Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

旅の本

2011-06-11 19:36:38 | 日記


★ 1977年7月17日(日曜日)
朝から素晴らしい天気である。
今日、小生60歳の誕生日である。
その予定にして来たこととはいえ、思えば妙なところで誕生日を迎えたものである。
ここは北スペイン、カンタブリア海に面したアストゥリア地方のアンドリンという村である。
<堀田善衛『スペイン430日』(ちくま文庫1989)>


★ 現代の秘境、たとえばヒマラヤの高峰や、南極大陸や、あるいは、月の裏面さえも、ナイル河の水源の秘密ほど人の心をかきたてはしなかった。
<アラン・ムアヘッド『白ナイル』(筑摩叢書1970)>


★ 私はイスタンブールの岸壁に立っていた。
海が匂う。
暗い海の方から吹いてくる冬の風が岸壁の路面を這いまわって脚をとらえ、つむじを巻くようにしてゆっくりと体を吹き上げてくる。
風には夜の街の匂いがあった。
<藤原新也『全東洋街道』(集英社文庫1982)>


★ パンテオンのまえにゆるやかな坂になっている大通りがあるが、それがスーフロ大通りで、坂をおりたところがリュクサンブール公園、右へ折れるとサン・ミッシェル大通りである。これもゆるやかな坂になっているが、書店、料理店、香水店、キャフェなどが並び、赤、金、黒などが輝き、女子学生たちのまなざしはすばやくて痛烈であり、大学生たちはしばしば刺すような眼をしてコーヒー茶碗のふちで倦んでいる。
<開高健『眼ある花々』(中公文庫1975)>


★ トルコ中部アナトリア高原のカッパドキア地方。一世紀末頃から少しずつキリスト教の修道士や隠者たちがその奇岩の洞窟に住み始めた、と写真には説明がついていたが、いまは無人のまま岩に穿たれた洞窟の入口が髑髏の口のようだ。どんな人たちがこの奇怪な岩に棲みつき、不毛そのものの地を生きて死んだのだろう。何を考え、何を祈り、何を待ったのだろう。ヘレニズム世界の崩壊の地鳴りの中で。
<日野啓三『遥かなるものの呼ぶ声』(中公文庫2001)>


★ 薄暮のダッカ駅周辺をさまよい歩いていた。
天から降り地からも噴き湧いてくるような、褐色の人の群れと、リキシャ(自転車で引く人力車)の洪水にはじかれ、おびえながら。
<辺見庸『もの食う人びと』(角川文庫1997)>


★ 風がはげしく船体に吹きつけ、波しぶきが波止場のうえに霧になって散った。風は狭い波止場の路地をぬけ、作業員の身体をかすめ、女たちの洋服をはためかして、うねった尻の線を裸のように浮かびあがらせた。
<辻邦生『海そして変容』(河出文庫1984)>


★ 「住居なき者さえ棲まうことのできる時間」が、背後にどんな住まいも残してこなかった旅人には、館となる。三週間というもの、波の音に充たされたこの館の広間の数々が、北方に向かって並び連なっていった。それらの広間の壁に鴎や町々が、花たちが、家具や彫像が立ち現われ、その窓からは、昼も夜も、光が射し込んできた。
<ヴァルター・ベンヤミン“北方の海”(ちくま学芸文庫ベンヤミン・コレクション3 1997)>


★ 私はアフリカに農園を持っていた。ンゴング丘陵のふもとに。この高地の百マイル北を赤道が横切り、農園は海抜六千フィートを越える位置にあった。昼間は太陽の近くまで登ったような気がするが、明けがたと夕暮れは涼しくやすらかで、そして夜は冷えびえとしていた。
<アイザック・ディネーセン『アフリカの日々』(晶文社1981)>


★ 寒い日だった。ガイドブックを頼りに地下鉄のハイゲート駅まで行ったのだが、広大な墓地の入り口が分らなかった。通りかかった地元の人に「マルクスの墓はどこですか?」と尋ねても首をかしげているので、有名な哲学者だと言葉を継ぐと、「ああ、あのユーゴスラビアかどこかの・・・・・・」という答えが返って来た。かの有名なマルクスも、ここでは数多い亡命者たちの一人に過ぎないということのようだった。
<徐京植『ディアスポラ紀行』(岩波新書2005)>


★ こうして彼は、新幹線“こだま”で日本に帰った。東京駅で降りると、何より先に公衆電話を探した。
<矢作俊彦『ららら科学の子』(文春文庫2006)>


★ <吉野>に入ったのは夜だった。吉野の山は、闇の中に浮いてあった。吉野の宿をさがして、車を走らせる。道路わきの闇に、丈高い草が密生している。その丈高い草がセイタカアワダチソウなる、根に他の植物を枯らす毒を持つ草だと気づいたのは、吉野の町中をウロウロと車を走らせてしばらく過ってからだった。車のライトを向けると、黄色の、今を盛りとつけた花は、あわあわと影を作ってゆれる。私は車から降りる。その花粉アレルギーをひき起こすという花に鼻をつけ、においをかぎ、花を手でもみしだく。物語の土地<吉野>でその草の花を手にしている。
<中上健次「吉野」― 『紀州』(小学館文庫1999)>


★ 私はロゾー川の谷間を進んでゆく。山々はもうすぐそばに迫っている。丘の斜面の間隔が、しだいに狭くなってゆく。風景は異様なまでの清澄さだ。鉱物的、金属的な風景である。水たまりのような影を地面に落として立っている、深緑色の珍しい木々。それから、より鮮やかな緑を帯び、力強く輝いている、小振りの椰子やアロエやサボテンなど、棘のある葉を持つ灌木。
<ル・クレジオ『ロドリゲス島への旅』(朝日出版社1988)>


★ ときおり、男の部屋で女が一夜を過ごせることがある。夜明けまえ、市内三つのミナレットで祈りが始まり、二人を目覚めさせる。南カイロと女の家のあいだには、インディゴ市場がある。男と女はそこを通る。一つのミナレットの呼びかけに、別のミナレットが応え、美しい信仰の歌が矢のように空気中を飛び交う。だが、歩いていく二人には、自分たちのことを噂し合っているように聞こえる。炭と麻の匂いが漂いはじめ、冷たい朝の空気の奥行きが増した。聖なる町を二人の罪人が歩いていく。
<オンダーチェ『イギリス人の患者』 (新潮文庫1999)>


★ この古いホテルでは、バスルームが部屋とほとんど同じくらい大きい。バスルームの中もやはりむしむしと暑かったが、幸い床が大理石でできていた。脚がライオンの足になっている浴槽の中でシャワーを浴び、体が乾くまでわざと拭かないようにし、少しでも涼気が感じられるよう、裸足のまんま、わたしはスーツケースに手荷物を詰めはじめた。
<スタニスワフ・レム『枯草熱』(国書刊行会2005)>


★ 朝の光が濃い影をつくっていた。影の先がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う鉄柵にかかっていた。体と共に影が微かに動くのを見て、胸をつかれたように顔を上げた。鉄柵の脇に緑の葉を繁らせ白いつぼみをつけた木があった。
<中上健次:『地の果て 至上の時』>








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