藤原新也の“全東洋街道”に結実する旅は、1980年から1981年の“歩行”であり、1981年に『全東洋街道』(集英社)として刊行された。
ぼくが“見た”のは集英社文庫上下2巻(1983年刊行)である。
すなわちこの旅から、30年近くが経過した。
しかし、いまこの本を読み返す(見返す)とき、いったい、この30年で、なにが変わったのだろうか?
この本の終章、《一年余の旅を終えこの東洋の端の私の列島に上陸した》藤原新也は、なにを見たか。
場所は高野山清浄心寺の宿坊であった。
その部屋に、“テレビ”があった。
テレビをつけると、《絵の出ない前にとつぜんその灰色の光の方から耳をつんざくほどの爆笑が飛び出てきて、部屋の空気をゆるがせた》。
“赤信号、みんなで渡れば怖くない”
さてここに、この『全東洋街道』の‘あとがき’となっている部分から引用する;
★ 人の生きて行く過程の中に、いくつかの節目があるかのように、「旅」にも氷点がある
★ 旅のはじめの、熱かった血潮はわれ知らず萎え、やがて、それが臨界点に達した時、凍結する
★ 歩行は止まり、目はくもり、舌は喜ばず、耳はうっとうしく、鼻は匂わない
★ 特にニンゲンがうっとうしい
私はニンゲンを避けて、風景ばかり見ていた
★ 私は起死回生の旅に出た
「全東洋街道」が、その旅である
★ 誰にも「氷点」はある
必ずやって来る
人間の氷点を溶かしてくれるものは
ニンゲンだ。ニンゲンの体温だ
★ 「人間は肉でしょ
気持ちいっぱいあるでしょ・・・・・・」
あのイスタンブールの娼婦ドルマが呆けたような顔をして
ふともらした言葉の意味するものの中で、
ヒトは溶ける
(引用)
* 写真も藤原新也(借用)
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