Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

恋する虜

2011-03-07 01:42:21 | 日記


★ この本のいたるところに、言葉よりもはるかに激しいもの、重いもの、残酷なもの、不安定に震えるもの、敏捷に移動するものを前にして、今にも書くことを放棄してしまいそうな姿勢がみえる。ジュネが直面したさまざまな危機、暴力、死は、たえず彼の言葉をおびやかしたにちがいない。ジュネの生きてきた時間のかたちそのものが言葉をおびやかしている。だからこそ、どんなに残酷な暗い事態も透視するジュネの視線と、彼の思考がたえず放つ穏やかな光の強さに、私たちは驚くしかない。

★ 時間は人にたえず幻想や欺瞞を強いる。時間が多くの幻想や欺瞞から成り立っているからだ。だからジュネは、事実にも幻想にもつかず、事実を幻想によって、幻想を事実によって、たえず分光し、二つの間を往復しながら、時間の震える不安定な相に忠実に、しかも時間のおびやかしにたえて、時間の真実にいたろうとする。ジュネの思考と言語を貫く空白は、そのような振動ですみずみまでみたされる。おそらく『恋する虜』が特異なのは、そんな空白を通じて、時間の真実とでもいうべき位相に言葉が浸透しているからである。

★ こうしてこの本は、一つの異様な歴史の試みとなっている。ジュネにとって、客観的な歴史も、主観的な記述も不可能で、そのような分離がそもそも存在しない。歴史を構成する一つ一つの分子や流線そのものがすでに、事件を生起させる客体的な条件と、事件を見つめる主体的な立場を複合させた二重性によって成立する。このような二重性は、行為も事件も、言葉も思考も、たえず交錯する立場のなかに振動させる。ジュネの明晰さは、このような立場にだけ成立し、そこでたえず試されているような明晰さである。

<宇野邦一『ジュネの奇蹟』(日本文芸社1994)>






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