Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

迷路の奥

2013-07-12 12:11:54 | 日記

★ 世の中にはどうしても相容れない矛盾した現象や考え方がある。たとえば、人類とは果たして理想の達成に向かって進歩する文明なのか、それとも破壊と蛮行を引き寄せる愚かな生き物なのか、といった正反対の見方の対立をとってみてもそうだ。双方での有力な証拠を提出し合えばそれぞれにいくらでも見つかることだろう。そのどちらによっても、一方の見方で断定しきることは不可能である。

★ あらゆる宗教は平和の大切さを説き、殺すなかれと教えているはずなのに、歴史上の戦争の大半は宗教の対立が原因ではないか。これもおかしなことである。また、技術文明が発達すればするほど人間生活は便利になっていくが、それ以上に、せわしく騒がしく苛立たしいばかりの暮らしになっていくようだ。だからといって今さら電気も乗り物もない生活に戻ることなどできはしない。どうしたものか……。

★ このような大問題でなくとも、たとえば私という人間は好ましい人間なのか、と自問してみるだけでも、私たちのだれもがたちまち言葉に窮して立ちすくんでしまうにちがいない。

★ 私たちの知性が陥りやすいひとつの落とし穴は、「問題」には必ず「答え」があると思い込みがちなことである。たえまなく問題を与えては「答え」を要求し続けた教育の影響かもしれない。答が見つからなければ、問題そのものを放棄するか、さもなければ無理に答えをつくってしゃにむに信じ込んでしまうという場合すら少なくない。答を出すことが“生産的”であって、従って答えの出せない割りきれない問題は“非生産的”で無益な問いだという感覚が、私たちに知らず知らず染みついてはいないだろうか。

★ だが本当は人間の精神が疑問を産み出すことじたいが、かけがえのない豊かさなのである。疑いを抱き、検討し、模索するその過程こそが、人間の精神の歩みなのだ。

★ もともと人間はみな違った個性と環境を生きている。融合しあえない他者との境界は厳然として私たちの周囲にある。矛盾を拒むということは他者を拒むことであり、対話を拒むことだ。

★ 古代ギリシアの哲学者プラトンは、理性的な思索を導く方法として常に対話(ダイアローグ)による検討を心がけた。さらに、ドラマ作りの基本は矛盾した対立する人物を配置することにある。人は、性的他者である男と女とから生まれる。……考えてみれば、他者との矛盾こそ創造の養分ではないか。

★ どんな筋の通った考えも独りよがりの一人言(モノローグ)にすぎないおそれがあるのだ。豊かな宝は、混沌や矛盾の迷路の奥に隠されている。

<“手帖4 矛盾を引き受ける”― 梅田・清水・服部・松川『高校生のための批評入門』(ちくま学芸文庫2012)>







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