Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

そしてみんな、“おなじひと”になった

2010-05-25 14:02:21 | 日記


★ 高度成長がもたらした社会はこうして全面的に自己を肯定する<同一者>となり、この社会をトータルに批判するような人間も言説も出現しなくなる。

★ バブルと消費文化のなかで、社会はその<同一性>を人びとに享受し、確認するように迫るが、そこで注目すべきは精神と身体の比率が書き替えられることである。快楽にせよ異変にせよ、「身体性」の次元がもっとも確かな審級――その意味は不明なままだが――になり、精神は身体という現実が残すあいまいな痕跡や恣意的なずれとなったのである。

★ 1980年代にこの社会は身体にかかわる欲望や想像力の可能性を一気に膨張させる。

★ ハイテクノロジーであれ、宗教的な幻想であれ、性的な欲望であれ、身体はそれらの技術や幻想や欲望が徒に(いたずらに)もてあそぶ対象となったのである。社会はわれわれの生を肯定し、享受することを強いるが、その生の内実はこの玩具のような身体をベースにして消費の文化の主体となることである。

★ オウム真理教の教祖たちの犯罪も、連続幼女誘拐殺人事件の犯人もその例外ではなかった。彼らの欲望はこの社会が可能にする生の<同一性>の延長線上にその欲望を膨らませ、その<同一性>の暗澹たる模造を描いてみせた。

★ 彼らの物語と社会の現実は競合しあう異形の双子として、たがいの夢のなかに棲みつくのである。

★ 彼らの修業や犯行は身体に固執する欲望をそのまま生を肯定する形式につないでいるが、それはこの社会の想像力や文化の<同一性>に同調するものでしかない。彼らはこの社会の<同一性>の破局を見せたのではなく、その同一性がどのように無残なものかを展開して見せたのである。

★ すでに否定性や、欠如や、外部、あるいは危機や悪の要素は次々に枯渇し、漂泊させられ、社会はその明るい生の全面的な自己肯定によって<同一者>となっている。そこに存在しているのは、欠如を克服し、他者を払い除け、自己充足のうちにある社会だが、見方を変えれば、この社会には欠如が欠如している。たえず欠如や他者の模擬をつくりだし、それを何とか処理することもその一つの現れである。そこでは特定の何かが欠如しているのではなく、社会の全面にわたって何物でもない何かが欠如している状態であり、生の根底は「やるせない同一性」に支配されている。

★ 社会の<同一性>はここで何か危機的状況にあるのではなく、カタストロフィの状態に入りこんでいる。それは切実な破綻――堕落すること、死滅すること、罪を犯すこと――の意識もなく実現するカタストロフィであり、これという理由もなく、空洞を生きる生の断片があちこちに分節されていく。

★ 一人のOLの「イツ 死ンダッテ 構ワナイ」というやるせない性の売買、一人の少年の「アレハ ボクノ ツクリバナシ デス」という殺人の動機、それ自身の死を象徴する「絵記号」の上に成立する風景。社会の<同一性>の先端にはそうした小さな生の廃墟が抱えこまれている。

<内田隆三;“廃墟”-『国土論』(筑摩書房2002)>






<注記>

上記内田隆三『国土論』の引用部分は、“第4部廃墟”の‘はじめに’からの引用である。
この“第4部”はこの本の“最後の部分”である。

上記引用個所には直接出てこないが、ここでは、“1997年の春のごく短い期間に起こった”三つの事件が取り上げられている;

① 長崎県諫早湾の干潟が有明海から切断された(“海の死と記号の国土”)
② 神戸市郊外ニュータウンでの児童殺傷事件(“異神と少年”)
③ 東京渋谷ホテル街周辺アパートでのOL殺害事件(“都市と「私」のカタストロフィ”)






<補足>

上記引用部分だけでは、この『国土論』の魅力が伝わらないことをおそれる(笑)ので、“諫早湾の干潟”に関する記述も引用しよう;

★ 乾いた土の上に点在する大きな石ころにも、この白い貝殻が隈なく層をなしてこびりついていた。支えを失った貝殻は必死になって別の貝殻の背中にすがりついている。白い貝殻が次々に重なって伸びていく姿は、石塊に咲く奇花のように見えた。すでに海の生き物は見えなかった。生暖かい風が吹くなかで、土手の向こうの水田からやってきたと思われる昆虫や蜘蛛と、それを狙う獰猛な蛙が素早く足もとを掠めていくだけだった。白い死の花の広がりに足を踏み入れ、自分の方向感覚が狂うたびに、ここはどこなのかと、妙な目眩がした。

★ 西の諫早からみれば、有明の海を挟んで東側に筑後柳川の町がある。立花氏の城下町であった、この水郷を想像の舞台にして福永武彦は『廃市』という小説を書いている。いつか時間が滞り、ひそかな腐敗を続ける美しい町に、ある夏休みを過ごした学生の思い出が遠い追憶として記されている。後に大林宣彦がこの作品を映画化するのだが、そのなかに主人公の姉妹の一人、夏目傘をもって家を出た安子さんが、自転車に乗ってやってきた魚売りからメカジャやクツゾコを買うシーンがあった。それは悲劇の寸前、夏の日のまだ平和な一ときのことであった。

(柳川の南半里ほどにある沖ノ端で北原白秋は生まれた)
★ このような観点から興味深いのは、習俗の地層と文学表現のねじれのなかに身を置いた北原白秋自身の「海」の記憶であり、その海の記憶をよぎる「恐怖」の感覚である。幼い白秋は干潟の海の濁った土壌の匂いに身を浸しながら育った。白秋にとって最初の海の印象は彼が乳呑み子のころ、自分を抱いて船から降りた人の「真っ白な蝙蝠傘の輝き」であり、その「痛いほど眼に沁んだ白色」をその後も忘れることができなかったという。そして第二の印象は乳母の背中から見た干潟の海である。(略)そのとき彼が乳母の背中から見ていた海は、濁った黄色い象の皮膚のようであったという。



★ にくいあん畜生は紺屋(こうや)のおろく、猫を擁えて(かかえて)夕日の浜を
     知らぬ顔して、しやなしやなと。
  にくいあん畜生は筑前しぼり、華奢な(きゃしゃな)指さき濃青(こあお)に染めて、
     金の指輪をちらちらと。
  にくいあん畜生が薄情な眼つき、黒の前掛け、毛繻子(けじゅす)か、セルか、
     博多帯しめ、からころと。
  にくいあん畜生と、擁えた猫と、赤い入日にふとつまされて
     潟に陥つて(はまって)死ねばよい。ホンニ、ホンニ……
   (北原白秋;“紺屋のおろく”)

<内田隆三;“海の死と記号の国土”-『国土論』>







ルーシーちゃんは、お空の、ダイヤモンド

2010-05-25 10:54:40 | 日記


☆ 今朝起きて、下の長いブログを、けっこう時間をかけて書いてから、朝食の支度をしていたら、“ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンド”という例のリフを突然口ずさんでいた。

☆ つまり“あの時代”に瞬間移動した。

☆ “ビートルズ”を、現在聴くのと、“あの時”、ビートルズが現役で存在し、“その曲”を新譜として、“その時”に聴くのとでは、まったくちがう。

☆ もちろん、“その時代”のぼくは、“若かった”。

☆ “若かった”というのは、愚かだったということでもあるが、心身ともに“まだ”フレッシュだった(笑)というよーなことでもある。

☆ すなわち、“空気がうまかった”り、なんとなく希望があったり、ようするに“胃の調子が良い”よーな状態だった。

☆ Doblog(古代の遺物)のときに、“ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンド”についてのブログを書いたことを思い出し、その下書きをみつけた;

☆ 今日は“サージャント・ペパーズ”アルバムを久しぶりに聴いた。
このアルバムではラリッているジョンをポールが懸命に“起きて仕事(音楽)をしよう”と言っているアルバムである。
天才(狂人に近い!)ジョンをフツーのひとであるポールが起こしたり、励ましたりしているのだ。
ぼくはジョン・レノン・フリークでありポールには冷たかった(笑)
けれども先日“オブラディ・オブラダ”を聴いていて、見直した。
そもそもポールはすぐれたベーシストであり、ホワイトアルバムでも最初の
“Back in the USSR”が終わり“Dear Prudence”のベースが出てくると胸がときめくのである。
この“サージャント・ペパーズ”アルバムのポールもいい。
“Getting Better””や“Fixing Hole”はいい。
彼の曲は人生のさりげないお話である。
自分のささやかな(ビートルズ以前の)体験や、空想(想像)や小耳に挟んだような物語がノスタルジックに語られる(家出する少女やマッケンジー神父や64歳になった時やお母さんが必ず知っていることなどである、後期の気張ったポールはいただけない)
彼のボーカルは彼の性格のように軽い。
機敏で実際的で内省的ではないキャラなのだ(そういうひとも空想するときはある)
(略)
けれども、このサージャント・ペパーズで最高の曲が最後のジョンの“A day in the life”であることを認めないひとはいるだろうか(笑)
この曲がジョンの最高の曲のひとつであること、こういう曲においてビートルズはその後のROCK-POPSシーンにおいても乗り越えられていないことが明らかである。
この曲にもポールはサージャント・ペパーズのテーマと共に登場しているではないか。
“さあ、ジョン、ラリッてないで仕事をしようぜ”と言っているのだ。
これぞ男の友情ではないか。
ジョンとポール、この対極的な個性の惹かれあいと反発の力関係とこれまた異質のジョージ、リンゴのわずか4人の力の引き合いのテンションのなかから、ビートルズは生まれた、ひとつの暗黒星雲のように。
それは自由を感じさせた、この定義しがたい自由をである。
よい音楽はたくさんある。
けれどもこの星雲の不滅の運動は今日においても驚きである。
(以上旧ブログ引用、段落はカットした)

☆上記でぼくは何を書いているか?男の友情である。

☆ 今朝“あるブログ”で以下の文章を読んだ;
《三十代も半ばをすぎているというのに、いくら睡眠をむさぼっても、「幼稚園のときのあの日の遠足の疲れがまだ取れていない」ような気がしてくるし、「これからも取れることはないのではないか・・・?」、そんな絶望的な疑いも湧いてくる。だが、ゲーテのように、一度の人生で何度もの青春時代を経験したひともいる。「もう一度二十歳に戻れたら」、とか、「肉体的に若返りたい」、とは思わない。年齢も、肉体も、境遇も、今のままでいいから、私にももう一度、青春を生きる力があったらな、と思う。》(“疲労について”)

☆ なかなか素直なよい文章だと思うが、これを書いているひとは、“三十代も半ばをすぎている”に“すぎない”のである(爆)

☆ “60代も半ばにさしかかる”ぼくは、ドーしたらよいのであろうか?!

☆ だいいちこの文章を書いた人は、自分の“現在の疲労”について、《幼稚園のときのあの日の遠足の疲れがまだ取れていない》という“比喩”を使っているのである。

☆ ぼくは《幼稚園のときのあの日の遠足の疲れ》などを、もはや覚えていないのである。

☆ ただし、このひとが、ここで“いわんとしたこと”はわかる(ヨーな気がする)

☆ ぼくの“言葉”でいえば、“幼児期のみの、世界に包まれている自由感”からの<疎外>である。

☆ たしかに“幼児期”と“青春時代”も、ちがう。

☆ しかし、“幼児期~青春時代”とちがうのが、“大人”であり、“大人”ともちがう<未知>として、ぼくは“老年”に直面している。

☆ “だから”、いま“幼児期~青春時代~大人”の方々が、<ぼくのブログ>を理解し得ないのは、“やむをえない”。

☆ ぼくはここに引用したブログの“書き手”から面識があるのに(笑)、《嫌いな人物》と認定された(よー)だからである。

☆ ”She's so heavy”と歌ったのは、ジョン・レノンだった(これも過去のブログに自分で書いた文章)

☆ へヴィ!

☆ この場合の、“She”とは、誰のことだろうか?(“オノ・ヨーコ”は、模範解答とはならない)

☆ “She”とは、誰のことだろうか?

☆ ブログを書く、とはどういうことだろうか?

☆ 他人に向かって書いているのか、自分に向かって書いているのか?

☆ もし自分に向かって書いているなら、
① それは“ひとりごと(独語)”なのか
② “魂のインストール”なのか(近日のブログで書いた、参照せよ)

☆ ぼくは、“仲間内のおしゃべり”は、拒否したい。

☆ たとえ“ひとりごと”であっても、それは、世界へと発信されている。

☆ “神があなたを見ている”のではない。

☆ “世界”が“あなた”を見ている。

☆ ああまた、ぼくは“メッセージ”を発信してしまった(笑)

☆ ぼくがここに“書きたかった”のは、《ルーシーちゃんは、お空の、ダイヤモンド》という曲の(そのリズムと旋律と声の)<自由>のリアルであった。





人生の“奥行き”

2010-05-25 08:42:42 | 日記


まずタイトルにかかげた<奥行き(おくゆき)>という言葉を電子辞書広辞苑で引いてみる;

① 家屋や地面などの、表から奥までの距離
② 比喩的に、人柄や思慮の奥深さ

すなわち①は、物理的な意味である、それは“ある距離”を意味する。
それは、“客観的に”測れる距離である。

問題は、②である。
すなわち②の“意味”では、その“距離”は、“比喩”として、“奥深さ”となる。

それは、客観的に測れない。

“あのひとは<奥行き>のある話をする”と誰かが言ったところで、その“奥行き”を客観的に“測定する”規準はないからである。

すなわち、あるひとにとって“奥行きのある話”も、別のひとにとっては、たんなる“主観性”でしかない。

あるいは、ちっとも“奥行きのない話”を、“奥行きのある話だなー”と感心してみせることもできる。

この②の“比喩としての奥行き”というのは、ある“距離”のことであるだけでなく、“単純ではないこと”でもあるようである。

たとえば、《日米同盟は抑止力である》という言明は、単純である。

もし“現実に” 、《日米同盟が抑止力である》という命題が、<事実>であっても。

これに対して、《日米同盟は抑止力ではない》という“論証”もありえる。

あるいは、“抑止力”となっているか否かの論議以前に(と共に)、<日米同盟>は“正しいのか?”という論議も可能である。

その場合は、その<日米同盟>の歴史的経緯と、その“同盟の”具体的<事実>と、その“同盟の”正しさが問われる。

しかし<現実>に行われている“論議”は次ぎのよーなことではないか。

①“実は”日米同盟の“不正義”は分っている、“しかし、現実に”、北朝鮮や“テロ”の脅威から日本国を“守る”必用がある。
② “日本国を守る”ということの“意味”は、必ずしも北朝鮮や中国etc.が日本国を“現実に”攻めてくることを意味しない(そういう“可能性”もあるが)
そうではなく、北朝鮮らが“武力によって恫喝する”ことを、国際政治の“かけひき”としているのだから、<日米同盟も>その“かけひき”への対抗策である。
③ また<日米同盟>は、たんなる“軍事同盟”ではなく、それは、米国との“経済同盟”であるのであって、ようするに、米国と“なかよく”していなければ、日本国の経済が立ち行かない。

以上である(笑)

すなわち、現在<日米同盟>を支持する方々にも、ごたいそうな根拠は、あるのである。

たぶん彼らはこれを、“現実的”という。

ゆえに、ここで問題になるのは、<何が現実的であるのか?>ということ<自体>である。

ぼくが“奥行き”という言葉からこのブログを始めたことを想起してほしい。

ぼくは、その“奥行き”という言葉の“反対”として、“単純”ということを提起した。

しかし、この“単純でない奥行き”というのは、なにかわけのわからない“複雑さ”とか、人生のキャリアによって蓄積される“洞察力”のよーなものでは、ない。

逆である(笑)

それは、“基礎baseから考える力”である。

それを<哲学>という必要は、ない。

もし哲学が、この人生の<現実>に無関係の“形而上学”・“観念論”でしかないなら。

これまでの<哲学>とその<解釈>に、おおいにこの“傾向”があるのは、“事実”である。

これに対して、<自然科学>や<社会科学>に、“実証的方法”があるのなら、おおいに“これ”を使用すべきだ。

ただ<哲学>を“使う”ことは、現在でも可能なのだ。

たとえば“カント”である。
なんども書いているように、ぼくは、(自慢ではないが)、カントの著書の“翻訳書”さえ読み得ていない、“解説書”や柄谷行人による“応用”を読んでいるだけだ。

しかし、そして、<超越論的>というような<概念>がやっとわかりかけてきた。

<超越論的>というのは、ある認識や考え方の“態度”であり、“方法”である。

だから“カントから学ぶ”ことがあるなら、それは“カントが述べたことの結論”ではないのである。

カントがいかに考えたかの“思考の過程”としての、<方法>である。

もちろん“これ”は、カントに限らない。
“ヘーゲル”にも、“マルクス”にも、“ニーチェ”にも、“フロイト”にも、“ベンヤミン”にも、“フーコー”にも、“ドゥルーズ”にも、“サイード”にも、“アガンベン”にも、学ぶことはあるのである。
(“ビュトール”にも、 “デュラス”にも、“ル・クレジオ”にも、“ギュンター・グラス”にも、“大江健三郎”にも、“中上健次”にもある)

もちろんぼくは、これら思想家(感じ・考える人)の“解説書すら”読み得ていない。

ある解説書を読み、“やっとわかった”とおもったことも、時間がたつと、もはや定かではない。

前にブログにも引用・コメントした“解説書”(黒崎政男“カント『純粋理性批判』入門”)で、自分が“感心した所”を“探す”(笑)

たとえば;

★ つまり、素朴にありのままを認識しようとすれば、それは主観的なものとなり、逆に、世界は主観による構成物だと考えることで、初めて客観的認識が成立する、というパラドキシカルな主張こそ、『純粋理性批判』の根源的テーマなのである、と。