Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

季節、市場(いちば)、匂い

2011-07-31 15:04:33 | 日記


字を読むのがかったるいときは、絵や写真を見るのがいい。

絵や写真で見ないで、どこかへふらっと出かけたい気もするが、おカネがないし、エネルギーもない。

ささいなこと、なにかをすると、そこで使わなくてはならない“伝達言語”の使用が、とてもおっくうなのだ。

それで立派な画集とか、大判の写真集とかを見るわけでもない。

文庫本である。
開高健の昔の釣り紀行(『オーパ!』(集英社文庫)、『もっと遠く』、『もっと広く』(文春文庫)、そして藤原新也『全東洋街道』(集英社文庫)


『全東洋街道』は、最初に見た・読んだときから好きだった。
このごろ、ふと手にとって、その写真をパラパラ見るだけで、前とはちがった感触があった。

この本での藤原新也の文章はもちろんわるくない。
しかし、“写真”である。

ぼくは自分でも写真を撮るが、いかなる意味でも“写真にうるさく”ない。
ようするに、技術も理屈もないのである。

だから藤原新也の写真が、どういいかを言語化できない。
ひょっとして、“写真がいい”のではなく、“うつっているモノ(景色、ひと、食べ物、雨、風、街のにおい、光etc.)がよいのかもしれない。
が、その同じ対象を撮っても、フジワラ写真に“ならない”こともわかる。

文庫本『全東洋街道(下)、226ページと227ページ見開き写真。
街路に露店が並び、積み上げた豚の頭に雪が積もっている。
キャプション;《イスタンブールより一年 季節は再び冬》

文章(“湯気”)を読む;
★ 雪が降りはじめた。
舗道には泥土まじりの黒ずんだ氷がはりついている。
前方の道の面が肉屋のショーウインドウの真赤な灯を受け、一瞬どす黒い血を垂れ流したように輝いた。
遠い異郷にいるような気がした。
歩きながら先ほど聞いたうろおぼえのパンソリのメロディーが口をついて出た。
声帯がこごえて震えているだけのみっともない音声になってしまう。
歌をやめて顔を上げた。雪片が顔を刺した。
降りしきる雪の中に人影が右往左往している。
市場の匂いがした。
★ 雪の降りしきるむこうに湯気が立った。
★ 目の前にゆでた豚の頭が五つ並んでいた。私はこごえた手でのりまきをつまみ、おでんを食べながら目の前の豚の頭をながめていた。
(引用)







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