Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

一滴の血

2013-07-09 09:22:25 | 日記

★ 初夏の頃にためしにガラス張りの観光船にのってみると、船首にサーチライトがつけてあって、大構築物のあたりへくるとそれをふりむけ、ノートルダム寺院やルーブル美術館が夜空に浮きあがっては閃いて消えていくのだが、ときどきいたずらで河岸を照らしてみせることがある。すると胸壁のしたで陥没している二人組が一瞬見えて消える。ときにはズボンをおろしたアポロンにスカートをたくしあげたアマゾンがうちまたがっているのが見える。アマゾンは光茫を浴びせられても恥じも臆しもせず、白い歯を見せて晴朗に高笑いし、こちらをふりかえってちょっと手をふってみせたりする。その白い、みごとな臀に光輝が衝突して、まるで蒼白い青銅の果実のようである。

★ マロニエの枯れ葉が老人の掌のようになって道を走っていくのは冬の間によく見たが、おなじ木から雪が初夏に飛ぶとは知らなかったので、私はポン・ヌフの島の先端に腰をおろして釣りをしながら、黄濁した水のゆっくりとした流れに小人国のパラシュート部隊がつぎつぎと消えていくのを眺めていた。石で畳んだ岸の水ぎわに緑いろのべとべとした藻がついているが、それをとってきて小さく丸めて鉤のさきにつけるといいのだと釣師に教えられて、私は日本から持ってきたハヤ釣の鉤に藻の団子をつけてみたのだが、どうしてか、グウジョンもガルドンも食ってくれない。釣ったら一匹のこらず逃がしてやろう。そのときは“アデュウ!”といおうか。“オルヴォワール!”といおうか。それとも“ちきしょう!”といおうか。科白をあれやこれやと考えてあるのだが、いっこうに食ってくれない。河岸のペット屋へいって金魚の餌にするアカムシとアスティコ(ウジ虫)も買ってきてやってみたのだが、やっぱり食ってくれない。

★ 私は釣りに心を集中していない。プラハへいこうか。サイゴンへいこうか。東か、南かと迷っている。プラハではソヴィエトの戦車が行進し、サイゴンには北ヴェトナム正規軍と解放戦線が二月と五月につぐ第三波の総攻撃をかけるという噂がある。どちらへいったらいいか。誰にたのまれたのでもないが、ここにこうしてはいられないが、どちらへいったらいいか。どうしたらいいか。水は流れていくが私はとらわれていて、漂っているはずなのにこわばっている。

★ 水銀を散らしたように淡い陽がキラキラ輝くなかを白い綿毛がとめどなくかすめていく。対岸のアパルトマンは垢を洗いおとされて史前期の巨獣の骨をつみかさねたようだが、どうしてかそこに一つだけ窓があいている。それが頭蓋骨の眼窩のように暗い。そこに真紅の血が一滴輝いている。声もなく輝いている。茸のように輝いている。
ゼラニウムが咲いているのだ。

<開高健『眼ある花々』(中公文庫1975)>







最新の画像もっと見る

コメントを投稿