藤原新也ブログ“ゾンビの生き返るがごとき秋の夕映え”から(共感するので、その一部を)転載させてもらう;
★ 今回、自民党総裁選候補はこぞって被災地に行って被災地のことを思ってます風な歯の浮くような演説をぶった。
だが自民党はこの未曾有の国難にあって3・11以降率先して正面から向き合うこともなく、わずかな机上の提案を出しただけでほとんど何もして来なかった。
この五人の候補が被災地に足を運んだという形跡もない。
というより彼らは国難にあって政権与党の民主党の被災対応をせせら笑うかのように冷ややかに眺めていた。
★ その彼らがいざ与党に返り咲く可能性が出て来たところでこぞって被災地に馳せ参じ、これまで何かやって来たかのような面をするこの姑息さには悪寒が走り、その悪寒はいまだに消えない。
★ だがこのような自民党という生ける屍(ゾンビ)、あるいは落ちこぼれ無脳国会議員の受け皿となって、チャラチャラした烏合の衆を全国から掻き集めてまくっている日本維新の会という”劇画集団”以外に選択肢がないという日本という国の不幸を思うとき、私はあの三宅島の風景のことがふと思い出される。
★ いまだ火山灰に覆われ、枯れるところまで枯れ尽くした灰色の山岳地帯にも、それが不毛であるがゆえに肥沃な土地の脆弱な植物とは異なった非常に強靭な最初の草花が芽を出すのだ。
★ あの風景を頭に思い起こしながら”枯れるところまで枯れるがいい”とひとりごちるのである。
(以上引用)
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