Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

清水

2012-07-19 17:55:51 | 日記

この書き出しはいい;

★ 遠くで清水がしたたっている。

★その日は朝から太陽がしきりに散って、――遣り切れなかった。
明け方私は、久しく頑なに同衾を拒んでいる眠りの行方を思いながら、カーテンを透いて見える外の様子を、今更のようにふしぎに眺めていた。
ここ数日間というもの、私は、現在自分の身に起こりつつあることについて、出来るだけ納得のゆくような説明を見つけ出そうと、あれやこれやと埒もない思索を繰り返してきた。勿論、はじめから今のような静かな心持でいたわけではない。静かな――そう、今はもう静かだ。これは諦念と言ってよいものであろうか。おそらくは。ただし、諦念がこれほどの無力感を必要とするならばの話だが。

★ その記憶の断片は、一度私の脳裏に芽生えると、俄かに、蔦が蔓を伸ばすような、植物的な逞しい迅速さで繁茂していった。
それは、遠い昔の太陽に関する記憶だった。我々の頭上を隈なく覆った巨大な太陽が、光をいっぱいに散らしながら、遠ざかってゆく日の記憶だった。次第に空に、みすぼらしい蒼い色が広がってゆく。私は別離をかなしんだ。涙にくれながら、虚しくいつまでもその光景を眺めていた。

★ 私は、昨日脱いだままの皺だらけのズボンをはいて、それから、適当に選んだセーターの上に薄手のコートを一枚引掛けて外へ出た。

★ 下鴨本通りを南向きに歩いてゆくと、神経質に枝を伸ばした唐楓の木の下に、落葉を掃く女の姿が一つ見えた。紺の清掃服に白い軍手をして、縮れた髪をうしろに結わえた、四十恰好のどこにでもいるような女である。私は咄嗟に不安になった。そして、近づくと案の定、女は私の目の前で、小さな音になって消えてしまった。

★ その時、清水がしたたった。

★ 鴨川の水面に光の散る様は物凄かった。どこを見渡しても、川は正視できないほどに目映く耀いている。

★ 一度強く瞼を閉じたせいで、私の視界は、血に烟ったように赤く染まった。同時に、一瞬光が退いて、川の流れがはっきりと見えた。不意に浮かんだ色彩と曲線に、私は、女の長い髪を想い、肌を想った。そして、そのいずれもが、瞬きをする度に朧になって、再び広がってゆく川面の光に消えていった。

★ 葉を落とした銀杏並木を歩いてゆくと、もう一度、北山大橋に戻ってきた。私はそこから、何かに導かれるようにして、半木の道を南に下った。そして、最後のふしぎに出会った。鴨川沿いの、ひっそりと連なる、冬のしだれ桜の並木のうちの、一本の細い木の下に、小さく四角に、時節に外れた桜の花びらが散り積もっていたのである。
私は、確かに見たような気がした。しかしそれは、花びらではなかった。近づけば、薄い桃色の、見知らぬ女の手巾であった。駆け寄る際に私の足の起こした風が、わずかにその縁を捲ると、いつか見たあの鳩の屍体が、隙からちらと羽を覗かせた。手巾は、また、ゆっくりと靡いて、それを覆った。・・・・・・

★ 太陽が、猶もしきりに散っている。
私は、時折微かに揺らめく手巾を眺めたまま、いつまでもその場に立っていた。その下に、今も横たわっている、・・・・・・横たわっているはずの、鳩の屍体を思いながら。
清水は今や絶え間なく、私の背後でしたたっている。

<平野啓一郎「清水」―『高瀬川』(講談社文庫2006)>







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