あるツイッターで《日本では真実を隠すことがマスコミの仕事》という言葉を読んだ。
まったく同感だが、これは、“欧米はそうじゃない”ということではないだろう。
“欧米には”、日本よりは勇気あるひと、理性的に考えるひと、嘘がきらいな人が“少数”いるということである。
もちろん《真実を語る》とか、《真実を暴く》ということが、どういうことなのかも、問題である。
そういう“主題”にからむかどうか定かでないが、不破利晴ブログが<三島由紀夫>の決起文と思われるものを掲載している。
三島が決起、自決した1970年は、ぼくが大学を卒業し“社会人”となった年である。
三島の死も、その日仕事で、たまたま通りかかった有楽町朝日新聞社前で知ったのだ、あの切り落とされた生首。
現在、ユーチューブで見られる映像も、“その日の”ニュースで見た。
ただし三島の自衛隊員への“檄”は、さっぱり聞き取れなかった。
いちばん印象的なのは、緊張で硬直しロボットの演説であるかのような三島を、自衛隊員たちがギャグでも見るようにニヤニヤ見ていることであった。
自衛隊員たちは、この三島の“決起”を、文士の馬鹿げたパフォーマンス(お笑い)と受け止めた。
彼等は三島の生首を見た後、どうおもったのだろうか?
ぼく自身、まったく三島に共感する立場ではなかった。
三島の小説は(なぜか)ほとんど読んでいたが、本当に好きなものはひとつもなかった。
だからこの事件後も、この事件についての文章をあまり読んでこなかった。
しかし、たしかに、ここにきて<三島由紀夫>が気になる。
いまぼくが読んでいる大江健三郎『さようなら、私の本よ!』のひとつの柱が<三島由紀夫>であることが明らかになってきた(まだ読書中である)
不破ブログに張りつけてあったユーチューブ映像で、三島が自衛官たちに叫んでいる“セリフ”がスーパーで(字幕で)でている。
《 聞け 命を懸けて訴えているんだ 諸君は武士だろう 私と共に立つものはいないのか 》
ぼくは不覚にも涙が出た(風邪で情緒不安定である;笑)
たしかにあそこで三島由紀夫が自決しなかったら、あの“馬鹿げた行為(ギャグ)”が、歴史に残ることもなかった(つまり年月のへだたりによって、それが別様の意味を喚起することも)
ぼくは政治的に単純なので、政治的立場は、1970年と変わっていない。
すなわち三島の以下のような<認識>には絶対に賛同できない;
★ 日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。(三島由紀夫:不破ブログから転載)
三島由紀夫というひとは、ときどき気になるんです(笑)
それは、かれが”とんでもないひと”だったからですね。
なんかそこに”哀切感”がただよっちゃう。
アタマや文章のセンスもよかったんだろうが、ほんとの”趣味”は悪いね、いやになる。
気になって、周辺をさまよってると、いやになる→また気になる:循環(笑)
なぜか最近急に「三島由紀夫」が気になりだし始め、現在三島を読んでいます。
そして気がついたら頭も三島カットになっていた(爆)
あの事件で三島由紀夫が着ていた軍服を仕立てたテーラーが、日本橋茅場町で今も営業していることを昨日の忘年会で仲間から教えてもらい、ちょっと行ってみようかと思っています。
三島由紀夫が気になると言うものの、決起文を読む限り「天皇を中心とする国家感」「自衛官≒武士と捉える感覚」そして「武士」に対する過度なまでの理想化については、僕とは決定的に違うなと思いました。
逆に言えばそれ以外はほぼ同感であり、現に今、それは起こっている(と言うか、当時からそれは変わらなかったとも言えるのかもしれません。当時3歳の僕にはそれは明確にジャッジできない<笑>)
ただ、僕の忌み嫌う天皇という存在については、一度ゼロベースから考え直してみる必要は、もしかしたらあるのかもしれません(天皇を賛美するという短絡的な態度とは別の意味で)
その辺の考えがまとまったら、またエントリーにしたいと思います。