Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

30年がたって;“ららら科學の子”

2011-03-09 11:52:19 | 日記


★ こうして彼は、新幹線“こだま”で日本に帰った。東京駅で降りると、何より先に公衆電話を探した。

★ さて誰にかけるか、どちらにしろ相手は3人しかいなかった。電話帳は何十年も前に焼き捨ててしまった。暗記していた十いくつかの番号を、ときどき思い出し思い出し、忘れないよう頭のなかで復唱していた。その記憶もひとつ消えふたつ消え、今は三つしか残っていない。

★ 昨夜、迎えの車と落ち合えず、右往左往している連中を残して、彼は真っ暗な石ころだらけの海岸を遠い街灯に向かってどんどん歩いた。そこが伊豆半島の西側だということは、初手から判っていた。船が錨を下ろす前に、左舷の水平線上に見事な富士山のシルエットを見た。乗り換えた日本の漁船に揺られながら、そのシルエットまでの距離を油断なく目測していた。

★ 新幹線の窓から銀座が見えたときは、歓声が喉に湧いた。
右の窓に、しかしいつまでたっても日劇は見えなかった。鏡を張りつめた大きなビルがそれだったんだろうと推測するのに手間がかかった。(・・・・・・)沿線からは、記憶にあるものが欠け、無いものが増えていた。空と道が狭くなったような気がした。しかしあるのは、間違いなく銀座であり有楽町だった。

★ 東京で最後となった夜、すぐそこの映画館で時間をつぶした。加山雄三の映画だった。健康なスポーツマンを売り物にしていた映画スターが、珍しく孤独な殺し屋を演じていた。暗く頽廃的な物語だった。すべてを失い、死んでいく主人公に救いは何ひとつなかった。彼は強いショックを受けた。その年、大学は怒号と立て看板とヘルメットに埋め尽くされ、たしかに、そうした映画が時流だった。
いくつかの場面を生々しく思い出した。すると一瞬、その映画館の暗がりで今しがた目覚め、外へ出てきたような錯覚におちいった。
空は晴れ、空気は冷たく、日差しは熱かった。木々は初夏の青葉を繁らせていた。映画館の居眠りのあと歩くには、もってこいの天気だった。

★ 紙袋の形を整え、あらためて本屋に入った。とてもいい匂いがした。いったい何の匂いだろう。レジ脇のディスプレイが目に飛び込んできて、その疑問は置き去りにされた。
大きな白黒写真の埴谷雄高だった。平積みになった本のてっぺんでこちらを凝視していた。
あの長い長い小説は完結したのだろうか。作家は当然、老けているはずだが、どの程度、老けたのかまったく判らなかった。ずっと以前からこんな老人だったような気がした。それは銀座の街並みと同じだった。

★ 外国文学の棚は、知らない名前ばかりだった。『ジェイムズ・ジョイス伝』に手が伸びた。大きく頼もしいほど厚く、そのうえ腰巻まで真っ白な表紙が清潔に見えた。(・・・・・・)
何気なく本を裏返し、値段を見た。笑はさっと引っ込んだ。八千二百円。生涯、手に入れられないような金額に思えた。

★ そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。
30年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めようとすると、涙がわっと溢れでた。

<矢作俊彦『ららら科學の子』(文春文庫2006)>







本音と建前

2011-03-09 09:00:02 | 日記


共同通信が“メア日本部長の発言録要旨”を掲載している。

なかなか興味深い発言だ。

“メア日本部長”というのは、“日本を専門としているアメリカ人”であるらしい。

この発言についても、“メディア”はアーダコーダだと怒った振りをしているが、ぼくが注目するのは、以下に引用する発言要旨の最後の部分である。

そこにはこう書いてある;

《日本国憲法9条を変える必要はないと思う。憲法が変わると日本は米軍を必要としなくなり、日本の土地を使うことができなくなる。日本の高額な米軍駐留経費負担(おもいやり予算)は米国に利益をもたらしている。》


“日本人”の<本音と建前(の使い分け)>を批判する“アメリカ人”は、きっと正直なひとなのである。

日本人は、“ポリティックス”に対して、“リアル”であるべきだろう。

まず、“海外の”、スパイドラマからでも学んだらどうか(BBCの「MI-5」はけっこうおもしろい、「24」と比較するならば)

そこにも“フィクション”(虚構=嘘)があるなら(ある)、グレアム・グリーンやジョン・ル・カレを読もう。




<メア日本部長の発言録要旨>

米国務省メア日本部長発言録要旨は次の通り。

沖縄で問題になっている基地はもともと水田地帯にあったが、沖縄が米施設を囲むように都市化と人口増を許したために今は市街地にある。

米国が沖縄に基地を必要とする理由は二つある。既にそこに基地があることと沖縄は地理的に重要な位置にあることだ。 海兵隊8千人をグアムに移すが、軍事的プレゼンス(存在)は維持し、地域の安全を保障、抑止力を提供する。

(米軍再編の)ロードマップのもとで日本は移転費を払う。日本の民主党政権は実施を遅らせているが、現行案が実施されると確信している。日本政府は沖縄の知事に「もしお金が欲しいならサインしろ」と言う必要がある。ほかに海兵隊を持っていく場所はない。

日本の文化は合意に基づく和の文化だ。合意形成は日本文化において重要だ。しかし、彼らは合意と言うが、ここで言う合意とはゆすりで、日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをし、できるだけ多くの金を得ようとする。沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ。

沖縄の主産業は観光だ。農業もあり、ゴーヤー(ニガウリ)も栽培しているが、他県の栽培量の方が多い。沖縄の人は怠惰で栽培できないからだ。

日本に行ったら本音と建前について気を付けるように。言葉と本当の考えが違うということだ。私が沖縄にいたとき、「普天間飛行場は特別に危険ではない」と言ったところ沖縄の人は私のオフィスの前で抗議をした。

沖縄の人はいつも普天間飛行場は世界で最も危険な基地だと言うが、彼らは、それが本当でないと知っている。(住宅地に近い)福岡空港や伊丹空港だって同じように危険だ。

日本の政治家はいつも本音と建前を使う。沖縄の政治家は日本政府との交渉では合意しても沖縄に帰ると合意していないと言う。日本文化はあまりにも本音と建前を重視するので、駐日米国大使や担当者は真実を言うことによって批判され続けている。

日本国憲法9条を変える必要はないと思う。憲法が変わると日本は米軍を必要としなくなり、日本の土地を使うことができなくなる。日本の高額な米軍駐留経費負担(おもいやり予算)は米国に利益をもたらしている。
(共同)2011/03/08 18:13 【共同通信】