Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

引用ふたつ

2010-09-09 13:33:17 | 日記


2冊の本から引用します。

この組み合わせは偶然です(つまり近日、ぼくが読んだ文章)

“テーマ(モチーフ)”は、
① 最初の引用は<言語の複数性>
② 二番目は<母に愛されなかった子>あるいは<承認をめぐる闘争>あるいは<公共のものと私的なもの>です。


① ビュトール『即興演奏』の“48 言語教育”(河出書房新社2003)

★ 必要にせまられてバイリンガルになってゆく人の数がしだいに増大している。だから、そういうときに感じる混乱と折り合いをつけ、それを利点へと変化させねばならない。バベルの塔に始まるいくつもの言語への分化によって、多くの不幸が生み出されたことはたしかですが、私たちはもはやこれを罰と考えることはできない。そこから途方もない利点が生じているのですから。言語の複数性は私たちに大変な豊かさをもたらしてくれるものなのです。言語の一つ一つが、それぞれ異なる一つの世界なのですから。

★ それぞれの言語が、現実に対するそれぞれに異なったアプローチなのです。私たちの人格は一つあるいは複数の言語の内部に生まれ、あらゆる文学は進展状態にある一つあるいは複数の言語のなかで作られる。シェイクスピアの作品は素晴らしいものですが、それを可能ならしめたのは、ただただ、シェイクスピアの作品よりはるかに豊かな世界である英語にほかならない。

★ 私たちはいま自分たちの環境をかなり深刻に破壊しつつあることに気がつきはじめています。じつに美しいいくつもの動物の種が一つまた一つと姿を消している。(略)ある言語が姿を消せば、動物の問題以上にはるかに私たちに係わりの大きい何かを私たちは失うことになるのです。現在、数多くの言語が、ちゃんとしたかたちで研究されないうちに、姿を消しつつあります。

★ だから私たちは言語の複数性を、たんに国と国のあいだの問題としてではなく、ひとつの国の内部でも、さらには個人の内部でも維持しなければならない。私たちがすこしでも頭をはたらかせて旅をすれば、もうそれだけで私たちはその国の言語の色合いを身につけるようになる。たとえそれが表面的なものに留まるとしても、そこから私たちは新しい道具をあたえられることになるのです。



② 三浦雅士『漱石 母に愛されなかった子』(岩波新書2008)

★ 他者に対して、そしてより多く自分自身に対して、自分をどのようなものであると認めさせたいか、そういう人間の心理そのものが人間関係すなわち社会の所産であることがたいへんよく分かります。人間の心理が分析されるほどの複雑さを持つようになるのは、社会そのものがある程度の複雑さを持ち、そして何よりも諸個人が、どのようなかたちであれ、選択の自由、行動の自由を持つようにならなければならない。承認をめぐる闘争が、ある程度、開かれたものになっていなければならない。

★ むしろ、母に愛されなかった子という主題は、かつては公共のものであったが、ある段階から私的なものと見なされるようになった、と考えたほうがいい。たとえば、家族、親族、部族といった、ある程度、血縁を基盤とした社会においては、母に愛される、愛されないという主題はじつは公共のものとしてあった。それが、社会の基盤が別のものに移ることによって、公私の分け方が地滑り的に変わったのだと考えたほうがいい。

★ 漱石の小説が多くの人々に読まれてきたという事実が、この公私の分け方そのものを疑わせます。政治や経済や社会は公的な問題であって、恋愛や結婚や家族は私的な問題であると一般に考えられているが、むしろ逆ではないか。公こそ私であって私こそ公なのではないかと考えさせる。たとえば人を革命へ、政治へ、戦争へと駆り立てるものは必ずしも公的な思想や理論ではない。往々にして私的な感情である。そしてその私的な感情はしばしば幼年時代の屈辱的な体験などにさかのぼるわけだが、たいていはその背後に屈折した母子関係や恋愛関係、それによってもたらされた心の癖が潜んでいる。

★ 漱石が母に愛されていなっかたのかどうか、漱石自身に聞いてみなければ分からないなどということはありえない。自分の心の歴史を誠実に書いて見るがいい、自分がいかに自分を知らないか驚くだろう、と書いたのは29歳の漱石、熊本の第5高等学校教授の漱石である。つまり、漱石自身、漱石について何も知らないと告白しているのです。だからこそ、生涯、探究し続けたのだ。死後に書かれた膨大な漱石論は、したがって、その探求の持続にほかならない。つまり、漱石はかつて漱石自身においてそうであったように、いまなお謎なのです。謎として生き続けている。漱石だけではない。誰でもそうなのだ。むしろ、これこそ文学というものの基本的な仕組みであると言っていい。






<追記;引用No.3>

★ 昔し美しい女を知っていた。この女が机に凭れて何か考えている所を、後から、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう気に後ろを向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで目尻と口元には笑が萌していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分は不図この女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上げでいたずらをしたのは縁談の極まった(きまった)二三日後である。

<夏目漱石「文鳥」>





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