Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

河馬に噛まれる

2009-06-17 11:19:57 | 日記
つまらないマスメディアの話はやめて、本を読もう;

《ダケカンバの林にさえぎられて浅間は見えないが、噴火があると屋根に灰が降りつもる位置の、山小屋に来た》

この書き出しの一行を読んだだけで、この著者を言い当てられるひとが、たぶんいる。
ぼくには、自信がないが、ひょっとしたら当てられた。

大江健三郎である。
ぼくはこのブログを書く時に“有名人の名”を呼び捨てにするかどうか、まよう。
これまでは、基本的に“氏”をつけて“内田樹氏”というように表記した。
呼び捨てにする場合は、怒っている場合でもあった―(この内田樹というバカが・・・)
しかし大江健三郎や中上健次や村上春樹に、“氏”をつける気にならないのは、彼らがむしろ好きだからである。
(だから、“最近”、村上春樹氏と書きたくなった)

つまりかなり前に、“愛読”しなくなってからも、大江健三郎は“大江健三郎氏”ではなかったし、いまもない。

最近、近年日本の小説をほとんど読まなかった(中上健次をのぞいて)ぼくとしてはめずらしく、小説をつづけて読んだ。
このブログに書いている通り、阿部和重、青山真治、平出隆、村上春樹、古井由吉らを読んでいる(進行形である)

そうしたら、気になる“名”が呼びかけるのである。
三島由紀夫である。
そして今朝、本棚から大江健三郎『河馬に噛まれる』(講談社文庫2006)を取り出した。
この文庫は2006年の刊行であるが、ここに収録された短篇が書かれたのは、1983年-1985年だという(文庫解説による)
まさに“村上氏”の新作の年代である(笑)

ぼくにとって、ある時期からの大江健三郎は、とても読むのがおっくうな作家となったが、これは“一般的”にもそうではないか(ぼくは大江の愛読者であるという人にあったことがない)

きょうもこの『河馬に噛まれる』の書き出しを読み、すぐに巻末の“解説”の方を読んでしまった。
この解説を書いている小嵐九八郎というひとは、ぼくの知らない名である。
これを読んでこの書き手が、元“社青同解放派”であることを知った。
この人の文体には癖があって読みにくいが、いいたいことはよくわかった、ぼくは“活動家”ではなかったが。

たとえば小嵐氏の友人の元“武闘派”のひとが、この小説の感想をこう述べた;
《・・・おれとはまるで反対の人間、そう、リンチの嵐のなかで便所掃除をしていた少年、そいつが、その便所掃除というとんちんかんを浅間山荘の決戦後も続けて、河馬と水の流れの共生みたいなところへいくってえのが、悲しくなるほどいいなと思った》

大江は“連合赤軍事件”にこだわり(忘れず)、春樹は“オウム事件”にこだわった。
こういう“こだわり”のみが、“ある時代”へのこだわりである必用はないが、現代を生きる作家として、こういうことにこだわるのも、“正常”なことであった。

しかし、必用なのは、“こだわる”こと自体ではなく、そのこだわりを、現在においてどう言説化できるかなのだ。

たとえば平出隆は1980年代の最後の頃、猫にこだわっていた。
自分の借家とか、引越にこだわっていた。

つまり、ひとには多様なこだわりがあり、そのこだわりが、“政治的”であるかは、“社会的”であるかは、“文学的”であるかは、“人間的”であるかは、“美的”であるかは、“倫理的”であるかは、“テーマ”ではないのである。
100歳になるまで、“神話”にこだわったひともいた。
“路地”と“闇の国家”にこだわって死んだひともいた。

いまも、ぼくにとって、大江健三郎は、気の重い人である。
ぼくは『河馬に噛まれる』が読めるだろうか。

しかし解説の最後で小嵐氏は書いている;

★ そして、この暴力を含め肉体の損傷を描く時、こちらの思い違いか、国家、イデオロギー集団、肉親の“障害”と普遍的な広がり、宗教集団と大江健三郎氏が綿綿と熱を帯び、折りに、難解な言葉を敢えて選んで表現する底には、実体に、枝葉に、細胞に、人類の類というテーマが満ちていることに心が至る。その眼差しは、どんな一人でも含みたい、再生したいという優しさであろう―に。

★ それは、暴力の摑え方の複眼的な強さであり、撃たれても撃たれても舞う(略)ムハメッド・アリのようなしなやかな暴力への対峙である。



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