気ままにフィギュアスケート!

男子シングルが好きです。

Golden Skateの記事の訳

2010-05-05 20:55:11 | 高橋大輔その他
Golden Skateの大ちゃん記事を、Mayuさんが訳してくださいました。→Golden Skate原文
be SOULや200daysを読んでいるかのような、大ちゃんが直接語りかけてくれているような、素晴らしい訳です。
読みやすい訳で読めるのも嬉しいけれど、体調が思わしくない中、人のためにこれほど労力のかかることをしてくださるMayuさんの姿勢が凄いと思いました。
Mayuさん、本当にありがとうございました!
以下、Mayuさんが送ってくださったメールの全文です。

追記:Mayuさんから訂正があり、一部差し替えました。

 walさんをはじめ、皆様方に励ましていただいてうれしくて(大ちゃんから励まされたような気持ち?!)お礼のつもりで訳しました。
原文はインタビュー記事ですが、勝手な脚色を加えてありますことをご承知おきください。

Golden Skate May 2, 2010        by Tatjana Flade

Making History
Daisuke Takahashi

ワールドチャンピオンになった、日本人初の。
なぜか「日本人初」には、縁がある。
2002年ジュニア世界選手権優勝、2007年東京ワールド銀メダル、
どちらも日本人男子で初めて。
バンクーバーで獲った銅メダルも、
男子フィギュア界で初のオリンピックメダルだった。
歴史的偉業だって言われるけれど、試合する時はもちろん
「フィギュアスケートの歴史をつくってやる!」
なんてこと思ってる、わけない(笑)。

「やるべきことをやろう」、そう思ってるだけ。
結果は後からついてくる。
今回、幸運にも結果を残すことができて、正直うれしい。
誇らしくもある。
もし、僕のしたことをだれかが伝説のように語ってくれるんだとしたら、
この伝説をここで終わらせず、まだまだ続けていきたいと思う。

技術面の力強さと演技面の優雅さ、両方兼ね備えていたから世界の頂点に立てた、
周りはそう言ってくれる。 
でも、今シーズンの初めは、こんな結果になるとは
他の人はもちろん、僕自身もまるで考えてなかった。
2008年10月、ジャンプの練習をしていて、僕は右ひざの前十字靭帯を切った。
オリンピック前の大事な1シーズンを、まるまる棒に振ることになり、
翌年の4月まで氷に乗ることすら、できなかった。

リハビリに励んでいた頃、テレビで世界選手権を見た。
そしたらもう、オリンピックでメダル獲るなんて夢、
絶対叶いっこないって気がしてきて・・・。
もう一度自分が表彰台のてっぺんに立ってる姿なんか、想像できなかった。
世界選手権に出場することだって、全然考えられなかった。

怪我の後、復活するのが、大変だった。
全日本前までずーっときつかった。
氷の上に戻ってすぐは、大丈夫だったんだ。
でもジャンプの練習始めたとたん、「たいへんなことになった!」と思った。
僕の身体はリハビリによって変わっていた。
その身体が、自分の思い通りに動いてくれない。
何とかしようと思うのに、どうしてもうまくいかない。
あせった。

9月、カーニバルオンアイス1週間前、
やっと手に入れたはずのジャンプが、また全く跳べなくなった。
恐怖の瞬間だった。
全てを失って、自分が空っぽになったような気がした。
全日本までずっと、ジャンプの感覚を取り戻す戦いが続いた。
 
リハビリ中、正直言えば、
もうやめる!と思ったことがある。
でもなあ、これまでみんなにどれほど支えてもらったか、
それを考えるとやめられない。
結局、自分で自らをプッシュするしかない、
選手として競い合ってここまできたのに、諦めるのはイヤだ、負けるのはイヤだ。
その思いが、自分を取り戻させた。

去年の秋のグランプリシリーズは、むらばっかり。
スケートカナダはうまくいって、2位。
だけど、NHK杯とファイナルは、とうてい納得のいく出来じゃなかった。。
それでも、12月になってようやく全日本で勝てて(4度目のナショナルチャンピオン)
自分を取り戻せてほっとした。

バンクーバーで、僕はもう一度決戦の舞台に立った。
ショートプログラムは今シーズン一番の出来。
1位とは僅差の3位につけて、フリープログラム。
その冒頭、僕は4回転トゥループに挑んだ、より高い表彰台をめざして。

飛ぶことがたとえ大きな代償を払うことになったとしても、僕は後悔しない。
ぼくにとって理想の演技とは、4回転を含んだものだから。
結果、大コケだったけれど、あれは自分のための挑戦だった!

オリンピックの銅メダリストとして迎えた世界選手権。
ショートプログラムは1位。
僕は、再び4回転に挑んだ。
今回はフリップ。
着氷はしたけれど、両足でしかも回転不足。
でも、僕はうれしかった、
自分が4回転を飛びに行ったことが・・・。

4回転にのぼせてるってわけじゃない。
でも、怪我の前には1つのプログラムで2度4回転を入れることができた。
だから、僕はどうしても怪我の前の自分のレベルに、戻りたかった!

(175.84ポイントを得点した2008年四大陸選手権で高橋大輔は4回転トゥループを2度成功させている。 また175.84点は新採点方式になってからISU下で成し遂げられた最高フリー演技スコアである。それまでは2006年のオリンピックでロシアのプルシェンコ選手の出した167.67点が最高だった。)

オリンピックのあと、シーズンが終わったような気持ちになってたから、
ワールドチャンピオンになれたのは、想定外。
モチベーションが上がらなかったけど
それがかえってリラックスにつながって、いい結果に結びついたのかな。

フリーの演技中、余計なことは考えなかった。
心を空っぽにして、
ただぼくのファンのためにいいプログラムを届けよう、
それだけを思った。
勝ち負けは、考えなかった。
滑っていること自体が、楽しかった。
表彰台の上は気持ちよかった。
勝てるとは思わなかったけれど、つきには恵まれてるかな(笑)。
初めは勝った実感がわかなかったけれど、
やっと実感できてきたかな。

08年までは、ニコライ(モロゾフ)についていたので
ずっと日本とアメリカを行ったり来たり。
今は、フルタイム日本で練習できる。
コーチは、ずっと前から見てくれている長光歌子先生。
今シーズン、ショートは宮本賢二さんが振り付けてくれた。
高校生の頃からCobaさんでやりたい曲があったんだけど
偶然その曲を持ってきてくれてビックリ!
「Eye」は日本のモダンタンゴで、僕が踊りたかった曲、
表現力を生かしてくれた振り付けになった。
フリーは、パスクァーレ(カメレンゴ)にお願いした。
まわりは驚いたかもしれないけれど
ずっと前から密かにあこがれてたんだ、
オクサナ・グリシュク&エフゲニー・プラトフやマリナ・アリシナ&グェンタル・ペーゼラ、
パスクァーレが振り付けたアイスダンスのプログラムに。
「ラ・ストラーダ」はちょっとお茶目で魅力満載のプロ。
二人に頼んだことはとてもよかったって思ってる。

まだ来季も一緒に仕事するか、決めてない。
ただ、僕は本当にいろんなスタイルの音楽をためしたい。
まだ試してないことが、いっぱいあるんだ。
新しいシーズンでは、これまでとは違うことにトライしたい。
だから、可能性としては新しい振付師かな。
はっきりした案はまだがないけれど、とにかく新しい何か!

世界選手権が終わった後の休暇、楽しみにしていたんだ。
ハワイに行こうかと思ってた、まだ行ったことないから。
でも、今はもう気持ちはそっちじゃない、
次の大きなゴールに向かってる。
2011年僕の国日本で開かれる、東京世界選手権に。
その後に何が来るかは、わからない。
でも、もしそこで成し遂げたものに満足してなかったとしたら、
まだ現役を続けるつもり。
そうやっていたら突然、そこにソチがあるかも・・・

そんなこと考えてたりしてたら、下の世代からの圧力も感じる。
後輩達は、よくやってると思う、
ジュニアワールドで勝った羽生結弦くんを初めとして・・・。
彼らのがんばりに時に脅かされながら、
ぼくもまだまだ、これっくらいの自分ではとうてい満足しないよ、
そんなことを思っている。

(高橋大輔は、今、次世代の若者達が憧れその高みまで昇ることを願う、目標そのもの。)