Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

確率ゼロ

2013-08-18 08:42:39 | 日記

★ 自分の命がこの地上に生み出される確率はいったいどれくらいか、考えてみたことがあるだろうか。偶然出会った二人の男女を両親に自分が生まれたことを、私たちはあたりまえのことと思いがちだが、二人の男女の間にこの<私>が生まれる確率はきわめて低いのである。同様に私の両親が祖父母たちから生まれる確率もそれ以上に低いのである。このようにニ、三世代さかのぼってみるだけでも、自分の命が地上に生み出される確率はほとんどゼロに近く、生まれたことの方がむしろ不思議に思えるほどなのである。さらに起源をたどると、ゼロの行進が気の遠くなるほど続き、可能性は無の中に溶けこんでしまう。

★ だが、ひとたび命が結ばれると、無の深淵から、突如生が浮かび上がる。無から有へのこの奇跡の出現が命なのである。私たちにとってその生が唯一の生なのである。どんな両親の下に、どんな時代に、どんな場所に生まれてきたかったと、どれほど強く願ってみたところで、それを選択することはできない。それが、この世に生を受けることの意味である。

★ 私たち人間は遠い昔から、いろいろなところで、一日一日と生きてきた。実にたくさんの人間が生きてきた。一人ひとりが別個の身体を持ち、みな違った生き方をしてきた。この私も、また例外ではない。私は、両親や祖父母に似ているけれども、彼らと同じではない。彼らには彼らの生があったのだ。ひとりの人間が生きてゆく道には多くの山があり、またたくさんの谷がある。昨日と今日とは似ているが、同じではない。そして、明日はいつも新しい。生きてゆく一日一日の手ざわりをひとつひとつ確かめるとき、個々の生は陰影の鮮やかな相貌を見せるのである。与えられた命をただ一度きりのものとしていとおしみ、自分自身の生として引き受ける姿勢から、人間だけが持つ主体性が生まれてくる。

<“手帖5 命をいとおしむ”―梅田・清水・服部・松川編『高校生のための批評入門』(ちくま学芸文庫2012)>






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