を“読む”ということは、最初の一行から最後の一行までを“目でたどる”ことではないからである。

さらにぼくが“気がかりな”ことがある(笑)

《賢治の名作「よだかの星」》である。

この“名作”についても上記の『石の来歴』に対するのと同じ懸念をぼくは表明する。

すなわち、天声人語の書き手は、『よだかの星』を読んだのであろうか?
ある本の“名前(タイトル)”は、自分の意見を言うための“都合のよい符号(符牒)”ではないのである。

ぜったいにない。

『石の来歴』であろうが『よだかの星』であろうが、それは、その作品自体の、決定的に<独自>の世界をもっている。

それは、天声人語のような、“あまい感傷”とは、まったく次元を異にしている。

それが、“文学の力”である。

文章を、“読む”とか“書く”ということの、最低の条件は、この<独自の力>に対する感性である。

ある作品を、ある事態の<いいかげんな比喩>にしては、ならない。

すなわち、いつもいつも“自分の通俗な感性”を、“他者の独自な感性”を比喩とすることで誤魔化し、他者を“利用しつくす”。

そのことで、他者の作品の<独自性(唯一性)>を、決定的に凡庸なもの(多数の納得!)に、おとしめる。

ゆえに、<この世界>には、“おどろくべき言葉”は存在しなくなる。

すべての言葉が、手垢にまみれ、言葉の衝撃力は無に帰する。

みんなが、曖昧に(不正確に)、なんとなく<共感(納得)>している。



かくして、《遠い空間、遠い時間からの語り部》は永遠に地球に帰還できない。

言葉は、燃え尽きる。

“地球では”、からっぽの言葉を“語り合う”ロボット共が、今日もいそがしい。






手応えなき世界

2010-06-10 00:03:58 | 日記


このところ、仕事が(ぼくなりに)忙しいせいもあって、ブログを書く気力が萎えている。

上記に書いた“このところ”というのは、せいぜい1週間くらいであるが、実はこの“気力の萎え”というのは、そうとう前から現れた。

そのわりに、連日書いている(書いてきた)のではあるけれど。

つまり、毎日、ほとんどブログを書く気力がないのに、その日読んだ本や、出来事から、いつのまにか(そのときはけっこう夢中で)なにかを書いてしまう(引用してしまう)というのが、いつのころからか、“このブログ”となった。

昨日、仕事の帰りに、いままでほとんど読んだことのない保坂和志の「小説の自由」という文庫本新刊を買った。

これを買ったのは、郡司ペギオ-幸夫『生命理論』の“帯”の推薦文を茂木健一郎と共に書いているのが保坂和志だったから;

★ 哲学は幻想を産出し、その幻想によって人間を肯定する、
一方、科学は幻想を剥ぎ取るために人間を肯定することができない。
しかし郡司幸夫は認識を分析する過程に幻想を持ち込まずに、
ある一人の行為はつねに世界と対峙し、それゆえに
必ず未知の次元を切り開く、という感動的な世界像を描き出した。(引用)

保坂氏の『小説の自由』というタイトルも、いいと思う。
その‘あとがき’にこうあった;

★ ところで、今は、よっぽど単純なストーリーか刺激のある主張でもないかぎり、連載中に読者からの反響はない。反響ほしさに刺激だらけのことを書いていたら“反響依存症”になって、ろくなことにならないわけだから、反響のなさは織り込み済みで書いているわけだけれど、まったく、全然、何も、反応がなかったら、さすがに気持が萎える時もあるだろう。だから、ただ「読んでいる」という声だけでも、直接・間接に聞えてくることが励みになる。


すなわち、この『小説の自由』は、雑誌「新潮」に連載されたのだが、こういうプロの大手文芸誌の連載でさえ、“読者からの反響がない”ということである。

ならば、“ぼくのブログ”に反響がない、時々、読者は不和利晴君“だけ”ではないか(爆)という気分になるのも、やむをえないのであろう。

しかしたしかに“書いてるこっち”もタダで書いているが、タダで“読んでるあなた”も、ただ“読んでいる”というコメントぐらい書いても、損はしないはずである。

(ああ、またこのようにひねくれた言い方をするので、嫌われるのである!)

1日、200人の“訪問者”があり、先日など1000アクセスもあったのに、このThinkPadをシコシコ打っている部屋は、まったく人気がないのである。

たしかに自分のブログの、“ポピュラリティーのなさ”を反省すべきだろうが、ぼくには、自分のブログが<読まれている>(共感だろうが、嫌悪だろうが)という<手応え>がまったく感じられない。

たしかに、“人気のあるブログとかツイッター”というものが、“あるらしい”。
しかし、それは、ほぼ《よっぽど単純なストーリーか刺激のある主張》らしいのである。

保坂氏の『小説の自由』からもうひとつ引用すれば;
《日常や新聞・ワイドショーのレベルで考えられている人間や世界のイメージと別のイメージ》
を書くと、あたりは限りなくシーンとするのであった(笑)


もちろん、この“ぼくのブログ”が、ワイドショーのような“お笑い”と“喧騒”に満たされるのは、ぼくの望むところではない。


しかし、このぼくも、たぶん<人間>なのであった。

ずっと、自分を火星人のように感じることから、逃れられないにしても。
たぶん、永久に!





* 写真;今年も参宮橋の泰山木が咲きました







<引用>

★ まだ明るい、しかし今日は勤め先を出てから歩いてタワー街からシルヴァー街を通り、市役所前広場まで行って、ニュース劇場にはいった、この映画館は廊下のようなかたちをして、スクリーンも狭く、木製の椅子は小さすぎ、すわっていてすこしでも動くと蝶番がきしむ、列と列のあいだも狭すぎて脚をねじまげねばならない、風通しも悪く、パイプの煙がたちこめて映像が乱れる、冬は寒いこの映画館、ここまでの道順を教えてくれたのはジェイムズだった(ここは彼が定期的に行くただひとつの映画館だ、彼がブレストン以外の世界を、他の都市をかいま見るただ一つの窓なのだ、そのとき彼の目はどんなに熱っぽいことだろう)、彼からこの映画館を愛好する癖を植えつけられて、この一年の思い出の追跡と定着に土曜日曜日以外の夜をささげるようになるまでは、ぼくもこの小屋の常連となっていた。

★ ……そこを通りかかったぼくが、劇場の入口の両側の広告掲示板で見たところによると、今日からはじまる番組は、ニュース数本と「マック・セネット・コメディーズ」二本の添え物つきで、柱になる「旅行記録映画」がクレタ島についての色彩映画なのである、クレタ島、あのアリアドネとパイドラの誕生の地、あの美術館の十一番目の綴れ織りに描かれた迷宮とミノタウロスの島、といってこの記録映画が、これまでこの小屋で見た同種類の映画の大部分にくらべて、技術的にあれほどすぐれているものとは思っていなかったのだが。

★ ああ、あの地方にはさんさんと陽光が輝いているにちがいない。あのイダ山の斜面には、あの、空に向かってはゆるやかな叫びのように沈み込んでゆき、足もとの透明な海面上にも、そのゆるやかな叫びが反響してゆくような、高く歯のようにとがった峰々には、それをとり囲む切り立った鋸歯状の海岸、峡谷のすみずみまで掘り起こしてゆくような長い陽射しに祝福された海岸には、さんさんと陽光が輝いているにちがいない――たぶん古代陶器から取ったものらしい蛸文様を背景に記された「クレタ島周遊」の文字と、主要な製作協力者名が映し出されるのを読んでから、ぼくらは、小さなスクリーンの上に、海岸がくりひろげられてゆくのを見守っていた。暗闇のなかで、たがいに見知らぬまま、たがいの顔も見ないぼくら、ずっと以前から、あるいはつい数ヶ月まえからブレストンの呪いにかけられてブレストンに住むものたちは、幾列にもならぶ耳ざわりな音を立てる木製の椅子に腰かけて、たばこの煙がたちこめ、焦げた臭いもまじるよどんだ空気のなかで、布の織目も荒く、洗濯もゆきとどかず、たるんで揺れている小さなスクリーンの上に、海岸がくりひろげられてゆくのを見守っていったのだ。

★ 晩秋であろうと、あそこではさんさんと陽光がふり注いでいるにちがいない、晩秋であろうと、この町での今日のような日、ひと粒の雨もなく、一片の雲も出ず、霧も立たずに暮れてゆく今日のような六月の長い一日よりも、はるかに日差しはつよいにちがいない(略)、今日のようなきわめて長い一日、この地で見たかぎりもっとも美しい一日、マシューズ親子商会のぼくの机に気持よく陽光が流れていた一日、いまやっと、その一日の最後の緑色の足跡が、きわめて静かに消えてゆき、月がデュー街のほのかな靄のなかに現われ、そこの窓が一つずつ、一軒に一つずつ明るくなっていった、ほんの数秒まえまでは、短い服に黒い靴下をはいたお下げ髪の少女が、数名、水溜りも乾いてしまった舗道の固くなった泥の上で、今日は例外的に身体をよごさずに遊んでいるのが見えたデュー街に。

<ビュトール;『時間割』清水徹訳(河出文庫2006)>