wakuwakuな生活

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「清洲会議」三谷幸喜著 とても面白く読みました。

2013-02-02 17:56:08 | その他
この「清須会議」三谷幸喜著は、現代語で書かれていて、歴史初心者にはとても分かりやすい本だと思います。


この表紙を見た子どもたちは、鎧の前で武士たちが会合し、その一人がスマートフォンを耳に当てて何やら話している、そんな光景に、いたく喜んでいたっけ。

物語は燃え盛る本能寺の本堂で、煙に巻かれながら過去を回想している信長から始まり、秀吉が事実上信長の跡目になっていった清洲会議が終了し、各領地に戻っていくところで終わります。

その間、各登場人物のそれぞれの思惑が現代語で分かりやすく述懐形式で書かれています。

会議の最後に遺領配分で決まった場所がよくわからなかったので、インターネットで探したら、昔の日本の国の地名と場所を分かりやすく書いてあるブログを発見。思わず貼り付けました。

美濃国  岐阜城があり三法師が住む 後見人の織田信孝(信長三男)  信忠の遺領

尾張国  清須城がある          織田信雄(信長次男) 信忠の遺領

山城一国 丹波国             豊臣秀吉  信忠の遺領

近江長浜 秀吉の領地だった      柴田勝家  一部は光秀の遺領 

摂津国                   池田恒興  信長の遺領

近江高島                  丹羽長秀  一部は光秀の遺領

佐和山  丹羽の領地だった       堀 秀政

伊賀国                    織田信包(信長弟)


ちなみに、三法師様は、信長の長男の信忠と妻の武田信玄の娘松姫様の長男である。

そして、この三法師様は、後日織田秀信と名前を改め、岐阜13万石の当主になって、
秀吉の命で、朝鮮出兵にも行っている。

ただ、関ヶ原では西軍についたため、解役になり、高野山に追放されている。
これは、秀吉の子飼いの武将であったが、石田三成憎しから家康に味方した福島正則が、「私の功は秀信に与えてくれ」と助命嘆願したことから命だけは助かったという。

最終的には高野山からも追放され(僧呂を切ったとか?)、病死か餓死かは分らないが、26歳の若さで亡くなっている
2歳の乳飲み子が秀吉に利用されて、数奇な人生である。

また、疑問に思ったのは、ほんとにお市の方は、秀吉を毛嫌いしていて、そのことで柴田勝家のところに、お嫁にいったのかということ。実際浅井を打ったのは兄信長であり、秀吉はその命令に従ったまでのことだと思うが。
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1 コメント

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Unknown (みなちゃん)
2013-02-24 21:35:06
三谷幸喜は、本当におもしろいね。私は、本ではなく、もっぱら映画ですが・・・。
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