☆下記ブログヘの不破利晴コメント;
僕も結構彼女は好きですが、微妙に年をとりましたね。まあ、若ければ良いというものでもありませんが。
「Time after Time」が好きです。
☆ 不破コメントへの返信;
不破 君
《微妙に年をとる》(笑) いいね。
君は記憶していると思うが、Doblogの最後の頃、ぼくはユーチューブを貼りつけていた。
その大部分は、<むかし>好きだったアーティストやグループの映像だった。
それでユーチューブを検索していて、シンディの“シー・バップ”の最近の演奏を見た。
とても好きだった。
つまり“近年”、ぼくは彼女を聴いても見てもいなかった。
それで、“近年”の彼女のCDを買おうと思いながら、結局、買ってもいない。
ぼくの音楽とのつきあいは、現在、その程度のものだ。
<現在>といま書くなら、地震と原発事故について語ることになる。
君のブログとツイッターは見ている。
地震の時は新宿の仕事場にいて、いったんビル外に退避し、また自分の机にもどってからは、ネットニュースと他の人がもっていたラジオで、“情報”を得た。
その時から、<原発事故>に注目、家に帰ってから、テレビ、ネットで原発状況についてチャンネルを切り替えながら、見続けた。
ケーブルテレビで見れる“TBSニュースバード”が、地上波チャンネルではカットされる東電や原子力安全保安院などの記者会見を放映しつづけるのを見た。
CNN映像が、日本のテレビ映像とちがっている(たとえば“遺体”を運ぶ映像)ことも知った。
そして数日、地震情報しか流さなかった民放テレビに不可解なCMが流され、いつのまにか、“通常の番組とCM”が復活していることは、“誰でも知っている”。
この間、ぼくもこのブログで、自分の感想や意見を書くことを考えた。
やまのように、疑問や批判がわきあがった。
ぼくの見た範囲では、ぼくが“共感”できる意見はまったくなかった。
たとえば、“いまネガティブなことを言うべきでない”という<空気>には、反対する。
あるいは、“これが日本復興のチャンスだ”という意見にも、違和を感じる。
たしかに“被災地の人々”に対して、ぼくは“当事者”ではない。
しかし、ぼくも東京で地震の恐怖を感じ、原発事故のさらなる破局におびえ、“計画停電”の闇のなかで蝋燭の灯を見つめた。
君のように通勤さえしていないのに、ぼくは疲れて、寝てばかりいる。
昨日ついに、本を読み始めた。
読みかけのT.イーグルトン『文学とは何か』を終りまで読み続けようと。
たしかに一昨日まで、ぼくは本が読めなかった。
たとえば、当事者であり、渦中にあるとき、本は流され、燃え、消滅し、たとえ手元に1冊の本が残っても、それを読むことはできない。
危機の合い間に読むことができても、そこに書かれているすべては、<そらぞらしい>と感じられるかもしれない。
ぼくは、それを試している。
君は書いている;
《繰り返すが、東電福島原発は大規模爆発する。
その時、どう行動するかはあなたが決めることだ。僕は東京に残る選択をする。いざとなった時、両親を救出するためだ。それですら時間の問題だ。大規模爆破したら最後、現場は完全封鎖され、目的は達成されないかもしれない。
これからは自分の運と才覚とひらめきが試されるだろう。”生きる”ということは、本来そういうことなのかもしれない。》(引用)
ぼくには、生きるための《運と才覚とひらめき》が乏しい(笑)
しかも最近疲れやすい。
けれども、たしかに、生きることは、ひとそれぞれの判断と力である。
だれからも指図されない。
楽観(希望的観測)も悲観(他者をあげつらう非難)もいらない。
“情報”も“他人の意見”も(いつも)不確実である。
君と君の家族と君の両親が、生き抜けることを願う。
これが、
《希望なき人びとのためにのみ、希望はわたしたちに与えられている》
という言葉を、すこしは自分の言葉として感受できる機会なら、<幸せ>である。
P.S.
テリー・イーグルトンは書いている;
★ 女性運動のメッセージは、運動の外部にいる人間によって解釈されているような、女性が男性と平等の権力と地位を持つべしということではない。むしろ、女性運動は、そうした権力や地位のすべてに疑問を投げかける。女性運動は、より多くの女性が社会に参加すれば、それだけ世界が繁栄すると言いたいのではない。女性運動は、人間の歴史の「女性化」がなければ、世界は生き残れない、と語っているのだ。
<T.イーグルトン『文学とは何か』(岩波書店1997)―230P>
《女性運動は、人間の歴史の「女性化」がなければ、世界は生き残れない、と語っているのだ》
この言葉を聞くべきなのは、<すべての女性>である。
そして男であるぼくには、(自己批判が必要なだけでなく)、できるなら、<女性>と助け合いたい。
どうかお体を大事に。
今後もよろしくお願いします。
本当に本当に優しさのあふれる言葉を涙と共に聞きました。
いつのころからか”その日暮らし”が身について、なんの災害準備もしていなかった。
やっと見つけたろうそくはチョコレートfフォンヂュの小さな鍋のためのものだった。でもこれが意外にながもちで役に立った。私は楽観的です。
だけど今度の事態については超悲観的です。今まで日本が単一の価値観しかもたなかった当然の帰結のように思うのです。地震も核爆発も怖い。
その怖さの中で、逃げるところはどこにもないと思っています。
薬はあります。地震の前の日に順天堂に行って、帰りに神楽坂でおしるこを食べてきました。
不破さんのやさしさが日本で一番貴重なことのように思います。
ありがとう。
いま、あーもんどに伝えたら、泣いたよ。
ただし、いまのところ、”わりと”通常です。
定期健診は、御茶ノ水の病院ですが、2ヶ月に1回で、地震前に行ったばかり。
薬は、薬剤師の友人が届けてくれる。
ただすべてに準備悪く(ぼくのせいでもあるが)、お米、乾電池などがなかったが、これも”友人”から送ってもらったり、ネットで買ったりできた。
蝋燭は、停電直前にしまってあったのを発見できた。
しかし、今後の情勢は予断を許さず、わが家には車もなく、機動力に乏しい。
これから困ったときには、君の言葉に甘えることもあるかもしれない。
こういうときに、具体的提案をしてくれた君を忘れない。
例の地震以来、世の中が非常に変わった感じがします。
warmgunさんの方はどのような状況でしょうか?
僕は特にあーもんどさんの状況が非常に心配です。我が家は狭いですが、遠くの親戚よりも近くの他人が頼りになるのは「日本の美徳」です。もし、何かと不都合があれば不破邸にきて下さっても構いません。家は建売りで狭いですが、どうにかなると思います。
あーもんどさんは定期的に検診を受けていると想像していますが、それはきっちとやっていただきたい。困った時はお互い様。遠くの親戚より近くの他人。
何かあれば僕に言ってください。
幸いにも、燃料を満載した車はあります。
では、今後ともよろしくお願いします。
※いづれ原発は爆発する。世の中は180度変わる。人生どう生きようとも俺の人生。国家転覆して死ぬのも俺の人生。
ただ、女、子どもだけはしっかり守りたい。